55.逃れられぬ招待
私が光属性の魔物だということは、特クラスパーティーと救援に来た教師パーティーだけが知っているはずのことである。学園の噂でも「アロイスが光の神から愛されて加護を得た」ということになっていて私には一切関わりがない。何故テオバルトが知っているのか、理由が分からない。……誰かが報告したのだろうか。緘口令が敷かれているはずだが。だめだ、考えても答えはでてこない。
「お前はまた新しい魔物を育てればいい。ああ、領主家の調教師になるのがお前にはお似合いではないか?お前の育てた魔物は私が使ってやろうじゃないか」
その声を聞いたのは私とアロイスだけだ。他の誰にも聞こえない場所であれば、このように毒を吐くのがテオバルトである。アロイスは何も言わず、表情を殺して笑った。テオバルトが出てくるとアロイスはいつもこういう顔になってしまう。アロイスにとってテオバルトはただひたすらに害であり、毒だ。
「セイリアがマグナットレリアで最も優れた従魔なら、私にこそふさわしいだろう?」
平然とそう言い放って私を見るテオバルトは、自分が魔力でアロイスに劣っていることをすっかり忘れているのだろうか。前回の契約失敗は実のところ私の魔力が圧倒的に高かったせいだが、彼の中ではアロイスよりも己の魔力が低かったからだ、ということになっているはずである。自分より優れている弟を認めたくないのか、都合の悪いことは忘れてしまう頭なのか。せっかく目が合ったので、首を傾げながら「愚か者……」と呟いてみたのだが一瞬で目をそらされた。忘れた訳ではないらしい。しっかり覚えているくせにこの態度とは、驚きである。
「優秀な従魔で、賢いカナリーバード。次期領主のものになるべきだ。そうだろう、アロイス?」
「……しかし、兄上。セイリアは」
「アロイス」
テオバルトが名前を呼ぶことでアロイスの言葉を遮る。反論を許さないと言わんばかりの笑顔で、こう続けた。
「学園に来たせいで忘れているようだからもう一度教えてやろう。邸でお前が必要とされたことはあったか?私に口答えをするな。お前はただ、私の下で私を支えるためだけに生きればいい。お前の価値はそれだけなのだから、目立とうとするな。私の役に立たないなら生きている意味なんてないのだぞ?」
まるでそれが当然であり、変えようのない事実であるかのような口ぶりだった。テオバルトは実際にそう思い込んでいるのだろう。笑顔のまま毒を吐き続ける子供の顔をした悪魔に、堪忍袋の尾が切れた。
お前のものを寄越せ、というだけの高慢な態度を取り続けるだけならまだしも、次期領主という肩書きしか誇れないくせに、アロイスのことも何もわかっていないくせに、アロイスを貶めるような発言をするなんて到底許せることではない。
(……このクソガキ、その細い首筋貫いて息の根止めてやろうか)
そう思った瞬間、ばたりと重たいものが倒れるような音がした。
―――――――
「セイリアは本当に興味深い魔物だね」
秘密研究室でゆったりとくつろぎながら、ペトロネラは至極楽しそうにそう言って、目を細めながら私を見た。彼女が言っているのは勿論、先日の学園社交界のパーティー中に起こった出来事である。テオバルトが私を譲るように王族に進言したらしく、あまりにもアロイスを見下した発言を連ねるものだからプツンときてしまったのだ。今でも思い返すと腹の底が煮え立ちそうになるけどさ。
「ワイバーンを気絶させるカナリーバードなんてセイリアだけだろうよ。いやはや、恐れ入った」
そっとペトロネラの視線から逃れるように顔をそらした。私の感情が怒りに振り切れたとき、最も被害を受けたのはテオバルトの傍にいた従魔のゲオルクだ。何も悪くないはずの彼に関しては、本当に申し訳なかったと思っている。
あまりの怒りにスキルによる威圧ではなく殺気を放ってしまったようで、会場中の従魔が怯え、威圧と殺気をほぼ正面から受けたゲオルクは気を失った。威圧は感じないテオバルトでも背筋が寒くなったのか身震いして慌てながら周囲を見回していた。私が原因だとは思っていなかったようだけど。
従魔達が皆落ち着きなくなり、気絶した魔物までいるのだから社交パーティーは即座にお開きとなってしまった。私もブチ切れて殺気まき散らしたのは悪かったけど、一番悪いのはアロイスを貶したテオバルトであって私じゃないと思う。楽しいはずのパーティーをめちゃくちゃにしたのは悪かった。反省はしているが後悔はしていない。おかげで直ぐテオバルトから離れる事もできたわけだし。
「……しかし、人の言葉を解する魔物が実在するとはな。魔物の研究をしてきたが、今日が一番驚いた」
アロイスは今日、ペトロネラに私が話せること、それなりに強いこと、予想しているだろうが光の魔術を使うことを話した。デス・ツリー討伐のときに交わした言葉は、ここでは話せないから素材を持ち込んだ時に、という意味だったらしい。素材をそっちのけで私の話を前のめりになりながら聞いた彼女はまず驚き、狂喜乱舞といった様子で大興奮し、今はかなり落ち着いて色々と納得したという顔になっている。それを見ながら私は全力で引いた。熱心な研究者って怖い。
彼女も私のことを普通の魔物ではないとは感じていたらしい。それでも探ることなく、自分に話していいことならばいつか教えてくれるはずだと待っていたと言うのだから驚いた。結構いい人だよね、ペトロネラ。マッドだけど。
「マグナットレリア領主一族の兄弟について、良い噂は聞かなかったからね。少し考えて、授業時間をずらしていたのだけど……セイリアが居たならいらぬ気遣いだったかな」
なんと、ペトロネラの授業時間が他とずれていたのはアロイスとテオバルトを会わせないようにするためだったらしい。領主の館でアロイスの扱いが悪いことは、マグナットレリア領内ならうっすらと皆が気づいていることだが、外部の教師であるペトロネラがそれを知っているのが少し不思議だった。特殊な情報網があるのかな。
「いえ、お気遣いありがとうございます。セイリアは短気ですから、直ぐ暴走してしまいますので」
「暴走してないよ。してたら今頃テオバルトの頭が木っ端微塵だもん」
アロイスの言葉に即座に反論すると、ゆるゆると首を振られた。
「……世間では、殺気を撒き散らして相手の従魔を気絶させることを暴走していると言うんだ」
……私、暴走鳥だったのか。結構我慢しているつもりだったけどまだまだ我慢が足りなかったようだ。でも魔物だから本能寄りな行動するのは仕方ないよね、うん。
そんな私たちのやり取りを見てペトロネラが可笑しそうに笑う。柔らかい、優しい目をして見つめられてなんだかくすぐったかった。
「本当に、君たちは友なんだな。こうして見ているとよく分かるよ」
そう言って、そして急に悲しげな顔になった。なんだろう、なんだか嫌な予感がする。
ペトロネラは沈痛な面持ちで、頑丈そうな黒い箱を取り出しこちらに差し出した。
「君の兄の進言が効いたのかどうか知らないが、アロイス=マグナットレリアとその従魔に招待状が届いている。……王族からね」
アロイスはその箱を、貼り付けた仮面の笑顔で受け取った。この箱に入っているであろう招待状は、私たちにどのような変化をもたらすのか。考えたくはない。
「……アロイス。我々貴族は王族の“お願い”を断る事ができない。しかし王族は望みを叶えた相手に必ず“お礼”をしてくれる。どうして呼ばれたかは直接話されるまで分からないだろう。考える猶予も頂けるとは思うが……自分の利になることをしっかり、考えておいたほうがいい」
「……ええ、分かりました。ではそろそろ、失礼します」
ペトロネラの気遣わしそうな視線から逃れるように、アロイスは席を立った。彼女に背を向けた瞬間剥がれ落ちた笑顔の下にあったのは無表情で、でも私にはそれが今にも泣き出しそうな顔に見えて心臓が痛くなった。テオバルトの言葉のせいで、嫌な想像しかできない。アロイスもそうなのだろう。だから、こんな顔をしているのだ。
(……ほんと、テオバルトは疫病神だよ。碌なことしない)
テオバルトの話ではアロイスより自分に光の魔術を使う魔物が相応しい、と進言したらしいけれど。招待状の送り主が何を望んでいるのか、今の時点では全く分からない。その望みがアロイスと離れることになるものではない可能性もあるけれど、不安は消え去らなかった。
無言で部屋に帰り、空気を読んだヒースクリフが即座に退室した後。黒い箱から取り出した招待状に目を通したアロイスは、深い息を吐いて目を伏せた。テーブルの上に投げ出された招待状を私も読んでみる。
要約すれば、光の神に愛されたマグナットレリアの優秀な貴方とその従魔を招待したい。貴方と貴方の従魔について話があるので三日後に来てください、という内容だ。これだけではその“話”とやらの中身は全く分からない。
「……あちらの望みはいくつか考えられるが……十中八九、君を私から離すような内容だろうな」
「……物凄く嫌だよ?」
「私もだ。ペトロネラ先生はああ言ったが……駄目だな。友人を売って利を得るようなことは、考えられない」
……私が魔物でなかったら、アロイスがこうして悩む必要はなかっただろう。もしくは、私がただの魔物のフリを続けて友人にならなければ、アロイスは自分の利を考えられただろう。今、アロイスに辛そうな顔をさせているのは私の存在だ。私は、今にも折れそうだったアロイスを支えてあげたかったのであって、その心を傷つけるつもりは全くなかったのに。
(……せめて、私が……アロイスの利を考えよう)
アロイスが考えたくない、考えられないというなら、足りない頭を振り絞って私が考えよう。私が居なくなってしまった場合、アロイスにとって利益となることを。
お互いに何かを考え込み、いつもよりずっと言葉少なく、私とアロイスは招待日時の三日後まで過ごした。本当は、もっと沢山話すべきだったのだけど。そんなことは、思いつかなかった。
何ができるわけでもなく、時間はあっという間に過ぎ去って、アロイスと私は王宮へと招かれた。
一番の被害者はどう考えてもゲオルクです。テオバルトの従魔になったばっかりに……




