勇者・2
タムレイドから歩くこと数キロメートルの位置にその森は存在していた。堂々としたその存在感がどこか神々しく感じられる。二人の歩いてきた道は森の中へと続いており、入り口からではそこまで異様な森には見えない。
「ここだな」
「広そうだね」
「でも道は一本みたいだ」
確かにユーリエの言うとおり、道は一本に見える。もしかしたら見えるだけなのかも知れないが、危機感はあまり感じない。二人はいつものようにユーリエが前を、フローディが後ろを歩き出した。
「え?」
言葉を発したのはどちらだろう。森へと足を踏み入れたとたん、ぐにゃりと空間が歪んで世界は反転した。
***
ばっと慌てて後ろを振り返るユーリエ。しかしそこにいるはずのフローディはやはりいない。ちっと舌を打って一度森の外に出ようとしたが、森の入り口からニ・三歩しか進んでいないはずなのに、四方を木で囲まれている。ユーリエは何故か森の中に飛ばされてしまったようだった。足元に道はあるので、どちらかに進めば森の外に出られるのかもしれない。しかしフローディはどこに飛ばされてしまったんだろうか。森のど真ん中だったら洒落にならない、とユーリエは足を進める。
真っ直ぐ道を見失わないように歩いていたのだが、なぜか行き止まりに到着してしまった。木と木が隙間なく生い茂っており、今の装備ではどうあがいても進めない。森というより迷路の中のような感覚に捉われる。が、ここで立ち止まっていてもしょうがないと踵を返した。
その瞬間、傍の茂みががさりと揺れる。がさがさと音を立て始めたそれに警戒して剣の柄に手を掛けた。案内人の話ではモンスターはいないはずだったのだが、森の生態系が変わったのかもしれない。音はだんだんこちらへ近づいているようだ。
ユーリエが固唾を呑んで見守る中、茂みから飛び出してきたのは人間の少女だった。
「は?」
「え?」
視線が交差して、互いに状況を整理できないでいる。少女は十五・六歳に見えるが、実際の年齢はわからない。ユーリエは動物かなにかだろうと思ってはいた。しかし人間なんて予想外すぎた。それは少女も同じようで、飛び出した先に人間がいることなど想像もしていなかったのだろう。表情はとても硬い。
先に口を開いたのは少女だった。
「あなたは誰?」
「オレは――」
***
一方フローディは、ユーリエが心配したように森の中心部へ飛ばされていた。足元に道はなく、右も左も前も後ろも木ばかり。ため息を溢して、さあどうしようかなんて考える。きっと自分とはぐれてユーリエは動揺しているだろう。変に責任感の強い彼だから、また自分を責めていないとも限らない。
フローディは歩き出そうとして立ち止まった。いつの間にか背後には人が立っている。首にあたるナイフの感触からして薄皮一枚くらいは切れているだろう。
「動くな」
動けば斬る。くらい言いそうな雰囲気の相手を茶化してやろうかとも思ったが、さすがに面倒かと止めておいた。相手はどうやら一人ではないようだし。後ろにいるのはおそらく剣士だろうと、無抵抗にたまと『魔道書~入門編~』を手放して見せる。この距離で剣士に勝てる魔法使いがいたらぜひとも教えてもらいたい。
明後日の方向へ思考を飛ばしていたフローディだが、目の前の草むらががさがさ音を立てたことで少し警戒する。
「もー、トルナモ。急に走り出してどーしたのぉ?」
「僕らはあなたほどすばやくないんですから、考慮してください」
現れたのは魔法使いと僧侶。後ろに立つ剣士はどうやらトルナモという名前らしい。相手はフローディを見て、一気に警戒心を強くする。しかしトルナモに捕らえられているからか、その表情はどこか余裕そうだ。
「こんなところでひとり、何をしているんですか?」
僧侶がフローディに近づき訊ねる。探るような視線がとても心地悪い。答えずにいると、トルナモの腕に力が込められるのを感じた。こんなところで殺されるわけにもいかない。しょうがないなと素直に口を開く。
「仲間とはぐれたんだ。森に入った瞬間飛ばされた」
正直に話したというのに、魔法使いはなぜだかじとっとした目線で何かを訴えている。
「ちょー怪しいよね。どうする?」
今にも杖の先で突いてきそうな距離の取り方に、なぜかすごくイラついた。手元にたまがあれば、拘束されていても殴りかかっていたかもしれない。不穏な空気が流れる。そんななか、最初に口を開いたのは僧侶だった。
「トルナモ、離してあげなさい」
ふっと肩から力を抜き、フローディに微笑みかける。
「手荒な真似をして申し訳ありません。実は我々も仲間を見失ってしまったんです。それでぴりぴりしてしまって……」
「えーっ! 離しちゃうの? 絶対に危ない奴だよぅ」
魔法使いの言葉使いにイラっとしたが、ここで騒ぎを起こすのは得策じゃないと判断して、その存在をシカトすることに決めた。視界に入れないようにしながら、先ほど手放したたまと『魔道書~入門編~』を拾い上げて砂を払う。
「私はザイーク、僧侶です。後ろの剣士はトルナモ。そっちの魔法使いはキクラです」
「ボクは魔法使いのフローディです」
それじゃ、とばかりに歩き出そうとしたフローディをがっしりと捕まえたのはザイークだった。もう関わりたくないのに、勘弁して欲しい。
「まだ何か?」
ひくひくと引きつった笑みを浮かべながらフローディは振り返る。こんなことに時間を取られるくらいなら早く進みたい。
「フローディさんと我々の目的は同じ、ですよね?」
確かに仲間を捜すという点では間違いないので、黙って頷いておく。ややこしいことになりそうだとは思っていても口にしない。
「じゃあ、一緒に行きませんか?」
「は?」
「え?」
フローディが声を上げたのと、キクラが声を上げたのはまさに同時だった。
「何でこんな奴連れていくんだよぅ」
「黙りなさい、キクラ」
ザイークと目が合った瞬間に、ひゃあっと短い悲鳴を上げて口を噤むキクラ。一緒に来てくれますよね、なんてにっこりと笑うザイークに底知れぬ恐怖を感じ、そのときになってようやく逃げ道がないことを悟ったのだ。
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