89.契約破棄
アロイスから国王オクタヴィアンへ、テオバルトの所業を記した書状が送られた。証拠品もあると一言添えられていたためか、勇者への絶大な信頼故か。翌日の朝には国から派遣された人間がやってきて、意識が戻らないままのテオバルトを拘束した。手枷を嵌められた姿は容疑者どころか既に罪が確定しているような扱いに見えたが、彼はそのまま馬車に乗せられ先行して城に連れて行かれた。もちろん、すんなりとことが運んだわけではない。ちょっとしたゴタゴタがあった。
驚く事にテオバルトは結婚しており綺麗な奥さんがいて、その人はことのあらましを聞くと卒倒するし、母親のビアンカはテオバルトが捕まると発狂して家の中をめちゃくちゃにし始めるし、本当にてんやわんやだった。
美人が目を血走らせて暴れる姿はかなり怖い。迫力がハンパじゃなかった。現在マグナットレリアの領主家は大変な有様で、使用人一同がお片づけ中だ。現代で言うなら家宅捜索を命じられた、国の遣いの数人も一緒にやっているらしい。ただ、酷い状態なので何かの痕跡を探すのは難しいだろう、とのこと。
……ビアンカは計算してわざとやったのかもしれないね。あの鬼の形相は演技だと思えないレベルで怖かったけど。
後片付けは他の者達に任せ、私達は領主家を後にする。この後は王城へ証拠品を持っていき、事情を説明しなければならない。そこでテオバルトの処分も決まるだろう。
私とアロイスは王城の遣いが用意していた馬車に乗り込み、転移魔法陣に向かった。
「……少し、疲れたな」
殆ど揺れない静かな馬車の中で、アロイスの小さな呟きはよく聞こえた。国が用意した馬車は防音の魔法が施されていて、御者に聞こえることがないから出てきた言葉だろう。ぽつりと零されたそれは、辛いことを内側へ隠してしまう彼にしては珍しい本音だった。
それほどまでに疲れている。肉体的にではなく、精神的に。それは暴れるビアンカがヒステリックに叫んだアロイスへの言葉が原因だと思う。
(お前さえいなければ私の人生は狂わなかった、か……)
憎悪に燃える目でアロイスを睨みつけ、甲高い声で叫んだ言葉は私の耳にもよく残っている。言われた本人なら尚更だろう。
ビアンカからすれば、アロイスという存在が己の幸せを壊したものだった。領主夫人となって直ぐ子供も授かり、それからの未来は明るいものであるはずだったのに。知らない間に夫が平民の女を囲っていて、子供までいたのだ。
夫から愛想を尽かされた哀れな領主夫人と噂され、さらに正妻の子より妾の子の方が才があると知られてしまえば自分の立場はない。ビアンカの心中は不安や焦燥、恨み、憎しみ、そのようなもので溢れかえっていただろう。アロイスは何も悪くない。ただそこに生まれただけなのだ。しかしビアンカはアロイスへ矛先を向けた。母親はもういないし、領主である夫とは表面だけでも仲良くしている必要がある。誰の後ろ盾もない子供に向くのは道理だった。
「……私が居なければ。確かにそうだったのかもしれないな。私があの家に居なければ、あの家は正常に回っていたんだろう」
吐き出された言葉はどこか自虐的な響きを帯びている。昔から、家族関連の問題にアロイスは弱い。ずっと己の存在を否定され続けていたからか、家族の中においてそれを当然だと思っている節がある。否定されればそれを受け入れようとしてしまう。アロイスのせいじゃないとしても。
元をたどれば悪いのはフィリベルトだろう。正妻であるビアンカの妊娠中に平民の女性に手を出して、こっそり子供を作って囲っていたのだから。しかし、フィリベルトの軽率な行動がなかったらアロイスも生まれていないのだと思うと責めきれない。
もしもアロイスが居なかったら、領主家に買われた私はどうなっていたのだろうか。それを考えるとぞっとする。
「私はアロイスがあの家に居てくれてよかったよ」
それは私の紛れもない本心だ。アロイスがあの家にいなければ、私を飼うのは恐らくテオバルトだ。野生の鳥に戻っていたかもしれないが、テオバルトの元から逃げ出すこともできずに一生飼われていたかもしれない。アロイスが居てくれて本当によかったと思っている。
私の言葉にアロイスは少し驚いた顔をした後、目を閉じて何かを考え始めた。暫くして瞼が開いた時にはいつも通りの穏やかな目をしていて、微笑みながら私を見る。
「……楽になった。ありがとう」
「うん。……何か歌おうか?」
「そうだな、頼む」
転移魔法陣のある建物に着くまでの間、子守唄を歌った。アロイスは目を閉じて、短い間だがほんの少しだけ眠ったようだった。
――――――――
王城に着き、アロイスの姿を見た者が直ぐ報告に走る。まず国王に面会するのは勇者のアロイスだけであり、彼が国王と話す間私はアロイスに与えられている部屋で待機することになった。
アロイスに連れられて訪れた部屋は隅々まで磨かれ、丁寧に整えられている。いつ部屋の主が戻って来ても直ぐに使えるように心配りがされていて、この場を整えていた人間が主の帰還を待ちわびていたという事実を訴えてくるようだ。
「今帰った」
「お帰りなさいませ、アロイス様」
とても嬉しそうな笑顔でアロイスに膝をついているのは、青年となったヒースクリフ。優しげな面差しはそのままだが芯が通っているというか、どこか自信の窺える表情というか。情けない顔をしていた少年時代とは大分違っていた。
「君はそこの椅子に掛けて休んでいてくれ。ヒースクリフは」
「お客様にお茶をお出しした後、直ぐに御召し替えのお手伝いをいたします」
「……助かる」
テキパキと働くヒースクリフに驚いた。アロイスがしたいことをよくわかっているらしい。行動を先読みできる側仕えってすごいね。
用意されたお茶を飲みつつ、別室に消えて行った二人を待つ。初めて飲んだけどヒースクリフのお茶は美味しかった。淹れる人によってお茶って全然違うよね、領主家で飲んだお茶よりずっと美味しく思える。
お茶を堪能してクッキーをつまんで暫く、主従が部屋に戻ってきた。アロイスの服はいつも通りだけれど何やら豪華な刺繍の施されたマントをつけている。髪もワックスか何かで固めているのか前髪が綺麗に撫でつけられたオールバックで、雰囲気がかなり変わっていた。
「行ってくる」
アロイスは私をじっと見ていた。その目は明らかに「大人しくしているように」と語っている。流石に部屋の中に居るだけで何か起こることはないと思うんだけど、頷いておいた。大人しくお茶を飲んでゆっくりしていよう。
「ヒースクリフ、彼女を頼んだ」
「かしこまりました」
部屋を出るアロイスを見送ると、ヒースクリフが私の元にやってきてお茶のおかわりを淹れてくれた。
給仕をしてくれているヒースクリフは貴族だ。設定上平民の私が彼にお茶を淹れてもらうのは妙な感じだが、主の客をもてなすのは側仕えの仕事である。相手が平民であろうとヒースクリフには私を丁寧に扱う義務が発生しているため、このように対応してくれている。本当は平民どころか人間ですらないんだけどね。
ありがたくいただいたが、彼の視線が私の顔にビシバシと突き刺さる。何か言いたいのだろうか、と顔を向ければばっちり目が合った。
「えっと……なんでしょう?」
「一つ、お礼を申し上げたくて……貴女のおかげなのでしょう?アロイス様の表情が柔らかくなったのは」
まさか礼を言われるとは思わなくて戸惑っていると、彼は静かに語ってくれた。大事な従魔を失った、主の話だ。
「元からあまり感情を表に出す方ではありませんでしたが、一時はそれがあまりにも酷かった。瞬きや言葉を発する以外でお顔が動かず、精巧な人形に御仕えしているのではと思うことすらありました」
それは私が知らない、私を失った直後のアロイスの話だった。動いてはいるものの、その様はまるで人形のようであり全ての動作が機械的で、気力というものは一切見えない。アロイスが受けたショックはそれ程大きく、根深いものだった。時間が経てば傷は癒えるはずだと見守っていた周りの人間も、その状態が一ヶ月も続けば流石に心配をする。アロイスが部屋から出る時、そして帰ってくる時は必ず特クラスの誰かがついていたという。
「それはある時を境に少し変わりまして……」
「ある時?」
「ご兄弟のテオバルト様が、その……なんといいますか」
ヒースクリフはかなり濁したが、どうやらテオバルトが“セイリア”について色々なことを言ったようだ。それまで能面のような顔だったアロイスがハッキリと攻撃的な鋭い目をして、テオバルトを罵しりつつ言い返し、徹底的にテオバルトの価値を叩き潰す言葉を放つ姿は自分の知る主のものとは思えず恐ろしかった、と。うん、ちょっと想像ができないね。
それからどういう心境の変化か、勇者になるに相応しい人間へとなるべく努力を始めた。しかしそれは身を削るような努力の仕方だったという。仲間の都合がつかなくても一人で毎日森に潜って魔物を狩り、戦闘センスを磨き、夜遅くまで様々な書物を読んでは研究に没頭して、傍で見ているしかなかったヒースクリフは毎日泣きそうだったらしい。
「でも今日、まるで以前のような……アロイス様の従魔だった、セイリアが居た時のようなお顔をされていて、私はもう、それだけで本当に良かったと……心のそこから貴女に感謝をしております」
泣きそうな、震えかけの声で言われてそっと顔を逸らした。私は別に何かをしたわけではないのだ。むしろアロイスが病んだ原因とも言えるし、感謝されるようなものではない。
……アロイスは思い出したくないのか、私が居なかった間の事はあまり喋らないから、ヒースクリフの話は貴重だった。
「……取り乱して失礼を。少々、部屋の空気を入れ替えて参ります」
風に当たってきます、ってことだろうか。頷いて、おそらく涙を浮かべているヒースクリフを見ないようにお茶を飲んだ。冷めていてもとても美味しい紅茶である。感情を露に泣いてしまうのは貴族にとって恥ずかしい事だろうから、ヒースクリフに視線を向けないよう茶器の模様をボーッと眺め、彼が戻ってくるのを待っていた。……待っているつもりだった。
『やっと見つけたわ!こんなところに居たのね!』
花と鳥が鮮やかに描かれた綺麗なティーカップの淵に、若葉色の髪をした小さな人間のような姿が割り込んでくる。背中には半透明の羽があり、ちょっと生意気そうな顔付きは以前見たものと変わりがない。
「アニッタ……」
悪戯妖精のアニッタ。貴族学園でアロイスの部屋に悪戯して、ヒースクリフを困らせた犯人。魔王の部下であり、学園には調査をするためにやって来ていた。私と“神への契約”をしていて、ちょっと変わった縁のある相手だ。体感的には一年ぶりくらいだけど、実際は六、七年ぶりの再会になるだろうか。
『久しぶりね。っていうかアンタ、なんでそんな恰好してるの?』
〔色々あってね〕
ヒースクリフにアニッタは見えない。声に出すと独り言を喋りすぎだと思われそうなので【伝心】で話しかけた。アニッタは吃驚したようにこちらを見て、難しい顔になる。
『アンタってホントに芸達者ね……まあいいわ。今日は神の契約を終了するためにきたのよ』
〔え、そんなことできるの?〕
『できるわ。約束は果たされたってお互いが神に報告すればそれで終わりよ』
私の存在はもうとっくの昔に魔王に知られて、魔王もアニッタの行動はなんとなく察している。既に約束を守る意味はない。故に契約を破棄しようという提案をされた。それは私も構わないので同意する。
『神への誓いは果たされた。ワタシがアンタのことを黙っとく契約は終了よ』
〔神への誓いは果たされた。私がアニッタの喋ったことを秘密にする契約は終了……〕
アニッタの言葉を真似して伝心を飛ばした瞬間、ほんの少し体が軽くなったような感覚があった。嵌った枷を取られたときの解放感に似ている。契約が言葉で簡単にできてしまうだけあって、解除も簡単にできるようだ。これだけ簡単なのに効力がしっかりあるんだから、神様って怖いね。
軽く伸びをするように両腕を上げたアニッタは身軽に飛んで、直ぐ窓の方に向かって行った。本当に用事はこれだけだったらしい。
『これで問題ないわ。じゃあ、またあとで』
そう言い残して出ていく彼女を見送った後、首を傾げる。また後でって言ったよね、今。……なんで?
「どうかなさいましたか?」
「え?……ああ、なんでもないです」
涙が止まったらしいヒースクリフが戻って来て、頭を傾けている私を不思議そうに見た。パタパタと手を振って答えれば、それ以上追及せずに新しくお茶を淹れてくれる。
お茶を飲んでアロイスを待っている間にすっかり落ち着いて、アニッタの別れ際の挨拶のことはもうどうでもよくなっていた。じゃあまたね、なんてよくある挨拶でつい口から出ただけかもしれないし、気にしなくてもいいだろう。そんなことよりも。
(アロイス、早く帰ってこないかなー……)
ヒースクリフの妙に温かい視線がよく分からないけどむず痒い。何とも言えない空気が耐えがたく、私は親友の帰りをひたすら待ち望んでチラチラと扉に目を向けては、更に温かな視線を向けられ微笑まれるというループに陥っていた。
アロイス、お願い早く帰って来て。ヒースクリフと二人きりは居づらいよ!なんか変な目で見られてる気がするよ!
やっと更新できた。お待たせして申し訳ない。
まだ暫くは更新速度が遅いと思われます。
いただいた感想はありがたく読ませていただいております。ありがとうございます。




