俺とお前の勝利の為に
頭を抱えたマリーナさんは、思い切り深く息を吸い込んでから、特大のため息を吐き出した。
「なんでこんな事になっちゃったのよ……」
ビラを見ながら苦々しい表情で呟く。
そして頭を抱えたいのは僕も同じ。
僕らは遊技場の地下にある特設コロシアムで試合開始の時を待っていた。
金色に塗られた壁と遊技台が並ぶフロアを抜け。
兎の耳を付けたお姉さんに案内されて通された控室。
僕はそこの椅子に座らされ、鉄製の鎧をこれでもかと着せられていた。
座っているのに、すでに重いんですけど……。
「君のサイズに合うものを用意していて良かったよ」
鎧の持ち主が言った。
どれだけ鎧を常備してるんだこの王子様。
「そういや、魔王の城に入る時に俺にも着せてきたよなお前」
シェズが笑いながら言った。
「なんだか懐かしいな……」
フッと笑って髪をかきあげる王子。キザだ。キザ野郎だ。
「そういえば、その時の鎧は……」
「魔王にボッロボロにされたわ」
「何だとっ!? あれ結構レアだったんだぞ!?」
慌てて僕に掴みかかり、前後に揺らす王子。ああ、もうやめてやめて。
ったく、なんて呑気なんだ……。
僕はこれから、あんな強そうな相手と戦うというのに。
ただ立っているだけで背筋が震えたのを思い出す。
「あんなのと戦って、無事で済むのかよ……」
心配だからこんな鎧を借りてるとはいえ……。
「お前は最初から最後まで、ずっと寝てろ。むしろ起きないように努力してくれ」
そりゃあ、そうした方がいいんだろうけどさ……。
そう上手くいくだろうか。
「またベルシャが目覚まし時計鳴らしてきたりして……」
「そういうのはねぇよ」
「随分とハッキリ言うけど……」
僕の疑問に応えるように、マリーナさんが言う。
「あのダンって男は元々月の国の騎士団長。魔王が現れてから国民を守るにためにと自ら魔軍に入り前線で戦ってたのよ」
「自らを差し出すことで、月の国の安全を守ろうとしていたって事か……」
「で、以前に魔王の城の目前で俺と戦ってる。もちろん俺が勝ったんだけどな」
「何とか、でしょ?」
またため息をついてマリーナさんは言った。
「実際はほぼ相打ち。正直、どっちが勝ったっていうよりも、あんたがちょっとだけしぶとかったって感じだったじゃない」
また背筋が寒くなる。それって、互角って事だろ?
「なぁ、本当に勝てるの?」
「勝つに決まってんだろうが」
力強く言い放つシェズ。
……信じるしか、無いか……。
「シェズ様、前座の試合が終わったみたいです」
控室にエミカが入ってくる。
「じゃ、頼むよエミカ」
僕が言うと、エミカはフライパンを抱えて微笑んだ。
「景気づけに派手にやってくれ!」
うん。できるだけ、僕が起きないように……。
いつもより凄い音が聞こえた気がしたけれど、確かめることは出来ず……。
俺は俺に変わる。
いつもより凄い音がして、余計に目が冴えてきたぜ。
グッと拳に力を込める。問題ない。
「シェズくん……気を付けて」
「任せろ」
親指を立てて、俺はコロシアムに向かう。
「来たーっ! 星の都から来た勇者、シェズ・ノーチラス!」
すり鉢状に広がる客席中から、怒号にも似た歓声が突き刺さる。
期待に応えるために、俺は右手を高く掲げ、ギッと握ってみせる。
「うおおおおおおおおおおおっ!」
刺さるような熱気に、心臓が震えてくるようだ。
そして、反対側の入り口から、黒い鎧の巨漢がゆっくりと歩いてくる。
「対するは魔軍最強! 西の大剣豪、ダン・カーザ!」
ダンは何も言わないまま、その巨大な剣を地面に振り下ろした。
ドンッという音の後、観客の声が静まり、コロシアムの空気が止まる。
「勇者とは対照的に静かな入場。しかし、その威圧感は半端ありません……」
息をのむ観客達。
いいねぇ、この緊張感。
「珍しいな、鎧姿とは」
静かにダンが言った。
「今は借り物の身体なんでね。傷つけるわけにはいかねーんだ……」
とはいえ……。
「お前の剣に切られるつもりもないけどな!」
俺は奴の顔を指さして言い放つ。
それを合図に再び歓声が沸き上がる。
全く、いい客だ。
心地いい高揚感が胸に湧き上がってくる。
「では、お互いの剣をお預けください」
レフェリーが言うと、ダンは大きな剣を差し出した。
受け取ったレフェリーが驚いた顔のまま、必死で剣を支える。
まったく、どんだけ重いんだよ。
「悪いと思ってな、こっちは自分の剣は仲間に預けたままだ」
両手に何もないことを見せる。
「では、お二人とも剣をお取りください」
コロシアムの真ん中に運ばれてきた2本の剣。
それは重さも長さも全く同じものだ。
獲物の優劣のない、真剣勝負。
手に取った剣を、一振りする。
長さ、重さ……悪いものではない。
「負けても剣のせいにはできないぜ」
「同感だ」
奴と俺と、同時に構える。
レフェリーの合図と共に試合は始まる。
最初の一手で流れが決まる。
気を抜けない瞬間だ。
「ちょっと、まってーーーー!」
突然甲高い声が響いたかと思うと、コロシアムに何かが飛び込んできた。
赤いコスチュームと………兎の耳。
「試合前に賭けの対象を決めないといけないわよね、ここはカジノなんだから!」
赤い髪をかきあげながら、兎は言った。
「ベルシャじゃねーか。なんだ、その恰好」
俺が言うのも聞かずにベルシャはフフンと笑いながら、客席に向かって投げキッスをしている。
「ぷーぶー! 引っ込めー!」
客席からエミカの罵声が聞こえてくる。
「貧乳のバニーガールなんて認めなーい!」
「うっさい! あんたもお子ちゃまボディでしょうが!」
「エミカちゃん、あんまり前に乗り出すと……」
何やってんだ、あいつら……。
観客の笑い声が大きくなる。
中には貧乳バニーに対する擁護の声も混じっている気がしたが……俺は賛同しねーぞ。
って、盛り上がっていた所を邪魔しやがって!
「というわけで、この勝負の賞品を発表します!」
ベルシャが叫ぶと、コロシアムを照らしていた灯りが消えた。
次に灯りが点った先は……桜の姿。
「ダンが勝利したら、聖女の身柄を引き渡して頂くわよ!」
観客の拍手が巻き起こる。
「ちょっと、勝手に決めるんじゃないわよ!」
呆けた顔をしていたのから一転、凄い形相に変わった姿に、観客の拍手が小さくなった。
マリーナも空気読まねぇな……。そもそもこの茶番自体が空気読んでないけどな。
「早く戦わせろよ!」
思わず怒鳴ると、ベルシャがニンマリといやらしい顔をする。
「合意したって事でいいわね? いいよね、いいのよねー?」
「ああ、もう面倒くせぇ!」
負けるつもりはハナッからねぇ!
俺はベルシャを顎で散らすと、そのままレフェリーを睨みつけた。
「試合、開始!」
レフェリーの号令が響くと同時に、俺は切りかかった。
相手も同様に切りかかってくる。
ちっ……!
ガシィン!
金属の弾ける音と共に、僅かな距離が開いた。
まず、こっちの剣を受け止めると読んでいたが、攻めてきたか。
「貴様に小細工が通用するとは思えなくてな」
ダンは次の一撃を繰り出してくる。
咄嗟に剣で弾く。元々、パワーファイターのダンはスピードよりも重さを意識した戦い方をする。
だが今の剣は普段のそれより数段軽い。
その分、剣を振る手数を増やしてきやがった。
一撃一撃の感覚が狭いと受け止めるので手一杯だ。
これは完全に押されている格好だ。
「シェズ様ーーーーーっ! がんばれーーーーーーーーっ!!」
エミカの金切り声が聞こえてきた。大分壁に近づいてきたな。
ここらで……っ。
「!」
受け止めてはじき返すと同時に俺は剣を引き、そのまま先端を倒して前に突き出した。
攻撃の隙間を狙い、敵の胴を打つ。
ただし、鎧の相手に突きは効果が薄い。
あくまでも牽制以上の意味はない。
俺は距離を取り直す。
「あのタイミングで突くとは、侮れぬ奴」
剣先の触れた場所を払いながらダンが言った。
いやいや、どうも。
こっちは少し侮ってたぜ……。
剣を握り直し、切っ先を向ける。
その瞬間、黒い鎧が迫り、再び剣が振り下ろされる。
「ちっ……早いっ!」
打ち合いを避けて俺は左に飛んだ。
それを追いかけるようにダンは左手一本で剣を薙ぎ払う。
何とか受け止めたが、着地のタイミングで次のステップを踏めなかった。
また防戦か……!
「慣れない重装備で、動きが鈍いな!」
解ってるよ、そんな事ぁ!
相手が特別に早いんじゃない、こっちの動きも制限されている。
ダンが剣を大きく振り上げた。
不味い……!
強い一撃を受け止め、剣ごと俺は勢いよく後ろに飛ばされた。
「シェズ!」
いつの間にここまで追いつめられていた……壁に背中を打ち付けて俺は止まる。
強ぇ……強ぇぞ、こいつ……!
「もう少し楽しませてくれると思ったが……」
ゆっくりと歩いてくるダン。
剣を支える手に余裕がある。
「へ……へへへ……」
やぺぇ……。変な笑いが出てきやがった……。
不味いな、もう少し早く起きねぇと……。
「シェズ……」
笑っていた筈が、消えるような声に変わった。
「!?」
情けねぇ……。自分の声に驚いちまった。
「おい、待てよ……なんで起きてんだよ……」
ここで、こいつに変わっちまったら、間違いなく……。
「もっと寝てろっての………」
冷や汗が額から零れるのが分かった。心臓がいつになく早くなりやがる。
「だ、大丈夫……剣受けた時には目が覚めてたけど……今、ちょっとクラクラしてる……」
背中の痛みが一瞬無かったのはそれか……。
まだ誠は完全に覚醒していない。まだ俺が意思を持っている。
剣を握る。まだ、行ける……。
「頼むぜ……もう少し、やらせてくれよ……!」
俺は飛び出して剣を打ち付けた。
一、二、三!
速攻で決める……!
相手の隙を狙い、剣を振り続ける。
だがダンの反応は全くと言っていいほどブレない。
こっちのリズムに合わせる様に弾き返してくる。
相手の剣に力を感じない。それだけ余力があるって事だ。
こっちはさっきから全力で振り下ろしてるってのによ!
「軽い……軽いぞ!」
「うっせぇ……よ!」
ヤバい……!
一瞬、脳天に上った血が、動きに力を込めてしまった。
急激に冷静になり、ダンの握りがきつくなるのが、見える。
余計な重さを加えられた剣は、ほんの少しだけ戻りが遅くなる。
対して、ダンはそのタイミングを逃すことなく、全力の一振りを叩き込んできた。
胴体に思い切り剣を喰らい、俺は再び壁まで弾き飛ばされる。
「ぐああああああっ!」
今度は背中の痛みを存分に味わった。
ふと腹を見れば、鎧が思い切りひび割れていやがる。
「重装備も無駄ではなかったか」
視線の遥か上にあいつの頭がある。
ちくしょう……。
「やはり、その華奢に体のせいか……動きも力も、以前のお前とはまるで違っていたぞ」
「ばーか、ハンデくれてやってんだよ!」
体を起こそうと手に力を込める。
上体を起こすのもやっとだ。
どうする……?
手はあるか……?
考えている間に、剣が額に突き付けられる。
「残念な結末だった。できるなら本当の勇者ともう一度戦いたかったぞ……」
本当の……勇者……か。
借り物の体にしては、よくやった方か?
本当の身体なら勝てていたのか?
「……ふざけんな……」
俺の口が喋った。
まて……今のは……俺じゃ……ない。
「ふざけんなよ、シェズ……いい加減にしろ……」
「誠……」
「お前、人の体使ってハンデだとか………今、諦めるつもりだっただろ……」
何……言ってるんだ、こいつ……?
「僕……さっきから意識はハッキリしてるんだ……。でも、それ以上に君が僕の体を動かしてるんだ……」
誠が……目覚めてる……?
なのに俺は動けていたのか?
なんで……?
「君はどんだけ戦いたいんだよ……そんなに楽しそうに戦われたんじゃ、邪魔できないだろ……」
「お前……何、人の事心配して……」
「お互い様だろ、それは……」
気が付けば俺は笑っていた。
笑わされていたっていうのが正しいのかこの場合?
「覚悟はした。少なくとも、今の僕は君だ。身体なんか気にしなくていい。全力で君の戦いをしてくれ」
今のお前が俺? 何だよ、わけのわからない事言いやがって……!
「ふふ……ははははは……」
もう笑うしかできねーじゃねぇか。
「後悔すんなよ、誠?」
「そっちこそ。全力で行かないと後で悔やむぞ」
言いやがる……!
うすうす気が付いていたけど、こいつも相当の負けず嫌いだ。
俺は立ち上がる。
そして、鎧を脱ぎ捨てる。
「借り物の体、捨てるつもりか」
「いいや……違ぇよ……」
剣を握り、距離を取る。
その行動を許してくれたのは、ダンの同情か慢心か。
どっちでもいい。こっちは元々プライドなんてない。
チャンスとして有り難く使わせてもらう。
誇りよりも勝利を選ぶ。
負けるわけには、いかねぇから……!
狙いは真正面。
剣を中段に構え、ただ真っ直ぐに突き進む。
「迷いが消えたな、勇者!」
来た!
ダンは切っ先を上げ、全力の剣で迎え撃つつもりだ。
ギリギリまで近づけ……限界まで!
剣が振り下ろされる。
そのタイミング、ほんの僅かな時の隙間を抜けるように、俺は身体を逸らす。
肩を掠めた剣の先から、真っ赤な血が迸る。
腕を持っていかれなかったのを確認して、俺はそのまま剣を横に払い、黒い鎧に叩き込んだ。
「ぐお……!」
鈍い音がして、ダンが呻く。
そしてそのまま背中からぶつかって相手を押し倒した。
共に倒れる自分の顔すれすれを狙い、剣を突き立てる。
カチンと音がして、剣が止まった。
コロシアムから音が消えた。
聞こえるのは、心臓の音。俺のか、奴のか、両方か。
剣の先がバイザーの隙間に挟まっていた。
カランと音がして、ダンの手から剣が零れ落ちる。
心臓にたまった酸素を吐き出すと同時に、怒涛の歓声が俺の意識を満たしていった。
自分の顔の横すれすれを剣が通り過ぎた時、正直、意識が飛びかけていた。
心臓の高鳴りが気持ち悪いくらいで、そのまま何か吐き出していたかもしれないのを、僕は必死でこらえていた。
あ、手が動く……。
うわぁ、肩が、もの凄く、痛い……。
べっとりとついた赤い染みに僕は逆に血の気が引くのを感じた。
「シェズくん!」
あ、朝倉さん……。
駆け寄ってきた朝倉さんが、素早く治療の魔法を塗ってくれている。
はぁ……助かった……。
僕が安堵すると、急に地面が揺れて、ダンが起き上がった。
そのまま地面に落ちた僕の横で、ダンは自分で顔に刺さった剣を引き抜いてこちらを見下ろした。
……これ、ヤバい奴か、もしかして……?
そして咄嗟に思い出す。彼らの目的が聖女だという事……。
朝倉さん、逃げて!
と声を出すよりも先に、僕は腕を掴まれていた。
ダンに起こされた僕は、そのまま腕を高く掲げられていた。
「勝者の務めだ。その誇りを高く示せ」
そう言って、ダンは僕の手をそのままに手を離すと、そのままそれを打ち鳴らした。
今はシェズじゃないから……そう言おうとしたけれど、歓声と拍手の音にかき消されてしまいそうだったので、何も言わなかった。
あいつが起きてこの歓声を聞いてるのは解ったし、これでいいや。
ちくしょう、満足げな顔しやがって……。
それが自分で見れないのがちょっとだけ悔しくて。ただコロシアムの天井は金色で派手だなぁというのと、歓声が気持ちいいなとだけ考えていた。
「シェズ様ーーーーっ!」
「勇者、おめでとう!」
エミカと王子もやってきて。
そして、ついでにその後ろには、ムスッとした顔でベルシャも立っていた。
「何負けてんのよ、バカ兄貴!」
怒鳴りながらダンに詰め寄る。
何か、さりげなく衝撃の発言が聞こえた気がしたぞ。
「勇者よ。今回は完敗だ。正直、君たちを侮っていた」
そして、右手を差し出してくる。
「シェズ……いいかな?」
「勝手にしやがれ」
素直じゃないやつ。
僕は代わりにダンの右手を掴んだ。
「次は負けない。全力で魔王城への進行を阻止して見せる」
「全力で来られると、ちょっと困るかな……」
「情けないこと言ってんじゃねーよ!」
確かにそうだ。
今、僕は勝者なんだ。
こいつの名誉の為にも、少し格好つけてやるか。
「魔王に伝えとけっ。勇者が必ず倒しに行くって!」
まだ上がるのか……。
そう呆れる程、盛り上がった大喝采がコロシアムを埋め尽くしていた。