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水城と寺元が書店で再会してから一週間後、二人は図書館で待ち合わせをしていた。
先に到着したのは寺元である。
彼女は約束していた時間より三十分早く到着してしまったので、集合時間まで面白そうな小説を探して時間を潰していた。
彼女は本を選ぶ際、作家では選ばず、背表紙等に書かれているあらすじに目を通して気に入った物を選ぶというスタイルをとっている。
この手法によると、ハズレを掴むという事は少なくなるが、ビビッと来るものは存外少なく選ぶのにどうしても時間がかかってしまう。
ただ、今回のように時間を潰すのにはうってつけと言えよう。
本を手に取ってあらすじを確認し、再び本棚に戻すという事を十五冊程繰り返していると、
「寺元さん」
と、彼女は声をかけられた。
まだ集合時間まで十二分程の猶予があったが、水城が到着したのである。
「早かったね」
と、寺元は嬉しそうに言った。
聞き様によっては皮肉にも聞こえない事はない。しかし、嫌味な感じは全くなかったためか、もしくは本当に予定よりも早かったためか水城はそうは捉えなかった。むしろ諧謔の一種であると好意的に受け止め、
「まぁ、二着だがな」
と、彼女に乗った。
二人はテーブルへと移動し、対面するような形で席に着いた。
ただ、お互いに何をやっているのかわかり難く、勉強を教え合うには適さない位置関係である。
「これ、お互いに教え難くないか? 横の方がやり易いだろう」
と、水城がその事を言及すると、
「そう? 私はこっちの方がやり易いけど、水城君がそう言うならそっちに行こうか?」
とのことであった。
正直、寺元にとっては英語の勉強などオマケでしかなく、今はただもう少し水城の顔や仕草を見ていたいという気分であった。それにはこの位置がベストだったため、こちらの方がやり易いなどと言った次第である。
普通に勉強しに来た水城こそいい面の皮だが、問題集をパラパラとめくってみたところ、しばらくは解けない問題も出て来なそうなので、
「このままでいいよ」
と言って問題へと戻った。
二人はしばらくは会話もせず各々の学習を進めていく。
それを二時間半程続けたあたりで水城はふと対面から視線を感じたため顔を上げた。寺元が頬杖を突いて彼の方を見ていたのである。
「どうした? 解らない所があったのか?」
と、彼が彼女に問いかけたところ、
「いや、人が勉強してる様子ってまじまじと見ることはないからこの機会に見ておこうかと思ってね」
とのことであった。無論、真意ではない。人は好意を持っている相手を見る時、瞳孔が通常より開くらしいが、彼女のそれはいつもより開いている。
ただ、そんな事を知らない水城は、
「そんなもの見ても面白くないだろう」
と言葉通りに受け取った。
「そうだね、面白くはないかもね。ただ、何となく落ち着く気がする」
「そうか?」
水城には分からない。
寺元の言葉の意味を考えてみようかと思ったが、まるで時間切れを告げるように図書館の時計が鳴った。
時計は午後一時を指している。
「そろそろお昼にしようか」
寺元がそう言ったが、生憎、図書館は飲食禁止になっている。
そのため、二人は荷物を纏めて外へと出た。
移動した先は広場であった。それも、図書館から少し離れた場所にあるところである。
広場の周りには店らしい店は何もない。
ジュースのお礼に昼食を馳走するということだったので、コンビニでパンの一つでも奢ってくれるものと踏んでいた水城は困惑した。
そこで、
「昼食は任せていいとの事だったが、何も無くないか?」
と、彼女に問いかけたところ
「私が作ってきた」
とのことだった。
本当に作って来たらしく、鞄には弁当箱が二つ入っている。
水城は飲み物の礼でまさかここまでされるとは思っていなかったため、ありがたいと思う反面、申し訳ない気持ちがこみ上げてきた。
「気を遣わせたらしい。なんかすまないな」
「好きでやった事だよ。新しい調理法を試す為の口実としては丁度良かったからね」
と、寺元は水城がどこかで聞いたであろう言い回しをしたが、花火の事など彼にとっては道案内をした事とさして変わらないので無論覚えていない。そもそも、彼は一緒に花火を見たバレー部女子が寺元だと当時ですら気づいていなかったので、反応できる筈がない。
「……」
何の反応もなかった為、寺元は多少は残念がったが、存外こんなものかとも思った。
当時の事は自分のきっかけであり、彼のではない。そもそも、きっかけはきっかけに過ぎず、自身の心もその後ちょくちょく彼に関わったが故に醸成されたと彼女自身も思っているが故に大したダメージにはならなかったのだろう。
その後、二人は手早く昼食を食べ終えると、再び図書館へと戻った。
空いていなかった。
二人が午前中使っていたテーブルがである。
それどころか、他のテーブルも個人用の机も空いておらず、これ以上勉強を継続する事ができなくなってしまった。お互いに家に呼ぶ仲にまではなっていないので、自宅で継続する訳にもいくまい。
故に、ここでお開きとなった。
「結局、何も教えずに終わっちゃったね」
帰路で寺元は少し申し訳なさそうに言った。
「いや、今日やった範囲は特に難しいところが出て来なかった。あんたの方も自力でできていたみたいだし、気に病む必要はないよ」
ただ、寺元が気にしない訳がない。
教え合ったという実績がなければ、彼に会うための勉強会という口実が使い難くなると思っているのである。
午前中はどちらかと言えば水城を眺める事を優先していたが、午後は午前中解いた英語の問題で間違えた箇所についての意見を彼に聞こうと思っていたし、彼から勉強に関する質問があれば答えようと思っていた。それができなくなってしまった以上何か別の手を打っておく必要があるだろう。
そこで寺元は、
「ただ、さっきあなたを観察していて気付いた事がある。その鞄の中、さっきの問題集の他にも問題集が入っているでしょ? 使う教材は一つに絞った方が良くない?」
とアドバイスをした。勉強会中に気付いた事を言及して、今日の集まりに意味を持たせるつもりである。
言われた水城としてはその言及については理解できるが、鞄に入っている二冊のうち一冊は前日にちょっと確認する程度の学校配布のものである。今日はとりあえず持ってきてはいたが、使うつもりはなかった。そこで、彼は自身の学習スタイルについて彼女に説明するが、
「まぁ、見たくなる気持ちも分からなくはないけど、前日になって新しい事を始めるよりは、今までやってきた事の確認をした方が勉強した知識をうまく引き出せるんじゃない?」
との事であった。
(言われてみればそうかもしれないな)
そう思うに至り、
「今日はありがとうな。今回のテストはその方針で受けてみる」
と、答えた。
やがて、分かれ道になった。ここからはそれぞれ方向が違う。
ただ、寺元は依然、気に病んでいた様に見えたので、
「今日はありがとうな。なかなか楽しかった。また、一緒に勉強しような」
と水城は別れ際に言った。
勉強会が楽しいとは変な話だが、寺元が最も聞きたかった言葉が入っている。故に、
「私も楽しかった」
と、ここに来て元気を取り戻した。