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欲望は湯煙に誘われ


 歩く先には魔軍の騎士たちが並んでいる。

 騎士たちは左右に道を開けた。

 手を出すな、そう命じていると、さっきダンは言っていた。

 彼を倒した相手となれば、自分たちでは適わない。そう見極めているのかもしれない。

 それだけダンがその力を信頼されているという事だろう。

 僕が彼らの開けた道へ足を踏み入れると、一斉にその右手が動いた。

 ピシッと形の良い敬礼が、僕らへと向けられる。

 一瞬だけ乱れた呼吸を整え、僕は何事もなかったように敬礼で返し、そのまま歩みを進めた。

 



 国境の要塞を抜けた僕達は、更に先にあるという魔王の城を目指した。

 大きな妨害もなく、途中何度か魔物と遭遇することがあったものの、難なく退ける事が出来た。

 逃げていくオークの群れを見て、安堵のため息が零れる。


「そういえば、最初に戦ったのも、あんなのだったよな……」


「ああ。あん時はまさかオークにあんなにヒィヒィ言わされるとは思わなかったぜ」


 剣を鞘に納めながらシェズが言った。すかさずそれを受け取り、リュックにしまってくれたエミカの頭を右手が撫でる。


「それだけ誠くんが強くなったって事よ」


 そう言ってマリーナさんが微笑む。

 僕は思わず首を横に振った。

 軽い威嚇をするだけで退散させてしまう事が出来るのは、シェズの凄さなんだと思う。


「でも、ちゃんと手加減が出来る様になるくらいには余裕が出来たって事でしょ」


「手加減……?」


 そういえば、最初にオークと戦った時……。倒したと思ったら起き上がってきて、必死で逃げたっけな……。

 あの時は結局、マリーナさんの魔法で助かったけれど。

 そうか……。

 本来なら、こうして手加減して退けるのがシェズの戦い方なのか……。

 もちろん、仲間が危ない時はその限りではないんだろうけれど。

 今なら、なんとなくだけどシェズの真意が解る気がした。


「あーあ、また夜になっちゃうわね。目的地まではもうすぐそこなのに」


 暗くなりはじめた空を見ながら、ベルシャが呟いた。

 

「だったら、一人で勝手に帰ったらいいじゃないですか」 


 呆れた顔でエミカが言うと、ワザと聞こえないふりをしてベルシャは目を逸らす。

 確かに、いつまで一緒にいるつもりなんだか。

 僕も思わず苦笑いを零す。

 

「それでは、そろそろ野営の準備をしますかな」


 フレドさんが言うと、それを制するようにベルシャが手のひらを突き出した。


「まだダーメ。もう少し進むわよ」


「何で仕切ってるのさ……」


 僕が言おうとした所に、すっと近づいてきたベルシャは耳元で囁く。


「アンタに損はさせないわよ」


 そしてウフフと頬を緩ませた。

 あ、これ何か企んでる顔だ……。

 

「どうする?」

「いいんじゃねーの? どうせ今更こいつがすることなんて、たかが知れてるだろ」


 念のために他の周りの顔色も窺う。

 王子もフレドさんも特に反論はなく、エミカはムスッとした顔でベルシャを睨んでいたけれど、まぁ良いかな。

  

「私も、もう少し頑張れるよ」


 朝倉さんが微笑むと、その背中にベルシャが覆いかぶさり、まるで飼い主に馴れるネコの様な顔をして。


「それじゃ決定ー!」


 右手を大きく上げると、朝倉さんの肩を抱いたまま、軽快な足取りで森の中へと入っていった。


「ああ、もう離れてくださいっ」


 エミカが邪魔をするように二人の間に割って入ると、そのまま並んで歩き出す。

 仲良くなったなぁ……。

 僕ら男チームはその後を慌ててついていく。


 ベルシャに先導されるまま、しばらく歩いた。

 マリーナさんの放った光の魔法が夜道を照らすけれど、視界はあまりよろしくない。

 それでいて木が少なくなり、足場はゴツゴツとした大きな岩場が続くようになる。

 こんな所に連れてきて、どうするつもりだ?

 もしかして、ベルシャの奴、僕らを足止めるために……?

 今更ながら、彼女が敵だったことを思い出し、僕は警戒する。

 視界がぼやけ、霧の様なものが辺りに漂っていた。そして、何か妙な匂いもしてきた。

 これは……。


「着いたわよー」


 突然立ち止まったベルシャの背中に思い切りぶつかった。

 そして、エミカと朝倉さんの声が大きく響いた。


「おおーっ! これは!」

「温泉だっ!」


 何?

 僕が目を凝らすと、モヤモヤの出所は岩場に広がるお湯の泉だった。

 

「もうすぐ魔王様の所に行くんだから、きちんと身を清めていかないとねっ」


 そう言ってベルシャはニカッと笑った。


「でかしたぞ、赤女!」


言いながらシェズが上着のボタンに手をかける。気が早いっ!

 体を取り返して、服を整え、一つため息。


「みんな、先に入ってなよ。僕らはテントの準備してるから」


 女子たちを見て僕が言うと、隣でフレドさんが頷いた。


「それじゃ、いっきましょー!」


 エミカが朝倉さんの手を引いて、岩陰へと消えていった。

 ふぅ。


「ではテントの準備をしますか」


 僕らは少し離れた場所にある平らな場所を探す。

 丁度いい地面を見つけたので、僕は空間を開いてシーマを呼びつけた。


「よぉ」


「テント頼むよ」


「おーう」


 シーマが答えるよりも先に、折りたたまれたテントが空間の穴から顔を出した。

 エゾだ。まったく、また朝倉さんに会えると思ってきたな……?


「桜なら、今あっちで風呂に入ってるぞ」


 ニヤリと笑いながら遠くの岩場を指さした。

 それを聞いたエゾは一気に顔を赤くした。


「お、お風呂……という事は……あわあわ……」


「確かに身体洗ってたら泡泡してるかもなぁ」


 シーマが興味無さそうに言いながら、テントの中で使う枕を出してくる。

 エゾはチラチラと岩場を見ながら落ち着きのない様子だ。

 

「そんなに気になるかぁ?」


「べべべ別に、気にしてないよ!」


 明らかに動揺した様子は、左右にブンブン振れる尻尾の様子で察することが出来た。

 僕とシーマは揃ってため息をつく。


「むしろなんでお前らはそんなに興味無さそうなんだよ」


 シェズが呆れた様子で言った。


「別に興味のあるないじゃなくて、こういうのは紳士としてだね……」


「まどろっこしい事言ってんじゃねえよっ。さっきベルシャの奴が言ったじゃねーか。損させないって。つまり、それはそういう事だろ!」


「どんな理論だよ!?」


「確かにエミカはまだまだだしベルシャは残念だ。だけど、だからと言って興味ないっていうのは、あいつらの女としての価値を貶めていることにならないか?」


 なんだかもの凄い迫力で力説してくる。いや、喋ってるのは自分の身体なんだけど。

 そんな僕の肩に、ポンと手が乗せられる。


「シェズ君の言う通りかもしれないな。確かに、発展途上の平原とはいえ、そこに目を向けなければ豊かな未来は見えてこないのかもしれない」


 王子まで乗ってきた。っていうか例え酷いな。色んな意味で!

 僕が言葉を無くしていると、遠くからベルシャの声が聞こえてくる。


「ねー執事ー。飲み物ちょーだーい!」


「はい、暫しお待ちを」


 そう言ってフレドさんが立ちあがる。

 いや、待って。なんでそんな躊躇なく行けちゃうの……。

 フレドさんの背中を見ながら、シェズが呟く。


「見ろ、あれが紳士だ」


 いや、そうなんだろうけどさ……。あれはもう達観してるから許されるわけでさ……。


「フレドさん、わたくしもミルク欲しいですーっ!」


「桜様はいかがなされますか?」


「それじゃ、紅茶を……」


 なんでか声が良く聞こえる……。

 そこでようやく気が付く。

 シェズの奴、いつの間にか足だけ完全に奪ってやがった!


「こら、シェズ!」


「ハハハハ、油断しすぎなんだよ!」


「王子、止めて! 僕の脚止めて!」


 懇願むなしく、王子は首を横に振る。

 そして、その肩にはちゃっかりとエゾが座っていた。

 最後の味方は……僕がシーマの方を見た時、また岩場から声がした。


「そうだ、精霊達もお風呂って入るかな……」


「氷の精霊じゃなきゃ大丈夫じゃないかしら」


「それじゃ、鎌フェレットちゃんも洗ってあげようかな。いつもお世話になってるし」


 次の瞬間、凄い勢いでシーマが突進してきた。

 うわー、最低だこいつも!


「行くぞ、野郎ども!」


 シェズが親指を立てると、みんなして一斉に岩場を登りだした。


「やめろぉぉぉぉぉっ!」


 僕の叫びは誰にも届かず、視界に温泉が、そしてそこに浸かる三人の姿が湯煙に紛れて映りこんでくる。


「ほらね、やっぱり来たでしょ?」


「サイテーですね」


「………………」


 ベルシャはケラケラと笑いながら、エミカはジト目で、そして朝倉さんが顔を真っ赤にしながらお湯に顔を沈め、こちらを見ていた。

 

「お……お前ら……」


 シェズが奥歯を噛みしめる。


「なんで水着なんて着てんだよ……!」


 そう、どこかで見たことがあると思ったら、ビーナスコンテストの時に着ていたやつだ。

 ただ、朝倉さんとベルシャはそれぞれ交換していたけれど。


「あんたたちの考える事なんてお見通しなのよ」


 マリーナさんが勝ち誇ったように言った。


「おーじ様、帰ったらしっかりミザ様にご報告させていただきますねー♪」


「アハハハハ、よーし熱湯かけろー!」


 ベルシャがこっちに思い切りお湯を飛ばしてきた。


「うわ、やめろ、服の上からは……熱っ!?」


 喧噪の中、鎌フェレットだけが気持ちよさそうにお湯の中を泳いでいた。

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