つぎにいつ切符が取れるか分かりませんよ @夜行列車
いつもの帰り道。
突然目の前が光ったと思ったら、見知らぬ駅の構内だった。
構内には列車を待つ人たちでごった返しであった。今、自分が立っているホームの他にもホームがいくつも並んでいて、ひっきりなしに列車が入ってきては出ていくのが見えた。
ホームにいる人は皆、疲れた表情で来た列車に乗り込んで行く。
どこかで見たことがあるようなのだがどうしても思い出せない。記憶の糸を手繰るために駅名の書かれたプレートはないものかと周囲に目を配って見る。と、近くの柱のプレートに目が止まった。
┴┌┤┬┌┌ ← ╋╋┓┛┏┳┳
見慣れない文字のようなものが書かれていた。
これは駅名なのか? いや、そもそも文字なのかと、首を傾けざるを得なかった。
駅名だとしたら太字ほうが今いる駅の名前なのだろうか。疑問か次々に湧いてくる。
『零時四十二分発 ┌┼┐┼行き特別夜行列車 ┌┤┬┴┤ は、8番ホームです。
ご乗車になられるお客様はお急ぎ下さい』
ホームにアナウンスが流れた。肝心の行き先や列車の名前がザッザッという雑音にしか聞こえなかった。こんなのでは役に立たないだろうと思ったが、今のアナウンスに反応して動き出す人もいるようだった。
理解できないのは自分だけなのか? と少し困惑しながら、どう行動すべきか決めかねて何気なくポケットに手をいれる。
ポケットになにか入っていた。
取り出すと、それは切符だった。
『┌┤┬┴┤乗車券 5号車 8A』と書かれている。これまた列車名が見たこともない文字だったがなぜだかさっきアナウンスされた列車の名前であるような気がした。こんな切符がポケットに入っているなんて、ますます混乱した。入れた覚えも買った覚えもまるでなかった。
この列車に乗れと言うのだろうか?
いくら考えても答は出ない。
時計を見ると丁度零時になったところだった。その時、駅員さんらしい人が視界の片隅に見えた。紺地の制服にツバのついた帽子をかぶっている。
足早に近づいて声をかけた。
「すみません。この列車はどこ行きですか?」
差し出された切符を駅員はしばらく見つめていたが「8番ホームです」と答えた。
「┌┼┐┼行きです。
本日は、お客様が多いために特別に出る夜行列車です。今はどの列車も乗車率100%ですから
乗り損ねるとつぎにいつ切符が取れるか分かりませんよ。だからお急ぎ下さい。8番ホームです」
駅員はお辞儀をするとそのまま足早に去っていく。それを呆然と見送る。
やはり、目的地を聞き取ることはできなかった。
8番ホームには青い列車が止まっていた。
5号車は列車の真ん中辺りであった。
相変わらず、ここがどこで目の前の列車がどこへ行くのか分からない。
ここに来るまでに他の駅員さんに何度か聞いたが、何度聞いても駅名も列車の名前も目的地も聞き取れなかった。
そのため、列車を目の当たりしても未だに乗ることが躊躇われた。
とりあえず開いたドアから列車の様子を覗こうとしたら、突然、大きな男に前を遮られた。
紺地の制服。先ほどの駅員と似ていたが少し違う。目深にかぶった帽子のせいで顔が良く見えなかった。
車掌だろうか?
「切符を拝見いたします」
車掌らしき男がずいっと手を出してきた。真っ白な手袋が目に痛い。
おすおずと切符をみせると車掌は、少しの間それをじっと睨み付けた。買った覚えがないので、偽物ですと言われたときにどう良いわけをすれば良いのかと内心ドキドキしたが、車掌は黙って一歩後ろへ身を引いた。どうやら本物らしい。そして、乗れということなのだろう。
その無言の圧力に思わず列車に乗り込んでしまった。
列車の中は片側に通路があり小さな小部屋が等間隔に配置されている。ヨーロッパの長距離列車のような造りだった。ドアのところに番号がついている。8の名札のドアを開けると小部屋は左右に座席が向かい合うように配置されていた。座席にもA、Bの名札がついている。
どうやらAの座席が自分の席なのだろう。
「ああ、良かった。実は一人で心細かったのです」
部屋には先客がいた。
Bの座席に少し年配の男が一人座っていた。男はぎこちない笑みを浮かべていた。
「あの、この列車の行き先を知ってますか?」
軽く会釈をして膝を付き合わせるように座席に座るとその男は質問を繰り出してきた。
「あぁ、いや……実は良く分からないのです。いろんな人に聞いたのですが肝心の駅名とかがなにか雑音のような意味不明な感じになって……
発音もできない感じなんです」
「ふぅん。やはりそうですか。自分だけではないのですね。
本当に何度聞いても頭に入ってこないですよね。外国の地名とも思われない」
「それもありますが、なんでここに自分がいるのかさっぱり思い出せないのですよ。
確か仕事を終えて家に帰るところだったのですが……」
「それは、私も似たようなものですね。
気がついたらこの駅?にいたんです。
ここもどこの駅なのかさっぱり分からないのです。うちの近くにこんな大きな駅はなかったと思うのですがね」
お隣さん、というか対面さんは窓の外を眺めながら呟く。窓の外にはホームがいくつも連なっている。停車した列車に視界を阻まれていたので一体何番ホームまであるのか判然としなかった。もしかした東京駅より多いかも知れない。
東京駅より大きな駅ってあるのか?
それじゃあ、ここは日本じゃないのか?
そんな疑念が頭をもたげる。
それは対面さんも同じらしかった。
「ここ日本ですよねぇ。
なんでこんな時間にこんなに沢山の人たちが列車に乗っているんですかね?
みんなどこへ行こうとしているのでしょうか」
「さあ、どこへ行くんですかね」
答えに窮する。
部屋は居心地の悪い沈黙に包まれた。
「銀河鉄道の夜って知ってますか?」
対面さんがぼそりと言った。
「宮沢賢治のやつですか?」
「そうです。二人の少年が銀河鉄道に乗って色々な風景を見て回る話です」
「知ってます」
「主人公はジョバンニっていう少年なんですけど、丁度気づくと列車に乗っていたんです。それでポケットにはいつの間にか切符を持っていた。
なんか私たちに似ていませんか?」
「……まあ、似てますね……」
なにか言いたいのか分かりかね、曖昧な肯定だけをした。
「あの銀河鉄道って死んだ人を運ぶ列車なんですよね。
話の途中で姉弟と若者が出てくるんですけど、彼らはどうも溺死しているぽい。途中で天上へ行く道のあるところで降りてる。それに主人公の友人は……」
「なにが言いたいんですか?」
その名前も知らぬ対面さんの回りくどい話し方にイライラを募らせて、つい声が荒くなってしまった。イライラというより不安だったのかも知れない。どちらにしてもゆっくり耳を傾ける気分ではなかった。すると対面さんは一段声を低くし、囁いた。
「この列車も銀河鉄道みたいなものじゃないかってことですよ。そして、この列車に乗るってことは私たちはもう死んでるのではないでしょうか」
少しびっくりして、対面さんを見直した。その表情は決して冗談を言っているようには見えなかった。
「頭がおかしいと思いますか?
でも、見覚えもない駅や、何度聞いても聞き取れない名前のほうがおかしいとは思いませんか?
それに見てごらんなさい。他の列車を。
あんなに沢山の人が乗り込んで行くのに、列車から降りてくる人は一人もいないのですよ」
確かに言う通りで、列車が到着するとホームに溢れんばかりにいる人たちがみな一斉に乗り込んでいくのだが、降りてくる人は一人もいなかった。
「いや、それはきっとここが始発の駅なんでしょう」
そうは言ってみたが、言った自分ですら半信半疑であった。
その時、ピリリリリとベルが列車内に響き渡った。その音を聞いたとたん、対面さんはバネに弾かれたように立ち上がった。
「発車の合図だ!
決めました。私はこの列車を降りますよ。
悪いことは言わないあなたもこの列車から降りたほうがいい!!
このままだとあっちの世界に直行ですよ!」
対面さんは早口で捲し立てると部屋から飛び出した。その勢いにつられて私も半身を廊下に出し、その行方を目で追いかける。
対面さんは既にドアのところに達していた。しかし、そこで戸惑ったように体を揺すりドアを叩き始める。
「なんだ? なんでドアが開かないんだ?!」
対面さんは大きな声で叫ぶとドアを叩いたり、こじ開けようとドアに手をかける。それでもドアはびくともしないようだった。
それを見ていると心臓の鼓動が激しくなり全身からぬるぬるとした冷や汗が吹きてできた。
やっぱりこの列車はなにかがおかしい
そう思い始めた時、さっきの車掌さんが風のように横を通り抜けた。
廊下は決して広くはない。人が二人通ろうとするとどちらか一方が体を一生懸命端に引き付けないとぶつかってしまうくらいの幅しかなかった、それをあんな速度で走り抜けるなんて。
いま、半分体を通り抜けなかったか?
悲鳴を上げずに済んだことが奇跡に近かった。
「お客様、もう発車しますので乱暴はやめてください」
車掌さんが対面さんの肩を掴むとくぐもった声でたしなめるのが聞こえてきた。対面さんはその手を振りほどくと金切り声で叫ぶ。
「いや、騙されないぞ! 俺はこの列車から降りるんだ」
「駄目です。一度乗ったらこの列車から降りることは許可されておりません。部屋に戻っておとなしくしていてください」
一度乗ったら降りられない列車?!
その言葉を聞いたとたん、対面さんの言ったことが本当なのだと確信できた。
ならば自分も降りなくては!!
でも、どうやって?
ドアは開かないようだ。対面さんに加勢して強引にドアを開けさせるべきか?
いや、そんなことで手間どっているうちに列車は出てしまいそうだ。もう、列車が動きを出すのにあと何秒もないだろう。そう思った矢先、車内に再び、ベルが鳴り響いた。
このベルが鳴り終わったら列車は動き出してしまう!!
と、廊下側の窓のひとつに非常扉という文字が書かれているのが目に留まった。反射的にそのすぐ横のレバーむしゃぶりつくと力一杯下に引いた。ガクンと窓の一角がずれ、外側に開いた。
ベルが鳴り終わる。と、ぶるりと列車が身震いをしゆっくりと動きだした。
ためらうことなく列車からホームに飛び降りる。
足に激痛を覚え、ホームに転がる。
ズシンズシンと列車の車輪が回る振動が横たわる体全身を小刻みに揺らす。
ああ、それにしても足が痛い
ぐにゃりと自分の体がホームにめり込む感触があった。いや、横たわるホームが柔らかくなったと言うのが正解だろうか。まるで底なし沼にはまったようにずぶずぶと体が沈んでいく。
ちりちりと全身を炭火で焼かれているような痛みを感じる。それ以上に足が痛い。両膝を輪切りにした後、傷口を何千本の針で突き刺されているような痛みだ。
痛い 痛い 痛い 痛い
痛い 痛い
痛い
痛い ……
…………
はっと我に返った。
目を開けると薄暗い天井が目にはいってきた。全身にまるで力が入らない。
「俺の声が分かるか?」
視界に髭面の男の顔が現れた。髭はお洒落で伸ばしているのではなく、剃る暇もなく野放しにしている汚ない髭だった。顔も汚れや汗で赤黒くくすんでいた。風呂にも何日、いや、何週間も入っていないのだろうか。
「聞け。残念だがお前さんの両足はもう駄目だ。壊死している。このままだと敗血症を起こして死んでしまう。だから助かるには両足を切断するしかない。分かるか?」
分からない。
この男は誰で、何を言っているんだ。
ここはどこなんだ? さっまで駅のホームにいて、列車を飛び降りたはずなのに……
「悪いが麻酔はない。もうそんな上等なものはどこにもないんだ。
たから辛抱しろ。痛いが、敗血症で死ぬより何倍も苦しくないぞ」
男はそういうと無理やり口の中になにかを突っ込んできた。
「おい、手伝ってくれ。抵抗するほどの力が残っているとは思わないが暴れると動脈を傷つけるかもしんないからな」
男の言葉の後、すぐに両手両足を捕まれる感触があった。
なにが起きている?
それにしても足が痛い。足が壊死している?
痛いのはそのためなのか? 今、足を切断するって言ったのか、こんなところで?
いや、病院へつれていってくれ。ちゃんとした場所でちゃんとした医者にちゃんとした道具を使ってやってほしい。
そんなことを考えていると右膝に焼きごてを当てられたような鋭い痛みが走った。
痛みほ何度も何度もリズミカルに連続する。
痛い 痛い 痛い
ゴリゴリという嫌な音を耳にして、ようやく思い出した。
突然始まった核戦争で街が壊滅して沢山の人が死んだということを。
自分は瓦礫に押し潰されたと思ったが奇跡的助けられたのだ。
ゴリゴリ
痛い
ジャリジャリ
痛い 痛い 痛い
ボキン
「よし! 次は左だ」
対面さんが言っていたことは正しかった。あの列車は死出の列車だった。あれに乗ったままだったら死んでいたろう。
だが、この状況が地獄でないと言い切れるのか?
痛い 痛い 痛い痛い痛い
嵐の海で翻弄される小舟のように意識が苦痛の本流にもみくちゃにされる。激痛で薄らぐ意識が更なる激痛で呼び覚まされ、意識を手放すことすらできない。朦朧とする頭にさっき覗きこんできた男の声が呪文のように響く。
「大丈夫だ! しっかりしろ。絶対助けてやるからな」
ああ、それは分かっている。どんなに痛くとも死ねはしない。それは確信している、なぜって?
『次ぎにいつ切符が取れるか分かりませんよ』
そう、あの駅員に言われたからだ
2022/05/09 初稿
核戦争のリスクが夢物語でなくなりつつ現実が本当に怖いことです




