旅立ちの日・3
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「……もう帰りたい」
「いや、次の町まで半分も進んでねーよ」
二人はまだルースターから出てすぐの森の中にいた。ほんの少し前向きになったかに思えたフローディだが、人間そう簡単には変われない。すでに五回の戦闘を経験し、レベルが一つ上がったフローディだが、やる気は微塵も感じられない。それどころか先の戦闘はユーリエに任せっきりだったにも関わらず今にも地面に座り込んでしまいそうだ。
「あのなぁ。オレらの世代って言ったら、旅立つ前にはレベル10くらいになっててもおかしくないんだぞ?」
「……ユーリエがレベル15あるからいいじゃん」
「でもフローディはまだレベル2だろっ!? まさかホントに戦闘したこと無かったなんて……。確かに戦ってるとこ見たことないけどさぁ……」
この世界の人間はみんなステータス帳を持っている。カードケースのような形のそれには持ち主のレベルや体力、魔力などの詳細なデータが浮かび上がっているのだ。ユーリエはフローディのものを手にため息を漏らさずにはいられなかった。
つい先程まで真剣に、今でも本人は大真面目に村人Aを目指しているフローディにとって、レベルはそんなに大切なものでは無かったのだ。だから両親たちと共にレベル上げに専念しているユーリエを見ても、頑張ってるなぁ程度の感情しか浮かばなかった。さらにはパーティとしての認識も何故か行なっていなかったので、二人の両親やユーリエが頑張っても結局レベルは上がっていない。
「ユーリエ……ボクはやっぱり足手まといなんだ。キミの荷物にはなりたくない。ボクの旅はここで終わるけど、キミは先に進んで欲しい。ボクは町に帰るけど」
「そうはいくか。帰りたいだけだろ。……あー、フローディはなんの魔法使えるんだ?」
「んー…レベル1のファイア系とレベル2のアクア系。あ、ヒール系もレベル2なら使えるみたいだよ」
『魔道書~入門編~』を開きながら面倒そうに答える。呪いの書のような心持ちで持っていたが、慣れてみれば案外使いやすいもので、特に違和感も無くなってきた。本人のレベルに合わせて呪文が浮かび上がる仕組みなので、当然本人以外の人間に呪文は読めない。
覗き込んだユーリエにはさっぱりわからなかった。
「とりあえず次の村目指しながらレベル上げるか。今日中に2つは上げるから」
「はーい……」
身軽に先を歩くユーリエに、渋々と着いて行く。さながら散歩を嫌がる犬と、無理矢理引っ張る飼い主のようだ。フローディはユーリエに追いつくようにペースを上げ、横に並んだ。単純に後ろを歩くのが寂しくなったのもある。
「モンスターってさ、やっぱ強いの?」
「強いのもいれば弱いのもいる。弱そうに見えるのにめちゃくちゃ強いとかな。ピンからキリまでってやつだよ」
「ふーん」
興味が無いのか、それとも実感が伴わないのか、生返事だった。
「ま、この辺りは弱いのばっかだから大丈夫だ」
「そっか……」
「なんだ不安か?」
「んーん。帰りたいなぁって」
「またそれか」
二人でぎゃあぎゃあと騒ぎながら森を進んで行く。ユーリエのレベルと二人の会話による騒音という悪条件でモンスターからすれば飛び出しにくいのだろう。全く遭遇しなかった。
歩き続けて数分後、森の中に広場のような少し拓けた場所に到着した。ぜーはーと肩で息をするフローディを見てユーリエは苦笑し少し休憩することにする。こうもレベルに差があれば当然色々な能力値が違ってくる。体力面でもまた然り。まだまだ余裕そうなユーリエを見て少し、ほんの少しだけ悔しくなった。
「……ユーリエのバーカ」
「なんか言った?」
「べっつにぃー」
ツンと顔を背けた先の草陰がわずかに揺れた気がした。気のせいかもしれないとフローディは目を擦る。もう一度じっと見ると、今度は確実に何かががさりと音を立てた。
「ユーリエ」
「ん?」
「あそこ、何か動いた」
「モンスター……かな?」
フローディが指差した方向を警戒して、ユーリエは剣の柄に手を延ばす。フローディもまたたまをしっかりと握り直した。その殺気に反応して草陰からモンスターが飛び出す。相手の見た目は大きな緑色のネズミ。森ネズミと呼ばれるそいつは最下級に位置するモンスターだ。言ってしまえば雑魚である。
「なんだ森ネズミか。あれくらいならフローディでも倒せそうだな」
「えー……」
「文句言わない」
ぴしゃりと言い放って、ユーリエは剣の柄から手を離してしまった。最下級程度なら間違っても死ぬことはないだろう。パーティを組んでいれば確かに経験値は振り分けられるが、レベルが上がるだけでは駄目なのだ。レベルに見合っただけの実力と経験がなければこの先二人だけでなんて進めない。
「うぅ、やってみるね……」
泣きそうな表情でたまを握り直すその姿に罪悪感が浮かばないわけではなかったが、これもフローディのためだと心を鬼にしてユーリエは見守る体勢をとった。
フローディは森ネズミに向き直ると、深く息を吸う。そしてゆっくりと吐く。目標をしっかりと見定め、手にしたたまを持ち上げる。そして走り出し森ネズミの脳天目掛けて渾身の力でたまを振り降ろした。がつんと骨の砕ける音が響き、森ネズミはグラリと傾く。フローディ会心の一撃。森ネズミはあっけなく地に伏した。
「見たか、たまの実力を!!」
「ちょっと待てぇぇえっ!!」
「やったよ、ユーリエ!」
頬に返り血を浴びながら、すかすがしい笑顔をこちらにむけるフローディ。ユーリエはその光景に頭を抱えたくなった。魔法のまの字もないような倒し方。言い換えれば殴り殺したとも言えるそれに、一体どこから説明してやればいいのか。
そのとき、フローディのステータス帳からレベルアップの音が鳴り響いた。
「あ、レベル上がったみたい」
「……あのな、フローディ」
「ん?」
「お前は魔法使いなんだ」
「違うよ、村び」
「今はいいから。とにかく、今は魔法使いなんだ」
「う、うん。そうだね。たまだって持ってるし」
なんだかユーリエが怖い。ちゃんと倒したのに、何かいけなかったんだろうか。
「だろ? だから、な」
ユーリエは疲れたようにフローディの肩に手を置く。
「頼むから、魔法を使ってくれ」
心底疲れたようなユーリエの声だけが辺りに響いた。
次の戦闘ではちゃんと魔法を使うと約束して二人は森を進む。ぐだくだと道を歩いて行くがそれらしい気配は感じられない。
「モンスター出てこないね」
「だなぁ。って、あぶねっ」
道の側にあった蔦が突然動き出しフローディを捕らえようとすばやい動きで攻撃を仕掛けてきた。ユーリエは咄嗟にフローディを引き寄せる。直も攻撃して来る蔦から逃れるためフローディを抱えたまま後ろに飛んだ。
「あれもモンスター?」
「あぁ、ツタブドウってやつ」
実は美味いんだぜ。などと言いながらフローディを降ろす。
「あれも最下級だから、フローディ一人で倒せるな。魔法使えよ?」
「あーい……」
やる気の欠片も見られないような声を出してたまを構える。ちらりと相手を見て、のろのろと『魔道書~入門編~』を開く。「これでいっかなー」などとのんびりたまを構える。集中して、ツタブドウの燃えるイメージ。後はただ見えない何かに引き摺り出される感覚のままに声を出す。
「『ファイア』」
フローディが唱えたのと同時にツタブドウの生えた地面に魔法陣が浮かび、その場で火が燃え上がる。ものすごい叫びを上げてツタブドウは消滅した。咄嗟に耳を塞いでいたフローディにユーリエが近づき、嬉しそうに肩を揺らした。
「すっげーじゃん、フローディ。一撃だったぜ!」
「うん、やってみればできるもんだねー」
「へ?」
「初めて使ったけど、魔法って案外便利?」
フローディの言葉にユーリエは固まった。それもそのはず。もう十六年も旅をしていて、魔法を使ったことが一度もないとはどういうことなんだ。いや、確かに見たことないけど。さっきの戦闘でも後ろからの援護がないなとは思っていたけど。しかしそれは自分のレベルが強いからモンスターを一撃で斬り伏せてしまっていたからではないのか? 混乱する頭でユーリエは問いかける。
「……あのさ、魔法使ったこと無かったっけ?」
「うん。必要無かったし。世の中にはマッチもライターもあるんだよ」
「なんつーか……はぁ、もう、いいや。先に進もうぜ」
自分の考えが甘いものだったと知ったユーリエはぞっとした。もし上手く魔法を使えていなかったら、フローディは今ここにいないかもしれない。いや、最下級だから死ぬことはないだろうが、怪我はしていただろう。次からはちゃんと戦闘に参加することにして、少しずつ成長すればいいやとため息を吐く。結局甘やかしていることに気づいてはいるが、どうしようもない。
フローディは先ほどの感覚を忘れないように、もう一度小さく呪文を唱えてみた。小さな火を出せたことに満足して、フローディのテンションは上がる。マッチもライターも火打石もいらないなんてと感動しながら、ユーリエを振り返った。
二人は次の町を、冒険を目指して歩き出す。旅はまだ始まったばかり。




