86.生家
アロイス視点です
故郷にある生家といえば、懐かしく良い思い出のある場所を思い浮かべる人間が大多数であろう。眼前の見慣れた邸を眺めながら、生きた年月の中でも過ごした時間が最も長いその場所に、全く感慨の浮かばない私は薄情なのだろうか。
私よりも隣にいる親友の方が確実に感情を動かされている。彼女も一時期はこの家で過ごしていたが、それはほんの短い期間。移動は狭い籠の中で見ることが出来る場所も限られていたセイリアからすれば、邸の外観など殆ど覚えもなさそうなものだが、彼女はしきりに頷いている。懐かしい気がする、とでも考えていそうだ。あくまで“気がする”程度のようだが。
〔セイリア、邸に入れば人が居る。気を抜くな〕
〔大丈夫!恥ずかしがり屋の女の子になるから!〕
自分で考えた設定に今更ながら無理があるように思えてきた。元気いっぱいとしか表現できないような笑顔を向けられると不安が募るのは何故か?それは彼女がやる気を出すと大抵物事が道を外れて進みだすからだ。
不安はあるが、行かないという選択肢はない。転移魔法を使って帰郷したのだから既に連絡されているはずで、邸に向かわなければ領主家にかなりの恥をかかせることになってしまう。勇者が帰りたがらない実家とは何事か、と。実際、帰りたくはない。
登録された魔力を感知し開かれた門を潜り、数年ぶりに邸へと続く道を歩む。私に気づいた者達がそれぞれ膝をつく姿を横目に入れながら玄関の前にたどり着けば、既に出迎えに来ていた使用人が笑顔で私の帰還を喜ぶ言葉を発した。
私が勇者となるまでは殆ど見向きもしなかった者が、随分と都合の良い態度をとるものだと思う。
「お帰りなさいませ、アロイス様」
邸に入ればそのような言葉で迎えられる。愛想笑いを浮かべて、言葉は返さない。私の帰る場所はここではないし、私の帰るべき家は存在しない。この家に私の居場所はなく、城に与えられた部屋も仮宿のようなもの。
強いて言うならば、頑張って愛想笑いを浮かべる親友の傍が私の居たい場所であり、帰るところだろうか。
「アロイス様、こちらの方は……」
「私の仲間だ。丁重に扱うように」
「……セイ、です。よろしくお願いします」
小さな声で伏し目がちに、恥ずかしそうに笑う顔を見れば設定どおりの姿であることは間違いないのだが、普段の様子を知っている私からすれば違和感の塊だ。見事にだまされた使用人一同から好意的な目を向けられる彼女に感心しつつ、やればできると胸を張ったセイリアを信じられなかった自分に対して苦笑したくなる。
セイリアなら必ず何かやる、という偏見を持ってしまっているようだ。彼女も努力しているのだから何も起こらないこともあるだろうに。
(私が、それを望んでいるのかもしれないな)
セイリアのしでかしたことに眉間を押さえつつ、解決策を考えて彼女に教えてやる。そんな日々は溜息を吐きながらも楽しかった。今もそうだ。私はどこかでセイリアが何かをやってしまう事を期待していて、彼女が居ることで起こる不測の事態を楽しんでいる。
だが、今回ばかりはそう気楽に構えることが出来そうにない。何せ、ここにはアレが居る。
「帰ったか、アロイス」
「……お久しゅうございます、兄上」
見慣れた従者を連れて、見慣れた笑みを浮かべるテオバルトが歩いてくる。歳を重ねたその面差しは父上によく似たものとなっていた。父上が亡くなったというのに血のつながりを深く感じるその顔は、全く悲しんでいるように見えない。
(……私も似たようなものか)
父上の死を知った時、確かに動揺した。しかしそれは悲しみというよりは驚きが強く、セイリアの死を眼前にした時の方がよっぽど哀情に飲まれていたと思う。最後に見た父は少し痩せて顔色も悪いようだったが、命を落とすようには見えなかったからだろうか。今でも父がこの世を去ったという実感は、ない。
領主が死んだことによって、新たな領主となった男が私の前に立つ。使用人達は皆隅の方で頭を垂れて、この場に立っているのは私とセイリア、テオバルトとその従者であるオイゲンのみとなった。
セイリアへ耳にはめた魔術具に魔力を使うように【伝心】を送る。今から目の前の兄に何を言われるか分かったものではない。セイリアのためにも、端から聞かせないことが重要だ。
「忙しい勇者がまさか、他領の領主のために足を運んでくれるとはな。その身を思って知らせは出さなかったはずだが?」
「友人が知らせてくださいましたから。領地を移ったとはいえ、父の葬儀に駆け付けぬほど冷酷なつもりはありません」
「氷のように冷たい勇者の温かい言葉に感謝する。我が父も喜ぶだろう」
早速嫌味を交えて投げられるテオバルトの言葉を、セイリアに聞かせずに済んだことに安堵した。婉曲的で意味が分からなくとも、声に含まれる悪意を読み取れば怒り出すことが目に見えている。今の彼女が威圧状態に入れば、テオバルトを含め使用人たちまで気を失いかねない。
私の心配など知らぬ馬鹿な男は次は何を言おうか、と考えているであろう嫌らしい笑みを浮かべていたが、その視線は私の後ろのセイリアを見て止まった。一瞬の驚きの後、その顔に浮かんだのは社交的で人好きのするような笑み。予想通りの反応だった。
「アロイス、そちらの女性は誰だ?」
「……私の仲間です。貴族ではありませんし、礼儀も知りませんがご容赦を。失礼にならぬよう、一言も話すなと言い聞かせてあります」
テオバルトの目はセイリアに釘付けになり、動かない。私の後ろでおそらく先ほどと同じように恥じらう素振りを見せながら愛想笑いを浮かべているはずだが、それが決定打になったようだ。テオバルトの表情が明らかに変わった。
現在のセイリアは特殊な美醜の感覚を持っている人間でない限り、誰もが美人だと認める容姿をしている。中身がたとえ鳥人であろうが、鳥頭の規格外な魔物であろうが、見た目だけは幻によって完璧なものに仕上がっているのだ。
テオバルトの紫瞳に浮かぶのは野獣のような欲に満ちた色であり、セイリアを獲物として捉えたことがありありと読み取れる。美しい女性に弱かった父と同じ血が流れているのだから、テオバルトがそのような反応をするのも自然なことと言えた。
この様子なら貴族でないセイリアにも喜んで客室を与えるだろう。そのために容姿を変えさせなかったのだが、少々利きすぎた感が否めない。
〔アロイス!!なんかすごく寒気がする!!〕
届けられた悲鳴のような声。素晴らしい野生の勘だ。とにかくテオバルトを見ないこと、決して一人にならないことの二つの忠告をしておく。
テオバルトは卒業後、直ぐに婚姻を結んでいる。しかし、よからぬことを考えないとも限らない。対策も考えてはいるが、それをセイリアに聞かせる必要はないだろう。生々しい話は彼女の耳に入れたくない。
「兄上、彼女の部屋は私と同じで構いません。客室を一つ貸していただきたいのですが」
葬儀は日が傾きかけた頃から始まる予定であるし、領主に縁深い私は灰を川に返すまで参列することになる。その頃には日も暮れているだろう。このような場合は実家に身を寄せるのが慣例だが、私の部屋は勇者となって国に召し抱えられた時に処分されているため、客室を借りることになる。
通常、男女を同じ部屋に泊めることはないが、セイリアは貴族でない。平民に客室を貸し与えることなど貴族がするはずはないので私の提案は至極当然のものだった。しかしテオバルトは嫌な顔一つせず、逆に優しい笑顔を作って見せる。
「何を言うんだアロイス。客人に窮屈な思いをさせる程、マグナットレリアの領主は度量の狭い男ではないぞ」
人のいい笑みを浮かべているが、セイリアに対する下心からくる好意的な態度だと一目瞭然だ。当の本人に一切聞えておらず、また聞こえていたとして通じることがないのは少々滑稽である。
「葬儀が終わるまでに部屋は整うだろう。それまでは応接の間を使うといい。場所は分かるだろう?」
「ええ。ありがとうございます、兄上」
最後にセイリアに優しく笑いかけていなくなったテオバルトの背中が見えなくなると、背後から小さく息を吐くのが聞こえてくる。振り返れば、愛想笑いを続けているが疲れている様子の顔が見えた。
案内は不要、とその場の使用人たちに告げて二人で邸の中を応接の間に向かって歩く。
〔セイリア、魔術具はもう停止していいが、話すのは【伝心】を使おう〕
〔分かった……〕
随分と覇気のない返事に、次の言葉を送ることを止めて振り返ってしまう。周りを囲んでいた使用人たちも居なくなったからか、セイリアの顔から愛想笑いは消えている。代わりに何とも言えない不愉快そうな顔をしていた。
〔何言ってるか聞いてないけど疲れた……【鳥類の天敵】の効果、すごいよ。近くに居るだけでぞわぞわする〕
〔……応接の間で少し休もう。使用人達が飲み物を用意するはずだ〕
テオバルトに会うことは、私にとってもセイリアにとっても精神的に負荷のかかる事柄だ。精神的な疲労は、休んで回復するしかない。
応接の間に着けば、使用人たちが扉続きの隣室から現れて即座に場を整える。ソファーに腰を下ろし、向かい合った私とセイリアの前には温かな紅茶と菓子が出され、他に用はないと軽く手を振れば静かに退室していく。素晴らしい仕事ぶりで、紅茶の味も申し分ない。けれど少々不満に思ってしまうのは、自分の従者が淹れる自分の好みに合わせられた物を恋しく思っているからだろう。
〔ねえアロイス。お茶を淹れてもらって思い出したんだけど……ヒースクリフはどうしてるの?〕
丁度同じ人物を思い浮かべたらしいセイリアの言葉に、小さく笑みを浮かべながら答えた。
〔城に与えられた私の部屋を整えつつ、私の帰還を待っているだろうな。ここ最近は立て続けに依頼があり、随分と城には戻っていないが〕
〔あ、そっか。アロイスは今お城に部屋があるんだもんね〕
人の入らない部屋は時が経てば経つほど塵がつもり、汚れていく。いつ部屋の主が帰って来ても良いように常に整えておくのが側仕えの仕事だ。ヒースクリフは勇者の旅に付き合える程の戦闘能力は持っていないし、私の唯一の従者。城に置いておくのが当然だが、時折彼の淹れた茶の味が恋しくなる。この葬儀を終えたら一度、ヒースクリフの顔を見に城へ戻るべきだろうか。
(……随分、心配もかけたからな)
セイリアの死後、正直自分がどのように生きていたかさっぱりと思い出せない。セイリアは私を勇者にするために王の元へ行ったのだから、私は勇者にならなくてはならない。私が生きている理由はそれだけだった。その姿を最も近くで見ていたのが側仕えのヒースクリフだ。
おそらく、当時の私は酷い有り様だったのだろう。毎日のように気遣わしそうな視線を送られていたが、そんな従者に意識を向ける余裕すらなかった。セイリアと再会し、随分と落ち着いた今の姿を見せれば彼も安心するかもしれない。
〔セイリア、葬儀を終えたら一度城に戻ろうと思うんだが〕
〔うん、ヒースクリフもアロイスの帰りを待ってそうだしね。その間私はどこで待ってればいいかな?〕
セイリアは自分が城に入れないと思っているからそう言ったのだろう。しかし、待っているという言葉に思い出したくない光景が目に浮かんだ。私を待っていると言った親友が、籠の底でピクリとも動かず倒れていた姿。触れた指先の温度。胸を締め付けられる感覚が蘇り、思わず眉間に力が入る。
セイリアは生き返り、不死鳥となって帰ってきた。以前と変わらず頭は少々弱いし直ぐに混乱する彼女だったが、次に何かあるとしても全て壊してやる、何でも出来ると言い放った姿はとても心強かった。それは他ならぬセイリアだから信用できる言葉であり、他の誰かの言葉であったなら意識にかすりもしなかっただろう。
その言葉に酷く安心したのに、それでもふとした拍子に思い出す。私の中に根深く傷が残っている証拠だ。私はまだ、完全に立ち直ったわけではないらしい。セイリアをどこか遠くで待たせておく、ということが出来そうにない。
〔君は私の仲間なのだから、城にあがって問題ない。王への謁見が許可されない場合は私の部屋に居ればいい〕
〔うん、わかった!〕
それは私がただ思い出したくないことを思い出さないための策だ。しかしそんな事を知らないセイリアは素直に頷いた。彼女は私の言葉を信用しすぎている。もう少し人を疑う事を覚えた方がいいだろうが、私を疑えと言ったところでそれが出来そうに思えない。
親友にそこまで信頼されているのは誇らしい事なのだが、いかんせん相手は何をしでかすか分からない規格外の不死鳥だ。心配の方が上回る。
ふと、先ほど廊下を歩きながら言う予定だったことをまだ伝えていなかったと思い出した。注意事項はしっかり教えておかなければ、何があるか分からない。伝えていても何か起こることがあるのだから尚更。
〔……セイリア、この部屋にはおそらく盗聴のできる魔術具が仕掛けられている〕
「え!?」
だから不自然でない程度に雑談はするが重要な事は話さないように、と注意するより先に驚愕の声をあげられた。勢いよく口を塞いでいるがもう遅い。一度放った声が回収できるなら失言という言葉は存在しない。
「何に驚いたんだ?」
「え?ああ、えっとね……?」
慌てふためいて面白いことになっている顔の親友を上手くフォローしてやれる言葉を探しつつ、私の口元は自然と緩んでいく。我が親友は本当に面白く、共に居ることが楽しくて仕方がない。
戻ってきた日常は、とても心地よく温かかった。これを再び奪おうとする者が現れたなら、排除する手段を選ばないだろうと思う程に。
セイリアの視点だとテオバルトのセリフが一切書けなかったのでアロイス視点でお送りしました。




