猫の棲む村・5
いつの間にか辺りは暗くなっていた。それでも見失う前にとノアールが走って行った方向へ足を向ける。しばらく走ると、大きく拓けた場所に出た。中央では何かを抱えているノアールと上半身は女、下半身は蛇の姿をした化け物が対峙していた。
「ノアール!」
「やっぱり来たんだ?」
「母さんは見つかったのか?」
「うん」
そっと腕に抱えている物を二人に見せるノアール。そこにいたのは村長の娘だった。
「どういうことだ? その人は……」
「僕の母さんだよ」
「そっか。無事なの?」
「わからない。でも……」
ノアールはぎゅっと腕の中の存在を壊れないように抱きしめて、ギラギラと怒りに燃える瞳を対峙する¨敵¨に向けた。
「あいつだけは許さない」
そっと娘を横たえて腕を慣らしながら立ち上がった。フローディは娘の呼吸を確認しユーリエは腕で脈拍を確認する。どうやら眠っているだけらしいが、酷く呼吸が浅い。それを見て女は声を上げて笑った。
「その女はすぐに死ぬ。腹の中の赤子は妾のモノじゃ。さっさとこちらへ渡せ! 骨の髄まで喰ろうてやるわ」
この世のものとは思えないような甘い声で囁く化け物。ノアールは拳を握りしめて殴りかかった。だが余裕の表情でクスクスと笑いながらソレをかわす。ノアールは拳を開いて伸ばした爪で応戦する。ヒラリと、二本に別れた猫の尾が揺れた。
「えっ?」
「あー、そういうこと」
なるほどと頷くユーリエ。フローディはわけがわからない。
「どういうことなの? なんでノアールに尻尾が……」
「ノアールはケットシーなんだよ。あいつらは受けた恩を忘れないし、仲間が恩返しするなら喜んで手を貸す。そういう種族だ」
ノアールは右足で地を蹴り、その勢いのまま女の右頬に傷をつけた。女は怒りに呻き腕をしならせながら大きく振り回す。ユーリエは咄嗟に剣を抜き、ノアールを庇った。その隙にフローディは娘を後ろの方へ移動させる。ノアールはたん、たん、と軽快に後ろへ飛んで女と距離を置く。ユーリエは伸びた相手の腕を切り落とすつもりで斬りかかる。しかし腕を元に戻すことでかわされてしまう。
「たかがモンスター一匹と人間風情で妾に勝とうなど、笑わせてくれるわ」
「アイツなんなの?」
「わからない」
「下級モンスターじゃないことは確かだよね」
イライラと不機嫌に尻尾を揺らす。フローディは触りたくて仕方がない気持ちを抑え、尻尾から視線を逸らした。
「なんじゃ、知らぬのかえ? 妾の名はラミア。キサマら人間が悪魔と呼ぶ支配者である。大人しくその母子を渡せ。そうすればキサマらは見逃してやってもよいぞ」
先ほどとは違いラミアの長い髪がうねうねと襲いかかってくる。ユーリエはそれを剣でばっさりと斬り落とし、ノアールは前に跳ぶ。フローディはたまを構え、『魔道書~入門編~』を開く。
ノアールが爪で引き裂こうとラミアに飛びかかるがやはりかわされてしまう。ユーリエが追撃するも結果は同じ。
「なんで当たらないんだよ!」
「くそっ、どうすれば……」
「っく、ははははっ! 何度やっても同じこと。……ん? あぁ、キサマは旨そうだなぁ」
ラミアはフローディに向き直ると舌舐めずりをした。爬虫類を思わせる捕食者の瞳孔に、身体が動けなくなる。
「丸飲みじゃ。じわじわ溶かしてやろうなぁ」
動けないフローディを見て殊更残酷に嗤うと、ゆっくり近づいてくる。しかし、蛇の尾をユーリエが自らの剣で縫い止めた。
「フローディ、しっかりしろっ!」
「っ、ごめん!」
ユーリエの声に元気付けられ再びたまを握り直す。そこに、するりとノアールが近づいてくる。
「ねぇ、作戦があるんだけど」
「小癪な真似をっ! 不味そうだがキサマから喰ってやる!」
「っは、やれるもんならな!」
「できる?」
「やってみる」
ノアールは頷くと再びラミアに挑むため地を蹴った。激しい攻防が続く。ラミアが蝿を払うように腕を振るった瞬間、フローディが声を上げた。
「みんな避けて! 『ウッド・ダンス』」
フローディの発動した魔法で、ラミアの足元から木の杭が地面を突き破って生えてくる。
「何をしようとも同じことよ」
ラミアはふわりと上空へ飛び上がってそれを避けた。しかしそこを追いかけてノアールが飛び上がる。
「空中じゃ避けれないよね」
「し、しまった!!」
ノアールは腕をクロスさせるように自らの爪でラミアを引き裂く。辺りに鋭いラミアの悲鳴が響き渡る。木の杭を避けて地面に落ちるもそこにはユーリエが待っていて、その剣を胸に受け、ラミアは死んだ。
ノアールはそっと娘に近寄る。フローディが呼吸を確認するとすでに正常に戻っており、今度は本当に眠っているだけのようだ。
「母さん……」
「良かったね」
「おい。これ、なんだ?」
怪しいものは無いかと周囲を調べていたユーリエがふいに声を上げた。何事かとフローディが駆け寄る。
ユーリエが指差す先を見れば、空中に黒く丸いものが浮かび上がっている。丁度フローディが両手の指で輪をつくった程度の大きさだ。
「なんだろうね……」
「良いものじゃないのは確かだな」
「ねぇ、その穴からさっきの女と同じ臭いがするんだけど」
ノアールは忌々しく吐き捨てる。よく見てみればそれは空間に開いた穴のような、次元の歪みだった。
「どうしよう。またラミアみたいなのが出てくるかも」
「とりあえず、ギルドに報告するしかないな」
「そうだね……」
フローディは『魔道書~入門編~』を開き、たまを歪みに向ける。
「『ウィンド・シールド』」
生み出された風の結界は歪みを外と認識して丸い球体を作った。
「気休めにしかならないけど、ここから出てくるのが弱いやつだったらこれで十分だと思う」
「ありがとな、フローディ。後でギルドに報告するか。さて、村に戻るぞ」
振り返りノアールに声をかければこくりと頷く。娘を交代で抱えて、三人は村を目指した。
***
一番長い距離を運んだのは、やはりユーリエだった。魔法使いであるフローディは体力の限界で、ノアールはあろうことか猫の姿になってしまったのである。限界に近かったらしい。曰く「本来の姿の方が体力の消耗が少ない」とのこと。今はフローディの腕の中で大人しくしている。
村に辿り着き、まずは村長の家へ向かった。村長は号泣しながら二人を迎え入れる。
「本当にありがとう……。二人にはなんと礼を言ったらいいか……」
「もういいですって村長。今回の依頼の内容もたぶん事件に関係していたはずですし」
「そうかね? しかし本当にありがとう。今夜も泊まって行くといい。そうだ、宴会の準備をせねばな」
「やったっ!」
「じゃあ、御言葉に甘えます」
フローディが全身で喜びを表現すれば、ユーリエは苦笑混じりで村長の提案に了承した。




