63.5 私の親友
アロイス視点
私はクラスのパーティーメンバーと共に、森で魔物を狩っていた。今のメンバーとはかなり連携も取れるようになり、狩りはとてもスムーズで、関係も居心地も悪くはない。しかし、私にとっての親友は唯一人、セイリアという魔物の形をした人間だけだ。クラスメンバーは仲間と呼べる間柄であるし、友でもあるが、セイリアは特別だった。初めての友人であり、何でも話せる親友であり、苦しい時に寄り添ってくれた大事な存在だ。他とは比べ物にはならない。
その親友は現在、カナリーバードとして国王の下に居る。あと半年以上の時間はあるが、また共に過ごせる時間が確約されているのでそこまで不安に思うことはない。
(……いや、不安だな。セイリアのことだから、何かやっている気がする)
私の親友は鳥であるが故か少々頭が弱く、注意力もない。少し考えればその他にも色々と足りないものが思い浮かぶ。しかし持っている能力だけは規格外であるため、何かと問題が起きやすい。それを手助けするのは私の役目であり、そして彼女が起こす事件に巻き込まれるような、そんな騒がしい日常を実は気に入っている。
親友の代わりに貸し出された従魔は王家に伝わる特別な魔物であり、確かに強力で頭が良かったが、セイリアのように私の日常を色づける存在ではない。首周りの柔らかい毛を撫でながら、セイリアの頭を撫でてやりたいと思う日々を過ごしていた。
「おつかれ、今日も沢山狩れたね」
笑顔で話しかけてきたピーアに頷いて答えながら、ゲートをくぐって森を出た時だ。緊張した顔のペトロネラが私の姿を目で捉え、近づいてきた。
「アロイス、これを。今すぐに読むべきだ」
見覚えのある、黒い箱。私とセイリアを呼び出す国からの書状が入っていたあの箱と同じもの。嫌な予感がした。それを受け取り、中の書状に目を通す。全て読み終わるより先に駆け出した。
“貴殿の従魔、セイリアに死の兆候あり。即刻王城へ来られたし”書状の中にあったその短い一文が頭の中を廻る。他のことは何も考えられなくなった。
(セイリアが、死ぬ?そんなことがあるはずない)
セイリアは普通のカナリーバードではない。規格外な能力を持っていて、衰えが見え始めるはずの一年を過ぎても元気が有り余るほどだった。そんな彼女が死ぬなんてありえない。そう思うのに、息が切れるほど足が速く動いた。転移の魔法陣に飛び込むように入り、自分の魔力を押し流す。周りで慌てたような声が聞こえたが、そんなことはどうでも良かった。王城へ転移すれば、案内人が私を見て驚いたような顔をする。
「あ、アロイス様、そのお姿は……」
その言葉で自分が魔物狩りの後そのまま駆けてきたことに気づくが、今はそんなことに構っている暇はない。動揺している案内人を置いていくように部屋を出る。しかし、現在セイリアがどこにいるのか、私には分からない。
「早くセイリアの所へ」
「は、はい」
思ったよりも尖った、切羽詰った声がでた。それに怯えたように案内人が小走りで先導を始める。駆け出したい気持ちを抑え、後を足早についていく。
角を曲がった時、ある部屋の前にミシェルが佇んでいるのが見えた。私に気づくと悲し気な笑みを浮かべて見せる。その表情に、最悪を想像した。案内人を追い越し、ミシェルの背後にある部屋に向かう。余裕のない私のうるさい足音が耳につく。登録のない者の前には開かない扉をミシェルが開け、私は中に踏み込んだ。
薄暗い部屋の真ん中に、美しい造形の鳥籠が一つ。その中に横たわる小さな友人の姿が目に入る。
「……セイ、リア」
ピクリとも動かない姿が目に飛び込んできた。それ以外は何も視界に入らない。ヒュッと喉を風が通り抜け、心臓が軋んで音を立てた。
それでもまだ信じたかった。規格外な親友が、こんな風に死ぬわけがない。触れれば冗談だと可笑しそうに言ってくれると信じたかった。縺れそうになる足を動かして近づき、籠に手を差し入れ、その体に触れるまではもしかして、と。どこか希望すら持っていた。
私よりもずっと温かかったその体に、熱は存在しなかった。それが物言わぬ死体であると、その体が起き上がり、楽しそうな声で囀ることは二度とないと。温かい響きを持って私の名前を呼ぶことはもうないのだと。触れた瞬間に悟ってしまった。
(……冷たい)
私の指から熱が移って、温まればまた起き上がってくれるのではないだろうか。そんな馬鹿なことを考えてしまうくらいには動揺していた。私の手から移った熱が彼女を温めることはなく、むしろ触れている場所から全ての熱を奪われていくようで。自分の熱が急速に冷えていくのが分かる。
「一時間ほど前までは、まだ息がありましたが……残念ですね、アロイス殿」
背後からミシェルのそんな言葉が聞えた。一時間前、私が学園の森で魔物を狩っていた頃だ。セイリアの状態は、全く知らなかった。のん気にセイリアとまた過ごせるだろう日のことを考えていただけで、まさかセイリアが命を落とすほど弱っていたなんて、微塵も、思っていなかった。
「何故」
「はい?」
振り返った先にあるミシェルの、何もわかっていない不思議そうな顔に腹が立った。何かしなければセイリアが死ぬはずがない。原因があるはずだ。弱り始めた時に教えてくれれば、私が対処できたかもしれないのに。せめて三日前でいい。私が知っていれば何かできたかもしれない。
「何故、もっと早く、連絡してくれなかった!!」
気が付けばミシェルの胸ぐらを掴んで叫んでいた。何度か瞬きを繰り返したミシェルは、至極不思議そうな顔で、至極不思議そうに言う。
「最期に立ち会えなかったのがそんなに悲しいのですか?」
「っ……!!」
違う。そういう事ではない。だが、私の感情が理解されないことを、理解させられる言葉だった。
カナリーバードは生きた宝石。早く死ぬのが当たり前で、死ぬまで愛でるだけの存在。死んでしまえば何の価値もない。それが貴族の常識に当てはめた、セイリア。
私にとってのセイリアが、周りからすれば異質なのだ。大事な親友で、心許せる相手で、苦しい時に励まそうとしてくれて。一人だった私に初めてできた、掛け替えのない大事な存在だった。それは、私以外の誰にも理解できないことなのだ。
死にそうになっている時に連絡を寄越しただけでも、彼らにとってはかなり親切にしていることで、私の方が可笑しいことをしている。強張った手をどうにか開き、ミシェルの服を放した。
「国王もセイリアの死を大変悲しみ、葬儀を執り行いたいとおっしゃっています。異例のことですが、それほど王はセイリアを慈しんでおられた」
だから、なんだというのか。オクタヴィアンのその情は、カナリーバードに向けるものでしかないではないか。私の悲しみとは違う。私がセイリアに持っていた情とは全く違う。オクタヴィアンの悲しみなど、一晩経てば消えるようなものでしかない。私は、唯一無二の親友を失ったというのに。その悲しみと怒りをぶつける場所すら、ない。
この怒りの矛先をオクタヴィアンやミシェルに向けるのは間違っている。彼らは貴族として当然の、いや。貴族としてはあり得ないほどの丁重さをもってカナリーバードという魔物に接していた。それを責めることはできない。セイリアが魔物ではないと思っているのは、私だけなのだから。
「……葬儀が、執り行われるのなら……参列、いたします。先ほどは、取り乱してしまい……失礼しました」
震えそうな声が、怒りによるものなのか、それとも悲しみによるものなのか、分からない。握りしめた拳は痛みを訴えるが、そうでもしなければ今にもミシェルに殴りかかってしまいそうだった。
「暫く頭を冷やすといいですよ、アロイス殿。貴方は大分混乱しておられるようだ」
私を一瞥した後、ミシェルが部屋を出ていく。薄暗い部屋に一人残されて、私はもう一度友人に向き直った。先程と変わらぬ姿で籠の底に横たえるその体に、もう一度だけ触れる。
「セイリア」
すこし馬鹿なところがあって、直ぐに問題を引き起こす。私はそれに頭を使って、ため息を吐きながら彼女を手伝ってやる。そんな日常が楽しかった。そしてそれは、二度と帰ってこない。
胸は張り裂けそうなほど痛くて、体も声も震えるくらいに寒いのに。大声をあげて泣き叫けべば、少しは楽になるかもしれないのに。それなのに、涙はでなかった。
「すまない、セイリア」
喉の奥が引き攣れたような、掠れた声。弱弱しく、頼りない声が己の耳に届く。
私はその日、たった一人の親友を失った。
ご要望を頂いたので、本編に割り込ませました。




