80.呼び声
更新再開です。長め
ラゴウ領主家の婚儀は神前式に近い。それぞれ花嫁と花婿を乗せた二つの輿が城から出発し、町の中をぐるりと一周した後、神に挨拶するべく鳥居を潜って山中の社に向かう。神の前で誓って夫婦となり、これから先の苦難を共に乗りこえていく、という意味を持つらしい。
神に挨拶する際に通る鳥居は、どこに居ても見えそうなほど巨大なものだ。これが立っているのは神が降りるとされている山の前で、鳥居の向こう側は神の領域であり、特別な儀式がない限り鳥居を越える事は許されないものなのだとか。
私とアロイスはそんな鳥居の付近に用意された席に着き、町を巡った輿が到着するのを待っている。一段しかない雛壇のような、赤い毛氈につつまれた高台の席だ。鳥居までの道を作るように真ん中を広く開けて左右に分かれて作られている。他領の者には小さな腰掛が用意されているが、ラゴウ領の者たちは正座である。あのまま一時間以上も待っているのだから足が痺れてたまらないと思うのだけど、彼らの表情は穏やかで、嬉しそうなものだ。辛くないんだろうか、と不思議に思う。
アロイスは勇者の白い衣装に派手さはない銀の防具と、剣を脇に置いて座っている。私はといえばなんとか正体がばれることもなく、髪色に合わせて青系統の着物を着せてもらい、おなかを圧迫されながらおとなしくアロイスの隣に居る。慣れないと着物はちょっと苦しいけど、持ち物を袖に入れておけば手に持つ必要がないのは便利だと思う。今は銭入れと、もしものためにラーファエルから貰った箱を袖に忍ばせている。
道を挟んだ向かい側の席にはドミニクとソフィーア夫妻の姿もあった。微笑み合いながら話している姿が見慣れない。私が知っているのは熱烈アピールするドミニクをソフィーアが冷たくあしらう姿である。お互いをじっと見つめながら幸せそうに語らう姿はちょっと、あの、なんというか。本当に何があったんだろう。人間の心が分からないよ、元人間なのに。
そんなことを考えている間も、例の声は聞こえている。今朝から時間が経つにつれて良く聞こえるようになってきて、今が一番大きい。
「また聞こえるのか?」
「うん。呼ばれてるのは分かるようになったんだけど」
声は大きくなったのにハッキリとせず、何かに阻まれて上手く伝わってこない。私を呼んでいるのは確かなんだけど。なんとなく、アロイスも一緒でいいからおいで、という内容な気がする。でもどこに向かえばいいのか、誰が呼んでいるのか、よくわからない。
「あ、でも危ないものじゃないと思うから、そんなに気を張らなくて大丈夫だよ」
アロイスは昨夜からどこか緊張した様子で、あまり休んでいない。聞える声に悪意は感じず、どこか親しみすら籠っているように思えて全く警戒できない私とは大違いだ。
「……君は危機感が足りない」
あきれたような呟きが聞こえてきた。私はアロイスが心配性なんだと思うんだけどな。
婚儀の輿が見えるまでしばし、アロイスと言葉を交わして時間を潰す。その間も声は聞こえていたが、何を言っているのか結局わからないままだった。
「お、来た」
「……よく見えるな。私には全く見えないのに」
アロイスは私の視線の先を軽く目を細めながら見ているが、全く見えないらしい。人間の視力の限界では捉えられない距離だと思う。
私の目はとても高性能である。夜でも月明かりがあればよく見えるし、見ようと思ったら真後ろまで見えることにも気づいた。鳥の目だから、と思っていたけどここまで来ると流石に違う気がする。視野の広い鳥でも真後ろは見えないはずだし、第三の目でも開眼したかな?
白く輝く輿は並んでこちらへ向かってくる。輿から垂れる幕の間から、狩衣らしき装束のムラマサ、白無垢を着たピーアの姿がちらりと覗く。二人は聳え立つ鳥居を見ているのか、その向こうの山を見ているのか。到着するまで真っ直ぐ前を向いて目をそらすことはなかった。
(綺麗だなー……)
衣装というのは人の見せ方を変えるものだと思う。装束姿のムラマサはそれはそれは凛々しい花婿で、白無垢を着たピーアはとても美しい花嫁だった。
輿は鳥居の前でゆっくりと地面に降ろされる。そろりそろりと地面に降り立った二人は、並び立って鳥居の前で一度立ち止まり、左右に分かれている席にむかってそれぞれ一礼し、入れ替わって反対側にもう一礼。その間、決して鳥居に背中を向けることはない。あの格好で礼をするのは大変だろうと思うのだけど、二人の動きはとても滑らかで美しかった。
私達を含む招待された者は見送り人であり、神のもとへ向かう二人の姿を見届けるのが役目である。この場から動かず、二人が挨拶に行って帰ってくるまで待っている。それで儀式を終えて、あとは祝いの席に着き、お祝いをして帰るだけ。そのはずだった。
儀式自体は無事に終わり、辺りは一面お祝いモード。招待された人々はそれぞれ新たな夫婦に言葉を掛けにいく。私たちは共に二人の元へ行き、アロイスが喜びのこもった声で祝いの言葉を述べたのだが、ムラマサは真剣な顔をしてアロイス、そして私を見た。
「……神からも祝いの言葉を貰うてのう。その後、そなたら二人を呼ぶように申し付けられた」
ムラマサの言葉にアロイスが目を見開き、私は納得した。自分を呼んでいたのは、鳥居の向こうに居る何かであったと確信を持つ。あの鳥居の向こう側とこちら側はなんらかの力で阻まれた別世界なのだろう。だから声が上手く届かないのだ。
「アロイス、行こう」
「……今は人目が多い。行くならば、皆の視線がない時だ」
「あ、そっか」
今すぐ行きたい気持ちになっていたのだけど、流石に目立ちすぎる。ムラマサも私たちに早く行ってほしいようで、早々に城に戻り宴を開くから皆の視線が無くなった後すぐ向かうよう言われた。
城に向かう行列の最後尾につき、徐々に集団から離れていく。アロイスは何も言わず、表情も浮かべず、何かを考えている。その金の瞳に不安のようなものが見えるのは、きっと私だけだろう。
「アロイス、大丈夫。悪いものじゃないよ」
「……何故そう言い切れる?神であるかもどうかも分からない、正体不明のものが相手だぞ」
その声は低く、お世辞にも機嫌が良いとは言えない。警戒や不安といったものが入り混じっている。アロイスは声を聞いたわけでもないし、姿が見えないものに招かれることを不気味に思うのはよくわかる。私が全く気にしていないほうが、きっと変なのだとは思うけど。
「野生の勘っていうのかな……悪意とか敵意とか、そういうのは全然ないの。私の勘は信用してくれていいよ!テオバルトが来るのは百発百中で当てたくらいだし?」
場を和ませようと発言してみる。アロイスは少しきょとんとした後、私の目を見て頷いた。
「……君の勘なら説得力はあるな。考えなら信用ならないが」
「ヒドイ!」
「冗談だ」
九割くらい本気の冗談じゃないだろうか、それ。でもアロイスの言葉は尤もなので言い返せない。自分の頭が弱いことはちゃんと自覚しているからね、私。自分だけで考えて行動すると碌なことにならないだろう予想くらいはできる。
「私は気を張りすぎていたな。ありがとう、セイリア」
少し肩の力が抜けた様子で小さく笑い、するりと剣の柄を撫でるアロイス。その顔からマイナスな感情は消えているのだけど、何故だろう。何かあればこの国で神と崇められている者だろうと叩き斬ればいい、みたいなことを考えている気がする。凄く気のせいだと思いたい。
「……何か物騒なこと考えてない?」
「…………全て穏便に済むならそれが一番いいとは思っている」
穏便に済まない時は仕方ないってことですね、分かります。私の勘によると危ないことはないと思うからいいのだけど。短気といえばいいのか、血の気が多いと言うべきか。そのようなアロイスがちょっと心配だ。
「……今度こそ、君は私が護る」
ぽつりと漏れた言葉に滲むものを感じ取ってしまって、足が止まる。既に集団は叫び声を上げても聞こえるかどうかという位置まで離れているため、急に私が止まったところで振り返る者も居ない。アロイスもそれを確認すると立ち止まり「そろそろいいか」と踵を返した。私も無言で方向転換し、歩き出す。
アロイスの中にはまだ、後悔やそれに伴う苦しみや、もう二度とそれを味わってなるものかという気持ちが残っている。そのせいで私の身に起こることに敏感になりすぎて、精神が常に緊張し、要らない不安をもってしまうように見える。……今のアロイスには、気持ち的な余裕がないのだと思う。このままだとアロイスの心が疲れてしまう。
「……アロイス、あのね」
「なんだ?」
私を見る金の目は親しみに満ちている。だから彼の情が深いことは良く分かる。そしてその気持ちは私も持っているもので、もし急にアロイスを奪われ、失うことになれば彼と同じようになるだろうことも予測できる。
だからそうなってしまったとき、アロイスがしてくれれば私が安心できるだろうと思うことを、私がアロイスにすればいい。私は自分が思っていることを素直に口にした。
「私はもう自由な身なんだよ。人間じゃない私が王様の命令に従う道理はなくて、魔物の頂点に立つ魔王よりも強い。今何かに縛られているのはアロイスの方。離れることになるならきっと、それはアロイスに何かあったときだよ」
私よりも、危ないのはアロイスの方だ。勇者、という肩書は素晴らしいものだけれど。それはつまり、国王に直接命令される立場であり、彼の命が国のものであるという証拠でもある。貴族として生まれ、貴族の掟に縛られてきたアロイスが、急にそれらを捨てることは出来ないと思う。
私たちが離れることがあるなら、それはアロイスがオクタヴィアンのお節介によって望まないことを押し付けられた時だろう。軽く息をのんだアロイスを見つめながら、続きを口にした。
「だからアロイスが動けなくなったときは、私がそれをぶち壊しに行く。私は何でも出来るよ。何せ、規格外の不死鳥だからね」
明るく言い放って、笑いかける。大丈夫だと、無理やり引き離され、別れることはもうないのだと。同じ事は起こり得ないから安心して欲しいと言外に伝える。今の私を縛る法律はないのだ。姿を変えれば私は人間でなくなり、そしてこちらで生まれた身である故に魔王の民でもなく、人間の言葉が喋れるただの野生の魔物。それでもって自分より強い者がいないのだから、野放しにしたら危険な生物ともいえる。そんな私をどうにかできる相手なんて、そう居ない。
「……何でも出来る、は言いすぎだ。君は考えることが不得手なんだからな」
「それは、えーと……力技で、ごり押ししてバーンと」
「やれてしまいそうなところが怖いな。……全く、君は規格外だ」
アロイスが苦笑してそう零す。少しは安心してもらえた、だろうか。心の奥底にあるものは、流石に言ってもらわないと分からない。
そのまま二人で歩き、鳥居の下まで戻ってきた。足を止めたアロイスは暫く鳥居の先を見つめていたけれど、一度深く呼吸をして私の名を呼んだ。
「セイリア」
「ん……?」
大きな手がそっと近づいてきて、私の額にかかっている髪を払う。アロイスが何を求めてその行動をしたのか分からなくて、尋ねるつもりで見つめると温かい目で見つめ返された。
「お互いを護る約束をしたのを覚えているか?」
「勿論、覚えてるよ」
私とアロイスが交わした最初の約束だ。忘れるはずがない、大事なもの。私の答えにアロイスは頷いて、そしてどこか自嘲気味に笑った。
「今の君は私が護れる存在ではないんだな。……いや、元々私が護ることの出来る存在ではなかったのか」
呟くように言われたそれは、何かを諦めたように聞こえた。けれど何を言えばいいかわからず、言葉を持たないまま口だけが動く。しかしアロイスは私の言葉を求めていたわけではない様で、続けて話し始めた。
「私は君に心を救われ、護られてきた。次は私が君を護る番だろう。君が困れば必ず助ける。何せ、私は選ばれた勇者だからな」
吹っ切れたような声と共に、新しいことに挑戦する子供のように楽しそうな目で笑う顔があった。その顔を見た瞬間に「ああ、アロイスだ」と私の心が言った。私の知っているアロイスという、強くて優しい親友の顔だ。
「改めて約束しよう。私はセイリアを護る」
「うん、約束。私はアロイスを護るよ」
こつりと額を合わせて笑い、二人で鳥居の境界を潜る。きっとこの先は何が起こっても大丈夫だと、自然とそう思えた。そしてその気持ちは、一分と持たなかった。
鳥居をくぐり抜けた途端、体から何かをはぎ取られたような感覚。数回瞬きするうちに、アロイスの驚愕した顔が自分の目線よりも随分下にあった。訳が分からず混乱する私の脳内に、随分と久しぶりな天の声が浮かんでくる。
『不死鳥へ進化しました!』
その声は私にしか聞こえないものだが、私はさらにパニックになった。進化って、何で今進化したんだ。アロイスよりもでかいってどういうことだ。というか借り物である着物がどうなってしまったか確認するのが凄く怖い。
「ど、どうしようアロイス!!何かわかんないケドナニコレドウシヨウ!!」
「落ち着け、セイリア。慌てても状況は変わらない」
そう言うアロイスも、とても頭が痛そうな顔で眉間を押さえていた。
心の余裕は大事ですね。
何が起こるわけでもないうちから焦ることはやめたアロイス。ただ、本当になにかあったらプツンといきそうです。




