51.異変
魔物研究所の一階、入って直ぐの研究室でアロイスとペトロネラは向かい合ってお茶を飲んでいる。いや、正確にはせっかく淹れたお茶を放置しつつ語り合っているというべきか。
「普通は、学園の森であのような魔物が出現することはほぼあり得ないんだがね。まさかここに勤めながらビッグスライムを見ることができるとは、これはもう本当に運がいい」
ペトロネラは青い瞳を輝かせ、興奮気味にそう言った。その視線の先にあるのは、筒状の保存容器に入れられたビッグスライムの核である。あれだけの大きさがあったスライムの核は、通常のスライムの核より何倍も大きく、人間の頭を一回り大きくしたようなものだった。
彼女がこの核を所有している理由は、ビッグスライム討伐に最も貢献度の高いアロイスがその核を手に入れる権利を得て、全力で興奮していたペトロネラの質問攻撃から逃れるべく研究所に寄贈したからである。
「ビッグスライムは突然変異種だと思いましたが……学園の森では発生し得ないものなのですか?」
「通常ならね。アロイス、理由は思いつくかい?」
尋ねられ、しばし思考を巡らせたアロイスは「魔力濃度でしょうか」と答えた。以前アロイスと共に覗き込んだ本にあった記述を思い出す。たしか、魔物が密集して存在していると魔力濃度が高まり、魔物の進化や変異が起こりやすくなる。という研究論文だったと思う。細かいところはちんぷんかんぷんで途中で離脱したので詳しくは知らないけれど。
「その通りだ。君は本当によく学んでいる」
満足そうに笑ったペトロネラがそのまま学園で起こりえない理由を教えてくれた。
まず、この学園の訓練場には人間が出入りし、魔物狩りを行っている。それも一人や二人ではないし、生徒の訓練以外にも教師が見回りし、魔物が増えているようなら狩る。危険な魔物が発生しないようにする措置は常に行われてきた。
そもそもビッグスライムとは、相当数のスライムが折り重なり混ざり合って生まれるとされる。スライム群生地、突然の大量発生地帯などで目撃されてきたもので、最も狩りやすく学生たちに狩られ続けているスライムが、多く残っているはずがない。それ故にありえないのだ、と。
「魔物が突然変異する可能性として、魔力濃度以外の事も一つ考えられる」
「……脅威個体、ですね」
「正解だ」
脅威個体。それはとても低い確率で生まれる特殊な魔物で、通常種を凌駕する能力を有し、弱い魔物を支配下に置き、その個体に関わった魔物たちは進化、変異しやすくなるという。元の世界で分かりやすく言うなら“ボス”だろうか。どんな魔物からも生まれる可能性があり、その周辺は荒れる。脅威個体はなるべく速やかに発見・討伐が望ましい。
「学園の森にも脅威個体が生まれた可能性はあるが……調査をしなければ何も言えんな。本当に偶然、スライムが密集した場所が出来てビッグスライムになったのかもしれんし。脅威個体が学園の森に生まれる確率の方が低い」
脅威個体はある程度、魔物が強くなければ発生しないらしい。故に、学園の森に住む魔物の強さを考えれば、発生する確率はないに等しいと。
「一応可能性は全教師に伝えたが、森への入場禁止令は出ていない。特クラスにはむしろ、どんどん魔物を討伐するように通達が来たよ。最近教師の間では、特クラス一年生の話題で持ち切りさ」
ビッグスライムを討伐した特クラス一年生。その中でもA判定を叩きだし、注目の的だったアロイスはさらに注目されているという。最近マグナットレリア寮ですれ違う生徒のアロイスを尊敬する目が物凄い。テオバルトにも色々と伝わっているようだし、少しだけ行先が不安である。
……アロイスが一身に尊敬や羨望の眼差しを向けられているのだから、マグナットレリアから離す気がないならいっそ領主にすればいいのに。その方が領地のためだと思うんだけどな。
「結構なお祭り騒ぎというか、まあ皆楽しそうにしているよ。誰も脅威個体が出るなんて可能性、考えちゃいない」
「……でも、ゼロではないのでしょう?」
「ああ、そうだ。だけど、教師陣もローテーションを組んで見回りと討伐を行うことになった。いざという時はすぐに駆けつけられるし、安心していい」
そう言って彼女はすっかり冷めたお茶を口に運び、喉を潤した。アロイスもそれに習い、優雅にお茶を飲み干す。
「ペトロネラ先生、今日はもう失礼しようと思います」
「あぁ、そうかい?せっかくビッグスライムの核が手に入ったから、色々と実験してみようと思っていたが……今日は時間がなかったか。君が来るまで待つとするかね」
「私にはお構いなく。先生は実験したくて仕方ないのでしょう?」
「ふふ、よくわかっているね。では遠慮なく」
席を立ち即座にビッグスライムの核に向かって行ったペトロネラを一瞥して、アロイスは研究所を後にした。真っ直ぐ寮の部屋に向かいながら、何やら考え込んでいる。部屋に戻って誰もいないことを確認し、いつもの通り椅子に座って、私はテーブルに降り立った。
「……セイリア、どう思う?」
突然の問いの意味が分からずに首を傾げそうになったが、アロイスの目を見て何を考えているかは分かった。森に起きた異変について思うところがある。以前この部屋を荒らして見つかった、ピクシーのアニッタに聞いた話を思い出しているのだ。この学園は魔王の配下が調査をしに来ている。おそらくアニッタだけが任務に就いている訳じゃないし、人間に見つかりにくい魔物たちが数匹紛れ込んでいるだろうと予測がつく。その紛れ込んだ魔物たちが、何をしているかなんて想像がつかない。
「関係があるかもしれない、ってこと?」
「……私はそう思っている。何かが森まで入り込み、そして森に何かをした可能性は考えられる。が、これは口外できないことだからな」
「神様との約束があるもんね……」
「そうだ。この情報を外に漏らせば君がどうなるか分からないからな」
こちらで出来るだけの調査をして、結果を学園に知らせる形にしよう、という話になった。私の約束で手間が増えてしまったのが申し訳なく、頭を下げた。ごめんよアロイス。私は出来るだけのことをやってアロイスを手伝うよ。
「セイリア、脅威個体は居ると思うか?」
「気配は感じたことはないけど……私たち、まだ森の奥まで行った事ないもんね」
私が他の気配、魔力を感じ取れるのはせいぜい半径数百メートルといったところで、強大なものならもう少し遠くても感じられるだろうが、相手が気配を殺していたら正確には分からないと思う。
脅威個体が居るのだとすれば、やはりボスらしく森の最深部……出入り口からは最も離れた場所に居そうだし。私たちはまだ浅い所で軽く魔物狩りをしているだけだから、奥のことはさっぱりだ。
「今のパーティーなら奥まで進むのは可能だが……君と二人で行った方が色々と便利な気がするな」
「それ、他の人から見たら一人で行ってることになるしやめた方がいいよ。絶対何か言われる」
「分かっている。言ってみただけだ」
アロイスは私のことを普通に人間としてカウントするし、“二人”なんて表現も使う。それは私にとってとても嬉しく、ありがたいことだ。でもそれは私たちの間でしか通じないことだから、それが不自由でちょっと面倒くさい。私が人間に化けられれば全て解決な気がするんだけどね。
「もう少し、パーティーとしての絆レベルを上げてから考えてみるか。皆、どうやら今のメンバーでパーティーを組むことに乗り気になったようだからな」
「よっぽど一回目の訓練が良かったんだね」
「……私も悪くないとは思った」
「うん、私もそう思ったよ」
今のクラスのパーティーは、とてもいいと思う。構成的にも、そして皆の相性もきっと悪くない。アロイスがまとめていくなら全員ついてきてくれると思う。ビッグスライムを凍らせた後の皆の喜びようを思い出して、ふと疑問に思ったことを口にした。
「そういえば、ドミニクがアロイスなら勇者になれる、みたいなこと言ってなかった?」
「ああ、あれか」
私のイメージでは、悪い魔王を打ち倒す者が勇者である。元の世界のイメージを伝えると、似たようなものだとアロイスが教えてくれた。
「昔は魔王を討伐する役目を背負っている、国の英雄のことだった。現在は国王に認められた能力あるものがつく、特殊な冒険者といったところか」
「特殊な冒険者?」
「国公認の冒険者だからな。国から支援をうけ、脅威個体や特殊個体の危険な魔物の討伐をする。王の目に留まらなければならないし、今は一人もいないな」
「へー……勇者かぁ」
想像してみたらその勇者はアロイスで、私の陳腐な想像力のせいか安っぽい赤いマントや妙な形の額当てを身に着けていて、それがあまりにも似合わなくて笑うように囀りが漏れてしまった。
もうそろそろ次の章にはいります




