それぞれの決戦前夜
夕飯を終え、ようやく僕も温泉に入る事ができた。
熱いお湯に体中が包まれて、色んな物が流れていくようだ。
「あぁ……気持ちいい……」
岩に背中を預けて、僕は大きく息を吐いた。
「誠、ジジ臭いぞ」
「そうかなぁ?」
良いお湯に浸かったら、こういう声出るもんだと思うけど。
試しにシェズに体を預けてみる。
「……熱いっ!」
そう叫ぶと、ザバリと立ち上がった。
「お前、よくこんなの浸かってられるなぁ?」
えー、気持ちいいじゃん。
体を返された途端、ひと際強い夜風が当たって一気に冷える。
その時、ガサガサと音がした。
草でも揺れたのだろうと思い目を向けると……。
「シェーズ様っ。お背中流しま……」
近づいてきたエミカと思いっきり目が合った。
「うわあああっ!」
慌ててお湯の中に飛び込む。
ぐぐぐ……見られたかな……。
チラリとエミカの方を見ると、頬を赤くしているものの、興味深そうにこちらに視線を向けていた。
「くふふ、御立派……」
「なに言ってんの!?」
「冗談ですよー」
言いながらエミカはタオルを取ると、水着姿のままお湯に入ってきた。
そして、そのまま僕の傍に寄ってくる。
「なんだよエミカ……さっき入ったんだろ?」
「たまにはいいじゃないですか。一緒にお風呂なんて滅多にないですし」
それはそうだけど……いくら水着つけてるとはいえ女の子とお風呂とか……。
思わず目を逸らす僕の顔を、追いかける様にエミカが顔を近づけた。
大きくて真ん丸の瞳がこちらを覗いている。
「ほらほら、お背中流しますから」
言いながら僕の手を掴むと、そのまま岩場の方まで連れていかれる。
僕は仕方なく岩の上に腰を下ろし、腰の所にタオルを巻いて……エミカに背中を預けた。
石鹸の泡とスポンジの様な柔らかい物が背中を滑っていく。ヘチマみたいなものかな?
気持ちいいや。
「少し逞しくなりましたね」
「そうかな……?」
「ちょっとだけ、筋肉ついてるみたいです」
言いながら肩甲骨の辺りをゴシゴシと擦ってくれる。
「次に水着審査があったらピンチですね」
「もう出ないよ!?」
「でも、その分……」
エミカは肩の方から顔を出した。そして、フフフと小さく笑うと吐息が耳元でよく聞こえて。
「少しシェズ様に似てきた気がします」
「えぇー?」
思った通りの声が出た。思いっきりシェズと行動が被った……戦ってもないのに。
「俺の方が男前だっての」
シェズはそう言って苦笑いを零した。
「まぁ、誠様の方は可愛いのがいいんですけどね」
うう……。
僕は熱くなった頬をお湯で拭い、そのまま水面に映る顔を眺める。
「そういえば、シェズの本当の姿知らないんだよなぁ……」
僕が呟くと、エミカが隣に座って一緒に水面を眺めた。
「もうすぐ会えますよ、本当のシェズ様にも」
「そう……だね……」
僕はそのまま空を眺めた。
遠くに薄くなった月が見えた。
魔王の元にはシェズとマリーナさんの本当の体がある。
まずはそれを取り返さないと……。
「お願いしますね。誠様」
エミカが目を閉じて言った。
僕は黙って頷いた。
「さてと、それではわたくしはそろそろ休みますね」
「うん……」
エミカを見送ってから、僕はもう一度お湯に浸かる。
ふぅ……。改めてのんびり……。
そう考えた所で、また足音が聞こえてきた。
「やっほー」
今度はベルシャかっ。
タオルを巻いたベルシャは手を振りながら近づいてくる。
「ちょっと、待って……僕、出るから……」
「別にいいわよ、そのままで」
言いながらタオルをはだけると、そこには何にもない肌色が真っ白い湯気の向こうに見えて……。
「わぁっ!」
慌てて背中を向け、お湯に潜った。
なんで何にも着けてないんだよ!?
もちろん、そんなに長く潜っていられないので、すぐに顔を上げてしまうわけだけど。
その時にはベルシャは隣にいて。
「ふぅ……あったかーい」
呑気な声を上げて身体を湯に沈めている。
「あのさぁ……その……恥ずかしくないの?」
「だって……アンタにはもう一度見られてるし?」
言われてみれば、ヘルクの屋敷で見てたっけ……ってそういう問題じゃないと思うんだけど!?
「ま、さっき宣言しちゃったしね。アンタに損させないって」
水面が波だっかと思うとベルシャは身体を移動させてきた。
そして背中にお湯とは違った温もりが広がり、何かがピッタリと張り付く感覚があった。
「ちょっ……ベルシャ!?」
僕の体は硬直して振り返る事も出来ないでいた。
ベルシャの肌がくっついてる……どんな状況だよ、これ……。
「……えーと……誠……?」
耳元で声が聞こえた。
そして、両腕が僕の首筋を囲んで、その手が胸に回る。
「べ、ベルシャ!?」
思わず上擦った声が出る。
っていうか、今背中にあるの、ベルシャの……。
「背中じゃなかったのか」
シェズが僕の思った通りの言葉を零した。
ベルシャの腕が僕の首に食い込んだ。
「ベルシャ……! 苦しいっ……!」
「よく考えたら、ここでやっつけても良いのよね!」
「うわわ、何にも考えないで!」
そしてドブンとまたお湯に頭が沈む。
「ぶはぁっ」
水面から顔を上げて思わずせき込んだ僕を見て、ベルシャが呆れてため息を零した。
「こんな頼りないくせに、よくここまで来れたもんよね」
「……おかげさまで」
確かに何度も危険な目にあったけど、その度にみんなに助けられてきた。
「なんだかんだで、君にも助けてもらったしね……」
ちらりと視線を向けると、肌が見えて、思わず背中を向ける。
同時にベルシャも体を反転させたのが見えた。
「……今更、こんなこと言うのもアレかもしれないけどさ」
小さな水音に紛れてベルシャの声が聞こえる。
「……魔王様の事……」
「……?」
何か言いかけたベルシャの事が気になったけれど、振り向くことは出来ずにいて。僕は黙って言葉の続きを待つ。
「あの人ね、アタシの……家族の恩人なの」
「家族? 恩人?」
「そっ。まぁアタシ達はその恩返しのために、いろいろと無茶な事してきたんだけど……」
一際大きな水音がして、波が背中に届いた。
「だからって訳じゃないんだけどさ。命取るまでは、しないで欲しいなって……」
少しだけ声が遠くなる。
恩人……?
「ベルシャ……」
振り向くと、立ち上がった背中と、その下の控えめな膨らみが目に飛び込んできて、僕は慌てて目を逸らす。
「それじゃね、おやすみ」
濡れた足音を聞きながら、静寂が戻ってくるのを待つ。
その間、いろいろな事が頭の中に浮かび上がる。
魔王が恩人……?
いったい、何があったんだ……。
「……やっぱり、魔王は悪人じゃないってのか……?」
水面に映る顔が、溜息を零す。
「……そうかも、しんねーな」
シェズはそういうと、濡れた髪をかき上げた。
「だけど……俺は奴と決着をつけたい。その為にここまで来たんだ」
「……全く、どっちが悪い奴か解んないな」
今度は僕もため息を落とす。
「でも……今、シェズがここにいて、僕がここにいるのは、魔王のせい……なんだろ?」
だったら……僕にも怒る権利くらいはあるよな?
「せめて一発くらいは、喰らわせてやろうか」
僕は自分の顔を見て笑ってやる。
ベルシャには悪いけど、もう一人の僕は遠慮が似合わないんだ。
その時、僕の顔が歪んだ。波の起きた方を振り向く。
「…………へ?」
そこにはお湯に足を踏み入れた、朝倉さんが固まっていた。
「うわああああっ!?」
「きゃあああっ! ごめんなさいっ!」
同時に声が響いた。
「ま、マリーナさん、人いるじゃないですか!」
「あら、ほんとー。テントが静かだから寝てると思ったのにー」
妙に明るい声でマリーナさんが言う。
「ぼ、僕もう出るから!」
「わ、私が出る……」
僕が腰をあげ、朝倉さんが背中を向ける……その途端。
急に冷たい風が吹き付けてくる。
寒っ!?
僕は慌ててお湯に飛び込んでいた。そして、朝倉さんも溜まらずに湯船に体を沈めている。
……一緒にお風呂に入ってしまった……。
心臓が破裂しそうなほど高鳴っている……。
は、早く出ないと……。
立ち上がろうとすると、また強い風が吹き付けた。というか、白い粒の様なものも顔に張り付く。
冷たいっ! 雪っ!?
僕の視界の先で、クリオネがヒラヒラと舞っていた。
氷の精霊……もしかして、これ……。
「お前もなかなかに良い趣味してるよな」
シェズがニヤニヤ笑うと、背中を向けたままの朝倉さんがピースサインを出した。
マリーナさんの仕業か、これっ。
「だって、あたしもゆっくりお風呂入りたいもの」
言いながらマリーナさんが長い髪を纏めあげる。
露わになったうなじのラインに、僕は思わず息を飲むと、それを見たマリーナさんが満足げに微笑む。
「そ、そんなに見ないで……」
「ご、ごめん!」
慌てて目を伏せると、朝倉さんは慌てた様な声をあげる。
「ち、違うの今のはマリーナさんに……」
こちらに向いた顔がどんどん赤くなっていく。
「ほんと、誠くんはきれいな肌してるわよねぇ」
「ごめんね、真島くん……」
朝倉さんが呟く。
「本当に謝ってばっかりね、あんた達」
「もう、マリーナさんの意地悪っ」
一人で行われる二人の会話。
いつの間にか、これが自然になっていたけれど。
「マリーナさんの体もとり返さないとね」
僕が呟くと。シェズも黙って頷く。
「マリーナの方が胸デカいしな」
「嘘、あれより大きいの!?」
思わず声を上げてしまった。
朝倉さんが真っ赤な顔をお湯に半分沈めていた。
「ご、ごめんっ! ごめんなさい!」
そして僕はまたマリーナさんに呆れられた。
静寂の時間が流れる。
いつの間にかシェズが言葉を発しなくなった。
そしてマリーナさんも。
「気持ちよくなって、寝ちゃったのかな……」
「どうだろう……」
また二人っきりにした……と見せかけて楽しんでる可能性も捨てきれない。
そして、それを朝倉さんも察しているのか、どこか落ち着きの無さそうに視線をさまよわせていた。
「寝たら解る様になればいいのにね」
そう言ってクスッと笑いを零す。
「……ねぇ、真島くん……」
朝倉さんが背中を向けたまま言った。
「帰れるかな、本当に……」
「……」
僕は即答できなかった。
ここまでの旅の中で、僕らの元にいた世界に関する情報は何もなかった。
帰る方法、それを魔王が知っているかどうかさえ怪しいのだ。
「もし帰れなかったら……私……」
「……大丈夫……だよ……」
僕は熱いお湯を顔に叩き付け、目をつむったまま空を見上げる。
「その大丈夫は、どっちの意味?」
声が少しだけ近づいていた。
目を開けると、朝倉さんの顔が凄く近くにあった。
「どっち……?」
「帰れるって意味の大丈夫なのか、それとも帰れなくても大丈夫なのか……」
朝倉さんはそういうと背中を向けた。
「え、ええと……」
真剣な眼差しが僕を射貫く様で。
だけど上気した頬と、少し潤んだ瞳がとても魅惑的で、僕は目を逸らせずにいた。
「ふふ。意地悪だったね、今のは」
朝倉さんはそう言って目を細めた。
そう……。この笑顔だ。
「大丈夫……」
また同じ言葉が出た。けれどその意味は自分の中でハッキリしてる。
「何があっても、君だけは僕が……」
声が出ていたのか、ちょっと自信がない。それくらい自分の心臓の音が良く聞こえていたからだ。
だけど、伝わったことは解った。
背中に何かが……背中が、触れた。
「真島くんが一緒で良かった……。そうじゃなかったら、きっと狼狽えて、何も出来なくて、もっと簡単に挫けていたと思う」
「朝倉さん……」
「あのね、真島……誠くん……」
途切れがちに紡がれた言葉に、小さな笑いが続く。
「ふふ……名前、呼んじゃった」
また僕の心臓が大きく高鳴った。
「誠くん……頑張ろうね」
そう言うと、ザバリと音がして背中が離れる。
振り返ろうとする体を必死で押さえて、僕は声を上げる。
「が、頑張ろう……あ、あ、あ……」
息が苦しい。溜まった息を押さえながら何とか声をつなぐ。
「あ、桜さん……!」
「それじゃ、いつもと変わらないじゃねーか」
「本当ね」
やっぱり起きてた二人の声がして、僕と朝倉さんは揃ってため息を零した。
夜が、少しずつ過ぎていく……。




