53.始まった伝説
「……撤退しましょう」
アロイスの小さな呟きに、誰もが頷いた。それが一目で脅威固体と判断できる強大さで、危険を肌に感じるような存在だからだろう。私がこれは強い、と思うのだから危険なのは確かだ。私なら負けないだろうけど、アロイス以外のメンバーは知らない事だ。皆にとってアレと戦うことは命の危険を伴い、救援を呼んだとして助けがくるまで持つかどうかも分からないような恐ろしい敵だ。
息を殺し、静かにその場を去ろうとしたその時だった。一匹の魔物が突然飛び出してきたのだ。鉄のような色の太い毛で覆われた、バスケットボール二つ程の大きさがあるヤマアラシのような姿をしているもの。それを見た全員の顔色がサッと変わったのは、それがこの場において最も厄介な攻撃をしてくる魔物だったから。
「【防御壁】!」
即座に発動された魔術具の【防御壁】によって透明な壁ができ、勢いよく飛ばされた針は防がれた。しかし防せげたのはパーティーに向けられた攻撃だけであり、ヤマアラシを中心に全方向へ飛ばされた針はあちらこちらに被害を与えている。本来なら障害物になり得ただろう木々は全て枯れ細っており、その上触れれば崩れるほど脆くなっているため全く役に立たず、威力を落とさない針がデス・ツリーの幹に突き刺さった。
「―――――――――!!!!!」
金属が擦れ合うような、甲高く耳障りな音。それがデス・ツリーの叫び声だと理解するより先に、ヤマアラシのような魔物が枝によって串刺しになった。突然の出来事に頭がついて行かず、呆然とする一行の中で厳しい顔をしたアロイスが叫ぶ。
「構えろ!!」
ハッと我に返った皆がそれぞれの武器や盾を構え、巨木を見据える。幹が次々と割れ目を作り洞が出来たかと思えば、それらは瞳となり全てがこちらを見て、強張る面々の姿を捉えた。パーティーが戦うなら私は動くアロイスの邪魔になるし、いざという時は手助けに出なければならないだろう。少し離れて様子見を、と思い防御壁が消えたところで浮かび上がった私に素早く枝が伸びてきた。予想外の出来事に反応できず、枝によって強く打たれた私は後方へと弾き飛ばされる。
「セイリア!!」
アロイスが私を呼ぶ声は一瞬で遠ざかり、私の体は風を切る速度で木の枝どころかいくつかの木を折りながら飛び続け、あまりの勢いに体勢を整えられないままバイオレンスツリーにぶつかり、それを木っ端微塵にしてようやく止まった。かなり遠くまで飛ばされてしまったようだ。
【鉄壁】スキルのせいか何かしらないけど、私の体は物凄く頑丈らしい。一切ダメージを受けていない自分の体に驚くが、今はそれよりも先にアロイスの元に戻るべきだ。直ぐに自分が破壊して出来た道を全力で飛んで戻る。
時間にして三分もなかっただろう。たったそれだけの時間で、パーティーは既に瓦解していた。
立っているのはアロイスだけで、ソフィーアやムラマサは気を失っているらしくピクリとも動かず、ピーアは倒れて、ドミニクは膝をついていた。
地面はところどころえぐれ、デス・ツリーの太い枝が散乱し、何があったか想像もつかない。でも傷だらけの五人を見れば、酷い状態なのだと分かる。
(ああ、だめだ)
このままじゃ駄目だ。私がやらなきゃ、と前に出ようと思った。でもアロイスの顔を見て止めた。唇の端から血が流れていて、土にまみれ破れた服の隙間からは真新しい傷が見えて痛々しい。しかしその目は強い力を宿してまっすぐデス・ツリーに向けられている。歯を食いしばりながら敵が振り回す枝を払い、受け流し、切り落とす。針のように飛ばされた葉を避けて、風の刃を魔力で相殺し、戦い続けるその顔は“無理だ”なんて微塵も考えていなかったから。
……うん。それなら、私はちょっとだけアロイスのお手伝いをしよう。
(光の神様、お願いします。私の魔力をいくら使ってもいいから、アロイスの傷を癒して、アロイスの能力を全部高めてください。敵に負けないくらい、強い力をアロイスに)
自分の中から大量に力が引き出されていく。今までよりもずっと大量に抜き取られて、少し体が重くなったように感じた。魔力は光となってアロイスに向かい、彼は全身に光を纏う。以前のような淡いものではなくはっきりとした光で、何だか少し周りが眩しい気もする。突然の光にひるんだのか、動きが止まったデス・ツリーに向かってアロイスが剣を構え、地面を蹴った。
「無事か!!今助け……ッ!?」
救援部隊が到着したようだが、もう関係なかった。
アロイスの刃は何の抵抗もなく太い木の幹を切り裂いた。刃の長さはどう考えても分厚い幹を貫通するものではなかったが、それでも巨木は切り株を残して倒れていく。木の目はただの暗い洞に戻り、デス・ツリーはただの切り倒された木になり、ぱらぱらと崩れてなくなっていく。最後に残ったのはデス・ツリーの核と数本の枝、そして拳大の種が一つだった。
全てが終わった。消えていく光の中で深く息を吐いたアロイスの肩に飛ぶ。お疲れ、と【伝心】で声をかければ、微笑みが返ってくる。君もな、と声が伝わってきて私も微笑みたい気持ちになった。
踵を返し敵だったものに背を向ければ、呆然とこちらを見つめる顔が並んでいた。いや、一人だけ青い目をらんらんと輝かせて全力で興奮している顔の教師がいるけど。
「……皆の手当てを、お願いします」
至極当然なアロイスの言葉に、ハッとした教師たちが動き始める。慣れた手つきで四人の手当てが始まる中、興奮を隠せないペトロネラがこちらにやってくる。……何故かな。彼女の目は私にロックオンされているような気がするんだけど気のせいかな。
「セイリア、アロイス。君たちも治療が必要だろう?私が」
「必要ありません。このとおり、傷はありませんから」
「そうか、ならやはり君たちが光っていたのは光の魔法だな?アロイスは五属性だから、セイリアのものだろう?ぜひとも詳しく話を聞かせてくれたまえ」
……今君たちっていった?あれ?私も光ってたの?
少し眩しいと感じていたのは私自身が発光していたからであったらしい。アロイスが光っているからそのせいかと思っていた。ペトロネラが大興奮している理由がこれなら、パーティーはおろか教師陣にまで見られたことになる。……誤魔化せるのかな。
「突然光が降ってきたので、詳しい事は存じません。セイリアが光っていたのは私の従魔だから同じ影響を受けたのでは?」
「……成程。まあ皆無事でよかった。良かったらまた、先ほどの魔物の素材を研究させてほしいんだがどうかね?」
「そうですね、私も気になるものがいくつかあるので持ち込ませていただきます」
両者ともニコリ、と笑って話が終わった。何だかよくわからないけど裏側のやりとりがあった気がする。そもそもペトロネラは私が従魔じゃないって知っているからね。後で研究室に行きます、みたいな約束だと思う。多分。
アロイスがパーティーメンバーの元に戻ると、意識のあるピーアとドミニクは笑ってアロイスを称賛した。二人の手当ては終わったようで、教師達は気を失ったままのムラマサとソフィーアを運んでいく。
教師が居なくなった途端、まるで御伽噺の勇者のようで格好良かった、と熱く語られたアロイスはどう反応していいか分からないらしく、困ったような顔になった。褒められ慣れていないアロイスらしい照れ方である。
「しかしセイリアも凄かったな……最初の一撃で確実に死んだと思ったんだが、光の魔物だからか……?」
ぼそり、と呟いたドミニクに無言でアロイスが人差し指を立て、自身の唇の端から端を移動するように動かすと、ドミニクは口を固く結んだ。それ以上言うな、という合図に違いない。
「あの……アロイス殿、さっきはありがとう」
話題を変えようとしたのか、ピーアが声をかけてきた。しかしお礼を言われたアロイスはその理由が分からないようで、ほんのりと首を傾けた。内容が伝わっていないことに気づいたピーアは少し申し訳なさそうに眉尻をさげて、口を開く。
「デス・ツリーの攻撃から庇ってくれたから。おかげで僕は死ななかったけど、アロイス殿は怪我をして、戦いづらそうだった。ごめんね……そして助けてくれてありがとう」
……ああ、だから私が帰ってきたとき、アロイスは怪我をしていたんだ。しっかりと攻撃を避けたり受け流したりできているアロイスが怪我をしているのが少し不思議だったんだけど、それなら納得できる。
「……パーティーの仲間なのだから、助け合うのが当たり前で、礼を言われるようなことでは」
「うん。でも僕はお礼を言いたいんだ。だからありがとう」
そうやって感謝をされることが初めてなのか、戸惑っているアロイス。こういう時に何と返せばいいのか、出てこないらしい。こういう時は私の出番である。
「どういたしまして」
「……どういたしまして」
私がアロイスの声を真似して言い、アロイスが私の言葉を真似して言った。ピーアはそれを見て可笑しそうに笑ったし、ドミニクはちょっとにやけた顔でアロイスとピーアを交互に見ていたのでなんだか腹が立って、頭に止まってやった。「何をするんだ!?」と言われながら戦闘で乱れた髪を更にぐちゃぐちゃにして、満足しながらアロイスの肩に戻る。
この日の出来事が一つの伝説の始まりになるとは露知らず。私はピルルと明るく囀った。




