10.飼い主と名前
新しい名前がぞくぞく…自分で間違えそうです
領主一家に買われて五日目である。
テオバルトは毎日この部屋にやってくるが、私は絶対に彼から逃げるようにしている。食事を抜かれて空腹の中でも、テオバルトの手元にある餌を食べに行くようなことはしない。
「くっ……魔物の分際で」
そのようなことを言う相手に懐くはずもない。
私が召使いと呼んでいた壮年の男性は、オイゲンという名のテオバルトの侍従らしい。今日もテオバルトの少し後ろに控えて困ったような笑みを浮かべている。
「おい、ゲオルク!いい加減にせぬと許さんぞ!お前の代わりなどいくらでもいるのだからな!」
ええ是非、私を解放して代わりを連れてきてください。という声は心の中にとどめておくとして、早く諦めてほしいものだ。
しかし、ちょっとお腹が減った。ここには食べられるような他のモンスターも虫も居ないし、花は咲いているが実がついているものは殆どない。いくら雑食とはいえ、葉ばかりをもりもり食べても栄養バランスが悪いし、そんなにお腹にたまらない。
「テオバルト様……あの魔物はそれなりに高価ですので、手放すわけには参りません」
「……しかし、アイツは私のいうことを全く聞かぬではないか。あの店はこんなものに高値をつけたのか?」
「調教が済んでいないとのことでしたし、躾けられていない魔物はこのようなものです。カナリーバードとしては珍しい色で、スキル持ちだから高価だったのですよ」
「私の命令が聞けぬ魔物など、要らぬ。私は新しいのが欲しい」
モンスター屋が「クソガキ」と評したのも分かる我侭っぷりである。しかし私としては都合のいい流れだ。このまま野生に返されれば御の字、売られるにしてもテオバルトから離れられるなら万々歳。
「フィリベルト様がお許しになるかどうか……青いカナリーバードは珍しいですから。社交の場に連れ出せば注目も集まるでしょうし、ビアンカ様もお茶会の場で話題として使いたいようですから」
「それなら父上か母上がアレを使えばいいじゃないか。私はもう要らない」
会話から推測するにフィリベルトが領主、ビアンカが領主夫人でテオバルトの母親だろう。そして私は希少価値のある青いカナリーバードなので、テオバルトが要らないと思っても領主夫妻は必要としていて捨てられないと。
貴族の見栄というもののために私は必要らしい。夫人のほうは知らないが、領主は頭が固そうだったし私を手放すことはしてくれないかもしれない。
「領主夫妻は既に最大数の従魔を持っていらっしゃるので、これ以上は難しいかと」
「……………あぁ、そうだ。いいことを思いついた。アロイスに下賜する」
「アロイス様に、ですか?何故……」
また新しい名前が出てきた。オイゲンが様付けで呼んでいるのだから、それなりの地位にある人物のはずだ。でもテオバルトは呼び捨てしているし「下賜する」と目下の者に対する言葉を使っているので、テオバルトよりは下の者になるはず。
言い方から察するに、アロイスという人物はテオバルトに振り回されている可哀想な人だと思う。まだ見ぬアロイスにお互い大変だね、と声を掛けたくなった。
「上の者から下賜されたものをぞんざいに扱うことはできない。アロイスは私を支えなければならない存在なのだし、私には必要ないが領主一族に必要な魔物の世話くらいできるだろう。早速ここに呼んで、一刻以内にあの鳥を連れていくように言え。出来なければ……今度は何をしてやろうか」
テオバルトの深紫の瞳は、嗜虐的な喜色を浮かべていた。見た目は十歳ほどの子供なのにそんな目をする彼が怖いものに見えた。……いや、子供だからこその残虐性、なのだろうか。とにかくお近づきになりたくないな。
テオバルトとオイゲンが部屋を出て行って、少しほっとした。知らず知らずのうちに力が入っていたらしい。やっぱり、私はテオバルトと相性が悪いと思う。
暫くして、一人でやってきたのは黒い髪と金の瞳をした少年だった。彼がおそらくアロイスだろう。
テオバルトよりは少し背の低い、けれど身にまとう空気は子供の持つものではなく、とても落ち着いていて……。
(え?なに……?)
一瞬、その子がキラキラしているように見えた。瞬きをすればそれはなくなってしまったので、気のせいだったかもしれないのだけど。
金の瞳がぐるりと部屋を見渡し、木の上に居る私を見つけたところで止まる。テオバルトと目があった時は背筋が冷たくなったが、今度はむしろワクワクというか、私の本能が彼の元に行くように囁いている気がする。
どうしよう。理由は分からないけど彼のところに行きたい。でもどんな人間かもわからないのに傍に行くのはちょっと……と迷っている私に、優しい声がかけられた。
「君も大変だな……兄上から酷い目にあわされたんだろう?でも人間全てがああではないから、ちょっとだけ私を信じてみてくれないか?」
私に言葉が通じることを知っているわけではないはずだ。だが心を込めた言動は、動物やモンスターにでも少しくらい届くのではないか、と思っているらしい。じっと私を見る金の目に悪意は見えず、たとえ言葉が分からないモンスターでも私は彼の元に行っただろうな、となんとなく思った。
だから素直に木から降りて、彼の伸ばされた腕に止まった。
「君の名前はゲオルクだと兄上から聞いたのだが……」
「ぴ……(私女の子だってば……)」
「……嫌そうだな。私が新しい名前を考えてもいいか?」
是非お願いしたい。できれば男性名ではなく女性名でお願いしたい。そういう期待を込めつつ、アロイスを見つめる。
彼は目を閉じて少し考えた後、一度頷いてからゆっくり口を開いて言った。
「セイリアというのはどうだろう?」
「ピ!(女の子っぽくていいと思います!)」
「あぁ、気に入ってくれたみたいだな。今日から私、アロイスが君の主人だ。よろしく頼むぞ、セイリア」
アロイスは子供の顔に浮かぶには違和感のある大人っぽい笑みで、ほんのり嬉しそうに目を細めた。テオバルトを兄上と呼んでいたのだから、彼はテオバルトの弟だ。もっと子供らしくてもいいはずなのに、無理やり大人になったかのような……外見と内面のアンバランスさが、危うく見えた。
私の目に見える彼はギリギリのバランスで立っている、ほんの少しでも触れようものなら壊れてしまいそうな積み木の塔のようだ。彼を支えるものが必要だと思う。彼の心を少しでも守る、守ろうとする誰かが必要だと強く思った。
「よろしく、アロイス」
「っ……!?」
何故だか分からないが、私は彼を支えるためならここに居てもいいと思えた。そうしたら自然と口が開いて、言葉が出てきた。彼には隠すなと本能が言っているのだ。
突然喋った私を目をまん丸にして見つめるアロイスの顔が、初めて子供っぽく見えて少し安心した。
飼い主と名前がやっときまりました。お喋りバードセイリア、頑張ります




