64.愛された国宝
三人称文です。
カナリーバードのセイリア。この国で最も知られている魔物の名前だろう。青く美しい体躯を持ち、人心を惑わすと言われる美しい声で、人間を惹きつけてやまない不思議な歌を歌った。非常に賢く、一度聞いた言葉を覚えて同じように返すことなど造作もないことであり、人間の言葉を理解しているのでは、と思う事もあったほどだ。
そしてその名は今日、確実に歴史に残るものとなった。本日の葬儀は前代未聞の「魔物の葬儀」なのだ。ミシェルは葬儀に参列はせず、その様子を少し離れたところから観察するように眺めていた。
人間の葬儀となんら変わらない。聖職者が呼ばれ、儀式を行い、滞りなく進む。驚くべきは、魔物の葬儀だと言うのに参列する人々の数だろうか。
ずらりと並ぶ白い喪服の集団は、ざっと目算するだけで百人以上は居るだろう。告知を出したのは昨日のことだと言うのにこの参列者。勿論、全てが貴族である。
「セイリアという名の愛されし魂が、光に導かれ神々の元へ辿りつくよう祈りを捧げ―――……」
それは決まりである葬式の祈りの言葉ではあったが、ミシェルはその言葉に酷く納得した。その青いカナリーバードは魔物でありながら、とても愛される存在であったと。白い煙がゆらりゆらりと青空に吸い込まれていく様は、かの魂が天上の神々の元へ向かう姿のように見える。人々は高く上っていく煙を見上げて、静かに悲しみ、涙を流している。
「……おや」
美しい声だった、あの歌は素晴らしかったと悲しげな表情をしつつも誰もがどこか満足気である。惜しいものを失ったと思いつつ、その存在がなくなるのは当たり前だと受け入れている人々の中に一つだけ違った様子のものが混ざっていた。
この国の勇者となる少年、アロイス=マグナットレリアである。その顔は以前に見た顔つきからは程遠く、まるで彫刻のように硬い無表情であった。涙の一つも見せないとは薄情だ、とは思わない。白くなるほど強く握られた拳を見れば彼の押し殺された感情が窺い知れるというもの。
ミシェルは彼のことを深くは知らないが、彼が己の従魔を心底思っていたということは察していた。最期くらいは傍にいてやりたいのだと、そんなことをカナリーバードに対して思う人間が一体どれほどいるであろうか。誰しも美しいものが無価値になる瞬間など見たくはない。ミシェルが知る限り、カナリーバードの死を間近で見守ると言った人間はアロイスだけである。
(……間に合わなかったのは、少々不憫だと思うが)
セイリアに死の兆候が表れた時、即座に城から学園へ知らせを飛ばした。しかし間の悪いことに、アロイスはその時訓練場にて学友と共に魔物を狩っていたらしい。彼に情報が届いたのは随分と遅かったようだ。訓練場を出たそのままの格好で息を切らしながら駆け付けた姿も、事切れて籠の底に落ちていたセイリアを見た時の呆然とした顔も、何故もっと早く連絡をくれなかったのだと傍にいたミシェルに掴みかかった行動も、貴族らしさとはかけ離れた様子であった。まさか死に際に立ち会えなかっただけで、そこまで取り乱すとは誰も考えていなかったのだ。それ故に、彼の悲しみだけは痛いほど伝わってきた。二年もない程度の、ほんの短い時を共に過ごしただけの魔物にそれほど心を寄せる状況は、ミシェルには理解できない。しかしアロイスがセイリアという魔物を心の縁としていたことは確かだった。
葬儀が終わり、集まった人々はそれぞれ帰路につく。全く動かなかったのはアロイスだけで、宝石の残骸である灰が集められる様子をじっと見ていた。それを眺めていたミシェルの元に穏やかな笑みを浮かべたオクタヴィアンが近づいてくる。
「……葬儀は終わったが、アロイスは動かんな」
「ええ。彼にとって、セイリアは大事な物だったようですから」
死んでしまえば価値のないカナリーバードに入れ込み、深い悲しみに暮れる彼の心を不思議に思いつつ、ミシェルは己の王を見上げた。昨夜、セイリアの逝去を聞いた時には悲し気に目を臥せてはいたが、既に陰りは微塵も見えない。それが当然の感覚であり、アロイスの姿はやはり異質である。
「しかし、思い切ったことをなされましたね。魔物の葬儀なんて普通は思いつきもしませんよ」
「……うむ。セイリアには大きなものを貰ったのだから、これくらいはな」
オクタヴィアンの言葉にミシェルは頷く。たしかに、セイリアがもたらしたものはこの国にとって大きなものだった。
従魔の交換から三ヶ月が過ぎた頃、セイリアの歌に急激な変化が訪れた。それまでは人の気分を明るくさせ、楽しませるものであったが、ある日を境に悲しげで物寂しい歌ばかりを歌うようになった。それを聞いた者は悉く急激な寂しさを感じたという。
喧嘩をしていた友人と縁を結びなおした者もいれば、大事な者に思いを告げて寄り添いたいと願った者もいる。皆が自分にとって大事な者を思い出し、心を寄せ合った。結果、今年は多くの婚姻が決まり、青いカナリーバードを縁結びの象徴とする動きが出た程だ。中でも一番大きな変化は、すれ違いにより冷めたものとなっていた国王夫妻の仲が修復されて、第一子を授かった事だろう。
「セイリアの存在はこの国の宝と言っても過言ではないと、私は思っている」
「……ええ。そうですね」
死んでしまえば価値のない、ただの魔物。しかしそんな存在が世に残していったものは大きく、また心に深く残っている。セイリアという名は歴史に刻まれ、永遠に語り継がれていくのだろう。ミシェルが最期のセイリアへ向けた言葉通りに。
「生まれてくる子が女児であったならセイリアと名付けようと思うのだが、そなたはどう思う?」
「フロランス王妃が良いと仰られたのなら、良いのではないでしょうか」
「既に王妃からは承諾を得ている。そなたの意見が聞いてみたかったのだ」
本来セイレーンのアリアという名は美しい歌声の持ち主につけられる通称であり、人の名前として付けるものではない。しかしオクタヴィアンはそれを娘につけたいと思う程、セイリアに感謝をしているのだ。そしてその上、今回の葬儀の内容も。
(魔物を火葬するとは)
葬儀において躯を焼き、灰にすることはすなわち再生の儀式である。これは神々への信仰とは全く別のこの国の風習であるし詳しい理由は分かっていない。ただ、焼かれて灰になった者の魂は再生し、この世に戻ってくるとされている。失うことを惜しまれ他から強く愛された者に行う葬儀であって、通常なら害悪でしかない魔物に行うものではない。
しかしどこからも、誰からも反対の声が上がらなかったのだから、それだけセイリアという魔物は皆に想われていたということだ。まさに、愛された国宝と言うべき存在だった。
「さて、そろそろ行くか。葬儀は終わったが、まだやることは残っている」
「私もお供いたします」
回収されたセイリアの灰と身に着けていた従魔の装飾品二つは、マグナットレリアの土地に返還されることになっている。火葬された者の灰は生まれた土地の川へと流されるのが慣例だ。水の神は生命の源であるから、火葬したものは水にその灰を委ねて新しい命を吹き込んで貰うと考えられている。そして墓には灰の代わりに、身に着けていたものを入れる。躯はなくとも確かにその者が居たのだという証明だ。
これからセイリアの墓が作られ、その灰はセイリアが生まれたとされる森の川へ流される。それを見届けることが、葬儀を執り行ったオクタヴィアンの責務だ。それには本来の主であるアロイスも当然同行する。
ミシェルはアロイスに視線を向けた。彼が作ったであろう従魔の証の装飾品を受け取り、固く握り締める姿が目に入る。勇者である彼が一瞬、とても頼りげなく崩れそうな子供に見えた。
(……火葬して、水の神にゆだねたところで死んだ者が戻ってくることなどありえないが……)
あまりにも痛々しく見えるその姿を見るに耐えきれず、ミシェルはそっと目を伏せる。そしてあり得ないと思いつつ、一つの魂の返還を神に願うのであった。
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勇者の生まれ育った土地、マグナットレリア。学園を卒業し勇者となった青年の活躍が報じられる度に沸き立つ民衆で賑わう場所。そんな人々の住む街から少し離れたとある森の、とある湖に人知れず変化が訪れた。
波一つ立ない穏やかな水面に幾つかの泡が浮き上がったかと思うと、次の瞬間一つの塊が飛び出してきた。
それは空中で不格好にバタついた後、安定して風を切り水辺に着地すると何度かせき込み、体を震わせて水を払う。
「あー死ぬかと思った……目が覚めたら水中って何?虐待なの?」
不満そうに人の言葉で呟くそれは、陽の光に照らされて青く輝く鳥だった。
アロイス視点でセイリアの部屋に来た時の話も書こうかと思ったのですけど辛くなりそうだったので断念しました。いつかどこかで書くかもしれません。
四章はここで終わり、次から新章です。
セイリア、ついに野に解き放たれました。新章から環境ががらりと変わります。
出てない設定どばどば出ます。お付き合いいただけると嬉しいです。




