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お早うございます @トラクター

大体、2月下旬位と思って下さい。

「ほら、何時までパンにかじりついてるの。早く行かないと学校に遅刻するわよ」

「はい、はい、はい」

 パンで一杯の口でモゴモゴとお母さんに答えると、私はパンを紅茶で無理やり喉に流し込む。 

「返事は一回」

「はーーーい」

「伸ばすのも禁止!」

 すかさずお母さんの叱責が飛んできた。

 このいつもの朝の日課(やりとり)を済ませると、私は学生カバンを掴み、玄関へ向かう。

 靴を履きながら、玄関にある鏡でセーラ服の最終チェックをする。

「良し! 行って来まーす」

 私は勢い良く家を飛び出した。

 家から通学に使っているバス停までは一本道だ。車がギリギリすれ違える幅の道が延々と続いている。道の両側は田んぼだった。もっとも田植え前のこの時期は雑草が生えた只の野っ原がだらりと広がっているばかりだった。

 この時間だと人影もない。まるで世界が自分の物になったような気がして、私はこの一本道を歩くのが好きだった。

(あれ?)

 私は眉をひそめた。先の方の田んぼで何か大きな物が動いていた。昇りたての朝日で逆光になっていて黒い影にしか見えない。

 こんな時間になんだろうと思いながら、近づく。大分、近くになってようやくそれがトラクターだと分かった。喧しい音を立てながらトラクターが田んぼの土を掘り返していた。

 少し早いが田植えの準備か、と私は思った。

 ガクン、ガクンと揺れているトラクターの運転席には同じようにガクン、ガクンと揺れている男の人が乗っていた。

 近所に住むおじいさんだ。

「お早うございます。朝から精が出ますね!」

 横を通りすぎる時に挨拶をしたが、おじいさんからは返事はなかった。ただ、大きく頷くのが横目にちらりと見えた。


 バス停を降りると周囲は薄紫色に染まっていた。

 春になったといえ、今のこの時期はまだ日が落ちるのが早い。それに少し肌寒かった。

 一本道を朝とは逆に辿り、家に向かう。

 と、ガタンガタンとトラクターが田んぼを越えて道路に登ってきた。

 私は轢かれそうになり、慌てて身をよじる。

 朝、田んぼの土を耕していたおじいさんだ。

 今までずっと作業をしていたのだろうか?だとしたらご苦労なことだと私は思った。

 トラクターはノロノロと道路を進んでいく。人の歩く早さよりやや遅い。私はすぐにトラクターの横に追いついた。

 横目でチラリと運転席のおじいさんに目を向ける。おじいさんはまっすぐ前を向いたまま、やっぱりトラクターの振動に合わせてガタガタ小刻みに揺れていた。

 何か少し気まずいものを感じる。

「朝からずっと大変ですね」

 気まずい空気を打開すべく、私は無駄に明るく言ってみた。しかし、おじいさんからの返事はなかった。

 まあ、近所に住んでると言うだけてとりわけ親しいわけではない。だからガン無視されるのもあるかもしれない。

 でも、こんなに無愛想だったかな、と少し違和感を覚えた。

 朝からずっと仕事をしていて疲れているのかも知れない。良く見ると顔色も悪そうだった。

「あの、大丈夫ですか?」

 おずおずと聞いてみたが、それも無視された。

 結局、気まずい沈黙のまま家まで歩くことになった。玄関をくぐる前に振り返ると、トラクターはガタガタ音を立てながら隣の家の中庭に姿を消していった。


 次の日の朝。

 私は前の道をトラクターが走ってるの見て、少しうんざりした気持ちになった。近づくとやはり昨日のおじいさんだと分かった。

 どうせ挨拶をしても返してはくれないのだろうと思い、私は足早にトラクターを追い越そうとした。

 その時、私の鼻先をかすめるものがあった。

 ブ~ンと羽音が聞こえる。

「蝿?こんな季節に?」

 目の前を飛ぶ蝿に私は面食らった。五月の蝿と書いてうるさいと読むように蝿が飛ぶにはやや早い。

 最近では暖房が発達してるので越冬する蝿や蚊が増えたとニュースで聞いたことはあるが、これもその口なんだろうか?と鼻先に飛ぶ蝿を手で追い払った。

 蝿を目で追った私は思わず驚いた。何匹という単位で表現するのも生ぬるい。それこそ何十匹、いやいや何百匹という単位の蝿が私の頭のすぐに上を飛び回っていた。

「うひゃ」

 思わず声が出た。

 慌ててその場を走って離れる。ある程度離れてから恐る恐る振り返った。

 幸い蝿の大群が私を追いかけてくることはなかったけれど、蝿はトラクターのおじいさんを中心に飛び回っていた。さながら黒い竜巻のようだ。その竜巻の真ん中でおじいさんは微動だにしなかった。

 良く平気で居られるものだと感心して見ていると、石を踏んだのかそれとも窪地にタイヤを取られたか、トラクターが大きく揺れた。

 とたんに運転席に乗っていたおじいさんの体がぐらりと傾き、あっという間に落下する。まともに顔面から地面に激突する。

 と同時にわ~んと蝿が煙のように立ち昇った。

「だ、大丈夫ですか!」

 私はおじいさんに駆け寄る。

 おじいさんの体から白いものがじわりと地面に広がっていく。初め、液体かと思ったけれど良く見たら、それは……





 結論から言うと、おじいさんは死んでいた。

 頭の打ち所が悪かった?

 いや、いや、いや。

 おじいさんの死因は心臓麻痺。

 一週間も前に死んでいた、らしい。

 おじいさんは一週間位前に最新のトラクターを購入した。GPSと最新AIを搭載したその機種は、設定さえすれば自動で目的地に移動して作業をし、時間になったら家に帰るという最先端の優れものだった。

 意気揚々とトラクターの設定をしている最中に運悪く心臓の発作を起こして帰らぬ人になった、と後から聞いた。

 つまり、私が昨日の朝、田んぼで挨拶した時には当の昔に冷たくなっていたのだ。

 日が暮れていく田舎の一本道をトラクターに乗った死体と並んで歩いたのだ。

 悪夢に出てきそうよね。




 えっ?

 おじいさんの体から溢れてきた白いものがなんだったかって?


 知りたいの?


 本当に?



 後悔するよ。いい?



 分かってるでしょ。



 蛆虫よ。



 一週間も経っていたおじいさんの体は完全に腐って、全身に蛆虫がたかっていた、て話。



2018/11/29 初稿



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