81.守護神
まずは状況把握である。私は現在、アロイスよりも大分高いところに頭がある。鶴や白鳥のように首が長く、人間の倍は背の高い怪鳥になってしまったようだ。色は相変わらずの青系統だが、気のせいでなければ淡く光を纏っている。
アロイスによれば、私は一度カナリーバードの姿に戻り、それからこの姿に変化した。着ていたものは全て地面に落ちているが、傷んだり破れたりはしていない。ただ、人の形を保ったまま落ちている着物は少々ホラーだと思う。それを着ていた人間はどうなったんだ、みたいな。
「……君のその姿は、不死鳥なのか?」
「多分。不死鳥に進化しました、って言われたから」
「突然進化した原因は……この鳥居を越えたことくらいしか思いつかないな。結界のようなものを通った気はしたが」
アロイスがいつものように唇をなぞりつつ鳥居を見つめながら考える。彼の言うとおり、確かに何かを通り抜けて全部はがされたような感覚があった。剥がされたのは私にかかっていた魔法やスキルで、本来の姿に一度戻り、それから進化したと。でも、原因は分からない。
「……セイリア、鳥居のあちらとこちらでは隔たりがあるようだ。少なくとも、今は本当に」
「え?」
言われて鳥居の向こうへと目を向ける。しかし、そこには普通に道があり、遠くには店も見えるし、アロイスがそんなことを言う理由が分からなくて首を傾げた。分からなくて訊いてみると、アロイスが指を差す。その先には地面しかないので、やっぱり分からない。
「席がない。今日は婚儀で、こちらにくるまでは席が作られていただろう?」
「あ、ほんとだ」
左右に分かれて作られていた、真っ赤な毛氈に包まれた席がない。あれほど目立つ色のものが見えないのは可笑しい。今見えている景色は、あるようでないものなのだろう。と、いうことは。向こうからもこちらが見えないに違いない。ムラマサとピーアの儀式のときは、何の変わりもなかったんだけどな。
「……助かったな。今の君は見られたらかなり目立つ」
「大きいからね、すごく」
もしかして、私を呼んでいる神という人が見えないように配慮をしてくれたのだろうか。なんて考えていたら、それが聞こえてきた。
『聞こえますか、光の者。こちらに来てください』
頭の中に、明瞭な声が響く。どちらから声を掛けられているのかもはっきり分かってそちらに顔を向けると、それに気づいたアロイスが顔を上げた。
「声か?」
「うん。行かなきゃ」
「……その前に、姿を変えないか?カナリーバードの姿になれば移動しやすいと思うんだが」
アロイスの言葉で【変身】を使ってみた。すんなりと体は縮み、カナリーバードの形へと変わる。ここに入る時に剥がされただけで、魔法やスキルを使う事自体は問題なさそうだ。
私が姿を変えると、アロイスが落ちている着物や足袋を集め、軽く畳んで柔らかそうな草の上に置いた。【仲間の指輪】だけは持ってきて、私の足にはめる。
「……肩に乗っていい?」
「ああ。最初からそのつもりでいた」
少年の頃とは違い、広い肩に飛び乗る。アロイスは私の案内にしたがって歩きはじめ、それは何だか魔物を探して森を探索していた頃を思い出させ、懐かしくなった。あの時から随分と身の回りが変化した。
……今じゃアロイスは勇者で、私は不死鳥だ。人生、いや鳥生なにがあるか分かったものではない。
「アロイス、ここを左だよ」
「……道は反対に伸びているんだが」
「でもこっちから呼ばれてる気がする」
声は定期的にこちらですよ、と呼びかけてくる。耳に聞こえているわけじゃないのに方向が分かるのは妙な気分だ。声が聞こえているのは私だけなので、アロイスは私が言う方に足を向ける。どんどん道を外れていき、辺りはすっかり木々に囲まれ、霧まで出てきて周りが見えなくなっていく。
「……セイリア、少々不安なんだが」
「もうちょっとなの。声が凄く近いから……あ」
アロイスが一歩踏み出した途端に霧が晴れた。そこは青々と生い茂る木に囲まれた空間で、今までと空気が全く違う場所だった。その空気を作っているのは、その場に座して私達を見つめている九つの尾を持った狐だろう。アロイスよりも少し背の高く、その体は向こう側の景色が薄らと見えていて、実体があるのかどうか良く分からない。目を引く姿なのに、霞のような気配しかない不思議な狐だった。
「ようこそ、光の者。そして、光に愛された者」
優しい声でそういった狐は柔らかく笑って見せた。私以外の魔物が人間のような表情をして、人間の言葉ですらすらと喋っているのを初めて見て、驚いた。勝手に親近感が湧いてくる。……私以外にも、喋れる魔物がいたんだね。
「我が名はサクヤ。突然お呼びして申し訳ありません。少々、お話がしたかったもので」
サクヤはそういった後、辺りを軽く見回した。そしてコテンとかわいらしく首を傾げる。魔物だし、透けているけれどその姿はもふもふの白い狐だ。そういう動作はとても愛らしく見えて、ついつい見つめてしまう。
「ラーファエルは置いてきたのですか?」
「え?なんでラーファエル?」
何故ここで魔王の名前が出てくるのか分からなかった。アロイスが名前の主が分からないという顔をしていたので魔王の名前であることを説明すれば、怪訝そうな顔をする。何で魔王の名前がでてくるんだ、と私と同じことを思った様だ。
サクヤは私たちの様子を見ながら、本当に私たちがラーファエルを連れていないことが分かったらしい。もう一度首を傾げて「おかしいですね」と呟いている。
「確かに彼の魔力を感じたのですけど……まだ、入り口付近に感じますね。でも彼にしては小さいでしょうか」
「小さい……あ、もしかしてあれかな。ラーファエルにもらった魔術具」
ラーファエルに連絡できる小さな箱は、いつ危険な目にあうか分かったものではないし、いざという時のために常にカバンに入れて持ち歩いている。今回は着物の裾に入れていたので、すっかり忘れて置いてきてしまった。サクヤはその魔術具のことを言っているのだろう。説明すれば納得してくれた。納得しなかったのはアロイスの方である。
「……そんなものがあるという話は聞いてないんだが」
「あれ、してなかったっけ……?」
そういえば魔王に会った後、アロイスに会うための手助けをしてもらったことやご飯が美味しかったことは話したけれど、箱のことは言っていなかったかもしれない。アロイスが眉間を押さえてため息を吐いた。
「そんなものは捨てた方がいい」
「でも、魔王にもらったんだよ?それを捨てちゃうのはちょっと……」
「持ち歩くのもどうかと思うんだが」
ラーファエルはそんなに悪い人じゃないと思う。と説明したが私は直ぐ騙されそうなので信用できないと言われてしまった。そういえば、この前もそのように言われた。そして私はアロイスの言葉に納得するしかなくて、ちょっとへこむ。
そんな私たちのやりとりを見ていたサクヤはクスクスと笑った。
「とても仲がいいのですね。魔物と人で……良いことです。珍しいですけれど」
サクヤの言葉に、私が驚いた。人間と魔物で親しい間柄であることを初めて「良いこと」だと言われたからだ。今までずっと変だと思われ、実際に言われてきたことを普通に認められた。否定されないことが少し嬉しい。間違っていない、と言われた気さえした。
「……光の者。貴女にお願いがあります。私の話を聞いて頂けますか?」
サクヤがおもむろに話を切り出す。目を細めてじっと見つめられた。頷いて答えれば、笑ってお礼を言われる。……なんだか、人間と話しているみたいだ。
「私は長い間、守護神となってこの国を見守って来ました。属性を失くし、神の意志を聞き、国を守る。それが私の役目でした」
サクヤは気が遠くなるほどの時を生き、国の流れを見守り、国が壊れないように調整する役目を持っているのだとか。その手段の一つがムラマサのような巫子を作ることだったり、眷属である魔物達を使って生態系のバランスを整えたりすることなのだそうだ。サクヤには世界の流れが見えていて、滅びに向かいそうになると手を加える。そういうことをずっとやってきたらしい。
「私の役目は終わりません。次代を見つけるまでは」
サクヤの藤色の目が私を捉えた。それはとても真剣で、そして澄み切った綺麗な目だった。サクヤが何を求めているのか、よくわからない。言葉だけを聞くと次代を探しているように思えるのだが、その目を見ていると少し違う気がする。
「私に継いでほしいの?」
そうではないような気がしつつも、分からないので尋ねてみる。視界の端でアロイスが己の剣に手を掛けるのが見えて少し焦った。しかし、サクヤが首を振ったことでその手が止まる。
「……私はこの役目を誇りに思っていますし、終わりたいとは思っていないのです。ただ、その……寿命がありませんから、友が皆、先に逝ってしまうのです」
それはとても寂しそうな声で、彼女が何度も大切な誰かに置いて逝かれたのだという事実を訴えてくるものだった。すぐ傍で息を飲む声がして、親友の横顔に視線を向ける。アロイスにはサクヤの気持ちが、分かるのだろう。私が一度、彼を置いて消えてしまったから。
「……けれど、貴女は私と同じ、寿命のない者です。ですから……よかったら、私と友人になってもらえないかと……こんなことでお呼びたてしてしまい、申し訳ないのですけど……」
「もちろん、いいよ。友達になろう。……あ、私の名前はセイリアだよ」
恥じらうように前足で軽く顔を掻く動作は可愛い。そんな風に友達になって欲しいと言われたら、断れるはずがない。今の姿で笑顔を浮かべることはできないが、笑ったようなつもりで承諾すれば嬉しそうに礼を言われた。
遅まきながら自己紹介をしつつ、可愛い友達が出来たなと浮かれる私の耳に、アロイスの小さな呟きが聞こえてくる。
「……のけ者にされたような気分だ」
「あ、じゃあアロイスも友達に……」
そこまで言ってふと気づいた。アロイスは、人間だ。私と違って、アロイスには寿命がある。サクヤの望む、寿命のない友にはなれない。そして、サクヤと同じである私を置いていつか死んでしまう。私は寿命のあるカナリーバードではなく、死ぬことのない不死鳥になってしまったのだから、アロイスが居なくなった後も永遠に生き続ける。
それは、想像が出来ない未来だった。先の言葉を紡げないでいる私の考えは、アロイスには分かってしまったらしい。金の目が、何とも言えない悲し気な色を浮かべて揺らいだ。
「そちらの、光に愛された者も友となってくれるのですか?」
サクヤの嬉しそうな声でハッと我に返る。彼女が喜んでいるところに水を差すようで悪いのだけど、アロイスは人間だ。彼女が望む友人にはなれないのだ、と遠まわしに伝えようとしたら、何故かとてもきょとんとした顔をされた。
「セイリアは不死鳥なのですから、彼を眷属にしてしまえばいいではありませんか」
「……はい?」
それはつまり、どういうことですか?
セイリアはアロイスとの寿命差について考えたことがありませんでした。
基本的に、自分が置いて逝く側だったせいですね。そして自分が死ななくなったから、ずっと一緒にいられる!と思ってしまってました。




