90.不穏な書状
「事が事なだけに、暫くここを離れられそうにないな。今のところ依頼もないから、私に問題はないが……」
報告から戻ってきたアロイスはマントをヒースクリフに預け、私の向かい側の席に着いた。すかさず彼の前にお茶を用意するヒースクリフ。実は二人居るんじゃないだろうか、彼は。行動が早すぎて吃驚する。
「国王は君に客室を用意するとおっしゃった。だが、君には窮屈じゃないか?」
王城の部屋が窮屈とは一体どういうことか、と思ったが直ぐにアロイスが言わんとしていることを察した。
貴族社会に混ざるためには魔物はもちろん亜人の姿もアウトで、人間を装わなければならない。今の私も【変身】の上に魔法を重ね掛けした状態である。いわば全身を服で覆われる全身タイツを着ているようなものであり、全てを解けばそれなりの開放感がある。今【変身】を解いたら大きな不死鳥になってしまうだろうから、それは出来ないのだけど。
それでも重ね掛けの幻覚魔法を解けば少しは軽くなる。普段宿に泊まる時や野宿している間はカナリーバードの姿で過ごしていたが、身の回りの世話をする人間が出入りする王城の部屋ではずっと魔法を使っていなければならない。そうして過ごすことを窮屈じゃないかと心配してくれているのだろう。
「暫くは大丈夫だよ。でも、わざわざ部屋を用意してもらうのは悪い気がする」
前世は人間だったとしても現在は鳥の魔物として生を受けた。人間っぽい意識も残ってはいるのだが、平気で虫や魔物を食べるし、服は着ていない方が気楽だし、寝る場所は室内室外を問わず、安定した足場があればそれでいい。そんな私にわざわざ王城の客室を用意してもらうのは何だか申し訳ない。
「君さえよければ、私の部屋に泊まっても構わない」
「ほんと?その方が気楽だね、いつも通りだし」
普段から同じ部屋で寝泊まりしているので、王城でもそれができるならありがたい。そう思って放った言葉はどうやら人間的には色々と問題があったようで、私の背後でヒースクリフが目を見開き、アロイスを呆然と見つめているのが視界の端に映った。
アロイスはそんな視線を受けてピクリと瞼を動かした後ゆっくりと首を振る。
「彼女は私の親友だ、ヒースクリフ」
「承知しております」
分かっております、という顔の従者と分かっていないだろう、と言いたげな主はしばし無言のまま視線を交わしていたが、最終的にアロイスが諦めたようだった。小さくため息を吐いて自分の側仕えから目を外すと私を見て、話を切り出す。
「……先程の報告後、私と君の二人で是非と王から茶会の招待を受けたんだが」
国王からの招待を平民が断るなんてありえないのだから、答えは一つしかない。けれどアロイスはあまり乗り気じゃないというか、むしろ嫌そうというか、断って欲しそうな雰囲気だ。
私とアロイスがお茶会に呼ばれて、従魔交換をすることになった時を思い出しているのかもしれない。……あれはいい思い出ではないからね。
「アロイスが嫌なら断っていいよ?」
「え」
後ろから驚いた声が聞こえてきた。思わず漏れた声だったのだろう、ヒースクリフは「しまった」という顔をしている。しかし驚きが大きかったようで、私の後頭部とアロイスを代わる代わる見ていた。
国王から茶会の招待を受けるのは名誉なことだ。平民がそんな機会に恵まれることなどないに等しいし、感激に涙しても可笑しくないところを平然と「断っていい」といった事に驚いたのか、その理由に驚いたのか分からないが、実質平民でない私は国王に対する敬意など持ち合わせていないのである。優先すべきはアロイスであり、彼が嫌だと思うなら断ってもいいと思ってしまう。
「……そういう訳にはいかないだろう。気は進まないが」
少し眉を寄せながらそういわれて、私は頷いた。断りたい気持ちは山々だが、立場とか心象とか色々考えれば短いお茶会くらい顔を出した方がいいのは言うまでもない。ちょっとしたトラウマで嫌な事を思い出すとはいえ、同じ状況になることはないはずだ。私はもうアロイスの従魔として認識されることはないからね。
「分かった。私は喋らないでニコニコしながら座ってればいいかな?」
「……ああ、そうしてくれ。そうだな、テオバルトの前で使った設定でいくか」
私たちの話を聞かされているヒースクリフは目を白黒させていた。アロイスと人前でこういう話を【伝心】も使わずに話すのは初めてだと思う。自分の従者に対して絶大な信頼があるのだろう。良い主従関係を築けているようでなによりだ。ヒースクリフがアロイスに膝をついて、これから御仕えすると誓った姿を思い出した。
「……あ、そうだ。膝をつく挨拶した方がいいの?」
この世界の貴族は丁寧に挨拶をする時、その場に膝をつく。簡易なものは指先をあわせるだけだが、地面に頭をつけている者も見た事がある。私は鳥だったし、そのような挨拶を使ったことはなかったからすっかり頭から抜けていた。
「平民なら本来、平伏が礼儀だ」
「あ、そっか。平民は平伏か」
自分が平民という感覚もオクタヴィアンを敬う気持ちも全くない私には、膝をつくだけで十分礼儀を払っている、という常識からはずれた意識があった。危ない危ない、間違うところだったよ。訊いてよかった。
「だが、今回は通常の挨拶でいい。何か言われればそれを理由に退席しよう。ついでに二度と呼ばれなくなれば御の字だな」
「……よっぽど嫌なんだね、アロイス」
「当たり前だ」
本心が駄々漏れのアロイスは、苦々しげな顔でお茶を飲み干した。私達の会話に終始落ち着かない様子だったヒースクリフが口元を引くつかせながらもどうにか作った穏やかな表情を浮かべ、なんでもないように新しいお茶を淹れている。従者の鑑だね、うん。
――――――――
昼食を摂って暫くすると、アロイスの部屋に迎えがやってきた。ヒースクリフを留守番として残し、私達は茶会が行われる場所へと案内される。
そこは見覚えのある庭園で、日差しを程よく遮る草木で出来たカーテンの下に席が設けられていた。大きな白いテーブルに、椅子が四つ。一つは肘掛のない大きなもので、誰が座るのか一瞬で予想できる。
お迎え兼案内人だった使用人が下がって居なくなると、直ぐに大柄な国王とそれに付き従う細身の魔道士、そして巨大な白虎が現れた。自然な動作でアロイスが膝をつき、私もそれに倣う。
「堅苦しい挨拶はよい。二人とも面をあげよ」
深く渋い声は相変わらずで、立ち上がって見上げた表情も以前と変わりなく穏やかだ。筋肉隆々の立派な体も健在である。スティーブレンの国王、オクタヴィアン。勇者アロイスにとっては直接の上司のような存在だ。その後ろに控えているのは宮廷魔道士ミシェル。目じりに小さな皺をつくり、ニコニコと笑いながら私達を見ている。
そんな二人の様子とは違い、どこか落ち着かないというか、怯えているというか、物凄く申し訳なさそうというか。そのような顔をしながらひげを下げている白虎は何か言いたげに私だけを見つめていた。
「平民を呼ぶとなるとやかましいのがいるからな。今回の茶会は非公式な会談である。礼儀なぞ気にせんでよい」
そう言って楽しげに笑ってみせる気軽な王に、ミシェルが「仕方がない方だ」とでも言いたげな、しかしとても親しみがあり好意的な目を向けている。色々と複雑な感情を出さないよう無表情になっているアロイスとは大違いだ。
「して、アロイスの仲間というのはそなたでよいのか?」
「……お初にお目にかかります。セイ、と申します」
「うむ。実力のある冒険者と聞いていたが、かように華奢な女性だったとは。いやはや、驚いた」
微笑みかけてくるオクタヴィアンの視線から逃れるように目を逸らして、恥ずかしげな顔を作り俯く。勇者の相棒冒険者セイは、恥ずかしがり屋の女の子。断じて能力値が魔王以上でアロイスの制止の声も聞かず魔物に突っ込んでいくような不死鳥ではない。
テオバルトも騙せたし大丈夫、私はやりとげるよ!白い虎のなんともいえない視線が刺さっても気にしない、気にしない。
「立ち話はここまでにして、後は座ってゆっくり語ろうではないか」
そのようにして始まった茶会だが、私は微笑むか同意して頷く以外のことをせず大人しく座っていた。下手に喋ってボロが出たら困るのである。そんな状態だから話しかけてもいいと判断したのであろう。王の従魔から【伝心】が飛んできた。
〔貴女はあの時のカナリーバードであろう?まずは謝罪をさせてほしい〕
〔うん?なんで?〕
非常に申し訳なさそうに謝られて吃驚した。謝られるようなことがあったっけ、と首をひねりそうになってどうにか留まる。いきなり首を傾げたらどうしたのかと不思議がられてしまう。大人しく三人の話を聞いているフリを忘れてはいけない。
〔貴女の願いを私は叶えられなかった。その謝罪だ〕
そういえば、彼には一つ頼みごとをした。私の代わりにアロイスを支えて欲しいという、ぶしつけなお願いだったと思う。彼は私の望みを叶えようとアロイスに甘えて首のモフモフを押し付けてみたり、出来るだけ傍に居て寄り添ったりしてくれていたようだ。でも、従魔が絶対に必要な学園を出た途端に王に返還されてしまい、暗い顔をするアロイスを支えられず王のもとに戻ることになった。それをずっと気に病んでいたという。
従魔交換の場で初めて顔を合わせただけの私の願いを、どうにか叶えようとしてくれていたらしい。とても律儀な魔物である。そんなとっても良い魔物である白虎の名前を、まったくこれっぽっちも思い出せない私の鳥頭はどうにかならないものだろうか。ありがとう、そしてごめんね白虎さん。
〔従魔の立場で出来ることは少ないのに、難しい頼み事してごめんね〕
〔いいや……我が主の行動は、貴女たちにとって迷惑なものだっただろう。主にはそれが分かっていない……それも合わせて、謝りたい〕
〔それは貴方が謝ることじゃないよ〕
私とアロイスにとって、オクタヴィアンの提案は良くも悪くもあった。あの提案があったからアロイスは勇者になれたけれど、当時の私達には辛い別れで、一時期のアロイスにとっては永遠に親友を奪われたと感じた出来事だった。再会して旅ができるようになったからいいけれど、いまだにアロイスの心には傷が残っている。
しかし、オクタヴィアンは微塵も悪いことをしたとは思っていないはずだ。だって、他から見ればアロイスはかなりの好待遇を受けているのだから。
従魔交換で特別な魔物を貸し出され、自分のカナリーバードは死後立派な葬式をあげてもらって、勇者にもなった。誰もが羨む状況で、それを喜ばなかったのはきっとアロイスだけだ。
アロイスにとって、私が死ぬということは想定外だった。というか、カナリーバードの寿命が短い原因が魔物を食らわないこと、だなんて誰も知らない。常識的に考えられない。調教師もアロイスの言うことを本当に実行する気があったかどうか怪しかったし。だから私は普通のカナリーバードとして死ぬことになった。おかげで今があると言えば、そうなんだけど。
とにかく、これは彼が私に謝ることではない。謝るのだとすれば、王がアロイスの望みでなかったことを理解して、アロイスに対し謝ってほしいものだ。
〔……そうか。貴女のためにも我が主が理解する日が来ることを願うとしよう〕
〔うん、そうだね〕
破天荒とはいえ、貴族としての考え方しか知らない王である男にそんな日が来るのかは怪しいところだが、そうなればアロイスの傷もちょっとはマシになるんじゃないだろうか。もう二度と、望まないお節介で望まない結果がでることはない、と分かれば気持ち的に余裕ができそうな気がする。
それからも表面上穏やかにお茶会は続いた。時々テオバルトの罪状がどれほど調べがついたか、とか。その処分は軽くはないだろう、とか。今後マグナットレリアはどうなるか、とか。そのような話もでたけれど、殆どは他愛ない雑談だった。その平穏が破られたのは、かなり焦った様子の騎士が報告に飛び込んできたからだ。
「王よ!!今すぐお耳に入れたい事がっ……!!」
「落ち着いて報告をせよ。客人の前だ」
「はっ、失礼を……王、この書状をご覧ください」
青い顔の騎士は全く落ち着かないまま、バッと丸められた書状をオクタヴィアンに差し出した。一体何を慌てているのか、という顔だったオクタヴィアンの顔色は、書状を読みながらみるみるうちに変わっていった。
「魔王が……姫を、寄越せと……」
オクタヴィアンの言葉を聞いた人間は皆驚き固まった。不穏な空気に白虎は尻尾を不安げに揺らし、私はその中で一人首を傾げる。
魔王ってラーファエルのことだよね。姫っていうのはオクタヴィアンの娘だろうし……一体、どういうこと?
魔王、久しぶりの出番です。
次の更新は三日以内に出来ると思います。




