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Android  作者: ふみ
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1.

アンドロイド。特に精巧で美しいもの――個人の趣味のためのものなど――は、通称「ドール」と呼ばれる。


20XX年、人間はアンドロイドやロボットと共に生きていた。共に、という表現を使うのは、勿論彼らに頼りきりで生きているような、怠惰で堕落した人間たちだったが。


坂木文音は、個人のアンドロイドを所有しないことを選択した一人だった。人に限りなく近く、メンテナンスや設定次第で人と殆ど同じに歳を取り、人工知能により生々しい感情を――勿論人間よりはずっと理性的で合理的だが――を持つアンドロイドが、本能的に恐ろしかったからだ。人に似て、限りなく人に近くて、しかし人ではない、と文音は思っている。だからこそ、人とそうでないものの境目を曖昧にする彼らが更に恐ろしく見えたのかもしれなかった。


アイデンティティーを脅かす恐れのある者たち。文音にとって、アンドロイドたちはそういう者だった。


だからこそ、文音は今、部屋で頭を抱えていたのだった。


話は少し前に遡る。


坂木文音は高校二年生だ。親元を離れて独り暮らしをしているのは、自ら望んだことである。家族仲は良いが、自活できるようになりたかったのだ。両親は、便利になった――管理された世の中で――文音はきっと何とかやれるだろうと判断した。


卯月。お気に入りの折り畳み傘をさして、文音は最寄り駅から自宅までを歩いていた。赤の地に、ミィがプリントされたそれは、雨の日でも文音の気分を良くした。リュックに在る、折り畳み傘のカバー――緑で、スナフキンが大きくプリントされているやつだ。文音はスナフキンが好きなのだ――も、文音の機嫌を良くする一因だった。


そんな文音の気分を落ち込ませるものが、最寄り駅から自宅までの十分足らずの道の、ゴミ捨て場に在った。


ゴミ捨て場とは、便利になり過ぎた世の中で、人間が動くために置かれているものだ。アンドロイドたちは、許可がなければ立ち入ることができない。ただ、例外もある。


例外は――


「嘘……」


――廃棄処分の時だ。


雨に濡れ、無造作に捨て置かれたのだろうそのままで、目立つ白銀の髪のアンドロイドが居た。


「近づかない方が良い」


ゴミ捨て場で働く職員が文音に声をかけた。受け付けのようなところで、相棒のアンドロイドといる。個人所有のアンドロイドを持つ人間は、大抵、共に仕事をするのだ。男が持っているのは、色気もなにもない、作業に特化したものらしかった。ロボットなのかもしれない。


「何故ですか?」


文音は受け付けに歩み寄り、尋ねた。ゴミ捨て場に在るものは、誰が持ち帰っても構わないものだと規定されていた。即座に処分して欲しいものは、ゴミ捨て場の隣に併設された処理場に任せることになっている。


「そいつはマーダーマシンなのさ。暗殺のために作られ、捨てられた」


文音は息を呑んだ。マーダーマシン――殺人機械のことは、聞いたことがあった。アンドロイドを特別にカスタマイズして、暗殺に役立つことをプログラミングし、特別な訓練を行って暗殺者へと仕立てあげるのだ。人より金はかかるが、その分仕事は的確で、顔を変えれば何度でも使えるという。


「それなら、何故……?」


当然、そのアンドロイドを憎む人間もいる。しかしそれら哀れなアンドロイドたちは、アンドロイドとして成立する前に、既にプログラミングをされていて逆らえないのだ。そんな彼らにいきなりの処理場行きはあまりに酷だろうということで、他のアンドロイドたちと同じく、全ての記憶を消して暫くゴミ捨て場に置いた後、拾われなければ処理場行きと決まったのだった。


「縁起が悪いだろう? 可哀想な話だがね。庶民でも新品のアンドロイドを買える時代に、わざわざマーダーマシンなんか拾う奴はいない」

「でも、おじさんだって、その彼を大切にしていらっしゃるのでしょう?」


文音は手全体を使って、相棒だろうアンドロイドを指した。アンドロイドは好きではないが、見下したりはしないのが信条だ。


「長く一緒にいれば、愛着も湧くんだ……金持ち連中は、そうじゃないだろうが」


元は誰かのものだったアンドロイドは、余程の金をかけて美しくカスタマイズされたものでない限り、ただの中古として嫌われる。記憶を全て消されていても、人間は嫌悪感を抱くのだ。何故なら、アンドロイドはセクサロイドとして度々使われるからだ。おそらく嫌悪感を抱く人間たちの何割かは、自身もそのようにアンドロイドを利用しているのだろう。鬱憤が堪れば、アンドロイドで発散する――汚い話、犯罪は減った。だからこそ、アンドロイドたちの権利を叫ぶ人間はとても少ない。


「彼の処理場行きは、いつですか?」

「今夜だ」

「え……」


職員の答えに驚いて、文音はさしていた傘を取り落としそうになった。尤も、進んだ文明の中でも数少ない、屋根のないこの施設でそんなことをすれば大変だと知っていたので、慌ててしっかり掴んだが。


「殺した人数が多いほど、処理場行きは早い」


職員は説明したが、文音は納得できなかった。どんなマーダーマシンでも、平均して丸一日の猶予は貰える筈だからだ。


「でも、今朝はまだ来てなかった筈ですが」

「二時間ほど前に来た。そして、あいつの命は……あと二時間」


短い猶予。それが銀髪のアンドロイドの犯させられた罪の重さを表す。


文音は、ただ理不尽だと思った。平然としている眼前の職員にさえ怒りが湧いた。人間は、どうしてこうも身勝手なのだろう? ここで知らぬふりをすれば、このアンドロイドはこの世から消える。


「数人ここを通ったが、誰も連れて行かなかったな……おい、君!」


職員の声を無視して、文音はそのアンドロイドの元に向かった。そして屈んだ。


「すみません。起きていらっしゃいますか?」


近すぎない位置から、アンドロイドに自分の傘をさして文音は尋ねた。すぐに体は濡れたが、そんなことが気にならないくらい、そのアンドロイドはとても綺麗な顔をしていた。白磁の肌は人のものと同じような質感を持つが、段違いに滑らかだったし、鼻筋は通っていて、銀の睫毛も長い。ただ、人に限りなく近いというだけあって、雨の冷たさに顔は蒼白で、唇に色はなかった。


アンドロイドの瞼が、ゆっくりと持ち上げられた。文音はその瞳を見て、驚いた。淡い、青みを持つ優しい紫だった。微妙な色合いの瞳にするには高くつくと聞いたことがあった……。


文音は見とれた。目を開いたアンドロイドは、神懸かって美しかった。


「何か用か」


ぼうっとしているところに低い声で冷ややかに聞かれ、文音ははっとし、次いで言葉に詰まった。文音の知るどのアンドロイドとも異なっていたからだ。


「あんたも、俺をからかいに来たんだろう」


不機嫌そうに言い、睨んでくる。いっそ人間的だった。記憶を全て失ったところに、ある程度の情報と世の仕組みと共にお前は今日殺されるのだと説明されれば、こうなるのかもしれない。文音は気を取り直し、答えた。


「いいえ。私は、貴方を引き取りに来たのです」

「嘘だろう。会話は全て聞こえていた」

「受け付けからここまで歩いたのは貴方を引き取るためなので、強ち嘘でもありません」


自分で言いながら、屁理屈だ、と文音は思った。アンドロイドも同じことを思ったようで、目を見開いていた。白目は蒼いほどに白かった。


「良ければ、私の家に来ませんか?」

「何故そんなことを聞く」

「私はアンドロイドの方々があまり好きではありませんが、貴方を見て理不尽だと感じたのです。だから引き取りたいと思ったのですが、貴方の意思を尊重しないのなら、他の人間たちと同じだと思いまして」


アンドロイドは瞬きした。文音は、アンドロイドに関する情報を思い出していた。アンドロイドにも意思はある。ただ、それを我慢するのが人間より巧いだけなのだと。


「気紛れの、ようなものです」


冷たく聞こえるように言い、文音はただアンドロイドを見つめた。断っても構わないのだと思わせなければ、聡いアンドロイドが承諾してしまう気がした。


「もし俺が、嫌だと言ったら?」


試すように聞かれ、文音は苦笑いした。何とも人間臭く、直球だ。それともこの直球が、アンドロイドらしさなのだろうか? 文音の想像とは異なっていた。表面でしか接しないできたアンドロイドたちだが、皆こうも個性豊かなら、さぞ愉快だろう。


「残念に思いながらも、諦めます」

「残念?」


アンドロイドが聞き返した。


「残念って、何故?」

「こうして話していると結構楽しいので」


文音が正直に言うと、アンドロイドは目を見張った。そして笑った。完璧な笑顔というよりは、泣き笑いのようだった。


「分かった」


アンドロイドは言い、そしてそっと文音の手を取った。


「あんたが望んでくれるなら、俺はあんたのものになる。それから、傘……嬉しかったけど、このままじゃあんたが風邪を引く……」


アンドロイドは文音に傘をさした。そして文音と立ち上がった。


「ここから何か持ち出すには、書類にサインすることが必要だ……してくれるか?」

「勿論です」


文音は頷き、アンドロイドと連れ立って受け付けに向かった。職員は、不安そうな、それでいてほっとしたような顔で手続きを行った。文音はぼんやりとそれを眺めながら、現実味がないな、と感じた。


そして家に帰り、順番にシャワーを浴びて――文音が先に浴びるようにとアンドロイドは聞かなかった――アンドロイドがシャワーを浴びている今、文音は後悔しているのだった。ここで冒頭に戻る。


早まった、と文音は思っていた。しかし後悔しても仕方ないのも分かっていた。今更放り出すのは後味が悪いし、何よりあのアンドロイドを深く傷つけてしまう。


音がして、アンドロイドがシャワーを済ませたのが分かった。そして暫くして、帰り道に適当に買った服で出てきた。


「あんた、まだ髪乾かしてないのか?」


文音を見るなりアンドロイドが言った。


「えっ」

「風邪を引くだろう」


自分の髪を拭くのもそこそこに、アンドロイドはドライヤーで文音の髪を乾かし始めた。妙に慣れた手つきだった――


「ま、待って」


文音はアンドロイドを止めた。


「私、貴方をこき使いたいんじゃないんです。世話をして欲しくて引き取ったんじゃありません」


文音がそう言うと、アンドロイドの表情が歪んだ。そして尋ねてきた。


「じゃあ、俺に何を望む?」


文音はアンドロイドを見つめた。何を望む?


「俺を必要としたんじゃないのか。世話をして欲しいんじゃないなら、何のためなんだ――すまない」


まくし立て、はっとしたようにアンドロイドは黙った。


「こんなこと、言える立場じゃないな」


自嘲気味に呟き、アンドロイドがドライヤーを置いた。そして、離れていこうとした。その背中が寂しげで、文音は思わずアンドロイドの服を掴んだ。


「気紛れと、言いました。でもあれは少し嘘です」


文音は服の裾を掴んだまま、俯いた。裸足のアンドロイドの足は、人と同じようにきちんと皺があって、それは他のアンドロイドたちと変わらない。しかし奇妙に生々しかった。足の形、肌のキメも整っているというのに、不思議なくらい人間じみていた……。


文音は逸れた思考に顔をしかめ、続けた。


「私があなたを必要としたのは、ここで話す相手が欲しかったからです。私は一人でいるのは好きですが、夜は暗くて怖いのです。なかなか眠れない日もあるくらいで」


何故このアンドロイドは、こんなにも自分を動揺させるのだろうと文音は不思議だった。


「それから、できるだけ貴方と対等でありたいのです。ですから世話をして欲しいとは思いません。そんなことをすれば、私がもっと駄目な人間になってしまいます。でも、役割の分担はしたいと思います」


文音は返事をしないアンドロイドが不安になった。なので、結論を告げた。


「私が貴方に望むのは、私と話してくれること、対等でいること、そして、貴方の幸せを見つけることです」


文音の頭には、何人かのアンドロイドのことが浮かんでいた。それぞれ成功して、人の玩具としてではなく、自立して生きている数少ないアンドロイドたちだ。


やがて、文音の手をアンドロイドの手がそっと取った。顔を上げると、アンドロイドは少し笑っていた。


「あんたはやっぱり変わってるな」


穏やかな声だった。


「そんなことを望むのは、きっとあんたくらいだ」


浮世離れして美しい顔は、思いの外表情豊かだと文音は思った。そして苦笑いした。


「そうでしょうか?」

「そうだよ。……文音」


突然名前を呼ばれて文音が驚くと、アンドロイドは可笑しそうに笑った。


「サインをしてたろ? それを見て覚えたんだ」


文音が納得したのを見て、アンドロイドは続けた。


「対等でいたいなら、堅苦しい話し方はやめてくれないか。俺はあんたと、他人行儀に話したくはないな」


文音は頷いた。アンドロイドの言うことは尤もだと思った。


「それから、文音。俺に名前をくれ。何でも良い。記号でも何でも、呼びやすいもので良いんだ。文音に名付けて欲しい」


文音は戸惑った。


「名付ける?」

「今の俺には名前がない」

「私がつけても良いの?」

「文音につけて欲しいんだ」


アンドロイドはきっぱりと言った。文音は困って、俯いた。名前をつけるなんていう経験は、これまでになかったのだ。


「瞳を見せてくれる?」


アンドロイドが喜んで跪き、一心に文音を見つめた。文音は顔が熱くなるのを感じ、恥ずかしく思いながらも瞳を観察した。そして、決めた。


「紫苑」


緊張しながらも文音は呼んだ。そして、アンドロイドの美しい顔が、心底嬉しそうに笑うのを見た。


その時アンドロイドは、紫苑という一人になったのだった。


「紫苑。紫苑か……花の名だ。俺の瞳は、それに似ているんだな」

「紫苑の花を知ってるの?」

「知識としては知っている。画像も記憶されている。だけど実際に見たことはない……多分」


付け足し、紫苑は文音の手を取った。そして恭しく口付けた。


「ありがとう、文音」


硬直する文音を見て微笑し、これはお礼だと言って紫苑は再び文音の髪を乾かし始めた。

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