猫の棲む村・4
フローディの願いとは裏腹に空は快晴。服を着替えて武器を手に持つ。太陽が頂上に来るよりも早く二人は森へ出発した。
「神さまはいじわるだ」
「どうした?」
「べっつにー」
本当は嫌で嫌で仕方がない。夜だけ聞こえているのだと思っていた歌は、朝起きても耳の奥にガンガン響いてショックを受けた。森の奥から流れてくるはずのそれは、木々に反響してフローディを苦しめる。ついには頭の中で直接鳴っているような錯覚に陥った。しかし相手の話している声は聞こえるし、自分の声もまだなんとなくわかる。
心配そうにしているユーリエだったが、突然剣の柄に手を掛けた。どこからか霧が漂って来て視界を覆う。だが霧のせいかフローディの頭の中で響いていた歌は小さくなり、聞こえなくなった。
「歌が消えた……」
「なんなんだろうな、この霧」
「めくらまし、かなぁ? 呪いじゃないとは思うけど……」
この霧では進めないと二人は判断し、一度村へ戻ることに決めた。相手がどこにいるのかも、敵がいるのかいないのかもわからないため慎重に進む。何度か狂いそうになる方向感覚を二人でカバーし、森の外れまで進むと、突然霧が晴れた。
***
二人はあの後不思議な霧に出会うことも、歌を聞くこともなく村にたどり着いた。不思議な霧は森の中だけにかかっているらしい。
とりあえずこのままでは情報が少なすぎるため、村長の家まで戻ることにした。
家に着いてみると昨日とは打って変わって人で溢れていた。しかしみんなどこか悲しそうな表情だ。人混みを掻き分けて中央まで行ってみると真ん中では蹲り泣いている村長の姿が。
「村長さん?」
「どうしたんですか?」
「ユーリエ、フローディ……。実は娘が……娘が……」
村長はそれ以上何も言えないというように嗚咽を上げて涙を流した。周囲からは「可哀想に……」とか「身籠っていたから」などという声が聞こえる。
「まさか」
「お姉さんも?」
こくりと頷く村長。二人は自分の血の下がる音が聞こえた気がした。フローディは立っていられなくて床に座り込む。しかしユーリエは逆に下がった血液が急に頭に上るのを感じた。
「行こう、フローディ」
「ユーリエ?」
「助けられないなんて、決まってない」
ユーリエの強い眼差しに釣られてフローディは首を縦に振る。立ち上がってたまを握りしめる。村長はそんな二人を見上げ涙を拭った。
「二人とも、頼むよ」
「まっかせてよ」
「絶対に連れ戻します」
軽率にそんなことを言うのは良くないとわかってはいる。けれども二人とも言葉にせずにはいられなかった。
どのくらい距離があるのかもわからない状態で走るのは得策ではない。わかってはいても自然と足は早くなる。大通りをまっすぐ歩いていると後ろから足音が聞こえてきた。どうやら走っているらしいその音にユーリエは振り返る。
「ノアール?」
「ユーリエにフローディじゃん」
ノアールは走る速度を落として横に並ぶ。その表情には焦りと怒りが見えた。
「そんなに走ってどうしたの?」
「実は、母さんがいなくなったんだ」
「えっ!?」
「いなくなったのは一人じゃなかったのか……」
「母さんがいなくなったから、だから……」
ギュッと握りしめて、怒りに満ちた瞳を前に向ける。
「絶対に取り戻す」
「オレたちも、いなくなった女性を追いかけてるんだ」
「なら急いだ方がいいよ。僕は先に行ってるから」
再び速度を上げて走り出したノアール。二人は頷き合うと、先を行く黒い影を追いかけてスピードを上げた。
***
森を進むと、やはり例の霧が出てきてノアールを見失なってしまった。焦る気持ちを抑え、一度立ち止まる。
「どうすれば進めるのかな」
「歌が聞こえてる間だけしか進めない、とか? だったら最悪だな。なんかいい魔法ないか?」
「これが足留めの魔法だったらもしかして……」
フローディは『魔道書~入門編~』を開き、ページを捲る。とあるページでぴたりと手を止め、たまを前に構えた。
「解放せよ、『ブレイク・プレス』」
呪文を唱えると、ざーっと音を立てて霧が全て地面に吸い込まれた。
「すげー」
「自然発生した霧とか、呪いの類いじゃなくてよかった」
それだとまだ解けないから。などと恐ろしいことを笑顔で告げて、フローディは本を閉じた。恐ろしいことをさらりと言ってのける親友に、ユーリエは先を促した。




