僕の中に誰かいる
気が付くと、僕は地面に大の字になって倒れていた。
暗闇の中、ベルトのないジェットコースターに乗っていたような事をかすかに覚えている。
しばらく目をまわしていたあと、急に視界が開けたと思えば柔らかい草原の上に投げ出されていた。
夢だと思いたい。
腕を伸ばしてみる。
僕の手が見える。
起き上がろうとすると、ズキズキと頭が痛む。
痛いって事は、夢じゃないんだろうか。
なんとか起き上がって辺りを見回すと、本当に何もない平原だった。
「どこだ、ここ……」
公園……では無いようだ。
そうだ、朝倉さんは……!
僕は慌てて辺りを見回した。
緑の絨毯の中に、ひと際目立つ白い肌がある。
「朝倉さん!」
急いで駆け寄ると、それは間違いなく横たわった朝倉さんだった。
相変わらず、きれいな太ももが……いやいやいや。
顔を近づける。
息はしているようだ。
心臓が鼓動していることは服の上からでも、なんとか解る。
口の中が湿ってきた。唾を飲み込んで、改めて右手を見つめてしまう。
「柔らかかったよなぁ」
突然、口が開いたかと思うと僕が喋っていた
「うわああっ!」
思わず声を上げるのも、また僕。
間違いない。
まだ、いるんだ……。
「君は誰だ……僕の中にいるのは……」
自分じゃない何かが、いる。
それはさっき僕の体を動かして、今も僕の口を使って喋った、そいつの事だ。
「お前こそ、何もんだ?」
質問が逆に帰ってきた。
「僕は僕だ」
「僕って誰だ? 俺の体に入って何やってがんだ?」
「違う、これは僕の体。君が入ってるんだよ!」
会話をしているように見えて、どちらも喋っているのは僕だ。
僕と、僕の中の誰かと。
「会話が進まない。OK。お互いに名乗ろう。僕は誠。真島誠。君の名前は?」
自分に名乗るなんて不思議な気分だな。
「俺はシェズ。シェズ・ノーチラスだ」
そして答えるのも自分……になるのかな。
シェズ……変な名前だな。
いや、自分の中に入ってる時点で普通なものじゃないんだろうけど。
段々と冷静になってきた。
「それじゃあシェズ。多分だけど、君は僕の上に落ちてきた、あの男だよね?」
あの時見えた空から落ちてきた人影。思い当たるのはそこしかない。
「落ちた……ああ、そうか。あの時下にいたのがお前だったって事か」
どうやら、そういう事らしい。
原理とか理由とか、色んな事が気になるけれども、まずは他人の人格が自分の中にいる。
その事実を確認出来ただけでも一つ前進だ。
そして次に大事なのは。
「とっとと出れないのかな?」
これだ。
こんな状況、とっととおさらばしたい。
「無理だろ」
返答はあっさりだった。
そして、なんとなくそんな気がしていたのも事実だ。
「それよりもだ。今、俺が全く動けない事。それが問題じゃねーかな」
何言ってるんだ図々しい。
「こっちが動けて当然じゃないか。僕の体なんだから」
「らしいな。優先順位ってやつは今はお前にあるらしい」
それでも口は勝手に使われているみたいだけど。
「だけど、それが今は問題だって事を理解して貰いたいんだが」
「何を言って……」
その時。急に聞きなれない声が聞こえてきた。
「グル……グルル………」
何かが近づいてくる。
声のする方を見ると、見慣れない生き物の姿があった。
顔は知ってる動物に例えるなら豚。だけどその姿は体を起こした二足歩行で。
頭髪のない小太りの男の様な、その姿。
「ぐおおおおっ!」
豚頭の怪物は手に持ったこん棒のようなものを振り上げて襲ってきた。
「うわあああっ! なんだこいつっ?」
「何って、オークだろ」
「なんだよ、その知ってて当然みたいな言い方!」
「どこにでもいるだろ、こんなもん」
そんなわけあるか!
こんなのゲームかアニメかファンタジー映画の世界の話だろ!
だけどこれが冗談じゃないのは、遠慮なく振り下ろされたこん棒が地面に振り下ろされた時に理解する。
地面にめり込んだ石の棒。あんなのに殴られたら、死ぬ……!
「まぁ、普通はこんな雑魚に負けねーけどな」
「いや無理だろ!」
とにかく、逃げる。それしかない。
当然、オークは追ってくる。足が短いくせに、意外と素早い。
ブンブンと振り回されるこん棒をよけながら、右に左に……。
「逃げてんじゃねーよ!」
「こんなのと戦えるわけないだろ!」
「ばか、今の所は殴れよ」
「無茶言うな!」
生まれてこのかた喧嘩で勝ったことなんてないぞ、この野郎っ。
避けるだけで精一杯。
だけど突然、豚頭……オークだっけかの動きが止まった。
獲物にならないと判断したのだろうか。
違う!
もっと簡単な獲物を見つけたのだ。
「グフゥ……グフゥ……」
鼻息を荒くしたオークの向かう先には、倒れたままの……!
「朝倉さん!」
やめろ! やめろ!
気が付けば夢中で走っていた。
そして、全速力のまま体ごとぶつかってオークを弾き飛ばす。
二人ともゴロゴロと転がった。
チラリと後ろを見る。
朝倉さんとの距離はわずかだけど離れた。
小さく息をついた束の間。
ゆっくりと起き上がったオークがギラリと瞳を光らせる。
そこに怒りが籠っていると感じたのは動物としての本能だろう。
まずい……ヤバい……!
このままじゃ……。
オークがこん棒を振り上げた。
これが死ぬ瞬間……。
目の前が真っ暗になる。
素手でメイスを受け止めるっていうのはあまりやるもんじゃねーな。
たいして鍛えていない体では、いつもと勝手が違うらしい。
「あー、痛ぇっ」
少し手がしびれた。
普段ならもう少し軽く押し返せそうなものだが、今はもう少し力がいるようだ。
「おりゃあ!」
肩に力を込めてメイスを押し返し、そのまま豚野郎の体を地面に叩き付けてやる。
そして、メイスを奪い取ると、そのまま真っ直ぐ、振り下ろす!
「ぐぁっ?」
オークはぐったりと四肢を投げ出して動かなくなった。
楽勝。
まぁ、今更こんな雑魚相手に負けるとも思わないんだが。
「おーい、終わったぞ」
マコト……って言ったか。この体の持ち主は。
急に動くようになったってのは、つまり持ち主の意思が無くなったという事。
「気絶してやがんな」
ま、俺にとっては都合がいいわけだが。
とりあえずオークの身ぐるみをチェックして。
そして、寝ている女のチェックだ。
マコトはアサクラサンと呼んでいたな。マコトもそうだが変な名前だ。
……まぁ確かに整った顔をしている。
「もう少し堪能してやるか」
さっき触った感じだと、一見するより肉付きも良さそうだ。
「あいつはずっと太ももを見てたけど……俺はやっぱり胸だぜ、胸」
思わず指が動いてしまう。
それじゃあ……。
と、伸ばしたところで腕が動かなくなる。
「うぉ、なんだ……」
右手は女の体をそれて、どすんと勢いよく地面に落ちた
「やめろぉぉぉぉっ!」
「はぁ……はぁ……」
「てめぇ、良いところで起きるなよ!」
「ふざけんな! 何してんだよ!」
危なかった……。
こいつにまた朝倉さんを触れられるところだった……。
「てめえ、体返せよ!」
「僕のだ!」
「なんだよ、せっかく助けてやったのに!」
「それ以上の悪行をしようとしてただろ!」
今の行動や喋り方で何となく解った。
こいつは、かなりどうしようもない奴だ。
女の子をあんな扱いして……そして何より……胸を……。
「おいおい、思い出して興奮するなよ」
「してないよ!」
全力で否定する。
またこの乱暴者に体を奪われる前に朝倉さんを介抱しなくては。
「お、悪戯するのか?」
「しないって!」
疲れる。
なんで自分と問答しなきゃならないんだ……。
そんな声が聞こえたのかは知らないが、朝倉さんの体が動いた。
「う、うーん……」
眉が動いて、ゆっくりと目を開く。
「朝倉さん!」
「真島くん……?」
良かった……。
上体を起こした朝倉さんはキョロキョロと辺りを見回した。
「ここ、どこ……?」
当然の疑問だ。僕も同じこと思った。
「見た感じ、星都の近くっぽいな。街道からは外れてるみたいだが」
こら、勝手に喋るな。
というか、やっぱりシェズの知っている場所、という事らしいな。
さっきの怪物だって僕らの知っている町にはいないんだ。
意外とあっさり僕は事態を受け入れていた。
どうやら、僕らは知らない世界に来てしまったらしい……。