96.王との対話
「……姫はまだ幼い。そんな姫と私が婚約など……」
スティーブレンの第一王女は幼く、アロイスとの年齢差は十年以上もある。そんな相手と婚約と言われても戸惑うばかりであるし、王女の気持ちの問題もあるだろう。アロイスには全く理解のできない婚約話だが、オクタヴィアンは本気のようだった。動揺するアロイスをなだめるように優しい声を出す。
「年齢の差など大した問題ではない。私と王妃も十年以上離れておるからな」
「しかし……姫がどう思うか」
「姫もそなたのことを慕っておる。私を護ってくださった素敵な勇者様、とな」
目を伏せ口を引き結んだアロイスは、穏便に断れる言葉を探した。迷惑だと感じたとしても全てアロイスへの善意から来ている提案だ。そこに悪意が欠片もないからこそ責めることも、きっぱりと切り捨てることもできない。
そんなアロイスの態度を王族に対する遠慮だと受け取ったオクタヴィアンは、微笑みながらさらにつづけた。
「私はそなた以上の男を知らぬ。姫を任せるならそなたしかいないと思っておる。今回の事も……危険を顧みず、姫を護るために魔王の元に向かってくれたこと、本当に感謝しておるのだ」
違う。アロイスが魔王に会ったのはセイリアが関わることだったからだ。正直に言えばスティーブレンの王族がどうなろうと悲しむことはないし、彼らのために命を掛けたいとも思わない。ほとんど厄介事を持ってくるだけの相手に心を寄せられる程、アロイスは聖人でない。
いくら感謝されようと褒めたたえられようと、喜びはない。まして、そのような相手の家族になれるはずがない。
「アロイス、今は私とそなたしかおらぬ。ここでのことは誰に知られることもないと約束する。だからそなたの望みを素直に言ってくれればいい」
オクタヴィアンは本気でそう言っている。その証拠に、この場には常に連れ立っていた宮廷魔道士ミシェルや呆れ顔の護衛騎士の姿がない。気配を探っても、誰かの魔力を感知することはない。本当に誰もいないのだ。
アロイスの本音を伝えられるとすれば、今以外にないだろう。これ以降、その機会が訪れるとは思えない。今言わなければ、オクタヴィアンとアロイスの関係は一生変わらない。
今しかないのだと覚悟を決めたアロイスは一度目を閉じ、そして真っ直ぐにオクタヴィアンを見据えた。
「……王よ。私がこれから申し上げることは、王のお心を酷く害するやもしれません。それでも聞いて頂けるのでしょうか」
その場に静寂が訪れる。オクタヴィアンは目を丸くし、向けられた言葉の真意を探るように金の瞳を凝視したが、アロイスは目そらすことなくじっと見つめ返した。
「良い、聞こう」
先ほどまでとは違い、オクタヴィアンの表情は引き締まっている。一つ呼吸をして気を落ち着けたアロイスは、自分を真っ直ぐに見る相手に感情を溢れさせぬようゆっくりと語った。
「私は姫と婚約する気はありません。王の息子となることも、次の王となることも望みません。王族となれば、私の望みは叶わなくなる」
王族になる気はない。それはアロイスの望みを阻害するものでしかない。そのように告げれば、目の前の王は信じられないものを見るような顔をした。
「そなた、もしや……好いている相手がおるのか?その者と結ばれるためには、王族ではならないということか?」
「……いいえ、違います。私が望む相手とは絶対に婚姻関係を結ぶ事ができません。ですから、私は誰とも結ばれることなく勇者として生き、そして死にたいと思っているのです」
セイリアは人間ではない。人間の勇者で、国のモノであるアロイスが伴侶となれる相手ではないのだ。勇者の婚姻ともなれば国をあげて執り行われるであろうし、その相手の身分もよく調べられるだろう。そうすれば、セイリアであれ冒険者セイであれ、存在しない人間であることが分かる。どこにも彼女が生きてきた証拠がないのだから。
それに、アロイスの現在の身分はセイリアの足かせとなっている。アロイスはそれを理解しているし、理解しているからこそ今のままで彼女に己の想いを告げるつもりがない。
「……アロイス……」
「王よ。私の望みを叶えてくださるというのなら、私を勇者のままで死なせてください。私の望みは、王の思うものとは違うのです。今回も、そしていままでも」
おおよそ貴族とは思えないことをアロイスは望んでいる。確かな身分を捨てて人間を止め、魔物とともに生きたいと願う貴族は他にないだろう。そもそも元人間の喋る魔物に心を救われる貴族がアロイス以外に居るとは思えない。
貴族として特異な状況にあるアロイスだ。そんな彼の望むことは、オクタヴィアンには言わなければ絶対に分からない。分かるはずがない。
「……私がそなたのためと思ってしてきたことは、そなたにとって何の役にも立たず、それどころか災いであった、ということか」
オクタヴィアンが唇を噛み、沈痛な面持ちでアロイスを見た。彼の善意がアロイスを苦しめたことは事実だが、その善意が本物であったことも事実。無言を肯定だと受け取り、善良な国王は自分の行いが自分の思っていたものと真逆であったことにようやく気付いたようだった。
「そうか……そうだったのか」
元来、オクタヴィアンは人がいい。アロイスを傷つけたり苦しめたりするつもりは毛頭なかった。だからこそ衝撃を受け、その気持ちは深く沈んでいる。
片手で顔を覆い、謝罪の後暫く黙り込んだオクタヴィアンが再び顔を見せた時、そこにあったのはいつもの軽快な表情とは大違いの、悲しみに満ちた顔だった。
「私はそなたを助けているつもりだった。知らなかったから許せとは言わぬ。私は王であり、そなたは臣下だ。いままでそなたが私の提案を断ることは、出来なかっただろう」
「……はい」
「私はそなたの王として至らなかったのだな。すまない、アロイス」
その言葉を聞いた瞬間、アロイスはどこかふっと力が抜け、何かが軽くなったように感じた。目の前の人間が敵ではなくなった、とそう思えたからだろう。今までオクタヴィアンと対峙する時に必ずあった緊張が少なからず解けたのだ。
「そなたの望みを聞く時は、こうして人払いをする。だから今日のように本音を話してはくれまいか。私は今日ようやく、そなたのことを何も知らないと知ったのだ」
不幸なすれ違いはこの時終わった。オクタヴィアンが己の思うアロイスという人間の望みを叶えようと、余計な世話を焼くことはもうないだろう。小さく息を吐いたアロイスに、眉尻を下げすっかり覇気をなくした顔のオクタヴィアンが尋ねる。
「聞かせてくれ、アロイス。今から私がそなたに出来る事はあるか?」
「……ならば、是非お願いしたいことがございます」
――――――――――
「おかえり!」
「おかえりなさいませ」
部屋に戻れば笑顔が二つ、アロイスを迎える。それに短く返事をしながら重たいマントを外し、ヒースクリフへ預けた。セイリアと向かい合う椅子に腰を下ろせば、彼女はふと何かに気づいたように目を瞬かせる。
「何かいいことあったの?」
オクタヴィアンと会ってたのに、と言いたげなセイリアの表情に苦笑を零した。アロイスの心情を言わずともよく理解している彼女だからこその反応だ。
行きは重苦しい気分であったから、それはセイリアにも伝わっていたのだろう。しかし今はもう胸のしこりがとれたような、晴れやかな気分である。その変化にアロイス自身驚いているのだから、彼女が不思議そうな顔をしていても可笑しくない。
「王に私の思っていることを伝えてきた」
ヒースクリフは紅茶を注ぐ手を止めて固まったが、セイリアは一度目を大きくした後、満開の笑顔を浮かべた。
「よかったね!」
「……ああ」
アロイスがオクタヴィアンに自分の意思を伝えたということは、国王の心配りを否定したということだ。貴族としてあり得ないような、とんでもないことである。ヒースクリフも己の主人がどのような考えを持っているか知っているからこそ、王に背くことになったのではないかと動揺して固まった。
ここで心から「よかった」と言ってくれるのはセイリアだけだろう。そんな相手が親友であることが、アロイスにとってどれほど有り難いことか。恐らくアロイス以外の誰にも理解できない。
「先のことについてもいくつか約束をとりつけた」
「そっか、それなら後は……」
「ああ。準備を終えればいつでもいい」
いつでも人間を止められる。アロイスの意思はセイリアにのみ正確に伝わった。話が分からないヒースクリフは少し離れた場所で控えつつ、首を捻りかけている。
「じゃあゆっくり準備しつつ、暫くは気楽に勇者をするの?」
「そういうことになるな」
勇者を“気楽”と表してしまうのは一般的には考えられないことだろうが、身の回りの問題が片付いてしまった現在、アロイスにとって勇者の仕事は気楽なものだ。セイリアと供に居てそう簡単に死ぬはずもないし、死んでも一向に構わない。
アロイスが人間の生を捨てるためには、一度人間として死ぬ必要があるのだから。
「アロイス、次はどこに行く?」
「そうだな……ヒースクリフ、依頼の文書は届いているか?」
「はい。セディリーレイのドミニク様より文が……」
アロイスはヒースクリフから差し出された文書を受け取り広げながら、セイリアがなんともいえない顔をしていることに気づいた。どうしたのかと尋ねてみれば、彼女は表情を変えないまま紅茶に手を伸ばし視線をカップの中に落とす。
「あの二人、何があってああなのかなって……」
「…………ああ」
セイリアが居なくなった後の学園では様々な変化があったが、アロイスがあまり思い出したくないことと、殆ど周りを見る余裕がなかったことが相まって説明できていない。
ドミニクとソフィーアの関係の変わり様は凄まじいものであるし、彼女が混乱するのも致し方ないことだ。
「訊けば嬉々として馴れ初めから詳しく話してくれると思うが」
「えーと、あんまり聞きたくないかな!」
「同感だ」
仲睦まじ過ぎるドミニク夫妻を傍で見ていると、アロイスも胸焼けがしてくる。わざわざ藪を突いて蛇を出す必要もないのだから、放っておけば問題はない。依頼主として当たり障りない対応を心がければよい。
「今日は休んで、明日出発しよう」
「うん、分かった」
セディリーレイの食事は美味しいかどうか楽しげに話し始めたセイリアに、食文化の説明をしつつアロイスもまた自然と口角を上げて笑う。ヒースクリフはそんな二人を微笑ましげに見つめて、嵩の減ったカップに新たな紅茶を注ぐ。
――――――勇者の日常は穏やかに過ぎ、そして遠くない未来に終わりを迎える。
次で終わり、かな……?




