40.アロイスとヒースクリフ
人と魔物が信頼関係を結ぶ、という話には聞き覚えがあった。それはたしか、従魔契約をせず魔物と親しくなり、特別な力を得ると世間ではいわれている話で、実際には魔物とパーティーを組み絆レベルをあげることだ。
「……ペトロネラ先生、本当にその研究をなさってるんですか?」
魔物は人間にとって格下の存在である。もちろん愛玩用として可愛がられることも、仕事を手伝わせることも、共に戦うこともあるけれど。それでも根本にあるのは魔物は害悪であること。感覚的にいえば動物園で格子の向こうに居るライオンやトラは喜んで見られても、サバンナで出会う野生のライオンとトラに喜べるはずがない、と言うのが近い。魔物とは身近でありながら危険を持つものであって、鎖でつながれていない獣を連れ歩く行為が歓迎されるはずがない。
私がカナリーバードという弱小種族であるから、たとえばれたとしても大事にならないだけで、従魔契約をしていない魔物と共にあること、さらにその研究となるとかなり危険なものだという認識があるはずだ。その研究をしているといわれて驚かないはずがない。アロイスもわずかに目を大きくして驚いている。
「もちろん個人的にひっそりと、だがね。私一人でしている研究なので、中々進展がなかったんだが君たちが協力してくれるならありがたいよ」
「……私も興味があることですから、お手伝いします」
「では、よろしく頼む。今日はもう遅いから詳しい話は後日するとして……アロイス、試験のことだが。君はこの学年でするべきことはすべて学んでいるんじゃないか?」
ペトロネラ曰く、アロイスの授業に対する姿勢は一年生とは思えないものらしい。知らないことを学ぶというよりは、知識の確認をしているようだといわれた。彼は読書家だから大体のことは学習済みでもおかしくない。
「授業をすべて受けなくても試験を済ませることはできるが、どうだ?さっさと試験を終わらせて、研究に没頭するっていうのは」
「それもいいですね」
アロイスはペトロネラの提案を喜んで受ける。授業終わりの時間に少しずつ試験をやっていって、一年分の試験を合格した暁にはこの研究所に所属し、研究三昧の日々を送るという話で決まった。
研究熱心な人の気持ちはよくわからないけど、楽しそうなので何よりである。この体になってからどうも考えることやら勉強やら、頭を使うのが苦手なんだけどアロイスはそういうのが大好きなんだよなぁ。
……アロイスが頭を使うのが得意だから、余計に考えることを彼に任せて自分は何も考えなくなってきている気がしてきた。うん、気をつけよう。
「では気をつけて自室まで戻るように。また明日、教室で会おう」
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「何かあったのではないかと、気が気でなかったです」
「……すまない」
中々帰ってこなかったアロイスを廊下で待ち続けたヒースクリフに泣きそうな顔でそう言われて、アロイスは少しばつの悪そうな顔で謝った。ちょっと顔を出して、研究所に所属したい旨を告げて帰ってくるつもりだったので、ヒースクリフの授業が終わるころには部屋にいる予定だったのだ。
ペトロネラの授業時間は、どうやら他のクラスや学年とずれているらしい。初日以来、ほとんど人とすれ違わないのである。私としては注目されることも少なくていいけどね。
テキパキと働くヒースクリフにアロイスが着替えさせられ、お茶を飲んで一息吐いた後に少し報告する。ペトロネラの研究所に所属することや、試験をしていくこと。この部屋を空けることが多くなるので、廊下でずっと待っていなくてもいいと。必要なときはコンタクトバードで呼ぶので、それ以外は自室で休んでいてくれ、と。そういう話をすると、ヒースクリフは少し悲しそうな顔をした。
「アロイス様はあまり側仕えを必要とされていないのですね。余りお役に立てていないのが、申し訳ないです」
……そっか。アロイスってずっと自分一人でやってきたから、他人に頼む方法がよくわかってないんだ。ヒースクリフは誰かに仕えるように教育されていたのだろうし、アロイスに必要とされている実感が湧かなくて、役に立ちたいけど出来ないのが辛いんだろう。
「……ヒースクリフはよくやってくれていると、思う。ただ、私が主人として足りないだけだ」
「へ?え、いえ、そのようなつもりでは……!!」
「私にとっては君が初めての従者だ。主従というのが、どういう関係を築けばいいのか正直よくわからない」
アロイスがヒースクリフにその話をしたのは意外だった。アロイスが領主の邸であまりいい扱いをされていないことが言外に伝わったはずだ。ハッと息をのんだヒースクリフに、アロイスは苦笑を漏らしながらヒースクリフの淹れたお茶を口にする。
「私は既に、君には多くのことを任せているつもりだった。しかし君はそう思わなかったんだな」
「……はい」
「すまなかった。そしてこれからも私は変わらないと思う。ヒースクリフ、望むなら私以外の主人を探していい。私は気にしない」
その言葉そのものがヒースクリフを必要としていないという意味なのだけど、アロイスは分かっているのだろうか。……分かっていないんだろうな。アロイスはヒースクリフを気遣ったつもりなのだろうから。
それを言われた本人は、俯いて少しの間をあけた後に「わかりました」と呟いた。
「私はアロイス様に必要とされる従者を目指して、努力いたします。アロイス様に必要とされる側仕えは、他の貴族に必要とされるものとは全く違うようですから。こんな特別な仕事、逃しませんよ」
「……そうか」
ヒースクリフが笑顔で胸を張って言った言葉は、アロイスにとって予想外だったのだろう。瞬きが少し早くなっただけの表情の変化だけど、とても驚いている。
……この先ずっと、アロイスの後ろにはヒースクリフがついていくような気がする。この主従は今初めて、主従として歩み出したように感じられる。これから信頼関係を築いて、良い主従になっていければいいな、と思う。だって従者はアロイスの帰る場所を整えて、護る人だからね。アロイスを支える人間が増えるのは大歓迎だ。
「ヒースクリフ、今日はもう下がっていい」
「かしこまりました」
お茶を片付けて、ヒースクリフが帰っていった。アロイスは何も言わなかったけど、ちょっと嬉しそうに見える。
「アロイス、ヒースクリフのこと結構気に入ってるでしょ」
「何故そう思う?」
「だって、初めての従者だって教えたから」
それは、それなりに信用していなければ伝えないことだと思う。実際、アロイスはこの学校に来てから家のことなんて誰にも話してなかったし。人の話を聞くことはあっても、自分のことは全然話していない。まあ、友達って呼べる存在もいないんだけどね。ピーアがギリギリ学友と呼べるくらいだろうか。
「目を見れば、大抵の人間の自分に対する感情が読み取れる。人間の表情の裏を読むのは得意だ」
それは、アロイスが身を守るために身に付けた技術だろうか。嘘ばかりの表情を作った大人に囲まれたアロイスが、生きるために必要とされた能力なのでは、ないだろうか。
そう思ってちょっと暗い気持ちになった私だが、当の本人はふっと口元を緩めて笑った。
「……だから、純粋に慕われているというのも分かる。初めてだが、悪い気はしないものだな」
「そっか」
確かにヒースクリフはアロイス信者というか、アロイスを見ている時は尊敬でキラキラした目をしている。彼は表裏がないというか、貴族としては珍しく顔に出るタイプなのだ。……アロイスはそういう人間の方が信用しやすいんだろうな。
「それから、君の考えていることはよくわかるつもりだが……何も考えずに行動している時は流石に私も分からないので、何かする時はまず考えてから行動するように」
「……はーい」
そんなことを言われても、体が勝手に動いてしまうんだもの。頭で考えるより先に手が出るタイプっているけどまさにそれだよね。本能に負けちゃうんだよね。仕方ないよ。私、鳥だもの。
「……体が勝手に動くから仕方ない、と考えたな?」
「えっと……」
「体が鳥だとしても、君は人間だろう。少しは考えるように」
……すべてばれているらしい。アロイスが私の考えを読み過ぎてて吃驚だよ。絆レベルのせいなのかな。分かられ過ぎてて、余計な事できないね。これ以上絆レベルがあがったら、テレパシーでも使えるようになるんじゃないんだろうか。研究していけば分かるのかな。
「あ、そういえばペトロネラに従魔契約してないって、ばれちゃったんだよね?」
「ああ、でも問題ない。あの人もあまり口外出来ない研究をしているようだしな」
そうか、それなら大丈夫かな。ペトロネラの前で喋るのはありなのだろうか。私とアロイスの関係って、普通の魔物ではありえない状態だろうから、研究するために情報公開が必要ではないのかな。
「まだ暫く話せることは秘密にしておくように。必要になったら話せばいい。それまでは隠しておくことだ」
ほんと、喋らなくても私の考えが分かるアロイスどうなってるの?と思って見ていたら目が合った。……君が分かりやす過ぎる、と思われた気がする。相手の考えがわかるのはお互い様か。なるほど。
アロイスに沢山味方が出来てほしいセイリア。他人の信用の仕方があまり分からないアロイスでした。




