第六話「ドクペ・アットホーム」
「おーい巡、今日は宿題とか出てないのか?兄ちゃんがみっちり指導してやるぞ!一回百円で!!」
「断る。卓にーちゃんの答えはアテにならない」
バンド活動うんぬんの前に、自らの身に極端な財政難が訪れていることを卓が自覚してから、早、数日。
打ちひしがれていたのは当日のほんの2、30分の間だった。320円しかない事実は動かせない。落ち込んでいても、逆立ちしてみても、残高の桁にゼロが一個付け足されるわけじゃないのだ。
なら……自らの手と足を使って稼ぐしかない。
「そう堅い事言うなよ〜。ただでさえ俺、中学生だから普通のバイトとか出来ねえんだしよ」
「それでも、私の宿題に手をつけられるのは困るの!……仕方ないなあ、じゃあ、私の部屋にある読み終わった漫画あげるから」
「へ?」
唐突な話の展開。呆気に取られた卓は、目の前の幼い少女の顔色を確認する。
「古本屋にでも売って、ギター買う資金の足しにしなよ。代わりに宿題には一切関わらないって約束して」
「……マジ?」
「マジ。」
「うおおおおおお……やっぱ持つべきものは話の分かる妹だな!!愛してるぜ!!」
見る間に顔をほころばせたかと思った数秒後に、卓はソファの上に飛び乗り、少女に抱きついていた。
これが普通の他人相手にやっていたのであれば通報モノだっただろうが、少女・西藤巡は正真正銘、卓の血の繋がった妹なので、余り問題は無い。
「はいはいはいはい!!抱きつかないで!!」
広樹さんもフルタイムでこんなお兄ちゃんの面倒見てるんだから大変だよね、とか、中学二年生なのに小学五年生の問題が解けないってのはどうなの、とか、ぶつくさ言いながら、巡は肩に回された卓の腕を引き剥がしに掛かる。
ほどなくして、仲良く?スキンシップを繰り広げていた兄妹の耳に、玄関のドアロックが開錠される音が届いた。
「あ、お帰り〜!おとーさん」
「おーう。今帰ったぞ、卓、巡」
居間に入ってきたのは、いかにも働き盛りといった背広姿の男性だった。その姿を見るなり、卓と巡は男性――二人の父親・西藤亮に歩み寄っていく。
「お帰り!なあなあ父さん、靴とか磨く?背広にアイロンとか肩叩きは?それとも晩酌のお供でもしようか?」
「……まーた、一回百円でか?」
ネクタイと目元を緩めながら、亮は卓に尋ねる。
「そう!俺、今エレキギターが欲しいんだけどさ、全然金無くって。『欲しいものは正々堂々、自分の力で手に入れろ』って父さんも言ってただろ?」
「それでいつものように、足りない分は駄賃稼ぎに精を出してるって訳か……」
「こういう時だけは本当によく頑張るよね、お兄ちゃんも」
呆れ半分、感心半分の眼差しを向ける巡だったが、当の卓本人は全く気にしていない。
「しかし、靴とアイロンは昨日母さんにやってもらったからなあ。今日は肩も凝って無いし……」
「えー……何だ……」
「……じゃ、晩酌のお供でも頼むとしますか」
一瞬肩を落としかけた卓だったが、手にぶら下げたビニール袋を持ち上げながらの父の一言に、たちどころに明るさを取り戻す。
「よっしゃ!そうと決まったら早く風呂入ってきてくれ!ブツは冷やすの?温めるの?」
「よーく冷やしといてくれ。風呂上りに冷えたのを飲むのが一番美味いからなぁ」
「……つか、その袋の中身……ドクターペッパーで晩酌すんの……?しかもバニラ味……」
ギターか。卓、やっぱり、お前は栞から受け継いだ血が目覚める運命なのかもしれないな。
ビニール袋を手に台所へ向かう卓にも、冷静に突っ込みをする巡にも気付かれないような小声で、亮は呟いていた。
※ ※ ※
六時間目の授業が終わった校内は、ひとあし先に部活に向かう生徒と掃除担当の生徒達とでごったがえしている。
「マジでいいの?第二理科室ってこっからすげえ遠いけど」
「おー、気にすんな!」
「サンキュー!急いでたから助かるわ、じゃあこれ約束の百円な」
「これは私の分!ありがとね、西藤君」
卓が首からさげた古風なガマグチの中に、二人のクラスメイトがそれぞれ百円玉を落としていく。
「……よし、まずはここの廊下のゴミをちゃっちゃと手際よく片して、それから理科室に直行、だな」
ガマグチを丁寧に閉じた卓は一人呟き、両手にホウキを手に取る。と……
「え?」
「お前が自分一人で手際よく、なんて出来る訳ねーだろ、ぶあーか」
「一人で二つのホウキを使うよりは、二人で一つずつ持った方が早いと思うよ?」
雑巾を手にした広樹と綾乃が、それぞれ両サイドから回りこみ卓の二本のホウキに手を添えていた。