88.テオバルトの話
おまたせしました
肌の上を素早い虫が這い上ってくるような感覚。テオバルトの持つ【鳥類の天敵】による、独特の嫌悪感だ。それはテオバルトが近くなればなるほど顕著に感じられ、今すぐ飛び退きたい気分になる。これから逃げないどころか一切動かないというのは、なかなか至難の業である。動きそうになる体を意識で必死に抑えるが、堪えきれずにピクリと震えてしまう。
「はは、逃げようと思ったのか?強力な痺れ薬を口にしたのだから、動けはしない」
私の体が震えたことは、逃げようとして動けなかったのだと都合よく解釈してくれたらしい。テオバルトはベッドに腰を下ろすと紫の目を楽しそうに歪ませ、笑いながら私の頬に手を伸ばした。触れられただけで酷い寒気がして、今度は本当に体が震えた。
「勇者であったとしても、薬であのように眠ってしまえば仲間を護れない。仲間に何かあったとしても、知らぬならどうしようもない。勇者など名ばかりだ。それなのに領民も、父上すらもアロイス、アロイスと……領主となるのは私だというのに、忌々しい」
テオバルトは語る。それは私に聞かせるというよりは、溜まりに溜まった心の膿を吐き出すような行為だった。領主家の嫡子として生まれ、誰よりも優秀でなければならない子供だったテオバルト。自分にはたしかな能力があり、優秀だと周りからも認められ、大人になれば領主になるのだと思っていた。
だがそこに、アロイスという弟が現れた。それは自分と同じ母を持つ者ではない。その弟の母親は貴族ですらない、平民の女だ。蔑むべき対象だ。そんな弟が自分よりも優れた能力を持ってた。
それでも自分は領主を継ぐ者で、弟は自分を支えて生きていくだけの存在だと言い聞かせられて、それを実感できているうちはまだよかった。自分の地位が脅かされることはなく、弟も自分に逆らうことがなかった。それが変わったのは、ある日青い鳥がやってきてから。
「セイリアという名のカナリーバードだ。お前でも聞いたことはあるだろう?」
その鳥は自分に一切懐かない馬鹿な魔物だと思っていたら実は優秀で、アロイスの価値をどんどんと高めていく。優秀な弟と比べられるようになる。それはテオバルトにとって、自分の足場を崩されるような恐ろしい出来事だったようだ。テオバルトからすれば、私という存在はとても厄介なものだったらしい。
「その鳥も居なくなったと思ったら、次は勇者だと?ふざけるな、アロイスは私の下でなければならない。そうでなければ、私は……」
テオバルトの顔が一瞬歪んだ。初めて見る苦しそうな顔だった。しかしそれは直ぐに、嫌な笑顔に変わって見えなくなる。
「……父上もアロイスではなく私を見ていたなら、もう少し長く生きられたであろう」
「え?」
馬鹿な私でもその言葉に込められた意味は理解した。思わず声を漏らし、目を見開いてテオバルトを凝視する。
「ほう、もう口が利けるのか。もう少し薬を入れてもよかったな」
私の反応を面白そうに見て満足げな笑みを浮かべたテオバルトが、ベッドを軋ませながら私に覆いかぶさってきた。いきなり近くなった距離にビクリと反応してしまう。酷い嫌悪感に酔いそうなほどだった。
「お前も同じだ。不甲斐ない勇者ではなく私を選ぶなら良い思いをさせてやる」
不甲斐ない勇者?アロイスが?馬鹿じゃないのか。十二歳の子供で脅威個体に臆することなく立ち向かうようなアロイスが不甲斐なければ、この世の九割は不甲斐ないだろう。真っ向勝負で叶わないからと薬を盛って、本人でなくその仲間に手を出そうとするような卑怯者よりもアロイスの方が信用できるし、頼り甲斐がある。
「……死んでもアロイスを選ぶに決まってる」
あまりの気持ち悪さに演技を続ける余裕がなくなっていたようで、つい本音が口からでた。テオバルトが目を見開き、次いでその目に憎悪を燃やす。鋭い眼光で私を睨みつけた。
「貴様、よくも……ッ!?」
カッと紫の目が開かれ、一瞬で血の気が無くなる顔は何度か見覚えのあるものだ。私の言葉で逆上して敵意か殺意か分からないが、そういった感情を持ったのだろう。オート発動の威圧は私の意思で止めることは出来ず、それをまともに受けたテオバルトの体がぐらりと揺れて倒れ込んでくる。
「うわっ!!」
覆いかぶさっている男が倒れてくるということはつまり、密着状態になるということで。私の本能は全力でそれを拒否した。つまるところ腕を使って振り払ってしまったのだが、物凄い音がしてテオバルトがベッドの向こうに落ちた。もう少し正確に説明するなら軽く飛んでドアの前まで転がって行った。あまりの出来事に思考が停止していた私の耳に、チャキっと金属のぶつかるような音とアロイスの息を吐く音が聞えてくる。
「君は加減というものを知らないな」
「あああどうしよう!?死んでない!?」
「……まだ死んではいないだろう。光魔法を使えば間に合う」
私は慌てながら光の神にテオバルトの怪我を治すように頼んだ。思ったよりも多くの魔力が流れて行き、テオバルトの体が結構な光量を発していたのでかなりの重症だったようだ。
危なかった。もう少しで領主になったばかりの男を殺ってしまうところだった。ギリギリセーフ……いやアウトかな、これ。
「アロイスどうしよう……テオバルトって領主なんだよね?」
根性が捻じ曲がっていようが勇者とその仲間に薬を盛ろうが、一領主であり大貴族。「セイ」という名の冒険者が逆らったり、手を出したりしていい相手ではない。最もダメージを与えたであろう一撃は気絶した後であり、既に治したからもみ消せるとしても、その前の威圧と言葉に関しては脳にしっかり刻み付けられているだろう。衝撃で上手い具合に記憶が飛んでいる、なんて都合よくいくはずはない。
テオバルトの傷自体は完治したようで、体を包んでいた光は既に消えている。しかしピクリとも動かないから気を失ったままのようだ。傷を治すことだけを祈ったから、意識までは回復しなかったと思われる。今起きられても困るのだけど、あまりにも動かないからちょっとだけ心配になった。しかし、悪寒の原因に近づきたいとも思わず、うつぶせの体を見つめるだけだ。
「心配しなくていい。先に手を出したのはあちらだし、証拠もある。問題ない」
「証拠?」
「先ほど君が隠しただろう?近くのものを一つ持ってきてくれ」
テオバルトが来る前に部屋のあちこちに隠した魔術具が証拠になるらしい。どういう証拠品なのかわからないが、言われた通りベッドから降りて花に紛れている魔術具を取る。手にした瞬間、隠す前と同じように小さく光った。
「アロイス、これが一体どんな証拠になるの?」
「その前に、汚れをふき取るからこちらへ」
アロイスが懐から白いハンカチを取り出して私を見ていた。花の中に突っ込んでいた魔術具はちょっと濡れているけれど、汚れているというほどではない。濡れていたら使えないものなのだろうか、と思いつつアロイスの元に持っていく。
しかしアロイスの視線は魔術具ではなく私の顔に固定されていて、白いハンカチは魔術具ではなく私の頬を拭った。私の異様な防御力がなければ痛いのではないか、というほど強い力でゴシゴシ拭き取られる。
「そんなに汚れてた?」
「……そうだな」
何だか歯切れの悪いアロイスの言葉に首を傾げるが、彼は誤魔化すように一つ咳払いをして「そんなことよりも」と話を逸らした。
「セイリア、その魔術具に魔力を込めてみてくれ。しっかり証拠が取れているか確認したい」
「あ、うん」
言われたとおり、小さな魔術具を握り、魔力を流してみる。すると手の中の魔術具からジジジ、とまるでぜんまいを巻くような音がし始めた。拳を開いてみてみるが、特に変わった様子はない。小さな音が聞こえてくるばかりだ。
「成功していれば直ぐに音声が再生されるは、ず……」
その言葉は最後まで続かなかった。魔術具が一度強い光を放ち、奇妙な現象が起こったからだ。
何もない空間に突如として浮かび上がる映像。そこにはベッドに寝転がろうとする私と、椅子を持って来て座るアロイスが半透明に映しだされていた。大体花瓶を中心に半径五メートルくらいの映像が記録されているようだ。それはとても立体的で、ホログラム映像と言い表すのが近いものである。しかも等倍の大きさで再現されているため、自分たちの動きがよくわかる。三次元的に動く自分の姿を見るのはとても不思議だった。
「これは音声を記録できる魔術具のはずなんだが……セイリア、何をした?」
「思い当たるようなことはしてないんだけど……」
「……そうか」
アロイスが考え事をし始めたので、暇になった私は流れる映像を見ていた。演技だが、アロイスの心配そうな声もはっきりと魔術具から聞こえてくる。録音の機能も問題なく働いているようだ。
映像はそのまま流れ続け、テオバルトがやって来て一人語りを始め、領主に何かしたことを仄めかすセリフまでキッチリ収まっていた。
(そういえば、アロイスから動いていいって指示は来なかったよね……ちゃんと状況見てたのかな?)
アロイスが許可をくれるまで動けなかったのだ。途中から嫌悪感との戦いですっかり頭から抜けていたけれど、彼から【伝心】が飛んでくる気配はなかった。私的には結構危機的状況だったのだが、目をつぶっていたから見えていなかったのかもしれない。
気になって、映像の中のアロイスに目を向けた。金の瞳はしっかりと瞼に覆われているというのに、テオバルトが私に馬乗りになった瞬間音もなく彼の手が剣に伸び、親指で鍔を押して刀身を覗かせる。
……そう言えば、テオバルトを床に叩きつけた後アロイスの方から金属音のようなものが聞えていた。少し抜いた剣を鞘に納める音だったのかもしれない。
「アロイス、もしかして私がやらなかったらテオバルトを」
斬ってたんじゃないの、と口にするより先にそっとアロイスの手が私の手に重ねられ、魔術具を覆うと映像は見えなくなった。手の中から私がテオバルトを突き飛ばした後慌てる声が聞こえてくるから再生が止まった訳ではない。映像は手の中でまだ映し続けられているのだろう。
見上げたアロイスの顔は本当にいつも通りだけど、絶対に仲間に手を出されそうになって怒り心頭で斬りかかる寸前だったよね、これ。
「映像化してしまった原因はおそらく君の属性が光だからだな。私が再生するか、こうして握り込めば良い証拠になる」
思いっきり話をそらされたような気がする。私がテオバルトをぶっ飛ばしたことに加減をしらないとアロイスは言ったが、脅威個体の魔物を討伐してきた剣で人間を斬ろうとするのも似たようなものだと思うよ。
「アロイス、誤魔化したね?」
「私がやろうと君がやろうと、どちらにしろ同じような結果になっただろう。そんなことよりも、証拠はこれ一つで十分だ。他の魔術具を回収してくれ」
たしかにそのとおりであるのだけども。何だか腑に落ちないというか、なんというか。そう思いつつ、隠した魔術具を集めていく。どこでテオバルトが何を言うか分からなかったし、もし何かあって上手く作動しなくても困るからということであちこちに仕掛けた魔術具だったが、殆ど無駄になってしまったようだ。アロイスは集めた魔術具を一つの袋にまとめて、証拠とする一つだけを別に仕舞う。
「……重要な証拠はとれたが……君を酷い目に遭わせたな。すまない」
申し訳なさそうに言われて、首を振る。ただただ不愉快極まりなかったけれど、最後には盛大にお返しできたので気分はスッキリしている。
「私、大丈夫だよ?それに、テオバルトは一回痛い目みればいいって思ってたし……不慮の事故とはいえ、それなりのお返ししてしまったし……」
惜しむらくはその時テオバルトが気絶していたことだが、起きていたら今度は痛みでショック死という可能性もあるのでこれでよかったのだ。アロイスが欲しい証拠も取れて万々歳である。
「……私の気は晴れていないが、それはこの先罪を償ってもらうことで納得するしかないな」
アロイスはするりと私の頬を撫でた。テオバルトに触れられたときは虫唾が走る思いだったが、アロイスに撫でられるのは嫌いじゃない。……でも鳥状態の時に撫でてほしいね、そっちの方が気持ちいいから。
しかし、テオバルトに最も被害を受けてきたアロイスがスッキリできていない。何かいい方法はないだろうか。
「あ、そうだ。アロイスも今思いっきり殴っとく?気絶してるから分からないし、私が治せば証拠も残らないよ!」
現在も絶賛気絶中であるテオバルトに何をしようが、意識がないのでばれないはずだ。今まで散々アロイスに酷いことをしてきたのだから、多少の報復くらい許されるのではないだろうか。
それはとてもいい提案に思えたのだが、アロイスはそう思わなかったようだ。物凄く微妙な顔をされる。
「……セイリア、流石にそれはやりすぎだ。勇者として出来ない」
きっぱりと断られてしまった。そして軽くため息を吐きながら、その乱暴な思考は魔物特有のものかと問われてしまった。そう言う訳ではないと思う。多分。
いい考えだと思ったのに、残念だ。でも、アロイスの顔からはもうテオバルトのことなどどうでもいい、という思いが見て取れるので良しとしよう。……代わりに私のことでちょっと悩んでいるみたいだけど問題ないよ、うん。
気絶状態で放置されるテオバルト。意識は戻らない方が幸せですね。
次回の更新は一週間以内にできるかどうか怪しいです。




