94.魔王領の不思議
アロイスは深夜になってから部屋に帰ってきた。かなり酔っ払っているようで足元が覚束ず、声を掛けた私に気づいたかどうかも分からない状態で、ふらふらとベッドに近づいて私を巻き込みながら倒れ込み、翌朝までぐっすりだった。
……お酒は気を付けないと駄目だよね。いつもピシッとしているアロイスのだらしない姿なんて初めて見たよ。
目が覚めた後、シャワーを浴びて身だしなみもしっかり整えたアロイスだが、二日酔いなのか顔色が悪く頭を押さえていた。具合が悪そうな姿を見ていられなくて光の魔法で治したら、物凄く申し訳なさそうな顔で謝られる。
「……セイリア、本当にすまない」
「いいよ、いつもは私が色々してもらうもんね」
普段は私が何かとアロイスに世話を焼いてもらうので、これくらいは大したことじゃない。それよりも、祝いの宴だろうと付き合いでグラス一杯程度しか飲まないようなアロイスが、こんなになるまで飲むなんてラーファエルとよっぽどのことがあったに違いない。
「魔王とはもう二度と飲まないし、このようになることはないと思う」
……ラーファエル、絶対アロイスに何かしたよ。という私の考えはおそらく間違っていない。
朝食も三人で摂ることになり、昨日と全く同じ形で座っているし美味しそうな食事が並んでいるというのに、空気が微妙に違う。正確に言えばアロイスが少しばかり不愉快そうである。
昨日は楽しかったなと笑いかけてくるラーファエルに、無表情で食事を摂って淡々と返事をするアロイスを見ていれば分かる。昨日の夜でアロイスはラーファエルが嫌いになり、ラーファエルはアロイスを気に入ったらしい、と。
「暫く滞在した方がいいんじゃないか?魔王との話し合いに出て、翌日に無事帰ってくるのは早すぎるだろ?」
それはもっともな発言であるのだが、アロイスはとても嫌そうな無表情だった。一刻も早くラーファエルの元から去りたいという気持ちがビシバシと伝わってくる。
「…………正規のルートでゆっくりと帰るので、問題ない」
「それは残念だな」
素直に引き下がるあたりラーファエルも本気で誘っている訳ではなく、アロイスをからかって遊んでいるだけなのだろう。私にはかなり親切で優しい魔王だったのに、勇者を前にすると途端に意地悪な魔王になるようだ。勇者と魔王が相容れないのはどんな世界でも共通しているのかもしれない。
食事が終われば直ぐに部屋に戻り、少ない荷物をまとめる。私の荷物は全て鞄に押し込んで、それをアロイスが持ってくれる。魔王領に居る間は人間の目がないし、カナリーバードの姿で過ごせるな、とアロイスが言ってくれたからだ。小鳥の姿である私は現在、昔のようにアロイスの肩に止まることができて非常にご機嫌である。感情に任せて頭も体もぶんぶん振れてしまう。
魔王領にはそれなりに長く滞在したいが、アロイスの気分的な問題もあるし魔王城に長居をするつもりはない。朝食後から三十分も経たないうちに出立となった。
「またいつでも来い。歓迎するぞ」
魔王自ら見送りをしてくれるなんて、ラーファエルはやっぱりいい人のような気がしてしまう。以前と同じ箱の魔術具を笑顔で手渡され、無表情になっているアロイスの様子から察すれば絶対にいい人ではないのだけども。
「えーと、機会があったら……」
「あまり寂しいと俺から行くかもしれんがな」
親友がはっきりと嫌そうに眉をひそめたのが見えたので、とりあえず愛想笑いの代わりに小さく鳴いておく。笑顔のラーファエルに見送られつつ、私たちは魔王城を後にした。
魔王城からは地面がむき出しの道が一本通っていて、アロイスはその道に沿って歩いていく。そういえば正規のルートで帰る、と言っていた。魔王城とスティーブレンを行き来するルートが存在しているのだろうか。交流があるようには全く見えない二国なのに。
不思議に思ってアロイスに尋ねれば、いつものように答えを教えてくれた。
「手練れの冒険者が調査という名目で、こちらの大陸を訪れることがある」
現在の魔王になってから数百年、平和が続いている。あまりにも平和過ぎて魔王が何か企んでいるのでは、と勘繰った国から依頼された冒険者が調査へと出向くらしい。そして一本道を歩いていれば何故か、手を出さない限り魔物に襲われることはなく、数日で無事に魔王城まで辿り着くという。何もしないなら帰り道も同様、無傷で人間の国まで戻ってこられるのだとか。人間と戦争することに興味のない魔王が何かしらの手を打っているとしか思えない。
「その他にも、道中に不自然なものが現れると聞く」
「不自然なもの?」
「ああ、どう考えても道にあるはずがない……」
アロイスの言葉が途切れて、首を傾げる。彼は道の先をじっと見ていたので、私もその視線を追った。
舗装されているわけではないが、雑草がぽつぽつと生えているだけで黒っぽい地面がむき出しの道。そんな道のど真ん中に、どう考えても自然に発生するはずのない人工物がぽつりとあった。それは両手で抱えられるくらいの箱であり、赤い塗装が施されていて目に鮮やかで、実際に目にするのは初めての私でもパッと名称の浮かぶ有名な物。そう、「宝箱」である。
「…………物凄く罠っぽい……」
「大抵は良い物が入っていると聞く。魔術具や薬の類、それから食料も」
探索ダンジョンのドロップアイテムかよ、とツッコミを入れたくなるラインナップである。用意しているのはおそらくラーファエルであり、彼はもしや私と同じ転生者なのではなかろうか、と疑いたくなる。
歩いているうちに、目前に迫った宝箱。間近で見ても違和感の塊だ。ゲームで見れば喜んで開けるものだが、目の当たりにすると非常に不自然であり、存在を知らない人間なら普通に訝しむだろう。
「……開ける?」
「そのつもりだ。食料なら有難いからな」
移動に一日も掛からないし長旅の準備なんて要らない、とアニッタに急かされてスティーブレンを出発した私達は、携帯食料以外のものを持っていない。魔物の国で魔物を狩って食べるのは憚られるし、食べられる果物が見つかるかも謎である。
……それでもラーファエルに支援を頼むことなく、転移魔法陣も使わない陸路をアロイスは選んだ。理由はラーファエルに借りを作りたくないからだと思われる。かなり嫌っているようだからね。しかし、そんなアロイスの眉間に深く皺を刻ませるのがこの世界の魔王である。
「えーと……食べ物でよかったね?」
「………………そうだな」
宝箱の中身はアロイスが望んだとおり食料だった。片手に持てるサイズに切られたパンに、様々な具材が挟み込まれている料理。俗にいうサンドイッチがバスケットごと入っている。お昼ご飯に丁度良いしありがたいのだけど、問題は添えられている小さなメッセージカードだ。つい先日王城で見た書状と同じ筆跡で、同じように少し偉そうな文が書かれている。
簡単に言えば『勇者は食料の準備が出来ていないと見受けられる。セイリアに粗末な食事を食べさせるのは可哀想なので、道中にお前たちの食事を用意してやった。心の広い魔王に感謝しながら食べろ』と、そのような内容であった。宝箱を用意しているのはやはりラーファエルで間違いない。
「……セイリア、あの魔王は性格が悪い」
「うん、意地が悪いっていうのはよく分かったよ」
ラーファエルが私に親切なのは、私が光の魔物で彼が闇の魔物だからだろう。配下であるアニッタもヘリュも、彼をとても恐れているように見える。一晩でアロイスもかなり苦手意識を植え付けられたようだし、私の知らない魔王の顔というものがあるのかもしれない。親しくなり過ぎたり、頼り過ぎたりしないように気をつけなければ。
「あ、そういえばまたあの箱貰ったけど、どうするの?」
いつでも助けを求められる便利な機能と、何かしらの情報も発信しているらしいラーファエルの箱。前回はアロイスが持ち歩くことを嫌がったから置いてきたのだが、今回はどうするのか。
アロイスは嫌そうな顔をしつつ、箱をしまった鞄に目を向けた。
「……持ち歩かなければ面倒なことになりそうだからな」
嫌だけど持っていくしかない、ということらしい。持っていたら害があると判断している訳ではなさそうなので、私に異論はない。危険物だったら何が何でもアロイスが捨てるように考えてくれるはずだしね。
そうして始まった、魔王領の短い二人旅。丁度良い間隔で食事入りの宝箱が現れるため食料の問題はなく、魔物が襲ってくることもない。というかむしろ私と目が合って固まる魔物を時々見かける以外、魔物と遭遇することがない。魔王城から続く一本道は人払いならぬ、魔物払いがされている可能性がある。
「平和だねぇ」
魔物との戦闘もなく、食料に困る事もなく、妙な形の植物や歪な形の岩石地帯を観光気分で眺めていく。書物から知識として得ていたけれど、初めて見る光景というものにアロイスもちょっと目を輝かせているし、私はそんな彼から分かりやすい説明を受けて感心したり驚いたりする。ここ最近のゴタゴタとか面倒事とか、そんなものに比べると非常に穏やかな時を過ごせているのだ。これを平和といわずしてなんというのか。
「魔王の領地でそんな事を言うのは君くらいのものだ」
「まあ、知り合いの家に遊びに来たみたいな感覚だし……」
自分に敵意や悪意がないことが良く分かる相手が治める領地だ。むしろ過分と思える程の配慮をされているし、何かあったとしてもどうにかなりそうな自分の規格外能力値と、信頼できる親友もいて心配する事など何もないのだ。平穏そのものである。
そんなのんびりとした会話をしている私達に黒い影が掛かる。鳥の影にしては大きく、連続して流れていくものに興味を引かれて空を見上げれば、そこにあったのは飛竜の群れだった。
竜といっても然程大きなものではない。不死鳥姿の私より小さいくらいのものだ。腕と膜のような翼が一体化した小型の竜には見覚えがある。
「……ワイバーンが空を飛んでいる……?」
ぽつり、とアロイスが驚いたように呟いた。たしか、ワイバーンは四足歩行で地面を這う下級の竜種だと聞いている。ただ、それは人間に従魔として飼われるワイバーンの話だ。野生を奪われた獣の能力は退化していくものだから、飛べたはずの竜がいつの間にか飛べない竜となっていてもおかしくはない。
私からすればドラゴンという生物が飛べないことを不思議に思っていたので、そこまで驚きはなかったのだけれど、アロイスは輝く金の瞳でワイバーンの群れが見えなくなるまでずっと空を見上げていた。
「セイリア。全てが終わったら、魔王領を旅してみないか?」
先程の光景はアロイスの探求心を揺さぶるに値するものだったようだ。どこかわくわくした、少年のような目をしてそう言われる。私はそれがとても嬉しかった。
勇者になる前、ただの領主一族の少年だった頃。アロイスはテオバルトの言いなりになるしかなかったし、将来に希望を持つこともなかった。十歳そこそこの子供なのに大人になったらこうしたい、という夢を語ることもなかった。自分の将来を完全に諦めていた彼が先の未来に明るい希望を持って、その場所へ私を誘ってくれることがどうしようもなく嬉しかったのだ。
「もちろん、いいよ。楽しみだね」
「ああ、楽しみだ」
アロイスが嬉しそうに笑ってくれたので、私も一声明るく鳴いて応える。ワイバーンの群れのおかげで一つ先の楽しみが増えたね。
……ワイバーンで思い出した。私も一体だけ知り合いのワイバーンが居る。
「ねえアロイス。テオバルトの従魔だったワイバーンってどうしてる?」
私の代わりにと連れてこられたワイバーン。私に付けられていた名前を与えられて、テオバルトの従魔になった魔物だ。テオバルトは捕まってしまったけど、彼の従魔がどうなってしまうのか、私は知らない。
「まだテオバルトの従魔だが、先日の事件で主人も変わるはずだ。……あのワイバーンは少々、同情するところがあるからな。良い主人に恵まれるといいのだが」
アロイスの金の目が私を見て、何か言いたげに細められた。言葉はなくてもなんとなく伝わってくる。
うん、テオバルトと居た所為で私に気絶させられて可哀想だった、ってことですね。よくわかりました。
でも確かに、彼はちょっと不憫なワイバーンだったよね。テオバルトに買われたばっかりに……スティーブレンに帰った時、良い報告が聞けることを祈るとしよう。
ゲオルクはきっと良い主人に恵まれて幸せになれるでしょう。きっと。きっとね。
次はスティーブレンに戻ります。




