87.領主の葬儀とその夜
領主の葬儀には、多くの人が集まっていた。マグナットレリアの領民は勿論、他領の領主一族や、王都からも代表の者が参列しているらしい。集まっている人間が全員白い服を纏っているのは、黒の喪服を見慣れていた私にとって不思議な光景だった。
静かに涙を流す者もいれば、フィリベルト様は優しい方だった、と故人の思い出を語る者もいる。しかし誰もがどこか薄っぺらく思えてしまうのは何故なのだろう。
アロイスは赤い炎に包まれている棺桶を見つめている。その横顔には表情がなく、彼の感情を窺い知ることはできない。ただ、傍にいた方が良い気がしてそっと寄り添った。人の腕に見えてもあるのは翼だから、触れたのは柔らかな羽先だ。ほんの少し触れただけの軽い感触に気づいたアロイスは、一度私に視線を向けた後、もう一度燃え続ける火に目を向けてぼそりと呟いた。
「……父上との思い出は、少ないが……小さい頃はよく可愛がってもらったんだ」
アロイスは妾の子供で、離れでひっそりと育てられたのだと聞いている。正妻に見つかるまでは母親が居て、父親も居て、幸せな日常があったのかもしれない。フィリベルトは正妻が妊娠してる間に他の美人な女性に手を出す様な浮気男だけど、優しい父の顔もあったんだろう。アロイスはそれを今思い出したようだ。ラゴウで父親の死を知らされてから初めてはっきりと、その顔に悲しみを浮かべた。
「不死鳥でない父上はあのまま灰になり、もう戻ることはない。その顔を見ることはできない。……父上は、死んだんだな」
それ以降、アロイスは父親が灰となるまで黙祷を捧げていた。その姿を見て気づく。アロイスは父親の死にするべき顔が分からなかったのではなく、父親が死んだという実感がなかったのだと。涙を流しているわけでも、辛そうに表情を歪めているわけでもないアロイスが、私が見る限りこの場で最もフィリベルトという人間の死を悲しんでいた。
(……あっちとは大違い)
父親の思い出を語りつつ涙しているもう一人の息子は、何故か笑っているようにしか見えなかった。
――――――――――
今晩の宿は、領主の邸だ。一時期暮らしていた場所だが、アロイスの行動範囲外の部屋は知らぬ場所。現在は初めて見る豪華な部屋で食事を摂っている。おそらくここが食堂で、家族が食事を摂る席なのだろう。私が知る限り、アロイスがここで食事を摂ったことはないけれど。
葬儀の際に見かけたから家には居るはずだが、前領主夫人ビアンカの姿は見えない。何故か私とアロイスとテオバルトという三人で会食をしている。何この組み合わせ。
通常、平民と食事を摂ろうなんて貴族は考えないのだけれど、一人別室で食べさせるのはあまりにも酷い扱いだと言って私を同席させたがったらしいが。私としてはアロイスと二人で部屋に引きこもって食事を摂りたいところである。
私は魔術具の耳栓によって音がシャットアウトされているため、笑いながら話しかけてくるテオバルトが何を言っているかさっぱり分からない。必要なときはどのような反応をすればいいかアロイスが教えてくれるので、そのとおりにして出来るだけ丁寧に食事を口に運ぶ。翼のままだとナイフとフォークが扱い難いため、手だけはスライム変化で作った。便利だよ、スライムの手。スライムに手はないけど。
目の前に並ぶ食事は豪華なもので、ふんだんに肉が使われ、鮮やかな色の野菜で彩られ、何のお祝いかと言いたくなるようなものだ。これを見た瞬間アロイスの眉間に皺が寄りそうだったので、葬儀の後に出されるようなものではないんだろう。
蒸し鶏のサラダとか、鳥の香草焼きとか、味つき衣で揚げられた鳥肉とか……鳥料理がやたらと多い気がする。美味しいから食べるけど、時々アロイスからなんともいえない視線が飛んでくる。よく食べられるな、と思っているようだ。
そんなアロイスはあまり食が進んでいない。父親の事もあるし、テオバルトとの食事だから余計食べられないんだろう。明日は早く出発して、どこかで美味しいものを食べることを提案したい。
(うーん……なんだろう……)
料理は手が込んでいて美味しいのだが、妙な違和感がある。その原因が分からず、一口をゆっくり咀嚼しながら考える。考えてみても分からない。
〔セイリア、どうした?〕
私が何かを気にしているらしいことを悟ったアロイスから【伝心】で訊かれる。料理の味に関係なく何か違和感があることを伝えれば、【鑑定】してみたらどうかと言われた。
そういえば【鑑定】は生物だけでなく物にも使えるんだったな、と思いつつ料理を調べてみればとんでもない結果が出て、頭を抱えたくなった。
私、アロイス、テオバルト。それぞれに出される料理の見た目は同じなのに、鑑定結果が違うとは一体なにごとか。溜息を吐きたい気持ちを抑えてアロイスに知ってしまったことを伝える。
〔アロイス、あのね……この食事、薬が盛られてるみたい〕
ピクリ、と瞼が動いただけで驚きを隠したアロイスは流石である。これが逆の立場なら絶対に声を上げてしまうのが私だ。応接の間で「盗聴の魔術具があるかもしれない」と聞かされた時のことを思えば、アロイスはよく我慢できるなと感心する。
〔……何の薬だ?〕
〔アロイスのは睡眠薬。私のは痺れ薬かな〕
料理を【鑑定】してみれば、その料理は何と呼ばれているもので、どんな材料が使われているのかが分かった。料理の材料ではないので薬が使われたというような情報はなかったが、最後に“麻痺”や“睡眠”という効果が見えたのでほぼ間違いないと思う。魔法、と言う可能性もあるけれど。
いくら【状態異常無効】を持っているからといって、妙なものが混入されている食事を口にする気は失せてしまった。せっかくおいしいのに、台無しである。アロイスにも私にも薬を盛っていったい何を企んでいるのか。テオバルト許すまじ。
私が心の中でテオバルトに対する怒りを溜め始めると、アロイスが私の名を呼んだ。どうやら威圧が漏れ始めていたらしい。慌てたことで意識がそれて怒りによる威圧は発動しなかった。危ない危ない。
〔セイリア、テオバルトが退室を促している。長旅で疲れているだろう、とな〕
そろそろ特別な料理の効果が出るから部屋に戻れってことだろうか。テオバルトが料理に仕掛けをした張本人で間違いないな、これは。
アロイスは少し眠そうなフリ、私はちょっと体に違和感があって不思議そうなフリをしながら食事を終えて退室する。テオバルトの顔はとても満足そうに見えた。
私は状態異常関連が全く効かないのだけど、アロイスは違う。睡眠の耐性は持っていたはずだが、無効という訳ではないのでそのうち眠気くらいは感じるのではないだろうか。
〔アロイスは薬、効くでしょう?光の魔法で解毒できるかな?〕
〔……そうだな。光魔法なら状態異常の回復も可能なはずだ。部屋に帰ったら頼めるか?〕
使用人に客室まで案内されながら話をする。私とアロイスの部屋は別に用意されているはずなので、一度それぞれの部屋に戻ってからどちらかの部屋に集合すればいいと思っていたのだが、アロイスの意見はそうでなかった。
あのテオバルトなら部屋に何か仕掛ける可能性がある。一人になると何があるかわからないので出来るだけ共に行動するべきだ、と。アロイスが言うならそうなのだろう。私に反対する理由はなく、初めから同じ部屋に入るためにちょっとした芝居を打つことになった。
まず、客室に到着する寸前でアロイスがよろめき、私が驚いて支える。大事な仲間を心配した私はアロイスについて部屋に入る。たったそれだけのことなので、私の鳥頭でも間違えようがない。
前方にそれらしい扉が見えてきた。丁寧かつ繊細な彫細工が施された、品のある扉だ。奥にもう一つ似たような扉があり、二部屋の間には陶器の花瓶が飾ってあった。台の上に花の生けられていない花瓶だけが佇む姿は物寂しいが、高額すぎて花を活けるのがもったいないのかもしれない。
(……ん?なんだろう)
花瓶を見ていたら、何かが私の意識に引っかかった。こういう時は【鑑定】をするものだ、と先ほど学んだばかりなので使ってみたが、おかしなところは見つからない。ただその花瓶が本当に高価なものだと分かっただけだった。
スキルによって出た結果を何度も頭の中で繰り返し、違和感の正体を突き止めようと頭をフル回転させるが分からない。でも気になってそれ以外考えられない。
〔セイリア〕
許容量の少ない私の頭は一つのことに集中した途端、他のことを考えられなくなる。花瓶の違和感について必死に思考を巡らせていた頭の中に、突然アロイスの呼びかけが現れて驚いた。他のことに意識を取られていることに気づいたアロイスは気を使って【伝心】を飛ばしてくれたのだろう。しかし、それは私にとってあまり良い結果をもたらさなかった。
思考に割り込んできた呼びかけに思わずビクッと体が反応してしまい、一瞬の硬直によって足を縺れさせた私は見事にすっ転んだ。
(え、どうしよう。どうしようこれ、どうしよう!)
テンパって動けないでいる私をアロイスが抱え起こした。私を覗き込むように見ている端正な顔は非常に心配そうなものだったが、その目にあるのは「フォローするから何もするな」という意思だ。
……ごめんねアロイス。大人しくしてます。
「顔色が悪いな……旅の疲れが出たのかもしれない。部屋まで運ぶぞ」
首の後ろと膝の裏にアロイスの腕が差し込まれ、軽々と抱え上げられた。アロイスは細く見えるが、ステータス上の能力値が高いので、私程度の重さなら余裕なんだろう。アロイスだけが演技をしても説得力がないので、私も幻を使って顔色を蒼白気味にしておいた。
「お部屋はこちらです、どうぞ」
どこか慌て気味に部屋の前に立ち、自動で開いた扉の先へ促す使用人。やはり先ほど見ていた扉が客室で間違いなかったらしい。アロイスは一つ頷くと私を抱えたまま直ぐ部屋の中に入り、ベッドに向かっていく。そのまま私を寝かせると、扉のあたりで様子を窺っている使用人に振り向いた。
「他人が居ると落ち着かないだろう。彼女は私が看ているので、よく休めるよう人払いを」
「承知いたしました」
扉が閉まり、使用人の姿が見えなくなるとアロイスが呆れを含んだ目をこちらに向ける。非常に申し訳ない、わざとじゃないので許していただきたい。
当初の予定通り魔法を使ってアロイスの解毒をしつつ身を起こす。【伝心】で盗聴されている可能性があるから喋らないようにと伝えられ、無言でうなずいた後頭を下げた。
〔えーと……ごめんね?〕
〔いや、目的は果たせたし問題ない。魔法も効いたな、体が軽くなった。ありがとう〕
怒られなくてほっとした。失敗するはずのない作戦を思いっきり失敗させたのは非常に申し訳なかった。けれどアロイスは気にしていないようで、うっすらと発光した後の体の調子を確かめている。
〔あまり時間はないだろうから、準備をする。手伝ってくれ、セイリア〕
〔うん、わかった〕
何の準備か分からないがアロイスの指示に従う。私に任せられたのは魔術具を見えにくい場所に隠して設置することだった。その魔術具はピンポン玉程度の大きさで、隠そうと思えばどこにでも隠せそうだった。微量だが私の魔力を吸い、一瞬だけぽわっと光る。それをベッドの下やら棚の中やら、兎に角部屋のあちこちに隠しておく。だんだんと隠す場所がなくなってきて、最後の一つはベッド脇の花瓶に生けられた生花の中に突っ込んだ。パッと見じゃ分からないのでよしとする。
〔隠し終わったか?〕
〔うん。これからどうするの?〕
〔君はベッドの上で動けない演技を。私は眠ってしまったように振る舞う。暫くすれば何か仕掛けてくるだろう〕
わざわざ薬を盛ったのだから、それは確実だ。私は静かにベッドに上がって横たわり、アロイスはベッド脇へ、部屋の扉と向かい合う形になるよう椅子を持ってきて座る。眠ったフリをしても、薄目を開ければ誰が入ってきて何をするつもりか確認できるからだろう。入ってきそうなのは一人しか思い当たらないけど。
それから少しの間、私を心配するような声かけをしていたアロイスが、段々と声に力をなくし、眠気に襲われている演技を始めた。
普段から仮面をかぶって感情を隠してばかりのアロイスはそういった演技も得意らしい。背もたれに寄りかかって規則正しい呼吸をしている姿に、もしや本当に眠ってしまったのではと起きあがろうとしたら、金の目が開いて動かないようにと制された。しかし、全く動かず何もしないというのは暇なものである。五分と持たずに飽きてしまった。
〔……暇だね〕
〔…………君は本当に堪え性がないな〕
アロイスから呆れの感情をふんだんに込めた返事が届いた時だった。鳥肌の立つような感覚が近づいてくるのが分かる。
〔アロイス、来たよ〕
〔……あちらも堪え性はないようだな。セイリア、目以外は動かさないように。私が合図するまでは麻痺している演技を続けてくれ〕
〔うん、任せて〕
アロイスの目が閉じられて、深く眠っているようにしか見えなくなる。私は仰向けで真っ直ぐ天井を向き、決して動かないようにと自分に言い聞かせた。
そして、ゆっくりと。部屋の扉が開き、招かれざる客はやってきた。
「薬はよく効いているようだな」
楽しそうなその声に視線を向ける。横目で捉えた悪魔の浮かべる笑みは、以前見たものと変わらず寒気のするような、悪意に満ちたものだった。
10時には間に合わなかった……。
アロイスはセイリアを、いわゆるお姫様抱っこで運びました。
しかし、お姫様抱っこをされたところでセイリアに乙女思考が出てくるはずがないですね、はい。




