オルトロックの聖女
「エミカー!」
「エミカちゃーん!」
薄暗い街に僕らの声が響く。
すれ違う人が何事かとこちらを見る。
「どこに行ったのよ……」
そう呟いたマリーナさんが顔を曇らせた。
さっき強く言い過ぎた事を気にしてるんだろう。
「早く見つけてあげよう。きっと待ってるよ」
朝倉さんが言った。
僕らは頷いて、名前を呼びながらまた歩き出す。
これだけ人影がまばらならすぐに見つかると思ったけれど、エミカの姿は見えない。
「それにしても、大きな建物が多いな……」
交通の便から考えるとそうとう田舎な筈なのに、随分と大きくて綺麗な豪邸が多い。
エミカが住んでいた場所もこの辺りなんだろうか。
あの子普段の言葉遣いは丁寧だし、意外とお嬢様……だったりして。
そんな事を考えながら辺りを見回すと、ひと際大きな建物の前にたどり着いた。
青い屋根の建物の上に、綺麗な石膏の像が飾られている。
「ここ……ネマトーアの教会ね」
マリーナさんが言った。
教会と言われれば、確かに厳かな雰囲気がある。
これが、伝説の聖女……なのだろうか。
像を見つめていると、その姿にどこか既視感を覚えた。
この人、どこかで見たことが……。
「どうしたの? 真島くん」
僕は朝倉さんと像を見比べてみた。
像の女性は遥かに大人びていて、特に共通した特徴は見つからなかった。
「あ、うん。ごめん、何でもないよ」
僕はそう言って歩き出す。その時、建物の扉が開いて、中から人が現れた。
あ……。
僕は頭上の石像を見上げた。
「思ったより早く着いたね、勇者くん」
そう言った石像とよく似た雰囲気の女性は優しく微笑んだ。
「ネマさん……!」
「知り合いなの? 真島くん?」
驚いた顔で朝倉さんが言った。
僕は頷いた。
リュックの中の迷宮、聖なる空間にいた女神さまだ。
「どうして、こんな所に……」
僕が呟くと、女神さまは手招きをした。
建物の中は広い聖堂になっていて、色鮮やかなステンドグラスが貼られていた。
教会だったのか。
「ここは元々、わたしや空間の精霊と契約をする儀式を行う場所だった。今はとある人間が仲介を取り仕切っていていろんな場所で契約を行っているみたいだけどね」
「契約……それじゃあ、エミカもここで……」
女神さまは頷いた。
「そう。荷物持ちと名乗っているのは聖なる空間への干渉能力を持ったものたちだ。人によってはアイテムキーパーとかゲートキーパーと名乗っている者もいるね」
「あの……その契約っていうのは……」
朝倉さんが尋ねた。
「契約の内容は色々あるけれど、一般的には集めた物の献上。契約者が死んだらその時に倉庫に入っていたものを全部我々が頂く。それを条件に空間を貸しているのが殆どだ」
随分と簡単な条件だな……。
死んでしまったら物に対する執着は無くなる。それを理解していればタダみたいなものだ。
僕の疑念を察したのか女神さまは付け加えるように続ける。
「わたし達にしてみれば無限に広がる空間を少し貸すだけだからね。こちらもタダみたいなものだ」
「エミカちゃんも魂とか、そういうの預けたんじゃないんだね……」
ほっとした様子で朝倉さんが言った。
「でも、それならもっとたくさん荷物持ち……アイテムキーパーか。いても良さそうだけど」
「それがさっき言った……とある人間の仲介が関係していてね」
女神さまはそう言って、聖堂の右手にある大きな窓を指さした。
外には豪邸が一件建っている。
「あそこに住んでいる人間が、ネマトーア協会というのを立ち上げて、わたし達と人間の契約を取り次いでいる。わたし達の契約よりも前に、あそこの奴らと取引をしなくちゃいけないってわけさ。それなりの金を要求されてね」
さっきフレドさんもその名前を言っていたな。
あのお嬢様は、そこの娘って事か……。
「ところで勇者くん。君がここに来た理由は、これじゃないのかな」
女神さまは上を見上げ、ステンドグラスの真ん中に描かれた絵を指さした。
ステンドグラスの真ん中には巨大な黒い影が描かれていた。翼と角と尻尾……悪魔を描いたものだろうか。
単純化された絵だけれど、その禍々しさは伝わってくる。
「この街の双首岩、あれはこの伝説を模して造られたものだけれど、実際にその下には巨大な闇……魔神が封印されてる。大きいだけで、アイテムキーパーの持っている道具と理屈は変わらない、聖なる空間に繋がった門があるんだ」
女神さまの指先が悪魔の上を向いた。
そこには女性の姿、そして左右には犬が二匹。やっぱり、これが例の神話を表しているのだろう。
「この門の封印を契約した人が伝説の聖女なのかな……」
朝倉さんが言うと、女神さまは黙って頷いた。
「聖女は代を重ね、この街で闇の扉を守っていた。つい最近までは」
「最近……?」
僕の疑問に意外な所から答えが返ってきた。
「3年前……」
シェズが低い声で言った。
「聖女が封印を解くまでは……な」
「なんでそんな事を……」
朝倉さんが呟いた。
「聖女の一族は契約を受け継ぎ、ずっとこの街に束縛される。いわば人柱だ」
「それじゃあ、その重圧に耐えきれなくなって……」
シェズは首を横に振った。
「耐えきれなくなったのは本人じゃない。街の中に魔神が封印されている、その事は街全体の不安要素だった」
「そこであえて封印を解き、魔神そのものを討伐する計画が街の役員の間で極秘裏に持ち上がったんだ」
女神さまは言いながら再び窓の外を見た。
「聖女は最後まで反対したが……街の繁栄のためだと半ば無理矢理、封印は解かれた。各国から集められた討伐隊がそれと戦い、なんとか勝利した。魔神は消えたんだ」
「随分と詳しいな……」
僕の疑問にマリーナさんが答えた。
「シェズ、あなたも討伐隊に参加してたのね」
シェズは黙ったまま答えた。
「それじゃあ、聖女も宿命から解放されたんだ……」
僕が言うと女神さまは首を横に振った。
「解放されたというよりもね、役目が無くなってこの街にいらなくなったのさ」
「魔神との闘いで街は被害を受けた。酷いもんでな……大勢の人が傷ついて死んだ。そしてその原因を……街の役人は聖女一人に押し付けたんだ」
「聖女は自ら宿命から解放されるために魔神をよみがえらせた……。そういう事にされて、聖女は裏切者と迫害され、街を追われた」
「そんな……」
朝倉さんが悲痛な面持ちで息を飲んだ。
「ちょっと待って……その、裏切者って……」
心臓が高鳴る。
「もしかして、エミカの……」
マリーナさんが俯いたまま言った。
「エミカを雇ったのはその時だ」
シェズはそう言ってため息をついた。
「昔話はもういいだろう。あいつを迎えに行くぞ」
「う、うん……」
朝倉さんは神妙な面持ちで頷いた。
そうだ……早くエミカを見つけないと……。
僕は出口に向かって足を向けた。
「勇者くん、待ちたまえっ」
背中越しに女神さまの声がした。
僕は会釈だけして、外に出て行った。
「シェズ……なんで今まで言ってくれなかったんだよ……」
「口止めされてたんだよ」
それは解ってる。
だけど……。
「エミカがここに来たら辛いって、お前なら解ってたんだろ?」
「だけど、ここに来ようって言ったのはお前だろう」
「それはそうだけど……」
知ってたら言い出さなかった。
「ごめん……あたしがオルトロックの事を言い出さなければ……」
マリーナさんが言った。
僕は首を横に振る。
「マリーナさんだって知らなかったなら、仕方ないよ……」
フォローするつもりが、結局自分の言い訳と同じだと気が付いて、胸が苦しくなった。
この事を知っていたら……。
「待てよ……シェズ、お前聖女のこと知ってたんじゃないか」
僕は足を止めた。
聖女は確かにいたんだ。
だけど、それは魔神を封印してていたエミカの母親の事で。
「朝倉さんは聖女とは関係がないって事……なのか?」
だとすると今度は魔王が執拗に探していた理由が見つからない。
朝倉さんを探していた理由はもっと別にあるのか?
ああ、頭が混乱してきた。
「私の事はどうでもいいよ。今はエミカちゃんの事が先だよ」
朝倉さんが強い口調で言った。
ああ、そうだ。今は目の前の事を考えなきゃ。
僕は頭を振ってまた歩き出した。
少し進むと街の様子はそれまでと変わり、更に閑散とした様相になった。
目に入る建物はどれも劣化していて補修した様な跡がある。
「何かに壊されたみたい……」
少し不安げな様子で朝倉さんは言った。
よく見ると壁には5本並んだ傷がついている。
「あの頃とあんまり変わらないな……」
シェズがまた口を開く。
ここが魔神と戦った場所、なんだろうか。
並んだ傷は爪痕か……。
様子を伺いながら歩みを進めると、遠くにしゃがんでいる人影が見えた。
背負った大きなリュックが震えるように揺れている。
「エミカ……」
僕が近づくと、エミカは顔を上げた。
「誠様……」
僕は隣に腰を下ろすと、エミカの頭に手を載せる。
震えているのが伝わってくる。
「誠様は……帰りたいですよね、生まれた場所に……」
「え、ええと……」
僕は困った後、頷いた。
その為に旅をしてる。エミカだって知ってるんだから、今更嘘はつけない。
「わたくしは帰ってきたくなんてありませんでした……」
「ごめん、エミカ……こんな所に連れてきて……」
知らなかったから……そう言おうとしてやめた。
言い訳にしかならない。
僕がもっとエミカの事を気にかけていれば、知ろうとしていれば良かったんだ。
「お母様、お婆様、もっとずっと……わたくしの家はずっとこの街を守ってきた……そう教えられてきました。だけど、この街の人は……」
「さっき、シェズに聞いた……」
僕はまたエミカの頭を撫でた。
少し癖のある髪の毛をフワフワと。
「エミカちゃん……」
朝倉さんも傍にやってきた。
そして……。
「ごめんね、エミカ……あたし酷いこと言ったわ……」
マリーナさんが震える声で言った。
エミカは首を横に振った。
「わたくしの方こそ、何も伝えずに、ただわがままを言ってすみませんでした」
ごしごしと袖口で目元を擦りながら、エミカは言った。
朝倉さんが黙ってハンカチを取り出すと、エミカの涙を拭ってあげる。
「エミカ……」
僕はエミカの手を取って、立ち上がらせて、そのまま頑張って担ぎ上げた。
「ままま誠様っ!?」
いわゆるお姫様抱っこ、それをされてエミカは驚いて僕の顔を見た。
「うー、下ろしてくださいっ。わたくしそんなに軽くないですからっ」
「うん。ちょっと重いかな」
ジタバタ暴れられるから、余計に重くて腕に負担がかかる。
だけど、それを頑張って、なんとか顔に出さないようにした。
「前に言ってたよね。悩みは心を重くする厄介なお荷物だって」
僕は言いながら一歩踏み出した。
エミカはギュッと僕の服の袖を握った。
「エミカは僕らの荷物持ち……つまり、エミカの荷物も僕たちの持ち物ってわけだ」
それなら一緒に支えてあげればいい。
僕は腕の中で、またエミカが震えていることに気が付いていた。
でも、それは泣いているのとは違うみたいで。
涙を手で拭いながら、エミカは微笑んでいた。
「何で笑ってるのさ……」
結構、格好つけて言ったのに。
「ごめんなさい……前に同じ様なことを言ってくれた人がいたもので……」
言いながら、エミカは僕の胸に顔を押し付けた。
もしかして、それって……。
「……よくそんな恥ずかしいこと真顔で言えたもんだな……」
シェズが小声で呟いて、それを聞いたエミカはもう一度笑った。
「はい。聞いてるわたくしも恥ずかしかったです」
もう……こっちまで恥ずかしくなってきたよ!
隣では朝倉さんも笑っていた。
「もういいですよ、誠様」
エミカはそう言って、体をモゾモゾさせて、下ろす様に促してきた。
僕もそろそろ強がっていられなくなったので、その場に下ろす。
「誠様は、相変わらず優しい方ですね……」
服のしわを直しながら、エミカは言うと、そっと空を眺めた。
「そんなだから、簡単に騙されちゃうんです」
クスリと笑うと、頭上に大きな影が覆った。
慌てて見上げると、そこには巨大な鳥に乗った、仮面の男がいた。
「魔王!」
シェズが叫んだ。
同時にアクノボスの周りに穴が開き、中から無数の巨大蝙蝠が現れて襲ってくる。
「誠くん! シェズ!」
マリーナさんが咄嗟に火の精霊を呼び出し、蝙蝠を打ち落とす。
こっちも武器を……エミカの方を見ると、その傍らに仮面の男……魔王が立っている。
「エミカ……?」
魔王はエミカの頭の上に手をのせると、さらに魔物を呼び出し、僕らに差し向けてきた。
蝙蝠の足の爪が僕の体に傷をつける。
「エミカ! どういうつもりだ!」
シェズが叫んだ。
するとエミカは仮面の男の顔を見上げた。
「もう言っちゃっていいですか? まおー様?」
仮面の男が黙って頷くと、エミカは不敵な笑みを浮かべてこちらを見た。
「わたくしの役目、それは皆さまをこの場所までお引き寄せる事だったんですよ」
この場所……?
オルトロックって事か……?
「正直、上手くいきすぎて逆に大変でしたよ。誠様が神話を調べて、なおかつマリーナ様がこのオルトロックの事を教えて………そんなことしなくても、わたくしがここまでご案内してあげましたのに」
どういう事だ……。
なんで僕たちがこの場所にくる必要がある?
そんな疑問を抱く暇もなく、蝙蝠の爪が僕の体を掠めていく。
丸腰じゃ無理だ……!
だけど武器はエミカのリュックの中……。
どうすれば……。
そうしている間に、また蝙蝠がぶつかって僕の体が血を流す。
「真島くん!」
駆け寄ってきた朝倉さんが、治療魔法の光をかざす。
それを狙ったように、仮面の男を乗せていた鳥の化け物が近づいて、その足で朝倉さんの体を掴んだ。
「きゃあああっ!」
「朝倉さん!」
僕が声を上げる間もなく、朝倉さんの体は宙に浮いた。
「くそぉっ! どうすりゃいいんだ!」
シェズが唇をかんだ。
どうすれば……どうすればいい!
その時、僕の視界が、急に暗くなった。
そして次に光が目に入った時、そこには女神が立っていた……。
「女神……さま?」
「全く……さっき待てと言ったのに……」
女神さまは呆れるような顔で僕を見ていた。
「ったく、これだから人間ってのは面倒なんだよな。すぐ目先の感情に流される」
女神さまの肩の上で、リスが一匹喋っている。
「あんたにそっくりじゃないか」
言いながら女神さまはリスの額を指で弾いた。
「色々と説明したい事はあるんだが緊急事態だ。真島誠くん。今はこれだけ伝えておく。君はもうわたしと契約をしている」
「契約? 女神さまと?」
「記憶にないのは仕方がない。なぜならこれは今の君が知らないことだからだ」
「えっと……よく解らないんだけど……」
「とにかく、今の君はすでにゲートキーパーの力を持っている。それもかなり強力な……そう、ゲートマスターと言って良い位のね」
ゲート……マスター……?
「お前、前に紛れ込んできたとき、簡単に倉庫の扉開いただろ? あれ、お前がそういう力持ってたせいなんだとよ」
リスが僕の肩に飛び移ってきて、そう言った。
「お前が欲しいものは、俺が取ってやる」
リスのドヤ顔が消えたと思うと、僕の視界は元に戻っていた。
体中が痛い……。
また、蝙蝠が襲ってくる。
「来るぞ、誠!」
シェズの声が聞こえると同時に、僕は腕を振るっていた。
手に重たい感触が走り、目の前に鮮血が飛び散る。
足元に落ちた蝙蝠がバタバタと羽ばたこうともがいていた。
僕は手に持った剣を見て、次の敵に向ける。
「今……剣が……」
エミカが目を丸くして、こちらを見ていた。
正直、僕もよく解らない……。
左手を前に差し出すと、目の前に青い光が広がり、そこからもう一本、剣が現れる。
それを掴んで、僕は滅茶苦茶に振り回しながら、蝙蝠の群れに飛び込んでいく。
「いいぞ誠、そのまま振り続けろ!」
でたらめに振った剣を避けようと蝙蝠が高度を上げるが、仲間同士にぶつかる。
蝙蝠の動きは自ら発する超音波に頼っていると聞いた事かある。
剣がその反射をでたらめにしているので、体勢を崩しやすくなっているのだろう、簡単に剣は当たった。
たまらずに逃げていく蝙蝠たち。
僕は魔王とエミカに近づいていく。
「まおー様、本当の目的はこれ……ですか?」
エミカが魔王の方を向いて、低い声で言った。
魔王は答えずに、空に向けて指を鳴らした。
空から朝倉さんを掴んだままの鳥が降りてきて、傍らに置いた。
「朝倉さん!」
僕が近づくよりも先に、魔王の頭上に穴が開いた。
穴は三人と鳥を飲み込んで消えた。
朝倉さんが、攫われた……。エミカが裏切った……。
僕は呆然と立ち尽くすしかできなかった。




