68.酒場のアイドル
1リンは5円くらいの感覚で見ていただければと思います
アロイスの凍てついた表情に胸が騒ぐ。感情を殺してしまったかのようなその顔は私がアロイスにさせたくなかった顔そのものだ。心に焦燥感が広がっていくのに、どうすればいいかも分からなくて、写真を見ながら呆然と立ち尽くす。
「こちらをお求めですか?勇者アロイス様の姿絵は、五千リンになります」
あまりにも写真を見つめていたからだろう。受付の男性にそう声を掛けられた。
別にそれが欲しい訳ではない。ただ、久しぶりに見た親友の姿があまりにも変わっていて、言いようのないショックを受けてしまっただけだ。心配とか、罪悪感とか、色々と綯交ぜになった胸の内のせいでちょっと固まったけれど、お金を出してまでそれが欲しいとは思わない。五千リンがいかほどの価値なのかは知らないが、高かろうが安かろうがあまり関係ない。私は本人に会いたいのであって写真はいらないのだ。
「五千リンは高いな……姉さん、無理です。俺たちも流石にそれのためには貸してやれない」
「うん、分かってるよ。直ぐにお金稼ぐ方法なんてないし、諦める」
私は一文無し。お金どころかシャツ一枚すら他人からのもらい物で、私の物はこの身一つだけ。そんな状態で高いといわれている五千リンを払って欲しい、と既に世話になりまくっている二人に頼むほど面の皮は厚くないつもりだし、自然な諦め方だったと思う。欲しくて見ていただけで、親友を見つけて思わず見入っていたなんて誰も思わないだろう。
「んーそうでもないッスよ。面白い芸を持ってれば、あそこで披露してチップ貰えて……姉さんだったらストリッぶへ!!」
「お前はほんと黙ってろって言ってるだろ」
あそこ、と飲食スペースの高台を指して何かを提案しかけたホンザは、デニスによって脇腹どころか顔面に拳を入れられた。流石に痛そうである。しかし、芸さえ持っていれば身一つでお金を稼げるという情報は私にも重要なものだった。
アロイスを探しに行くのに懐がゼロでは話にならない。デニスとホンザに払ってもらった宿代も返さなくてはいけないし、ハーピー用の服や冒険者らしく見える装備も必要だろう。
やろう、と決めて屈強な男達が酒盛りしている方向へ歩き出した私を、デニスが慌てた様子で呼び止めようとする。
「あ、姉さん!?まさか本気でやるんですか!?」
「うん、まあ……やってみようかと」
喧騒の中を歩き、台に上がれば近くのテーブルで飲んでいた顔の赤い男達がニヤつきながら野次を飛ばす。その内容はあまり品のいい言葉ではなかったので、貴族の中で生活していた私にとってそれは非常に新鮮というか、居酒屋の酔っ払いのノリがどことなく懐かしく思えた。
私が立っている簡易なステージは、高さで言えば五十センチ程周りより高くなっているだけで、舞台に上がったところで目立つようなものではない。こちらに気づいたのは付近のテーブルに座っている者だけである。
ざっと見渡せばやはり亜人の姿が多く見えて、全体の七割は人間ではない。今の私と似たような姿の鳥人も結構居るようだ。しかし、女性の割合は少なくて冒険者は主に男性の職業なのだろうな、という気がする。
「おいおい姉ちゃん、何やるんだ?その粗末な服脱いでくれんのか?」
「脱がないよ。歌を歌おうと思って」
「ハハ、そりゃいいな、おい。ハーピーの歌は酷くて笑えるからよ、笑い転げたら一リンくらいは出してやるさ」
ハーピーの歌は酷いものなのか。それは知らなかった。不格好なものを面白がるような視線を受けながら、目を閉じて深呼吸。私の歌は、私の感情に左右される。まずは落ち着かなくてはいけない。これでいくらか資金を稼げたら、旅に出る準備をしよう。勇者の情報を集めながら、アロイスに会いに行くのだ。目標が定まれば、焦りは自然とやる気へ変わった。
まずは喉の調整を行う。この体で歌うのは初めてだけど、声帯の使い方は同じらしい。人間でいえば咳払いをするように一声二声鳴くと、少しその場が静かになった気がした。
まずは親しみを覚えてもらうための一曲。いつだったかペトロネラの秘密の研究所で魔物達から好感を得るために歌った僕らは皆云々の歌から始まり、続けて私の気分も盛り上げて楽しく歌える楽器を壊しちゃう民謡、最後に盛り上がるための運動会定番なテンポの良いクラシック。歌いながら私の気分も乗って来て、目を閉じたまま周りの状況も一切考えずノリノリで歌った。もちろん、貴族に絶賛されたカナリーバードの声で。
歌い終え、目を開いて飛び込んできた光景には思わず後ずさった。舞台にかじりつくようにとでもいえばいいのか、隙間が殆どないくらいステージの前が人で埋まっていた。遠くの席に座っている者はすでになく、出来るだけぎゅうぎゅうに詰めながら近くに出来た人だかりにちょっとだけ恐怖を覚えた。ナニコレ皆怖い。
「も、もう終わりか?もうちょっと聞きたいんだけどよ、あと一曲くらいどうだ?」
「チップが欲しいってんなら払うから、姉ちゃんあともうちょっとだけ聞かせてくれよ」
「さっきは変なこと言って悪かった。謝る。だから歌ってくれ。な?」
そのように詰め寄られて、反応に困る。歌うのは別に構わないしチップもありがたいけれど、食い気味にぐいぐい来られると引いてしまう。特に鳥系の亜人の皆様からの視線が熱い。熱すぎる。何だか全員ブルーノに見えてきた。…………想像したらげんなりした。
助けを求めて視線をさまよわせると、固まっていたデニスとホンザが私の視線に気づいて、人混みを割ってやってくる。
「おい、お前ら。姉さんの歌が聞きたいならお行儀よくしねぇか」
「お前らの強面で迫られたら歌えるもんも歌えないからな。ちゃんと席につけ。高いチップを払ったやつが前の方に座れ」
二人の指示に逆らうことなく興奮気味な冒険者達は整理されて、その場は私のためのステージとなった。貴族達に持て囃された歌は、冒険者達にも喜んで受け入れられたのである。
私が歌えば酒場はとんでもない熱狂に包まれた。まるでアイドルのコンサート会場状態で、ほんとナニコレ怖い。生まれ変わって手に入れた【魅了】という愛嬌を振りまくとその効果が増大するスキルのせいかもしれないが、それにしても怖い。愛想笑いが引きつりそうだった。
最後には場を落ち着かせるべく子守唄を歌ったが、それでも盛大な拍手を以て私の舞台は終了した。途中からどんどん増えたお客のおかげで、一時間歌っただけだったのにチップが積み重なり、二万と五千リンという金額を手に入れた。全てが小さなコインなので結構ずっしりと重く、手で持ち歩ける量でもないなと困っていたら私の歌を気に入ったお客の一人が袋をくれた。貢がれている気分である。
金銭の価値が分からない私では、今日稼いだお金がどれほどのものなのか良く分からない。この金額で一体何ができるのか、それによってこの先の行動が変わるのだが。
「……姉さん、冒険者じゃなくてこっちで稼いだほうがいいんじゃないですか?」
「昼の一時間で二万リン稼げるとか……夜だったらもっと稼げたはずッスね。とんでもないッス」
とんでもないといわれても金銭感覚がないので分からない。二人にお金の価値について訊こうと思ったが、冒険者組合内はファンと化した冒険者たちが居て落ち着けないので一度外に出ることになった。
アロイスのブロマイドを買おうとしなかったことに驚かれたけど、冒険者になって会いに行くからいいのだと言えば納得してくれた。……嘘は吐いていない。うん。
お腹も減ってきたからということで、二人の行きつけの食事処に向かう。その道中、お金について話を聞いた。デニスは出来る限り丁寧に何がいくらくらいで、と例をあげながら説明してくれたのだけど、物の価値観が日本と大分違うし結局よく分からなかった。とりあえず、宿代にかかったという五百リンは返したので、気分的には借金もなくなりスッキリだ。
お金については使いながら覚えていくしかないと頭を切り替えて、次は手に入れたもので何をするか、である。
「とりあえず、二万リンで何ができる?」
「それだけあれば、冒険者の装備は揃えられますよ。しかし、本当に冒険者をやるんですか?」
デニスは「もったいない」とでも言いたげな顔をしているが、私は別にお金を稼ぐことが目的ではないのでどうでもいい。それよりも、歌う前にあの貫かれそうな熱い視線を一身に受けるのが精神的に疲れることが問題だ。
貴族達はあんなに近づいてこないし、叫ばないし、静かに楽しんでいたけれど平民は違う。なんというか、距離が近くて熱狂的で怖い。お金が必要でない限り何度もやりたいとは思わない。
「二万リンって言ったら、カナリーバード二体分か……一ヶ月くらい生活できるッスよ」
「カナリーバードは一羽だと一万リンなの?」
「俺たちが行く店だとそうッス」
ホンザの説明によると、カナリーバードが一万リンというのは店に卸した時の買い取り価格らしい。そしてそれは通常のカナリーバードの話で、色変わりだと三万、特殊な個体だともっと高く売れる、とやけに詳しく説明してくれた。
しかしどこかで聞いたような話だな、と首を傾げていると何故かホンザが少し照れくさそうな顔をした。
「へへ、何で知ってるかっていうとッスね?実は俺達、青いカナリーバードを捕獲したことがあって。それがお貴族様に買われてセイリアになったらしいんスよ。おかげで俺たちも名前が売れて、結構信頼厚くなって」
「おい、あんまり得意げに話すな。そういうの、あんまり良い印象持たれないぞ」
目を見開きながら自慢げに話すホンザの顔と、それを諫めるデニスの顔を交互に見る。どこかで見たような気がしていたのだけど、成程。彼らは私と兄弟を巣から攫った人間だ。偶然ってあるものだな、と感心しながら頷いていたら、更なる偶然が訪れた。
「おや、お二人共お帰りになられましたか。今回は、何か収穫がございましたか?」
声を掛けてきたのはとても胡散臭い笑顔を浮かべた癖の強い赤髪の男で、太陽の光が反射してモノクルがきらりと光った。
「おお、モンスター屋さん。悪ぃな、今回は収穫がなかったんだ」
そう。それは非常に懐かしい、私が最初に喋ったこの世界の人間。魔物を取り扱う専門店のオーナー、モンスター屋であった。
…………あれ?そういえば、私モンスター屋の名前知らないや。
懐かしのモンスター屋が再登場でした。
頂いた感想の中にセイリアが歌姫になってアロイスを待つ、という予想をしていた方が居て吃驚しました。
でもせっかく冒険者になったのだから、冒険させる所存。アイドルは兼業です。農家兼アイドルのようなあれです。
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