パーフェクトシンクロニティ
体の間隔が回ってきた途端、汗で手がにじんでいるのが解った。
震える切っ先を必死で押さえる。
対峙する黒騎士の剣先は微動だにせずにこちらを見つめていた。
どこから攻めたらいいのか、いやそれどこか動き出すタイミングさえ解らない。
「誠……どうするつもりだ?」
シェズの問いかけに、僕は囁く様に答える。
「とにかく避けまくる……!」
「はぁっ!?」
シェズが何か言いかけた所を無視して、僕は剣を構え突撃した。
「うわああああああああっ!」
両手で支えた剣を突き出したまま真っ直ぐに走る。
「!?」
ダンの剣の先が動いた。
僕は踵を地面に押し付けて急制動をかけると、ダンの持つ剣先に自分の剣先を絡ませる。
「そんな遠い間合いからどうすんだ!」
シェズが苛立ちと共に声を上げる。
そしてそれに応える様にダンは剣を振り、僕の剣を払った。
僕は剣を離さないように必死で握りつつ流されるまま動いて再び距離を取る。
ダンはその場から動かずに構えなおした。
もう一度……!
ダンの剣先に届くか届かないか、そのくらいの位置から僕は剣を振る。
「臆したか勇者!」
ダンはあっさりと剣を弾く。僕はもう一度それにしがみつきながら後方に飛ぶ。
「誠、代われ! そんなんじゃ勝てねぇ!」
シェズが声を上げた。僕じゃ勝てない。そんなのは解ってるんだ。
だけど……。
僕は意識を集中し、自分の身体を維持する。
そして剣を構え、ダンを睨みつける。
乾いた砂が間合いの隙間を抜けていく。
ジリジリと僕は踵を後ろへと滑らせる。
「ここまでの様だな……」
ダンが呟くと、剣の先が微かに動いた。
そして鎧に包まれたつま先が地面を蹴る。
「来た……!」
僕は息を飲んで迫りくる相手の姿を凝視する。
剣先の軌道を見極めろ……右か左か……上か!
振りかぶった剣先は次の瞬間には頭上に迫る。
僕は左に避けつつ、ダンの横に回り込む。
「シェズ!」
そのタイミングで、僕は体をシェズに委ねた。
「お、おう!」
剣がダンの左腕を狙う。
「くっ!」
ダンは左腕の手甲で刃を真正面から受け止めた。
そのまま剣を弾き返し、その隙に僕らは距離を取る。
「誠……今のは……」
シェズは息を整えながら呟いた。
「ダンの剣がそれだけ完璧って事さ……」
戦いを間近で見ながら感じたことがある。
重量のある大剣を自在に振り回すその技は、巧みに動き回るシェズを捉えるために鍛えたであろうという事。
そしてシェズは素早さを活かして懐に飛び込み、適格に隙を狙う。
だから僕はあえて遠くから警戒した素振りを見せた。
逆に相手から攻めてくれば、それだけ隙が生まれる可能性が出てくる。
もちろん相手のスキルを考えればそれでも十分すぎるほどの脅威だけど……。
「僕、避けたり逃げたりは結構得意なんだ……」
そこにだけ集中していれば、やってできない事はない……はずなんだ。
シェズは同じ体で、あの身のこなしで動けるんだから。
僕は身体を取り返して再び剣を向ける。
それに呼応するようにダンの持つ剣もこちらを向いた。
今度はこっちからだ。
一気に駆け出して距離を詰める。
その瞬間、僅かにダンの剣先がブレる。
かかった……!
直感した僕は僅かにスピードを落とす。
また後方に下がると予測したダンの剣が素早く突いてきた。
避けられなければ貫かれる……!
だけど、隙を突くには少しでも近づかないと……。
やれる……自分を……信じろ!
「シェズ!」
腹の横すれすれを剣がすり抜け、まさに肝を冷やす。
誠の奴、ギリギリまで攻めすぎだろうよ!
俺は剣を振りかざし、ダンの手首目がけて振り下ろした。
「くっ!」
ダンは素早く剣を引いて鍔の部分で俺の剣を受け止めた。
まだこの速さで反応できるのかよ……!
弾かれた剣の反動と共に距離を取る。
「もっと早く代わらなきゃダメって事か……」
誠が呟いた。
しかし、その切り替わる瞬間がある限り、ダンは反応してくる。
そう直感がよぎる。
剣の先に立つ男は、まるで石の様に動かない。
これまでの攻撃でこちらの動きが読めなくなったことを警戒しているのか……。
それとも俺たちが意識を変えるタイミング、そこに出来る隙に気がついたのか……。
一瞬でも余計な時間がある以上、それは致命的な突破点になる。
どうしたら、その時間を縮められる……。
「シェズ、もう一度だ!」
体の自由が無くなる。ちっ……相変わらず強引な奴だぜ。
誠の動きは、どうしたらこんなブレるのか、逆に聞きたくなるくらいに頼りない。
見ているこっちはヒヤヒヤが止まらないのを、こいつは解ってるんだろうか。
近づくダンの剣が振り上げられ、振り下ろされる。
だが、俺が目を逸らしたら反撃のチャンスも逃してしまう。
剣の振る空気の乱れが前髪を浮かす。
「だあああっ!」
グッと体に力を感じたタイミングと共に、俺は剣を振り下ろした。
「この踏み込み、相変わらずの度胸だな!」
そう言い放ちながらダンは、また剣の動きを止めた。だが剣を振る動作に移る前に、俺の剣が奴の腕を捉えた。
鎧の隙間に入った手ごたえが僅かにあった。だが奴はそれでも動きを止めない。
剣を振らず、その手に握った柄の先をこっちに向けてきた。
俺は腹を打ち付けられて遥か後方に飛ばされる。
「ぐわあっ!」
地面に叩き付けられ、腹と背中に激痛が走り俺は思わず声を上げる。
くそっ……!
なんとか顔だけ上げてダンの動きを追う。
剣をゆっくりと構えなおして、こっちに近づいてくる。
「シェズ……!」
一瞬のうちに体の痛みが消えるが、すぐに視界が歪む。
誠は起き上がり、立て膝をついたままダンを睨んでいる。
「見事だぞ勇者……」
右腕の鎧の隙間から、血を滴らせながらダンが歩いてくる。
だが赤く染まった腕は剣をしっかりとつかんでいた。
奴もまだやれる。いいや、それまで以上の闘志が伝わってくるようだ。
ダンは面前に立つと剣を振り上げた。
「馬鹿野郎、代われ!」
俺は声を上げる。だが視界は左右に揺れる。
ちくしょう、体を……!
手を動かそうと、足を上げようと思うが体は動かない。
なんでいつも強情なんだよ、こいつは……!
「シェズ様!」
「シェズ君!」
エミカとアルフレッドの声が遠くから聞こえる。
そして……。
「シェズ!」
「シェズくん!」
マリーナの、桜の声が近づいてくる。
「!? 馬鹿、来るな!」
俺とダンの間に飛び込んでくる黒い髪……。
「朝倉さん!」
鮮血が僕の目の前に飛び散った。
両手にかかる、とてつもない重さに、支えている体が沈みそうになる。
剣が目の前にあった。
そして、それは僕の握った剣で受け止められていた。
何が起こったのか一瞬の間過ぎてよく解らない。
ただ、僕の後ろに朝倉さんがいて……。
血はダンの腕から流れていたそれだという事だけは解った。
「桜! とっとと下がれ!」
シェズが叫ぶ。
同時に剣が鈍い音を立ててダンの剣を弾き返す。
衝撃が手のひらに伝わってきた。だけど僕の手はしっかりと剣を掴んだまま離れなかった。
「……今のは……」
これは僕の体だ。それはハッキリと解る。
だけど、今の力は……。
呆然とする僕の前にダンの剣が再び振り下ろされる。
「ぐっ……!」
避けなきゃ……いや、ダメだ!
今避けたら、後ろにいる朝倉さんが危ない!
僕は全力で剣を振り、迫ってきた剣を弾き返した。
やっぱり手は痺れている。
「桜様、こっちに!」
フレドさんが駆け寄り、朝倉さんを抱えて遠くへ走る。
僕はそれを見て改めてダンから距離を取った。
「シェズ……今……」
僕は剣を取る手を見つめる。
「今、君はちゃんと剣を持ってるよね……?」
視界が上下した。
そして、少し荒い呼吸を感じる。
「……シェズ、もしかしたら……」
僕の言葉に、シェズはまた頷いた。
ダンの攻撃を受けた剣。あの咄嗟の行動。あれは本当に俺がやったのか。
気が付けばダンの剣を二回、俺は受け止めていた。
一撃を浴びせているとはいえ、あの剣を、そんな簡単に無意識の内に受けられるのか。
やったのは自分自身だが、正直自信も確信も無い。
こんな感覚は初めてだ。
いや……前に一瞬だけ、本当に僅かにだが、この感覚を味わったことがある。
「なぁ誠……魔神と戦ってる時の事、覚えてるか……?」
俺は振り向いて遠くで見守る仲間たちの方を見た。
そしてアルフレッドを見る。
封印殿で魔神と戦っていた時、とっさにアルフレッドを突き飛ばした事があった。
あの一瞬を境に、俺は誠が覚醒している間でも少し動けるようになっていた。
今、その理由が少しだけ解った気がする。
「誠……今考えてる事、多分そういう事だよな……」
「……これ、チャンス……だよね……」
俺は剣を下ろし、仲間たちの方へ向かう。
「どうした……逃げるのか?」
ダンが低い声で言った。
「いいや。覚悟を決めんだよ」
言いながら、俺は仲間たちの前に立ち、背中を向ける。
「シェズ様……?」
「真島くん……」
仲間たちの声が聞こえる。
聞こえてるよな、お前にも……?
誠がフフと顔を引きつらせる。
「アルフレッド!」
俺が呼びかけると、驚いた顔でこっちを見た。
「上手く行ったらお前のおかげだぜ」
「どうしたんだ、急に……」
目を丸くするアルフレッドを見て、俺はつい笑ってしまう。
「朝倉さん! フレドさん!」
「エミカ! マリーナ!」
「ベルシャはどうしよう」
「へへっ、ついでだ」
俺は剣を構える。
「ついでって何よ!?」
なんか言ってるが、気にしないでおこうか。
「僕が君たちを……」
「俺がお前らを……」
守る!
僕は剣を正面に構えた。
それに応える様にダンも剣を構え、こちらに向けて走ってきた。
「勝負だ、勇者!」
ダンの剣は横なぎに迫ってくる。
俺は剣を縦に構えて、それを受け止める為に腰を落とす。
ガキンと鈍い音がして、体中の筋肉が震え、強張る。
剣と剣の間から軋む様な音。
「うぉらああああっ!」
シェズの叫びと共に力が弾け、ダンの剣が後ろに跳ねた。
「なんとっ!?」
俺は前に踏み出し、ダンの腹にむけて剣先を突き出す。
いや、まだだ……!
ダンは弾いた剣を天に向けたままがっしりと支える。
振り下ろされるのが先か貫くのが先か。
俺は剣をそのまま突き出し
僕はその左腕を上へと伸ばした。
静寂に意識が飲み込まれていく。
右手には強い感触がある。
鎧の隙間、そこに剣の先が突き刺さっていた。
そして左手の指の隙間に、黒く広がる空間の穴が剣の半分以上を飲み込んでいる様が見える。
「見事だ……勇者……!」
ダンは立ったまま、飲み込まれた剣から手を離さないまま、静かに言った。
僕は慌てて剣を引き抜くと、刀身に塗れた血を見て息を飲む。
「桜!」
僕が振り向くと、朝倉さんは頷き、ベルシャと共に駆け寄ってきた。
そして初めて、ダンは片膝を地面に着けた。
「ったく、また負けて情けないっ」
口をへの字に曲げながらベルシャは大の字になって横たわるダンを見下ろした。
「はははは……全くだ」
低い声でダンは答えた。
朝倉さんの魔法が効いているのだろう。声色には余裕が感じられた。
そしてそれを解っているから悪態をつけるのだろう。ベルシャはそういう子だ。
「あんまり言ってやるなよ。お前の兄貴はそれでもアホみたいに強いんだからよ」
「アホは余計でしょ!」
ベルシャはキッとこっちを睨みつけてくる。
それを見て、僕は一つため息を零す。
「まっ、実質は二対一で戦ってたしね、僕達……」
それでなんとか勝てたんだから、本当に強いんだよ、君のお兄さんは……。
僕は自分の手を握りしめる。
シェズは疲れてしまったのだろうか、ずっと僕に体を任せきりだ。
まぁ無理もないか。
僕も本当なら今すぐに倒れたい所だ。
「二対一か……」
ダンはゆっくりと上体を起こし、僕の方を見ると、そっと首を横に振った。
「一つの体に二つの心、お前たちはそれを乗り越えたのだ……お前たちの力は本物だよ」
二つの心か……。
僕はもう一度、今度は両方の手のひらを見つめる。
今でも自分がしたことが信じられないくらいだけど、確かな事が一つある。
さっき、僕とシェズは一つになった。
これは、きっと自信をもって言って良いはずだ。
「先に進むがいい勇者よ。我らの主が待っている」
夕焼けに染まる空に、乾いた風が吹き抜けていく。
この風の先が向かう先に、最後の目的地があるんだ。
「行こう」
僕の言葉に、僕が頷き。仲間たちも強く頷いた。
そして僕達は歩き出す。決着をつけるために……!




