勇者・3
「オレはユーリエ。剣士だ。あんたは?」
「私は然崎真輝奈です」
「シカザキ?」
「マキナと呼んでください。私の国ではそちらが名前です。勇者をしています」
マキナの発言に驚いて、ユーリエはなんと返していいのかわからなかった。冗談なのか、それとも本気で言っているのかの区別がつかない。傷つけまいとはじき出した返答はいたって無難なものだった。
「……オレは勇者の話、結構好きだぜ」
「あ、信じてませんね?」
どうやって信じろというのだろうか。そもそも勇者だとしてなぜ一人でこんな場所にいるんだ。仲間はどうしたんだ。ユーリエは自分のことを棚に上げて、マキナを見る。
「一人なのか?」
「いえ、森に入ったところではぐれてしまいました。ユーリエさんは?」
「ユーリエでいいよ。オレも似たような感じかな」
どんな危険が潜んでいるか分からない森に女の子を一人を放って行くわけにもいかず、ユーリエは手ごろな岩に腰を下ろした。マキナもそれに習って座り込む。一人で動くのは危険だと判断したのだろう。
「あんたが仮に勇者だとして、なんで世界を救うんだ?」
ユーリエにとっては軽い世間話のつもりだった。しかしマキナはしばらく考えたあと、ぽつりと答える。
「……私、この世界に来る前の記憶がないんです。司祭様曰く、世界を脅かす悪魔に取られたらしくて。だから、本当は世界を救うとかじゃなくて、自分のためなんです。軽蔑しますか?」
小さな声で語られたそれは痛ましく、だからこそ本当のことなのだと知る。真剣に考えて、ユーリエは答えを返した。
「別にいいんじゃねーか。だってそれが本心だろ? みんなを救いたいとか言われるよりよっぽど信じられる」
マキナにとってそれは信じられないくらい暖かい言葉だった。結局は自分のためだなんて浅ましい考え、きっと否定されると思っていた。それでも目の前の彼に嘘はつきたくなかった。今まで誰にも言えずに居た本心。ユーリエのくれたその言葉が信じられないくらい嬉しい。
「ありがとう」
搾り出した声は少しだけ震えてしまった。けれど、今まで浮かべたことのない、最高の笑顔でユーリエに伝えられた。
「オレもさー、悩んでることがあるんだ」
「なんですか?」
「オレには旅の仲間が一人いてさ。最近二人で旅立ったんだ。けど、ずっとこのまま、あいつを振り回してもいいのかなって。あいつは、オレに頼ってくれてるけど、でも本当は何でも一人でできて、強いんだ」
不思議と暖かくなる空間で、ユーリエも自分の不安をさらけ出していた。理由は、自分のことなのによく分からない。言ってから初対面の人間に何を言っているのかと自嘲する。マキナはそんなユーリエをじっと見て、ふわりと笑った。
「その人はユーリエを信頼してるんですよ。だから頼ってしまう。出来ない振りをする。焦る必要なんてないじゃありませんか。だってその人はユーリエに甘えてるんだもの。だったらその方が離れたがるまで、めいっぱい甘やかしてあげればいいんですよ」
「それじゃ、今とかわんねーな」
二人のために精一杯考えるマキナ。その姿がとても可愛く見えて、ユーリエは自然と笑っていた。
「置いていくことなんて考えなくていいと思います」
「そうかな」
「そうです」
力強く頷くマキナにとうとう耐え切れず、ユーリエは声に出して笑った。笑うユーリエを見て、マキナも自然と笑顔がこぼれる。
「その方がどれほど強いのか私は知りませんが、少なくとも、今私を救ってくれたのはあなたです」
小さな声で紡がれた言葉は、けれどしっかりとユーリエに届いていた。
***
「ユーリエ!」
「勇者様!」
「フローディ?」
「みんな!」
見つけた瞬間にフローディはユーリエに抱きついた。よっぽど怖い思いをしたのだろう。ユーリエは驚きつつも抱きとめる。その隣ではマキナと仲間たちが再会を喜び合っていた。
「じゃ、お互い仲間も見つかったことだし、オレたちは帰るか」
「泉はいいの?」
「お二人は泉へ行かれるおつもりだったんですか?」
「そうだよ。キミがマキナちゃん?」
「はい。あの、よろしければご一緒しませんか? 私たちも泉へ向かっているんです」
「え……」
あからさまに嫌そうな声を出したフローディ。ユーリエはフローディの頭を軽く小突いて、迷惑ではないかと尋ねた。マキナの意見に異論はないのか仲間たちは快い返事をする。この世の終わりのような顔をするフローディを残して、とんとん拍子に話は進んでいく。
ザイークの話によれば、この森は何らかの結界が施されているらしい。とても複雑な構造のそれを解くには特別な魔方陣が必要になる。
「早速取り掛かりましょう」
にっこりと笑ったザイークにフローディとキクラはぶんぶんと顔を縦に振った。
ユーリエが見た行き止まりはどうやら結界の中心らしく、そこにキクラ・ザイーク・フローディの三人が横に並んだ。何が起こるかわからないためマキナを守るようにユーリエとトルナモが後ろに立っている。
「かかっているのは鏡呪式の結界のようです。私の掛け声に合わせて魔方陣を展開してください」
「はーい」
「あーい」
ザイークの声に合わせて三人は同時に魔方陣を展開する。描かれた模様が綺麗に重なった瞬間、道を塞いでいた木々はぱりんと音を立てて、空間ごと消滅した。
「成功?」
「そのようですね」
真っ暗だったその空間に、ざざざざと波が引くような音と共に道が伸びて、遠くから強い光が襲ってくる。その強すぎる光に全員が目を閉じた。次にゆっくりと目を開ければ、そこは地面も草木も、空を切り取ったような水色の世界。中心には鏡のようなとても綺麗な泉が広がっていた。
***
しばらくの間泉に目を奪われていた一同だが、はじめに口を開いたのはトルナモだった。
「勇者様、そろそろ」
「あ、そうですね」
「なにかあるの?」
「今から禊なんです。伝説と同じように、ここで身を清めようと思って来ました」
真剣に勇者やってるんだな。なんて考えて、ユーリエはフローディに声をかけた。
「じゃあ、オレたちは帰るか」
「そうだね」
「え」
その言葉に残念そうな声を発したのはマキナ。声には出さないが、あんなに疑っていたキクラもどこか寂しそうである。
「お土産に泉の水、少し貰っていい?」
「構いませんが……、あの……」
小さな瓶にたっぷりと泉の水を汲んでフローディは立ち上がる。行くぞ、と声をかけて先を進むユーリエに続いた。広場を出る前に一度振り返って、マキナに声をかける。
「じゃあ、元気で」
「……また会えますか?」
「どうかな」
マキナはその言葉にふっと息を吐き出して、目を伏せる。相手に期待するだけでは駄目なのだ。こちらから約束しないと。視線を上げると今度は真っ直ぐにユーリエを見つめた。
「また、お会いしましょう」
言葉は返さずユーリエは片手を上げてその場を去る。フローディもマキナたちに頭を下げてユーリエの後を追いかけた。
先を急ぐユーリエに、後ろから声をかけるフローディ。ユーリエは速度を落とさず、足早に進む。いつものように隣まで来れば、自然スピードは緩くなったけれど。
「ねえ、ユーリエ」
「言うな」
「じゃあ言わない」
耳まで赤くして、口元を隠す。ユーリエの珍しいその姿に、フローディの口元は自然と笑みをかたどっていた。
互いに芽生えた淡い想いを押し殺して、もう次に会うときのことを考えている。別れに、こんなにも胸が痛むのはなぜだろうかと考えるのを無意識に避けた。絶対にまた会えるんだと何故か信じられる。
ユーリエの中に芽生えた想いに気づかない振りをして、フローディはこっそりと喜んだ。それと同じくらい、羨ましくもあった。




