58.セイリアとアロイスの夜
誰もいなくなった途端にアロイスから笑顔の仮面が剥がれ落ち、無表情になる。そのまま無言で私を籠から出すと、スタスタと椅子に向かっていく。話がしたいらしいことは分かるので、椅子に座ったアロイスと向かい合うような形でテーブルに乗った。
「アロイス、王様のお願いって、どういう意味だったの……?」
私とオクタヴィアンの従魔を交換して貸し借りする。貸し出すだけで別に献上しろと言われたわけではなかったから私は安心したのだが、アロイスの顔を見ればそんなに簡単な話ではないと分かる。貴族社会に詳しくないからオクタヴィアンの提案にどのような意味があったのか、アロイスに教えてもらわねばならない。
「……普通の従魔を貸すことと、カナリーバードを貸すことは全く別の意味を持つんだ」
アロイスは重々しい表情でぼそりと呟く。それから従魔の賃借とカナリーバードの賃借の違いを説明し始めた。
従魔の貸し借り自体は、そこまで珍しいことではない。貴重な魔物の使い勝手を知りたい、次に従魔にする魔物の特性を知っておきたい、そんな貴族が従魔を借り、その間自分の従魔を貸すようなことは偶にある。
しかし、価値のあるカナリーバードを誰にも奪われぬために従魔にしている場合だと少し違う。カナリーバードはお披露目され、有能であればある程周知されるために主人が変われば直ぐにわかる。ほぼ同格の相手に譲るのなら何の問題にもならないが、譲られ先が元の主人よりかなり上位の相手であった場合、「譲れと言われて断れなかったのだろう」とか、「権力を笠に着て奪い取ったようなものだ」とか、そのような悪評が立つ可能性が高い。そこでカナリーバードを譲ってほしい場合に「従魔の貸し借り」という形にする。従魔契約を解くことも主人の変更をすることもなく、お互いの従魔に相手に従うように命じて縛り、貸し出すのだそうだ。それなら所有権は変わらぬままであるし、社交に出す場合は「これはどこの誰々が育て上げたもので、現在借りている状態だ」と紹介し、持ち主の評判を広めることになるので問題ない、と。
そして、従魔の賃借なのだから借りる側も相応の従魔を貸している。その従魔によってまた、評判が変わるのだそうだ。
「カナリーバードの代わりに能力の高い従魔を差し出すなら、貴族界の印象はよくなる。貸し借りの期間が五年、十年と長くなればなるほどな」
「え?何で長い方が良いの?早く返してくれる方が普通に嬉しいよね?」
「……寿命差だ」
カナリーバードの寿命は短く、長くても三年が限界だと言われている。通常なら二年、早いものなら一年程で死んでしまう。そんな寿命の短い魔物と他の価値ある魔物を長期間貸し借りするなら、当然カナリーバードの寿命が先に尽きる。そうなったとしても、魔物は約束の期限が終わるまで借りていていいのだそうだ。カナリーバードが死んだ先もずっと良いものを貸し続けることによって印象がよくなる、と。
……うん、分からない。普通に考えて寿命が尽きる前に返すべきだと思うし、死ぬまで返されないなら譲ったのと変わらないのではないか、とアロイスに聞いてみたが首を振られた。
「上位者の元にあった方が目にする機会も多くなり、貴族には喜ばれる。君など存在が広く知られているのに、貴族の社交界に出たのは一度きり。しかもほとんどマグナットレリアの貴族しか居なかった場だ」
アロイスは領主一族だったが、何故か前日に体調を崩す事が多く殆ど社交界に顔を出したことはないらしい。……体調を崩す原因はなんとなく二人ほど心当たりがあるけどそれは一旦置いておく。殆ど姿を見せないがゆえに存在感が薄く、社交の中心とならないアロイスが主である私を見る機会は、自然と少なくなる。誰もが目にしたいと望むカナリーバードなのに姿を見ることができない。
そんな状況から一転、国王に貸し出されれば、頻繁に開かれる王城の社交場で私をよく見ることができるようになる。貴族達は大喜び、という図式らしい。長く楽しめる程喜ばれ、早々に持ち主に返せば不満が爆発、王の評判も持ち主の評判も落ちるのだとか。
「……その感覚が理解できないんだけど……」
「どう説明すればいいか……短期間しか楽しめない宝石は、限られた場所ではなくもっと大勢の目に触れるところに置いて、皆で楽しむべきだと考えるのが人間だろう?」
例えを少し考えてみる。一度は見てみたいような綺麗なもの。元の世界で考えるなら、殆ど見る事のできない美しく幻想的なもの……オーロラで考えればわかりやすいだろうか。
とてつもなく美しいオーロラを一ヶ月だけ見ることができる大掛かりな機械を、ある技術者が作ったとする。その機械によるオーロラを目にできるのは、ある地域のしかもある一定の条件を満たした者だけで、その者たちは甚く感動した様子で噂を広めた。しかし噂を聞いた外部者は見ることができず、一度見た者も製作者に資金がないため二度目の機械作動ができずに見られない。
そこに現れたのが自分たちもオーロラを楽しみたい行政で、国が機械を預かり壊れるまでずっとオーロラを見せてくれるようになった。その上製作者にはそれを借り受ける礼として長期間の資金援助を約束。製作者、国民、大喜び。役目を終えた機械は製作者に返され、部品を回収したり次回作に役立ててもらう。という図式に置き換えたらなんとなく分かった気がした。
私は人間に近い感覚や感情を持っているけど、そんなことは皆知らない。私は価値のある、生きた宝石。人間にとって私は物なのだ。魔物の命なんて、風船のように軽いのが当然だ。だからそれに準じた扱い方をされる。壊れるまで目を楽しませられるなら、それでいいと思われている。
「……その上、王が貸すとおっしゃったのがフィエール・タイガーだからな。断れるはずがない」
フィエール・タイガーは王家に代々伝わる魔物であり、王と共に国を支え、国を守ってきた宝とも呼べる存在らしい。いくら価値があるとは言ってもカナリーバードの代わりに差し出すような魔物ではない。そんなものを提案に出すくらい人のいいオクタヴィアンのことだから、下手をすれば無期限で貸すなどど言い出しかねない、とアロイスが苦々しい顔で言った。
それはつまり、私が死ぬまで賃借状態が続く、という意味に他ならない。
「……つまり、私はアロイスのところに帰ってこられない、ってことなの……?」
氷の浮かぶ水に突き落とされたかのような、全身が一気に冷たくなる感覚。ぶわり、と自分の毛が逆立ったのが分かる。ああ、だからアロイスはずっと苦しい顔をしていたのか、と。ようやく自分の状況を理解して、それが自分の考えていたものと違い過ぎて混乱する。王に会う前は覚悟を決めていたはずなのに、王がいい人そうだったからその覚悟はすっかり崩れ去って、どこか安心すらしていたのだ。一度上げて落とされた分、ショックが大きくて、頭が真っ白になった。
「セイリア、聞いてくれ」
ぽん、とアロイスの手が私の背中に乗せられて我に返った。真剣な金の目を見つめ返しながら、その目の中にある不安や悲しみを見て少しだけ落ち着く。……アロイスみたいな子供が耐えているのに、一度成人した経験もある私が取り乱すなんてみっともないよね。
「一年だ。貸し出しの期限を一年にしてもらえるよう交渉する。……普通のカナリーバードならそれで寿命を迎えるだろう。しかし規格外の君の事だ、それくらいで死ぬはずがない。現に一年以上経った今でも、弱る兆候が一切見えないし、大丈夫だ。だから……私は必ず君を迎えにくるから、待っていてくれ」
あまりにもはっきりと断言されて、根拠などないのに大丈夫だという気がしてくる。だから私は「分かった」と素直に頷く事ができた。……アロイスは子供のくせに、しっかりしすぎだ。格好良すぎて、頼られたいはずの私が逆に頼りたくなってしまうから、少し困る。
「……約束しようよ、アロイス」
このままだとなんだか妙な気持ちになりそうだったので、気分をリセットするためにもそう提案した。アロイスは笑って「ああ、そうだな」と頷いてくれる。
お互いの額がそっと触れた。別に額同士である必要はないのだけど、私達の間ではいつの間にかこれが約束の仕方になってしまっている。吐息がかかるほど近くに居て、それでもこの距離をどこか心地よく感じるのだから不思議なものだ。
「約束しよう。私は必ずセイリアを迎えに行く、セイリアは私を待つ約束」
「約束しよう。私はずっとアロイスを待つ、アロイスは私を迎えにくる約束」
約束を交わせば、先ほどまでの不安はずいぶんと軽減された。まだアロイスの交渉が上手くいくとも限らないし、どうしても暫く離れることは必至なのだから当然寂しさもある。でも希望があるのとないのとは大きく違って、今は思い悩むほどではなくなっている。
気が楽になってふと、思い出した。私が居なくなるならアロイスのために交渉してほしいと思っていた内容だ。
「……アロイス、勇者になる交渉はしないの?」
「ああ。期限を縮める提案をするからな」
「それじゃあアロイスの利がないと思うんだけどなぁ……」
不満げに呟く私にアロイスがふっと笑って、頭を撫でてくれた。
「君が帰ってくることが、私の利だと思う。君が私と居てくれること、それが何より大事だ」
…………そんな風に言われると、何だか胸が熱くなってくる。大事な存在だと思われているのだと改めて知らされて、ちょっとだけむずがゆい。人間なら嬉しさで非常にだらしない顔になってしまいそうな私の気分を打ち砕いたのは、その後の一言だった。
「ああそうだセイリア、くれぐれも普通の鳥の演技を忘れないように。君はどう考えても脅威個体なのだから、本来の能力がばれたら国に脅威とみなされ、処分の対象となっても可笑しくないぞ。それだけは避けてくれ」
「……マジか……」
ご機嫌から一気に転落した気分だ。私、脅威個体だったのか。人間の意識があるから何もしないだけで、危ない魔物の仲間だったらしい。
誰にも正体がばれてはいけない場所で本当にやっていけるだろうか、と真剣に悩んでいる私の耳にはアロイスが「マジカ……?」と不思議そうに呟く声は入ってこなかった。
ミシェルの鑑定が成功していたら大変なことになってましたね。あぶないあぶない。




