君の中にも誰かいる
「とりあえず移動しよう。街に行くんだ」
シェズの言葉に僕は頷きで同意する。
どのみちここにいたって状況は変わらない。
怪物がいるって事は僕らが知っている世界ではないわけで、そこが安全だとはとても思えない。
また襲われる可能性だってあるんだ。
僕は倒れたオークの方を見る。
あれ……?
いない……?
さっきまでそこで倒れていたはずの場所には、潰れた雑草があるだけだった。
「さっきの化け物は……」
気が付いたのが少し遅かった。
「ぐふぉぉぉぉぉっ!」
強い衝撃が体を襲い、次の瞬間、僕の体は地面に向かって倒れていた。
「真島くん!?」
朝倉さんの声がする。
「に、逃げて、朝倉さん……」
僕は叫んだ。だけど突き飛ばされた時に受けた痛みが邪魔をして、掠れた声しか出せない。
「おい、何やってんたよ早く立て!」
シェズの声の方がデカいじゃないか……。
「なんだよ、倒したんじゃなかったのかよ!」
「倒したと思ったんだけどな。手加減したのははっきり言って失敗だったぜ」
ゆっくりと起き上がり、オークを睨みつける。
オークは大分ふらついていた。
額から血を流しているのは、シェズの一撃が入った箇所なんだろう。
荒々しい鼻息がやけにハッキリと聞こえてくる。
思わず一歩、後ろに下がる。
「逃げるぞ! お前戦えないんだろ?」
そんな事は解ってる。
視線の先には、呆然とした表情で座り込む朝倉さんがいる。
彼女を、連れて行かなきゃ……。
痛む体を引きずりながら、朝倉さんの方へ向かって走る。
「逃げよう、朝倉さん!」
僕は手を差し出すが、朝倉さんは目の前の事態が理解できないようで、ただただ震えながら顔をひきつらせていた。
咄嗟に僕は朝倉さんの腕をつかんで、半ば強引に立ち上がらせる。
「走れる?」
「う、うん……」
頷いた朝倉さんの手から微かに力が伝わってくる。
僕も頷き返し、そのまま朝倉さんを引っ張りながら全力で走った。
「ぐおおおお!」
当然のようにオークも僕らの後を追って走ってきた。
幸いなのは相手も手負いのせいか、挙動が不安定なままだった事。
そして朝倉さんも意外と足が速かったこと。
むしろ、僕の方が痛みのせいで全力で走れていない。
「早くしろ! 追いつかれるぞ!」
シェズがイライラと吐き捨てるように言う。うっさいな!
「ご、ごめんなさい!」
言いながら手を離すと、そのまま両手を振って速度を上げた。
「いや、違うから! 遅いのは僕で朝倉さんじゃないから……!」
っていうか僕より早い。早い!
そういえば朝倉さんは体育の成績も良かったっけな……。
「おい、お前もっと早く走れよ!」
朝倉さんは振り返って、少し怯えた顔をしながら、またスピードを上げていく。
だから、それ朝倉さんに言ってるんじゃないって!
「シェズは喋るな黙ってろ!」
「黙ってられるか!」
ああもう、勝手な奴!
「ほら、当たるぞ!」
そういった瞬間、背中に何かが触れるような気配がした。
気が付けばオークはすぐ真後ろ。
乱雑に振り回した手が背中を掠めたのだ。
「うわああっ!」
「だから言ったんだよ! ああもぅ、とっとと俺に変われ!」
「わ、解った! 君に任せる!」
「よっしゃ……」
シェズは不敵な笑いを浮かべた。
「覚悟しやがれ豚野郎……っておい、止まれよ! なんで逃げてんだよ!」
「君がやるって言ったんだから君が勝手に動けよ!」
「じゃあ、とりあえず逃げるのやめろよ! 俺全然動けてねーぞ!」
叫び続けて呼吸が乱れる。だけど足は止まらない。
そりゃそうだ。今止まったら追いつかれて捕まってしまう。
そんなのごめんだ。
単純な話。今の僕の体は完全に僕の物。
シェズが動かせる状態になっていないという事だ。
そして体を貸す方法を僕は知らない。
「ああっ、お前が起きてるから悪いんだよ! とっとと殴られて気絶しちまえ!」
「んな事簡単に言うなって!」
当たり所悪くて死んだらどうするんだ……。
「……おいあの岩を見ろ」
「岩?」
視界の端に移った大きな岩を僕は真正面に捉えた。
「あの上に駆け上れ! 早く!」
力強くシェズが言う。
大きいといっても一メートルも無い。ジャンプすれば簡単に登れる高さだ。
えいっと地面を蹴り、岩の上に飛び乗る。
「振り向きながら足を延ばせ、勢いよくな」
言われるままに体を回転させ、右足を伸ばす。
視界の向かう先にはオークの頭があり……つま先がその毛のない頭部にめり込んでいた。
ずっしりと重い感触がする。
「ぎゃぁぁ! ぎゃあぁ!」
頭を押さえてオークが地面を転がりまわる。
「上手く傷に当たったな」
思わずニヤリと口を開く。
喋れるって事は、口だけはこいつにも動かせるんだな……。
とっさにそんな事を思ったものの。すぐにこれ幸いとばかりに距離を離す。
全力で走った先に、朝倉さんの姿が見えた。
「真島くん、大丈夫?」
「う、うん……今のうちに逃げよう……」
追いついた僕は歩みを進めようとさらに足を踏み出す。
だけど朝倉さんの足は止まっていた。
「あ、あれ……!」
指した先に、複数の影が立ちふさがるのが見える。
さっきのやつと同じ、豚頭の怪物だ!
「仲間が来たか……」
嘘だろ……。
数は3匹。
僕は思わず後ずさる。
「真島くん……」
声が震えている。
身体も。小さな手も。そして、僕の手も震えているのが解る。
守らなきゃ……。
僕は朝倉さんの手を握った。
伝わってくる震えを止めようと、僕も必死で震えをこらえる。
だけど……。
朝倉さんは僕の手を払いのけた。
そして、一歩。また一歩と前に進んでいく。
呆然とする僕の前で、朝倉さんは片手を突き出すと、次の瞬間、まばゆい光が放たれた。
「召喚……サマンドラ!」
光の中心に真っ赤な炎が現れる。
それは羽の生えたトカゲの形をしていて、尻尾の先で鋭い剣を握っていた。
「この身体でも、精霊は呼べるみたいね」
朝倉さんはオークの群れを指さすと、それに応えるように炎のトカゲは起用に尻尾を振って剣を放り投げた。
空中を進みながら剣は炎の矢となり、オークたちに突き刺さり燃え上がる。
「ぎゃあああ!」
断末魔が聞こえたかと思えば、オークたちはあっという間に力を失い、黒焦げになって地面に横たわった。
何だ、今の……。
「魔法使えたのか……」
僕の疑問に応えるようにシェズが呟いた。
魔法。言われれば確かにそうとしか言いようのない不思議な力だった。
しかし魔物がいたんだから魔法があってもいいのだろう。
少なくともここはそういう世界のようだ。
だけど……。
それよりも先に浮かぶのは、なんでその不可思議な力を朝倉さんが使えたのかという事だ。
優等生だから……?いやいやまさか。
「朝倉さん……今の……」
僕は朝倉さんの隣に立つ。
顔を覗き込めば、またしても呆然とした顔だ立ち尽くしていた。
「真島くん……今の、何……?」
ゆっくりとこちらを向き、黒焦げになったオークを指さす。
「うん。それは僕も聞きたいんだけど……」
朝倉さんの顔を見れば何度も何度も瞬きを繰り返し、とても何かを知っているようには思えなかった。
だけど、その疑問に答えたのもやっぱり朝倉さん。
「精霊魔法の一つ、フレイムテイル。あなたもこの子も魔法を見たのは初めてみたいね」
自分の胸に手をやりながら、急にハキハキとしゃべりだした朝倉さんを見て、僕は何となく気が付いてしまっていた。
「あたしはマリーナ。見てのとおり魔法使いよ」