92.勇者と魔王の邂逅
ちょっと長めです。
アニッタの案内により、私達は王都から少し離れた場所にある森を歩いている。他の領地の森は地図でいうと外側、魔王領に近い方が魔物の多く住む森になっているのだけど、中央に位置する王都のある大陸だけは何故か真ん中に森がある。街と塀でぐるりと自然を囲って切り取られたような形で森が存在していて、森を閉じ込めてしまったようにも感じる。
そんな森の出入り口にはもちろん、門番が居る。門をくぐる際、勇者であるアロイスが居れば絶対に門番に記憶されるし、魔王城に向かうはずの私たちがここに居ると面倒なことになってしまうため、魔法を使って完璧な変装を施した。森に入り込み、人気が無くなった後にアロイスの魔法を解く。
「全身を魔力で覆われるというのは、違和感があるものだな。セイリア、この状態は疲れるだろう?」
「ちょっとね。でも結構慣れたんだよ」
「……すまない。君が私に合わせて生活するのは、大変だろう」
その続きは声にはならず、音を発さないまま唇だけが動いた。しかし、読唇術など使えなくてもアロイスが何を言ったかなんとなく分かってしまう。
……早く人間を止めたいものだ、なんて。とても人間の勇者のセリフとは思えないよね。
「ところでアニッタ。私たちはどこに向かっているんだ?」
「魔王城へ繋がる転移魔法陣ヨ」
それを聞いたアロイスは少しだけ目を大きくした。魔王城とスティーブレンを繋ぐ魔法陣はあちらこちらにあるのだ。人間に知られることなく転移陣を大量に設置している魔王の手腕に驚くばかりである。しかし、アロイスの驚きは私の驚きとは少し違うものだったらしい。彼の表情にはどこか気遣わしげな色があった。
「……そんなものが人間の出入りも多いこの森にあるなんて、見つかれば侵入される危険があるんじゃないか?」
人間の勇者であるアロイスが、魔王城の心配をしているような発言をするのは少し妙な感じだった。普通はそこから魔物が入ってきて人間の国を襲うんじゃないか、という心配をするんじゃないだろうか。……アロイスって結構愛国心が薄いよね。
それを訊かれたアニッタも微妙な顔をして変な人間ね、と小さく呟いていた。
「問題ないわヨ。あの陣を使えるほど魔力のある人間なんて普通は居ないモノ。無理に起動すれば魔力どころか生命力も失って死ぬワ」
「なにそれこわい」
あの魔法陣はそんな恐ろしいものだったのか、と素直な感想を口にしたのだが。何故か先導の妖精は半目で私を振り返る。え?なんで?
「複数人で魔力を流せばどうなる?」
「人間の魔道士なら二十人くらい必要ネ。それでも送れるのはせいぜい一人か二人ヨ。……ま、触れただけで勝手に魔法陣が起動するような化け物じゃなきゃ問題ないワ」
視線が二つ、私に向けられる。何かを納得したようにアロイスは頷いた。
「なるほど、それなら心配は要らないな」
……どうやら魔法陣を踏んで発動させ、魔王城に飛ばされたことがかなり異質だったらしい。でもあれは魔力属性の相性もあったのでそこまで異常扱いしなくてもいいと思う。私だけじゃなくてラーファエルや、もしかするとアロイスだってあの魔法陣は使えるだろうし。仲間はずれにしないでいただきたい。
「それにしても、今回の魔王様は大盤振る舞いよネ。血まで分けてくれたのヨ」
「血?なんで?」
「もちろん、魔力が豊富に含まれてるからヨ。分からないノ?」
勿論わからない。しかしそれは自信ありげに言うことでもないので口は開かず、ちょっと考えてみたがやっぱり分からない。そんな私の様子を見てアロイスが答えを出してくれた。
「莫大な魔力を使う転移魔法陣だ。アニッタが短時間の行き来をしていることを考えると、彼女だけの魔力を使っているとは思えない。魔王城からはともかく、こちらから一度報告に戻った際は魔王の血を使った、ということだろう」
アニッタじゃなくアロイスが教えてくれるところがなんというか、私の理解力が足りない証拠である。いや、想像力とか推理力だろうか。どちらにせよ我が鳥頭には足りない能力だ。
もうちょっと思慮深くなりたいものだな、と少しばかり己の身を振り返って考えていたら、いつの間にか目の前には見慣れてきた廃墟があった。転移魔法陣がある場所って全部同じような造りだよね。
「……酷い有様だな」
「人間のキゾクってのが入りたがらない見た目らしいわヨ」
「確かに」
ボロボロで埃まみれの廃墟のような建物内に、貴族は入りたがらない。魔力が高い人間は貴族に多いが、彼らは冒険者ではないので魔物狩の際、隊を率いて森に入る。もし怪しい廃墟が見つかったとしても、このような場所の調査は下っ端にやらせるし、魔力の低い人間に陣が見つかる確率も低いということらしい。
放置してボロボロなんじゃなくて、計算の上でボロボロのままにしているのだそうだ。そんな中にためらいもなく足を踏み入れるアロイスは、貴族としてかなり変わっている。
そもそもアロイスのような、一人で冒険している勇者はかなり珍しい。仲間も作らず一人で戦い、傷を負い、魔物の血を浴びることだってある。貴族がそんな事をするなんて、本来はありえないのだけど。
「ゴブリンのひしめく洞窟よりはマシだな」
埃まみれの廃墟に入っての第一声がこれである。再会する前のアロイスがどんな旅をしてたのか、ちょっと心配になってきた。思わず入り口で立ち止まって、アロイスの背中を見つめる。学園に居た頃の彼はまだ、もう少し貴族の感覚に近かったと思う。今はもう、大分違ってしまっているようだ。
「アロイスは汚いの、ダメだと思ってたよ」
「……人間は慣れる生き物だ」
……本気で酷い目にあったことがあるんじゃないだろうか、これ。よし、アロイスが汚れなくていいように私が頑張ろう。魔物の体を貫くくらい平気な私が汚れ仕事をすればいいのだ。そうしよう。
「いつまで入り口に立ってんのヨ。アンタが来ないと発動しないわヨ?」
「あ、ごめん。今行くよ」
そうして部屋の中へと踏み出せば、私の魔力を受けて魔法陣が輝き視界が白に染まる。一瞬で転移は完了し、視界が切り替わった。まず目に入る正面の玉座は空っぽだった。そこにあるべき姿を探す前に、大きな気配を直ぐ後ろに感じ慌てて振り返る。悪戯が成功した、とでも言いたげな顔で笑う魔王がそこに居た。
てっきり、以前と同じように玉座に堂々と座っているものだと思っていたから吃驚である。陣の淵に立って待ってるなんて想像できないよ、普通。
「よく来たなセイリア、歓迎するぞ」
整った顔に綺麗な微笑みを浮かべた魔王に見下ろされる。吃驚して言葉は出なかったが、頷いて応えれば彼は満足げに目を細めた。そしてゆっくりと顔を動かし、アロイスに目を向ける。まるで引き絞られた弓の弦のように、その場の空気が張り詰めたような気がした。
「お前が勇者だな」
「ああ。君が魔王か」
金と銀の目がお互いを検分するかのように交わされ、しばし無言の時が訪れる。勇者と魔王の対面にちょっと胸がドキドキした。もちろん、悪い意味である。いわば人間の代表と魔物の代表の邂逅であり、対立する存在の二人だ。何か起こってしまうのでは、と一抹の不安が込み上がる。
だが、それは杞憂に終わった。ラーファエルがふっと笑みを零すと、その場の空気は一瞬で融解する。
「……勇者を歓迎しよう。我が名はラーファエル」
「アロイスだ」
よくわからないが、ラーファエルはアロイスを認めたように見えた。二人は軽く握手をして、見ている限り悪い雰囲気でもない。肩書を見れば魔王と勇者である二人は、一触即発の存在に思えるのだけれど。お互いの第一印象はまずまずであるようだった。
「遠路はるばるご苦労だったな、食事を出すから食べていけ」
「頂こう」
食事、という単語に私の頭とお腹が瞬時に反応を示した。前回訪れたときに出されたような美味しいご飯が食べられるのか、と思えば自然とお腹が空いたような気がしてくる。……私の体はとても本能に忠実だ。
「アニッタ、二人を部屋へ案内しろ」
「ハイ」
ラーファエルがスタスタと歩いて姿を消すと、背中に定規でも挿していたのか、というくらい背筋が真っ直ぐ伸びていたアニッタが息を吐き、体から力を抜いた。自由気ままに見える彼女でも、やはり魔王の前では緊張するらしい。
「……アンタ達、よくあんな中で平気な顔してられるわネ」
「加減されていたようだがな」
「ワタシは心臓がとまりそうだったワヨ……人間があの中で話せるだけで賞賛したくなるワ」
話がよくわからなかったので首を傾げそうになった。が、しっかり堪えた。まずは考えることが先である。ここで何も分かっていない顔をしてしまったら、呆れた目を四つも向けられることになりそうだし、ここはひとまず理解している風に頷いておく。
(ラーファエルが何かしてたんだろうけど……威圧、かな。一時だけど空気が重かったから、多分そうだね)
私も一度、ラーファエルの威圧を受けたことがある。生まれて初めて誰かに気圧されそうになったあの時を思い出せば、空気が張り詰めたように感じただけの今回はある程度抑えられていたものだろう。対象はアロイスであり、私に直接向けられていなかったことも要因の一つかもしれないけど。
そうして結論が出たところで、どこか呆れを含んだ目を向けられていることに気づいた。何故だ。私、今回はちゃんと分かったのに。一人で答えまでたどり着いた事を褒めてほしいくらいである。
「……今、分からなかったがとりあえず頷いただろう?そして今、理解したところだな?」
……アロイスには全てお見通しだったようだ。私が分かったフリで頷いた事に呆れられているらしい。それについては反論が出来ないので黙っていると、小さな目を半目にしたアニッタから、なんともいえない視線が飛んできた。
「魔王様のアレをその程度に流せるなんテ、ワケがわからないワ」
「そのようなこと言われましても……」
「まあアンタが規格外なのは昔からヨネ。ワタシからすれば魔王様もアンタも似たようなものヨ。ワタシなんて小指一本使わずに殺せるのヨ」
さらりと流された上に魔王と同列にされてしまった。どうやら私は彼女に「小指一本使わず自分を殺せる相手」と認識されているらしい。確かに過去、アロイスに害意を抱いた彼女に対し威圧を放った事はあるけれど。こちらに危害を加える気のない相手をどうこうするつもりは全くないというのに、心外である。そして鳥である私に小指は存在しないので元々使えない。
「そんなことよりも部屋に案内させてチョウダイ、あんまりお喋りが過ぎると叱られるワ」
アニッタは話を打ち切り、スイスイと宙を泳ぐように飛んでいく。私たちは彼女の小さな背中を追って、静かな魔王城の廊下を歩くことになった。
石造りの床を歩けばコツコツと足音が響く。城の内部はしっかりと魔術具に照らされて明るく、ゲームなどで見るような陰鬱な雰囲気の漂う場所ではない。ただ、とても静かだけど魔物の気配は沢山感じて、聴覚的に訴えてくるものはないのに感覚的にぎやかなのが奇妙だ。
そうして歩くこと五分。案内されたのは広い一室で、食事の用意が出来たら案内係が来るからそれまで休んでいれば良い、ということらしい。
案内の礼を言う暇もなく身を翻してアニッタが居なくなってしまったので、休むように言われたし早速寛ぐ事にした。二つあるベッドのうちの一つを占領し、荷物を放り投げる。右の翼を持ち上げ右の足をぐっと伸ばそうとして、自分が鳥状態でないことを思い出した。この姿では上手く伸びの運動が出来ない。
不自然に右足が上がったまま固まった私を見て、別のベッドに腰かけているアロイスが可笑しそうに目を細めた。
「鳥に戻ればいいんじゃないか?ここに君の正体を気にするような者は居ないだろう」
「あ、そっか」
ここは人間の国ではなく、魔物の国。私が人間に擬態しておく必要はなかった。さっさと幻覚の魔法を解いて、体もカナリーバードへと変える。今度こそ本当に、文字通り羽を伸ばすことができた。
やろうと思ったことが出来ないと何だか気持ち悪い。例えるなら、くしゃみが出そうで出なかった時の妙な物足りなさといえばいいのか、とにかく落ち着かないからね。
「……君のその姿を見ると、少し肩の力が抜けるな」
床を歩いてアロイスの足元までやって来たら、そのような声が降ってきた。飛び上がって私の定位置となっている彼の膝に乗っかり、金の目を見上げる。
「見慣れてるからかな?」
「そうだな。その姿が一番落ち着くというか……セイリアが居る、という気がする」
どんな姿でも君であることに変わりはないんだがな、と続けて苦笑を浮かべる。アロイスにとって私はやっぱり、カナリーバードの姿であるものなんだろう。
かくいう私自身もこの姿が一番落ち着くというか、自分である気がする。可能である時は【変身】してカナリーバードになるのもそれが理由だ。
「私もこれがしっくりくるよ。一番長い姿だしね」
私にとっては二年だが、アロイスは八年程「セイリアはカナリーバード」という意識で過ごしてきたのだ。私よりも彼の方がこの姿をなじみ深く思っていそうだ。
……そういえば、ラーファエルは幻術で人間に擬態していた私の姿に違和感を持たなかったのだろうか。あまりにも普通に“セイリア”と呼びかけられたからすっかり忘れていたけど、以前ここに来たときは鳥人の姿だったはずだ。魔王ともなれば、様々な見た目の魔物と接しているだろうから、相手の容姿には頓着しない、ということなのだろうか。
「ねえアロイス、ラーファエルに会ってどう思った?」
私が尋ねると、アロイスは一度目を閉じて己の唇に触れた。私の判断は信用できない、ということをいつだったか言っていたから、彼の目から見た魔王がどんな人物か気になったのだけど。暫くして考えがまとまったらしく、瞼を開いたアロイスが答えてくれる。
「……まだよくわからないが、私の予想とは少し違っているようだ」
「そうなの?」
「ああ。私はてっきり、魔王は君に惚れ込んでいるのだと思っていたのだが」
「ハイ?」
アロイスの発言に思いっきり首を傾げた。首を傾げすぎて視界が180度くらい回転する。アロイスの顔が逆さに見えている。鳥の首ってほんとによく回るよね。
……頭の許容量をオーバーして思考が変なところに飛んでしまった。そうじゃない。アロイスの思考回路が全く理解できなかったので、軽く混乱してしまっている。
「どうやら違うらしいからな。魔王の望みはよくわからない」
「……えーと……うん。違うならいいや」
アロイスがどうしてそう思ったのかとか、気になることはあったけどもういいや。
私の小さな脳みそは、考えることを放棄した。
10時には間に合いませんでした…。
セイリアがしようとした羽を伸ばす運動は「鳥 スサー」で検索して頂けると分かりやすいかと思います。
恐らくご存知の方はご存じ。鳥のスサー運動。




