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月の夜、暗い暗い森の中で

 月の国に上陸して、数日が過ぎた。

 僕たちは当初予定していたルートを外れ、聖女の伝説の手がかりを求め、オルトロックと呼ばれる場所を目指していた。

 港からオルトロックを結ぶ街道は無く、荒れた平原を越え、今は広い森林地帯に入り込んだ所だ。

 ベルシャ達、魔王軍の妨害は無くなっていたが、その代わりに野生動物と出会う事が多くなった。

 牙だけでなく額に角まで生えた大きなイノシシが猛スピードで迫ってくる。


「誠、来るぞ!」


 シェズの声に急かされて、僕は剣を握る。


「真正面からぶつかったら弾き飛ばされる。直前で避けるか……」


 チラリと横に視線を移す。

 隣では厚い盾と鎧を身に着けた仲間が頷く。


「ここは私に任せたまえ!」


 ガンと音がして、イノシシは王子の構えた盾にぶつかった。

 鎧の重さに支えられつつ、王子はイノシシの巨体を押さえ、必死で耐えていた。

 この隙に横に回り込んだ僕は、思い切り剣を振りあげる。


「眉間を狙って叩き付けろ! 一気にいけ!」


「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 鈍い音と共に手のひらに重たい手ごたえと、飛び散った血のかかる感触。

 イノシシはぐったりと地面に倒れていた。


「はぁ……」


「少しは剣を使えるようになってきたじゃねえか」


「ああ、なんとか……ね」


 僕は剣先を地面落として、肩を落とす。


「あたしの出番なかったのは、大した進歩かしらね」


 いつまでもシェズにばかり頼っている事に流石に限界を感じていたので、僕は少しずつ剣の使い方を習うようになった。

 もちろん、王子やマリーナさんのフォローがあって実戦に参加しているんだけど。

 何回かの戦闘を経験して、少しはパーティーの一員としての実感は出てきた。

 ただ……。

 手のひらに残った感触には、まだ慣れない。

 倒れたイノシシに視線を落とし、心の中でごめんよと呟く。


「お疲れさまでした。後はわたくしにお任せください」


 隠れていたエミカが顔を出して近づいてきた。

 リュックから大きな包丁を取り出して、イノシシを手際よく捌いていく。

 毛皮は街で売れるらしいし、肉は燻製にして非常食に。

 奪った命、無駄にしないで済むのは少しだけありがたく思う。


「エミカちゃん、スパイスだして貰っていい?」


 朝倉さんも、少しだけ解体と、肉の加工を覚えようと作業に参加していく。


「そろそろ良い時間だし、このままキャンプするか……」


 日が落ち始めている。

 シェズの言葉に、みんなが頷く。


「エミカー、テント出すぞー」


「はーい、りょーかいでーす!」


 パタパタとかけてきてリュックを下ろすと、中からホイホイと野営グッズを出していく。

 ここにきて、改めてエミカの重要性を思い知らされるな。

 普通にこんな荷物を持ってたら、僕なら歩くこともできない……。

 出してもらったなら、作るのは男の仕事だ。

 僕は王子と、そしてフレドさんと一緒にテントの設営を始めた。



「……んっ、美味いっ」


 採ったばかりのイノシシ肉が入ったカレーに、みんなが感嘆の声を上げる。


「良かった……」


 朝倉さんがホッとした様子で言った。


「ちょっと辛いですけど、美味しいですね、これっ」


「じゃあ、少しドライフルーツ入れるといいよ」


 うーん、まさかここに来てカレーが食べられるとは思わなかった。

 朝倉さんがやたら沢山スパイス買っていたのはこの為か。

 馬車や船旅の頃は毎回宿に泊まっていたから、なかなか使う機会がなかったので忘れていたけれど、星都で出発前に沢山買いこんでいたっけ。


「複数のスパイスを組み合わせているのですか、これはなかなか……」


 フレドさんも感心した様子で香りを嗜んでいる。


「桜君、魔王を倒したら是非とも王宮料理人になってくれたまえ!」


「あはは、そこまではちょっと……」


 苦笑いを浮かべる朝倉さん。

 ……魔王を倒したら、か……。

 僕らが元の世界に帰るための手がかりは、本当にあるんだろうか。




 火照った体に、夜風が染みていく。

 僕は空を見ながら、地面に大の字に寝転んでいた。

 青白く光る月と星が綺麗だ。

 急にそれが遮られて、僕は目を丸くする。


「あら、誠くん……まだ起きてたの?」


 寝転ぶ僕の顔を覗き込むようにして、朝倉さん……いや、マリーナさんが立っていた。

  

「いえ、ちょっと……」


 僕は体を起こすと、マリーナさんを見る。


「シェズは寝てるの?」


 隣に座ってマリーナさんが言った。


「本読んで寝かせてあります」


「……お子様か」


 呆れた顔をするマリーナさんに、思わず僕も苦笑いで返す。


「朝倉さんは?」


「まだ寝てるわ。流石に、一日中歩いてるからね。夜はいつもぐっすりみたい」 


 ということは今はマリーナさんと二人だけ、という訳だ。

 そういえば、二人だけで喋るの初めてだな……。

 穏やかな微笑みを浮かべてこちらを見ている。

 朝倉さんと同じ姿の筈なのに、その落ち着いた立ち振る舞いが大人っぽく見せているのだろうか。

 気が付くと鼓動が高まってきた。 

 

「マリーナさんは、こんな時間に何を……」


「うーん、それはあんまり聞かれたくないかしらね」


 ごまかす様に視線を逸らして、マリーナさんは口の前に人差し指を立てた。

 

「レディには聞かれたくないこともあるのよ」


 ……前にエミカにも似たような事を言われたがする。


「す、すいません……」


 自分のデリカシーの無さが恨めしい……。


「まあ、こればっかりはね……あたしはそれなりに慣れてるけど、桜はまだ恥ずかしいみたいだから、こう……なるべく寝てる間にね」


 少し照れたように笑いながらマリーナさんは言った。

 さりげなく朝倉さんの事を気にかけているのが解る。

 二人は最初からお互いの意思疎通が上手くできていると思っていたけど、なるほどマリーナさんも気配りのできる人だからなんだな……。

 ……見習わなきゃな、僕も。

 

「で、誠くんは秘密の特訓?」


 言いながら、ポケットから取り出したハンカチで、僕の額を拭ってくれた。

 

「……やっぱり、もう少し強くなりたいんで……」

 

 僕は闘技場の事を思い出していた。

 いや、思い出すまでもない。

 あの時のダンの言葉が忘れられないんだ。


「やはり、その華奢な体のせいか……動きも力も、以前のお前とはまるで違っていたぞ」


 ずっと勘違いをしていたことに、この時に気が付いた。

 今までの戦いを越えてこれたのは、シェズが強いからだと思っていた。

 僕の意識が無くなった時に、シェズ・ノーチラスという無敵の勇者に変わると。

 だけど、あいつは僕の身体のまま、僕のまま、戦っていたんだ。

 この細い腕で、軽い体で。

 きっと、あいつが言ったハンデというのは、半分くらい本心なんだと思う。

 あいつ、今までどれだけ頑張ってたんだろう……。


「あいつが2倍の苦労してたんなら、僕は4倍努力すればいい。そうすればきっと……」


 きっとシェズはもっと強くなる。

 僕は拳を握った。


「ふふっ」


 マリーナさんは笑いを零すと、そっと月を見上げた。 


「あなたたちも、なんだかんだで良いコンビみたいね」


「えー……」


 僕はわざと嫌そうに答えた。

 本当は、ちょっとだけ照れ臭かったからだけど。

 そしてマリーナさんもそれに気が付いているのだろうと、なんとなく思った。

 その時、遠くで何か音がした。

 僕とマリーナさんは顔を見合わせ、揃えて息をのんだ。

 音のする方へ注意深く視線を移動する。

 すると、テントからエミカが顔を出して、キョロキョロと辺りを見回していた。

 どこかソワソワして、何かを気にするように遠くを見つめると、そのまま暗闇に向かって走っていった。


「あはは、エミカも……かな……」


 僕は笑いながらマリーナさんの方に視線を向けた。


「……なんか臭うわね」


「ええ、幾らなんでもそんな近くでは……」


 確かに身を隠せる所は至る所にあるけど……。


「何言ってんのよ……そうじゃなくて、何か怪しいって事」


 真剣な表情でマリーナさんはエミカの消えた方を見つめていた。


「えっ……? トイレじゃ……」


「そうだとして、わざわざリュック背負っていくかしら?」


 そういえば……。

 僕らは再び顔を見合わせると、エミカの後を追った。



 森の中は真っ暗だったが、月の灯りが落ちてくる場所がそのまま道しるべになった。


「大丈夫、誠くん?」


 先を行くマリーナさんがときおり振り返る。

 

「ええ、何とか……」


 とはいえ、またまだ慣れないデコボコ道に難儀して後をついていくのがやっとだ。

 足腰も鍛えないとな……。

 キャンプへの道を忘れないようにしないと……。

 そう考え事をしていたら、思い切りマリーナさんの背中にぶつかった。


「うわ、ごめんなさ……」


 謝ろうとした僕の口を、マリーナさんが人差し指で塞ぐ。

 視線を向けた先には……エミカ。

 

 相変わらずキョロキョロと様子を伺いながら、リュックを地面に置いて、口を開いた。

 その時、大きな風が巻き起こり、空が暗くなった。

 エミカが驚いて顔を上げると、そこには大きな翼を広げた、巨大な鳥の姿があった。

 その背中に、何かが乗っているのが解った。

 鳥が地面に下りると、背中に乗ったそれは地面に飛び降りた。

 真っ黒いマントで全身をすっぽりと包んでいる見るからに怪しい風貌の男だった。

 目を引くのはマントと同じ漆黒で染まった仮面で、顔の左右に銀色のレリーフが入っている。

 狼の顔だろうか。

 男はエミカに近づくと、何かをしゃべっているように見えた。

 遠いせいで、声が拾えない。

 僕が静かに近づこうとすると、仮面の男がこちらを向いた。

 僕は瞬間的に息を止めた。だが体は止まらなかった。

 茂みに体が触れ、ガサガサと音が鳴る。

 エミカは驚いた顔でこちらを振り向いた。


「ま、誠様っ!?」


「エミカっ!」


 ああ、こうなったら仕方がない。

 僕はエミカと男の間に立つ。

 

「誠様、なんでこんな所に……!」


 そっちこそ……そう返すよりも先に、僕は男を睨みつける。

 同時に鳥が金切り声を上げると、翼を大きく広げて威嚇してきた。


「誠くんっ」

 

 隣にマリーナさんが並び、すかさずサラマンドラを呼び出し、魔法を使う態勢に入る。

 僕も援護を……。

 近くにエミカのリュックがある。武器……剣を……!

 僕は近づいて、その口を開いた。


「ダメですっ誠様!!」


 エミカが叫んだ。

 その瞬間、僕の腕が強い力で引っ張られた。

 腕がすっぽりと、リュックの中に入っていた。腕を伸ばすが、底が無い。

 さらに引っ張る力が強くなる。


「うわ、なんだこれっ!?」


「誠くんっ!?」

「だから、前にもダメだって言ったじゃないですかっ!」


 マリーナさんとエミカの声が聞こえるよりも早く、僕は頭からリュックに飲み込まれていた。

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