16.アロイスの立場
帰ってきました
「帰ったら少し話し合いをしましょうか」
ニコリ、と笑いながら丁寧な言葉で言われてちょっと固まった。どうしよう、アロイスの様子が可笑しい。私に向かって敬語で、しかも仮面笑顔を向けている。とても怒られる気しかしない。
アロイスの注意をすっかり忘れて特攻し続けたのが悪かったらしい。帰宅中はどう言い訳するべきか冷や汗をかく気分で過ごすことになった。
しかし、それは邸に着くまでのこと。使用人が開いた扉をくぐった後、ぞわぞわとした嫌な感覚がやってくる。これ、あれだ、絶対あれだ。
「ピ」
「……セイリア?」
アロイスに伝えたいが、近くに使用人が居る状態で喋るわけにも行かない。それでも何かしら伝わればと鳥らしい鳴き声をあげてみた。それだけで伝わるはずもなく、彼は小首を傾げた後真っ直ぐ歩き始めた。
ああだめだ、そっちに真っ直ぐ行ったら、だめだ。そんな私の不安どおりに、従者を連れた機嫌のよさそうな金髪紫瞳に遭ってしまった。
「帰ったか。魔物狩りはどうだった?ソレは足手まといだっただろう?怪我などさせなかったか?」
とても機嫌がよさそうで、楽しそうなのに、嫌な笑顔に見えた。いつもどおりに彼の後ろに控えるオイゲンは、軽く目を伏せてこちらを見ないようにしているのがどうも不安を掻き立てる。
とても楽しそうなテオバルトと対照的に、笑顔のはずのアロイスはとても辛そうに見える。テオバルトからは明確な悪意を感じるから、それを正面から受けているアロイスは刃を向けられているような気分なのかもしれない。……ムカつきで全身の毛が逆立つような気がする。
「なにやら膨れているようだが、体調が悪いのではないか?鳥は具合が悪いとそうなるのだろう?早く休ませたほうがいいぞ、明後日の社交界でそれの披露目をするからな」
「っ……そのような話は聞いておりませんが」
「あぁ、魔物狩りに連れて行けるほどなのだから、芸の仕込みは十分なのだろう?私が父上に進言しておいたからな、感謝するといい。今日の疲れや怪我で欠席させることは出来んからな、体調は万全にさせておけ。では、楽しみにしている」
くるりと踵を返してテオバルトが居なくなった。これを言うためだけにやってきたのだろうか。そうだとしたらかなりの暇人だ。
少しして、優雅な姿勢は崩さないまま早歩きでアロイスが自室に向かう。その表情は硬く冷たいように見えて、なんだか心配になる。
テオバルトが何故アロイスに悪意を向けるのか、二人は兄弟のはずなのにその間にあるものは一体何なのか。分からないけれど、アロイスがテオバルトに会うと苦しい思いをすることだけは確実だ。できるだけ、二人を会わせたくないけれど……広いとは言っても同じ家に住む家族だ。避けられるものではない。
自室に入りドアを閉めた途端、深いため息を吐いたアロイスを見上げる。まだ仮面を被っている。今は無表情だ。
「大丈夫?」
声をかけられて、そこでようやく私が居ることを思い出したようにハッとしてこちらに目を向ける。
不安げに揺れる金色は何かを迷っているように見えるけど、アロイスの考えが私に分かるはずもない。私の気持ちがアロイスに伝わらないのと同じだ。話さなければ、分からない。
「帰ったから、話し合いをするんだよね」
アロイスの硬い空気を和ませたくて、明るい声で言ってみる。アロイスの口角がゆっくり持ち上がり、その表情は苦そうだったけど笑ってくれた。
「……そうだな。話し合いをしよう」
アロイスが私の籠を掛けて、出入り口を開けてくれたので外に出る。ベルトやら胸当てやらを外して、少し楽な恰好になった後いつものとおりアロイスが椅子に座り、私は机の上に乗る。私とアロイスが話す時の定位置だ。
「セイリアが鳴いたのは、兄上が来ると分かったからか?」
「凄く嫌な予感がしたから、そうだと思って」
「籠の中にいたのにとんでもない察知能力だな。驚いた」
「今度から、嫌な感じがしたときは鳴くね」
「あぁ、そうしてくれ。避けられるなら避けたいし、避けられなくても心構えはしておきたい」
神妙な顔で頷かれる。うん、私もできることなら会いたくないからね。全面的に協力するつもりである。
頷いて同意を示していると、アロイスが言葉を迷うように何度か口を開閉したあと、零すように言った。
「……私が兄上に嫌われているのは君も分かっているだろう?」
「まぁ、あれだけハッキリ悪意を感じられる態度だからね」
「何故だと思う?」
そんなことを言われても分からない。私はこの家の事情に詳しくない。アロイスの周りにオイゲンのような従者が居ない理由も、邸の隅の方にアロイスだけが住んでいる理由も、テオバルトがアロイスに向ける悪意の理由も。私が分かるはずもない。私はアロイスに会った日から今日まで、使用人も出入りしないこの部屋から出たことがなかったのだから。
「……分からないよ。でも、アロイスの扱いが悪いのは分かる。兄弟のはずなのに、テオバルトよりずっと立場が低いのは何でなの?」
「私が妾の子だからだ。……あぁ、妾というのはだな……」
衝撃で唖然としていたら、私が妾という言葉が分からなかったと思ったらしいアロイスが説明してくれる。
アロイスの母親はとても美しい人だった。富豪の娘だったが平民で、この館の使用人として働いていた。とても美しいその女性に領主が惚れこんでしまい、上級貴族で懐妊している正妻がいるにも関わらず口説きまくった。アロイスの母親も初めのうちは断っていたのだけど、その熱意に段々と絆されてついには結ばれ、アロイスが生まれた。領主は平民と結婚できないから、婚姻関係はなかったがアロイスは領主の子だ。離れでひっそりと育てられていたらしい。
それが正妻にばれ、母親は不審な死を遂げ、アロイスは領主に引き取られることになったが、正妻に疎まれながらここで生活している。領主もアロイスを引き取る際に色々とあったらしく、正妻に頭が上がらないと。
「……魔物には分からないかもしれないな」
「分かるけど……テオバルトは、母親にアロイスを疎むように教育されてるからあんな態度なの?」
「それもあるだろうが……魔力量がな。私の方がずっと多いので、兄上自身も私を嫌っている」
「あー……なるほど」
テオバルトのあれは嫉妬の類らしい。そして正妻にとっては浮気相手の子供だし、領主は正妻に抑えられている状態でほとんど手助けにならない。使用人たちはそういう領主一族の空気を読んでいると。
アロイスを取り巻く環境は非常に厄介なもののようだ。正妻が采配を振るっているので、アロイスの周りには使用人がいない。廊下ですれ違う者達は、領主一族に対する礼をしているけれど、正妻に逆らってまでアロイスに付き従おうとする者は居ない。だからアロイスは身支度も部屋を整えるのも、自分でしている。食事は部屋の前までは運ばれるが、後は自分で準備して食べている。これが普通ではないはずだ。テオバルトにはずっとオイゲンがついていたし、邸の中には沢山の使用人が居るのだ。身の回りの世話をする者が、他の領主一族には居ると思う。
もっと早く、何でも自分でしているアロイスに疑問を持つべきだった。どう考えても一人で何でもやってる貴族なんて可笑しいだろう。
「……私に手があれば、色々と手伝えるのにね」
「もう慣れているから、いらないな。君は私の話し相手をしてくれたらいい。それよりも、君にはまず考えないといけないことがあるだろう?」
「え?」
「明後日の社交界だ。普通なら完全に嫌がらせだが、君だからな。どうにでもなるはずだ」
そういえば、テオバルトが披露目がどうとか言っていた気がする。つまり、私は何をすればいいのだろうか。
「君は言葉が分かるのだから、求められることをすればいい」
「えっと……もうちょっと詳しくお願い?」
「招待客の反応を見て臨機応変によろしく頼む。私を護ると約束した君なら、私のために頑張ってくれると信じている」
あれ、なんだろう。私、鳥なのに胃のあたりが痛いような気がしてきた。凄いプレッシャーを感じるよ、気のせいかな?




