85.邸に向かう前に
予約時間を間違えてました。あぶないあぶない。
フィリベルト=マグナットレリア。アロイスの実の父親で、マグナットレリアの領主だった。私をテオバルトと共に買いに来た人間だ。記憶の中の彼はまだ若々しく、今でも四十代に届いたくらいの年齢だと思う。死ぬには若すぎる。病か、事故か、何かしらの原因があるだろう。
知らせを聞いたアロイスは無表情だ。アロイスにとってのフィリベルトは、そこまで悪い父親でなかったという印象がある。父に褒められて嬉しそうな息子の顔をしていたのを思い出し、今のアロイスの心境を想像してみるが、分からない。
……人間の頃に身内を失くしたことはないし、魔物になってからは親兄弟に対する情がそこまで深くない。野生の魔物だから、弱肉強食の世界で生きている。いつ死んでも可笑しくない者達だ。生きていれば嬉しいけれど、死んだと聞いたら少し悲しく思うくらいで、これは人間の情とは違うものだ。だから、私にはアロイスの気持ちを想像できない。
「……私は直ぐにマグナットレリアに発つ。連絡、感謝する」
「こちらこそ、急な依頼を受けてくれたこと誠に感謝しておる。……アロイス、無理はするでないぞ」
ムラマサのいたわるような笑みに見送られて、私たちは高台の転移魔法陣へと向かった。アロイスはずっと無表情で、どうやら本人も自分の気持ちを把握しきれておらず、するべき顏が分からないのだということがなんとなくわかった。
そんなアロイスの背中を軽く叩く。手のように見えるだけで本当は翼だから、音も感触もとても軽いものなのに少し驚いたように私を見るアロイスへ笑いかけた。
「テオバルトを威圧しないように頑張らなきゃ。出来るかな?」
アロイスの気持ちを理解できない私が、慰めの言葉を口にするべきではないと思う。だから空気を軽くするように少し冗談っぽく、そして私も一緒に行くよ、と遠まわしに伝えてみる。
「……耳栓を用意すればいいかもしれないな」
少し不器用に笑って、お返しのように頭を撫でられた。多分、礼の代わりだと思う。鳥状態ではないので気持ち良いとは思わないが、この感触は悪くないと思った。
二人で転移魔法陣を使い、マグナットレリアへ飛ぶ。転移した先は、貴族学園へ向かう時に使ったドーム型の建物だった。美しいステンドグラスから様々な色の光が降り注ぐ場所で、相変わらず綺麗で少し興奮する。
領主が亡くなっただけあって、様々な場所から人がやってくるのだろう。建物の中は結構な人間が居て、荷物を持ち運ぶために慌ただしく出入りしている。貴族は基本的に自分で大きな荷物を持ち歩かないから、下働きの人間が忙しいのだ。
「アロイス様!」
新たな来客に辟易とした顔をしそうになりつつこちらを見た一人が、アロイスの顔を見てパッと表情を明るくした。一人の声で皆がこちらに気づいて、アロイスの名前を呼ぶ。
笑顔を作った勇者が軽く手を上げて応えるだけで、歓喜の声が上がった。アロイスの姿を見られたことを喜ぶ者が大半だが、あのアロイス様が笑っている!?と驚くような声も聞こえてきた。
「……氷の勇者って言われてたもんね」
「表情を取り繕う程の余裕がなかったからな。精々無表情に保つのが限界だったんだ」
私は再会してからのアロイスしか知らないけれど、彼は噂通りの勇者だったんだろう。今愛想笑いを浮かべているだけで感激されるくらいだから、相当のものだ。
私が居ない間に起こったアロイスの変化は、まだ把握しきれていない。テオバルトと口論になったという話もあったから、正直なところ今から領主家に向かうことにも不安がある。
転移の間を出ると、ここからでも見えるような高い位置にある大きい邸とは別の方向に歩き出す。明らかにあれが領主の邸なのだけど、どこに行くつもりなのか。アロイスの背中を追いかけつつ、気になって尋ねた。
「アロイス、どこ行くの?」
「冒険者組合だな。素材の換金をして、必要なものを買う」
本来、ムラマサに挨拶を終えたらあちらの冒険者組合で行う予定だったことだ。話を聞いてすぐこちらに来てしまったから、私たちはまだ巨大蜘蛛の素材を持っている。
アロイスも少しは心に余裕が出てきたのかもしれない。父親の死去を聞いた時はそれしか頭に浮かばず、他のことが抜けていたようだし。私も吃驚して忘れてたけど。
「必要な物って何?葬儀に必要なものがあるの?」
私が思い浮かべる葬儀というのは、お坊さんを呼んで行うお葬式だ。黒の礼服に身を包んで集まり、持っていくのは香典と御念珠である。しかし、ラゴウならともかく、マグナットレリアの葬儀がそうであるとは思えない。
「……葬儀については話したことはなかったな。君の世界の葬儀はどのようなものだ?」
「えっとね、お坊さんっていう人が居て……」
冒険者組合に向かう道すがら、葬儀についての話をする。まずは私が知っている元の世界の葬儀について話した。そうすれば、アロイスがどれほどこちらの世界と違うのかを理解して、私に分かりやすく教えてくれる。
まず、喪服の色は白。アロイスはそのままの服で参列できる。領主の葬儀であるから、マグナットレリアに居るなら平民でも参列が出来る。
土葬と火葬の二種類があり、領主の葬儀なら火葬で間違いないと。聖職者を呼び、儀式を執り行わせる。参列者は躯が焼かれるまで、死者への思いを静かに語らったり涙したりしてその場を動かず、躯が灰となったら葬儀を終了し参列者が去る。親族などの近しいものが灰を水に沈めに行き、墓に装飾品を埋めて完了。
「火葬を行うのは、重要な人物であったり、人々に強く生存を望まれた存在である証だ。貴族は基本的に火葬される」
「そっか……ん?私って火葬されてなかった?魔物だよね?」
「前代未聞だが、国王はそれほどセイリアの死を悲しんだそうだ」
人がいいオクタヴィアンの笑顔を思い出す。物として扱われる魔物の葬式をあげるなんて相当な事だったのではないだろうか。
あの人は私が人間の様に話し、人間の様な感情を持っていることを知らなかった。私は生きている間だけ価値のある宝石だったはずだ。そんな魔物に行うことではないだろうから、かなりの心遣いをされたのだと思う。
「……私からすれば、国王の悲しみなど塵程に軽いものとしか思えなかったが」
アロイスの声が低くなって、私は何も言えなくなった。アロイスにとっては、私は対等な友人で、人間だったから。国王が見ていたセイリアと、アロイスが見ていたセイリアには大きな差があった。それこそ越えられない壁の上と埋まらない溝の底のような、そんな落差があったのだ。
私はカナリーバードとして優遇され過ぎている程に優遇された。けれど、それは人間に対する扱いには程遠い。アロイスだけが私のことを知っていて、アロイスだけが本当の意味で悲しんだのだと思う。十分すぎるほど丁重にセイリアを扱った国王を責めることはできない。けれど、アロイスの感情の矛先はそこしかなかったはずだ。そして、そんな相手に命を懸けて仕えている。……ちょっとくらい歪んでいても可笑しくないと、改めて思った。
冒険者組合に近づくにつれ、あたりには武装をした冒険者たちの姿が増える。そういう者達は、アロイスに尊敬や羨望の眼差しを向けていた。組合の建物に入れば、騒がしかったはずの内部が一瞬でシンと静まり返るほどだ。息を飲んでアロイスを見つめる冒険者たちの中に、デニスとホンザの顔を見つけた。
食事の席で、大きいお肉とお酒を楽しんでいるところだったらしい。中々豪華な食事をしている。
(……ちょっと羽振りがよさそうだから、いい獲物でも捕獲できたのかな?)
そんな二人を眺めていると、目が合った。そして軽く驚いた後、どこか残念そうな顔をされる。勇者が連れている仲間が「セイ」でないことを残念がっているのかもしれない。
今の私は人間の姿だ。アロイスに相談して、人間として可笑しくない容姿になっている。つまり、グラデーションのかかった髪は単一色の青色で、目も人間と変わらない白目のあるもの。色彩的に似ているけれど、別人にしか思えないだろう。似たような色を持っているからこそ、余計に「セイ」を思い出させるだろうし。
「こ、こちらを、換金、ですね」
「ああ、頼む」
少し癖のある栗色の髪を一つにまとめた受付嬢が、緊張のせいか震える手で書類を記入している。男性職員が素材を奥に持っていき、目利きの出来る人間が買い取り価格を決め、それから料金が支払われる形だ。
受付嬢はどこかで見たような気がしていたけれど、鳥人の私を冒険者に登録してくれた人だと思いだした。名前はすっかり忘れてしまって思い出せそうにない。
「こ、こちらがお支払金額になります。よろしければ、サインを……」
書類と共に、アロイスの姿絵が差し出された。アロイスはピクリと瞼を動かしたけれど、笑顔を作って書類と自分の姿絵の両方にサインをし、お金を受け取って振り返る。
アロイスの肩の向こうで姿絵にサインをもらった受付嬢が感動で打ち震えていた。その心境はちょっとだけ理解できる。アイドルのサインをもらったようなものだろう。
アロイス、とってもカッコいい勇者だしね。ついでに笑顔まで見せてくれたらもう、それは嬉しいよね、うんうん。分かるよその気持ち。
「……さて、行こう」
作り笑いで促されて、共に冒険者組合を出た。扉が閉まった瞬間にドッと騒がしくなったのに驚いて思わず振り返る。アロイスの笑顔が引きつりそうだった。
……冒険者組合で一時期アイドルとなったことがある私には、アロイスの気持ちもちょっと分かる。早く離れたいだろうから、足早に目的の店に向かった。
まず初めに、元の世界で言えばビジネスウェアやフォーマルばかりを置いてあるような店で白いワンピースを買って身に着ける。袖のないタイプで、上からボレロを羽織る。挿し色に青の糸で刺繍が施され、綿密なレースなどで飾り付けられた服だ。清楚で派手さはないが、丁寧に作られていて高級品であることは一目で分かる。それを着ただけでどこかのお嬢様みたいになった。馬子にも衣裳とはよくいったものである。靴については店で見たものを参考に、幻で作ることになった。
次に日用雑貨の店で魔術具の耳栓を買う。アロイスはいくつかの魔術具と、少なくなっていた薬の類を購入。あとは心を決めて領主の邸に向かうだけだ。
「……セイリア、絶対に耳栓を外さないように。必要な事があれば【伝心】で話すから、君もそうしてくれ」
「うん、分かった」
今から私は勇者アロイスを支える冒険者の「セイ」で、人見知りが激しく恥ずかしがり屋、他人を前にすると言葉が出ない大人しい女の子。という設定らしいのだけど、出来るだろうか。とりあえず愛想笑いを振りまいてればどうにかなるかな。
アロイスの金の目が心配そうに私を見た。私は任せろ、という意味で胸を張って笑ったのだが、アロイスは更に不安そうな顔になってしまった。
私だってやればできるのに。…………多分。
次回は久々にテオバルトと対面です。どうなることやら。
実は、デニスとホンザはアイドルグッズを作ってもうけました。




