39.ペトロネラの魔物研究所
本日の授業も終えて、午後の自由時間。ペトロネラの研究所に入るべく、その相談をするために彼女の研究室に向かって歩くアロイスの足取りは軽かった。新たな知識に出会えるかもしれないと機嫌が良さそうなアロイスを見る私の気分もよかった。そう、途中までは。ぞわぞわと背筋を駆けのぼる悪寒に、風邪でも引いたのかと思った時だった。
「優秀だそうだな。噂になっているらしいじゃないか」
突然そう話しかけてきたのは、蜥蜴と龍を足して二で割ったような魔物を連れたテオバルトだった。他の学年に出会うことがなかったから、すっかり忘れていた。この学園にはコイツもいたこと。
……多分、このテオバルトが連れている魔物がワイバーンだ。外に出しているということは、テオバルトも特クラスなのだろう。アロイスと同じ色のブローチを着けているし、間違いない。
「いえ、兄上……私など、運よく成績を残せているだけです」
「そうだな、運よく私の鳥を譲られて、運よくその鳥が有名になって、運よくお前も注目されている」
相変わらず腹が立つ。私はテオバルトが大嫌いで仕方ないのに、威圧は発動していないらしくテオバルトを退散させることはできていない。【強者の風格】め、ちゃんとこういう時に仕事をしてほしいものだ。もしかして人間には効かないのかな。……その可能性があるよね。使えたらテオバルトを失神させてやるのに。
「あまり図に乗るなよ、お前は領主一族なんだからな」
「………はい」
あぁ、いやだ。嫌なことを押し込めるようなアロイスの作り笑顔は嫌だ。私は彼にこの顔をさせたくないのに。私が自分を隠している限り、テオバルトに文句を言うこともできない。もう、いっそのこと全てばらしてもいいから、文句を言い連ねてテオバルトに攻撃できればすっきりするだろうに。
『……おい、それ以上は止めておけよ。やばいって、お前、あれが分かんないのかよ。これだから人間は』
グルル、と声を漏らしながら尻尾で軽くテオバルトの靴を叩くワイバーン。人間が感じ取れないだけで、【強者の風格】による威圧は放たれているのかもしれない。ワイバーンの声には焦りや恐怖が感じられた。
「どうした、ゲオルク。あぁ、退屈か?ならばもう帰るとしよう。じゃぁ、くれぐれも気を付けるように」
そう言ってテオバルトはワイバーンと共に去っていく。……ゲオルクって、それ最初に私に付けようとした名前じゃなかっただろうか。その名前に何かこだわりでもあるのか。
テオバルトが去った後、アロイスは暫くその場に佇んでいた。楽しかった気分もぶち壊しで、何とも言えない不快感とか、逃げられない現実とか、そういうものを急に突きつけられて、気持ちに整理がつかないようだ。金色の瞳がゆらゆら不安げに揺れている。
「アロイス」
彼の頬に自分の顔を摺り寄せて名前を呼ぶ。ここじゃ人が来るかもしれないから、ちゃんと喋ることはできない。だから励ましの言葉をかけることも出来ない。しかし何もしないでいることも、出来なかった。
「……大丈夫だ。邸に居ればいつものこと。ただ、学園に来て久々だったから少し……」
そう言うアロイスの顔色が良くないから、私は心配で仕方がないのだ。
……光の神様、肉体以外も癒せるなら、アロイスの心を癒してください。とそう願えば自分から魔力が抜けて行ったので魔術は発動したはずだ。よかった、精神的にも癒しの魔術は使えるんだ。と思っていたらアロイスがうっすらと、先日のブルーノのように淡く光をまとったのでびっくりした。精神的な癒しでも光るんですか、まじですか。慌てて周りを見渡したが、人の姿は見えなくてちょっと安心した。
「…………セイリア。それはあまり使うな。光属性の魔術は対象が光るから、属性がばれるぞ」
小声でそう私に注意しながら、落ち着きを取り戻した金の目を軽く細めて私の頭を撫でた。うん、ありがとうって言われた気がする。でもあんまり光の魔術は使わないように、と。精神回復でも光るんだね、気を付けよう。
「いくか」
頷いて同意を示す。迷いなくしっかりと歩き出したアロイスの表情に陰りはなくて、私は自然と囀りながら前を向いた。
――――――――――
「歓迎するよ、アロイス=マグナットレリア。君は優秀だからな、私の研究所に来るなら大歓迎だ、大変喜ばしいよ」
ペトロネラはそう言って、アロイスを自分の研究室に招き入れた。この部屋の奥がペトロネラの研究所で、外から見ると巨大な塔に見える。中がどうなっているかは入って見れば分かることだからおいておくとしてそれよりも。
(部屋、ものすごく汚い)
ペトロネラの研究室は、資料という資料が積み重なったり床に散乱したり、サンプルと思わしきものが入った瓶がその辺に置かれていたり、とにかく雑多というか、足の踏み場がほとんどない。
アロイスの部屋は秘密部屋まで綺麗に整頓されていたから、こういう部屋がぐちゃぐちゃなところを久々に見た。具体的に言うと前世の自分の部屋以来である。
「……先生、一つよろしいでしょうか」
「ん?なんだね?」
「この部屋、片づけてもよろしいでしょうか」
アロイスは汚い部屋が落ち着かなかったようだ。部屋の持ち主に許可を取り、床に散らばるものを片付け、処分する物とそうでない物を分け、とにかく掃除をする。
私はテキパキと動き回るアロイスの邪魔になってはいけないので、適当な机の上でペトロネラが「あぁこれは懐かしい、とっておきたい」とか「お、こんなところにあったのか。何年振りかに見た」とか言いながらとっておこうとするものをアロイスが容赦なく「一年使わないならいりません」と捨てていく様を眺めている。
そうそう、掃除ができない人って物が捨てられないっていうかさ。物を捨てられる人に手伝ってもらわないといつまでも片づかないんだよね。
「……これでいいでしょう」
アロイスがそうやって手を止めたのは、この部屋に来て三時間後くらいのことだった。
なんということでしょう。散らかり放題だったペトロネラ先生の研究室は、匠の手によって生まれ変わり、資料はすべて棚に収められ、サンプルたちもきっちり並べてしまわれて、床に落ちているものはなにもありません。ごちゃごちゃとしていた研究室は、さっぱりと清潔感のある部屋に生まれ変わりました。
いや、部屋がどんどん綺麗になっていくのを見ているのは結構楽しかったよ。でも三時間無言で過ごすのは流石に苦痛だったし、何かできないかと思ってやる気が出るだろうと思われる歌を歌っておいた。運動会クラシックメドレーである。作業効率があがったし、歌い始めて暫くすると奥の部屋から出てきた白衣の集団も手伝い始めてすごかったよね。見る見るうちに部屋が片付いたよ。
片づけが終わると白衣集団は奥の部屋に引っ込んでいった。残されたのはペトロネラと私たちだけだ。
「いやぁ、ここがこんなに綺麗になったのって使い始めた年以来じゃないかな。ありがとうアロイス、まぁとにかく歓迎するよ。君の従魔も面白い歌をどうも。本当に興味深いカナリーバードだな、解剖したい」
……ペトロネラの目が怖くてそっと目をそらし、アロイスに寄り添っておく。怖いよあの先生、思ったこと口にする癖があるのかどうかしらないけど、本気じゃないにしても怖いこと言ってくるよ。
「先生、冗談だとは思いますがそれでも怒りますよ」
「いや、何、すまないね。でも君のカナリーバードはもうすぐ寿命なんじゃないか?その時は」
「先生」
アロイスの声が尖って聞こえた。声を荒らげている訳じゃないのに、とても短いひとつの単語であるのに、それはぞっとするほど怒りが籠っていて、それを向けられたペトロネラは勿論、私まで身が固まった。
「……すまない。その子は従魔ではないんだな」
眉尻を下げて、申し訳なさそうな顔をしながらそう言われた。従魔契約をしていないことがばれたのか、他の意味も含んでいるのか、私には判断できない。謝られたアロイスは一度目を閉じて怒りを吐き出すように長く息を吐いた。
「申し訳ありません。失礼いたしました」
「いや、その可能性があったのに失礼したのはこちらの方だ。久しくそのような関係の人と魔物を見ていなくてね」
とても優しく慈愛に満ちた母親のような表情に面食った。ペトロネラの研究者じゃない顔は初めて見て、そのイメージのギャップが凄くて、つい目を瞬かせてしまう。
「アロイス、まだ私の研究所に来る気はあるかい?」
「……はい。そのつもりです」
「そうか。ならばお詫びという訳じゃないが、君にはちょっと特別な研究を手伝ってもらいたい」
先程までの優しい顔はなりを潜め、一瞬で研究者の好奇心に満ちた顔に戻ったペトロネラはこういった。
「人と魔物が信頼関係を結ぶことによって得られる、特別な力の研究だ」
久々のテオバルトがやってきました。一応同じ学校に居ますからね……今まで出会わなかったのは色々理由がありますが、それはまた次回。




