84.魔物の恋
長めです
現在私とアロイスは村の依頼を受け、鬱蒼として昼間でも薄暗いような山の中を歩いている。一山越えた先の洞穴に件の魔物は住んでいると言う話だったが、私は魔物よりも村人たちの態度に心を波立たせられていた。
「……もやっとする。凄くモヤモヤする」
「落ち着けセイリア。苛立ちを地面にぶつけて強く踏みつけないように。抉れるからな」
「そこまではないよ。……でも、あの態度はないと思う」
閉鎖的な村というのは、よそ者を嫌う。共同体の中に異物が入り込むことに過剰に反応するもの。勇者に魔物の討伐を請うたはずのその村は、非常に余所余所しく、そして何かを隠すような、後ろめたいものがあるような空気があった。それだけなら私が気にすることもないのだが。
「早く退治してくだされ。今年は生贄を出したから、奴も油断しているはず。頼みましたよ、勇者様。こちらは御礼金を積んでいるんですからね。失敗なんてしないでくださいよ」
その様な村長の言葉に見送られて村を出たことを思い出し、喉に小骨がつっかえたような気分で歩く。
深く感謝しろ、平伏しろとは言わないけれど、危険な魔物に向かっていく相手にとる態度ではないと思う。通常の人間なら敵わない化け物退治を引き受けてくれるのは勇者くらいのものだし、私が居るから命の危険は少ないと言っても、本来なら命がけの討伐だ。それを金は出したからさっさとやってこい、村に居残らないでくれ早く出ていけ、みたいな態度を取られたら……ああ、もやっとする。
「……まあ、あのような態度を取られると私の心臓にも悪いな。君が威圧を放つのではないかと内心気が気でなかったな」
「イラッとするまではなかったから……生贄を出し続けて精神的に疲れてるのかもしれないし」
誰かが死ななければ、全員が被害を被る。誰かが犠牲にならなくてはいけない。何年も何年もそのような状況に置かれていれば、心が摩耗するのは当たり前だと思う。だから怒れないけれど、スッキリもしない。胸にわだかまりが残るのだ。
「……それに、イライラしたとしてあの村長に威圧が効くかわかんないし」
私の威圧が通じた人間は今のところ、アロイスと変態調教師、それからデニスとホンザの四人である。魔物相手には相変わらず威圧がまき散らされているから、人間に効く条件が何かあると思うのだけど。
その話をすれば、アロイスは少し考えるそぶりを見せた後「おそらく効くだろうな」と呟いた。
「え?なんで?」
「その姿だからだ。君の放つ威圧は、君を同じ生き物としてとらえている相手に通じるものだと思う」
アロイスの推測はこうだ。カナリーバードであった時、私のことを“生きた宝石”という名の“物”として見ている貴族には威圧を放っても通じず、私の中身を知り人間として見ていたアロイスや、特殊な性癖で対等な存在として見ていた調教師には効果があった。魔物は魔物同士なので言わずもがな。
そして亜人の姿を得て、人間に化けることもできるようになった今。人間相手にも無差別発動できるようになっているはずだ、と。
「……アロイス。私、すごく大変なことに気づいちゃったんだけど」
「なんだ?」
「もしテオバルトに会ったら、出ちゃうと思うの。威圧」
私はテオバルトが大嫌いである。アロイスに対して全力で嫌味を言い放つあの子供が口を開けば、苛立つこと間違いなし。テオバルトでなくても、アロイスを見下すような態度をとる貴族に会えばやってしまうと思う。自慢できることではないが、そういう自信がある。
「あの場所に帰る予定はないし、出来るだけ避けるが……対策も考えておこう。貴族相手に不敬だと判断されれば、君はもうその姿を使えなくなるからな」
逃亡して指名手配されることがあっても、魔法で姿を変えれば捕まることはないだろう。しかし、この姿には随分馴染んだし、別の姿を考えるのは大変だ。そんなことにならないのが一番である。触らぬ神に祟りなし、出会わぬテオバルトに威圧なしである。避けて通るのが一番だ。
高いステータスの恩恵があるからか、山を登るのは苦ではなかった。アロイスもそうらしく、傾斜の激しい山をすいすいと登っていく。やがて頂上に着き、その向こう側の景色が見えるようになった。隣の山の麓に大きな穴が開いている。そこに魔物が住んでいたに違いない。けれど。
「……アロイス。討伐対象の魔物はいないみたい」
「……そうだろうな」
その洞穴には確かに、魔物が住んでいた。それも巨大な蜘蛛だ。紫と緑の毒々しい色を持ち、そんなに高くないとはいえ、山の天辺からはっきりその姿が見えるくらいにはでかい。そんな蜘蛛はぺしゃんこに潰されていた。
それをやったであろう存在は強大で、何でこんなところに居るのか分からないものだった。全身を黒いうろこに覆われ、巨大な爪と牙を持ち、背中には立派な翼がある。
「……龍」
見た事がなくても分かる種族。龍は蜘蛛の死骸の傍に寝そべっていた。私たちの気配に気づいたのかそれの紅色の目がこちらをとらえて、スッと細くなる。
〔面白いものが居るな。降りて来い〕
頭の中に響く重たい声。【伝心】とは何かが違うので別の能力だと思う。どうしようかな、とアロイスと顔を見合わせる。彼にも声は聞こえていたようで、軽く頷いてみせた。……行こう、ってことだね。
下手に反抗して戦闘に入る気は、私にもアロイスにもない。大人しく私たちを待っている黒龍の元へ向かうことにした。
―――――
私たちが足元に到着するなり、黒龍は変形して小型になった。とはいっても大の大人の三、四倍は平気でありそうな大きさだが。見上げて黒い鱗の体しか見えない状態よりは随分と顔が見えるようになった。
どうやら私に興味津々であるらしく、上からジロジロと見られている。あまり見られると恥ずかしいといいますか、むずかゆいのでやめていただきたい。
「ふむ、実に面白いな。それはどうなっているのだ?お前本来の姿ではあるまい」
「これは【変身】のスキルと魔法の重ね掛けをしてて……」
「【変身】……【変形】ではないのか。そのスキルはどうやって手に入れたのだ」
質問攻めにあいながら話を聞いていると、この黒龍はどうやら人間になりたいらしい。人間になりたいというか、人間の姿になりたい。完全に人でなくてもいいから、人に近いもの、最低ラインとしては人と同じくらいの大きさのものに変化したい。
だから、本来の姿ではなく人間の姿をしている私に興味があって説明を求めてくる。しかし私は頭が良くないので、丁寧に説明するのが難しい。アロイスに手助けをされつつ黒龍に自分の説明をした。
「むぅ……その【変身】とやらは、一度死なねば得られぬのか。その方法を取ることができるのは不死鳥であるお前だけだろう。我には不可能だな」
私の話を聞いてすっかり落ち込んだ黒龍は、グルルと唸りながらため息を吐くという器用なことをしている。
……私も人間になりたい、と思っていたことはあったけれど、それはアロイスの傍に居たかったからだ。今は人の姿を幻で作ることができるので、これ以上人間に近づきたいとは思わない。
この龍は何故人間になろうとしているのだろうか。なんとなく、近くにあるもう一つの気配が理由のような気がしつつ尋ねた。
「なんで人間になりたいの?」
「む……ううむ、それはだな……」
口ごもった黒龍は、ちらりと気配がある方に目を向けた後こっそり教えてくれた。
触れてみたい人間がいるのだけれど、鋭い爪で傷つけてしまいそうで触れられない。人間は脆くて壊してしまいそうだから、同じ人間になればそんな心配はしなくていいのではないか、と。そう思って人間になる方法を探していると言われた。
好きだとは一言も口にしていないが、どう考えても人間のことを愛してしまったとしか思えない台詞だった。驚きすぎて言葉が出ない。ドラゴンが人間に惚れるなんて、いったい何があったらそんなことになるのだろう。
「これでも努力したのだぞ……わが身をここまで縮めるのは本当に苦労するのだ。それでもまだあの人間に触れられぬ。本当に小さくて、脆弱な生き物だ」
そう言いながらも黒龍の声は優しくて、愛情に満ちていて、じんわりと心が温かくなった。応援してあげたいけれど、私は彼を人間にする方法を知らない。アロイスなら何か思いつくかと思ってそちらを見たが、彼は真剣な顔で何かを考えていて、声を掛けるのは憚られた。
「……ごめんね、私じゃ龍が人間になる方法が思い付かないよ」
「であろうな。見たところ、お前はかなり若い。この世のことなど殆ど知らんだろう」
黒龍はそう言って、諦めたようにため息を吐いた。しかし私は年齢のことでふと思いついた存在がある。とても長生きで、寿命がなくて、この国をずっと見てきたという魔物だ。先日会ったばかりの彼女はとても物知りであるようだったし、この龍が知りたいことのヒントくらいは持っているかもしれない。
「ものすっごく長生きだと思う魔物を知ってるけど、興味ある?」
「……ほう?」
ちょっと元気になった黒龍にこの領に存在している守護神について教えると、どことなく機嫌が良さそうな顔になった。ドラゴンの表情はよくわからないけれど、尻尾がゆらゆらと元気に動き出したので多分あっていると思う。表情はよくわからないけど、体に感情が現れるタイプなのだろう。分かりやすい。
「ふむ、良い情報を聞いた。礼になるか分からんが、人間はああいうものを喜ぶだろう?好きなだけ持っていけ」
「あ、いいの?ありがとう」
黒龍が持っていけと尻尾で指し示したのはひしゃげた蜘蛛の魔物である。今回の討伐対象だったそれは、私たちに必要なものだ。
討伐したのは私たちではなくて黒龍だけれど、そんなことをわざわざ報告する必要はない。報告したところで信じてもらえないだろうし、魔物がもう居ないことが伝わればそれでよし。
…………アロイス、私に会ってから魔物の討伐が出来てないよね。私が居ると間が悪くなるんだろうか。まあそれはともかく、素材の回収を行う。
蜘蛛の爪やら毒の袋といったものを剥ぎ取る。女性なら気持ち悪がるべきかもしれないが、残念ながら鳥である私は全く持って平気であった。むしろこれだけ大きいと何日分の食料になるんだろうとか考えてしまうので、色々と駄目だと思う。でも不味そうだよね、紫と緑って。
「……セイリア、今何を考えた?」
「んー……食べごたえはあるだろうけどあんまり美味しくなさそうだなって」
アロイスが何とも言えない嫌そうな顔をした。私だって美味しい人間のご飯は好きだが、でも魔物の味も時々懐かしいなと思うのだ。素朴な味わいというか、野性味あふれる味というか。人間には説明できない味である。
そのような話をしつつ素材の収集を終え、素材を入れるための大きな袋につめる。特殊な魔法が掛かっていて頑丈であり、爪やらなにやらが当たっても破れない優れものだ。それをアロイスが軽く背負い、黒龍に向き直る。
「では、ありがたく頂いていく」
「ありがとね」
「……礼には及ばん。我はたまたま、害虫を踏みつぶしただけだ。不味そうで食う気にもならんしな」
その不味そうな魔物を食べ物に換算した私が魔物の中でもちょっと変わっているのかもしれない、という現実を突きつけられつつ、黒龍に手を振って背を向けた。私たちが歩き出して暫くして、隠れていたもう一つの気配が黒龍に駆け寄るのに気づき軽く振り返る。
ラゴウ領は日本に似ている場所だ。領民の髪や目の色は黒から焦げ茶系の、色素の濃いものばかりである。違う色を持っているのは他領の者か、混血の者。だから、黒龍の元に駆けつけた少女の白い髪は非常に珍しく見えた。和服だから、ラゴウの民で間違いないんだけど。
(……龍の好きな人間ってあの子かな)
それならあまりジロジロと見るのも悪い気がして、視線を前に戻す。帰るためにはもう一度山を越えなければならず、どう考えても一晩は野宿することになるだろう。布団やベッドのない自然の中で休むのは、魔物である私にとってはどうということはない。しかし人間で、しかも貴族の生活をしていたアロイスには負担だろうからあまり野宿は好ましくない。
「アロイス。私が不死鳥になって、アロイスを乗せて頂上まで飛ぶっていうのはどうかな?」
「……ん?ああ、すまない、聞いていなかった」
珍しいことで、ちょっと驚いた。黒龍の話を聞いてから、アロイスはなんだかずっと考え事をしているようだ。何かとても気になることがあったんだろうけど、何を気にしているんだろうか。尋ねてみようかと思ったが、私が言葉を発するより先にアロイスがぽつりと言った。
「……龍……魔物でも、人間に恋情を持つことがあるんだな」
「うん、吃驚したね。本人……本龍?は認めてないみたいだけど」
人間と龍。その恋愛は、とても上手く行くとは思えない。種族が違い過ぎるし、考えも、感じるものも、全く違うと思う。絶対に大変だと思うけど、黒龍のことはちょっと応援してあげたくなった。
好きな人に触れてみたいから同じくらいの姿になりたい、なんて健気で可愛いし、それをいかつい姿の龍がこそこそ(おそらく好きな人間に聞こえないように)言っているのが初々しく微笑ましかった。応援したくもなるだろう、これは。
「……その逆も、あり得るんだろうか」
「龍が人に恋するなら、人が龍に恋することもあるんじゃない……かな?」
難しそうだけれども、あり得なくはないと思う。あの黒龍は人間の言葉を話していた。会話ができて、お互いのことを知っていくことが出来るなら、特別な情が湧く可能性もゼロではないと思う。限りなく低い確率かもしれないけれど。
あの少女が黒龍の気持ちと同じ物を持ってくれればいいのにな、という私のとてつもない勝手な望みからでた結論を聞いたアロイスは、どこか困ったような顔になった。
「……そうか、あり得るのか」
アロイスは小さくそう呟いて、それからもずっと何かを考え込んでいた。そんな状態なので、歩みが早くなる訳もなく。山中で一晩を明かすことになった。
翌日、考え事は終わったのかスッキリした顔のアロイスと共に下山し、依頼主の村で討伐証明を行った。退治が終わったなら早く出ていけという態度の村長に苛立ちかけて軽く威圧してしまったけれど、それ以外は何の問題もなく村を出る。長居するつもりは毛頭ないよ、うん。
私たちに依頼を持ってきたムラマサにも挨拶をするべく彼の居城に戻ったら、なんだかとても慌ただしかった。
「……何があったんだろうね?」
「分からないが……ムラマサも忙しい様なら、顔だけ見せて直ぐに出るべきだな」
そんな話をした時だ。アロイスの名を呼ぶムラマサの声が聞こえてきた。
「アロイス、早い帰還で良かった。実はのう、昨夜急な知らせが入ってな……」
真剣な顔で、そしてどこか言い辛そうな様子のムラマサ。アロイスを気遣うようにも見えて、一体何があったのかと私も不安になる。
アロイスが先を促し、一呼吸置いたムラマサから告げられたのは、予想外の出来事だった。
「マグナットレリアの当主が逝去された。急いで駆け付けた方がよいのではないか、アロイス」
一話に詰め込み過ぎた気がします。もうちょっと丁寧に書いてもよかったかな、と思いつつ。時間がないので書き直しは……できませんね。
二日に一度くらいの更新頻度にして丁寧に書くのもあり…かな。




