海獣大決戦!
水面から伸びた長い首は月を背にして怪しく揺れていた。
ベルシャが海の主と呼んだその怪物は、身の丈10数メートルはある巨大な竜だった。
「ぐふぉぉぉぉ………」
うめき声と共に、その口元から海水が霧のように飛散する。
ギラリと光る赤い瞳が僕を、いや船を睨んでいた。
「うわわわわわわ! なんですかあれーっ!?」
エミカが僕の後ろに隠れて腰にしがみついた。
「僕に聞かれたって困るよっ」
まだ揺れている船の上で倒れないように踏ん張りながら、僕はベルシャを睨みつける。
不敵な笑いを浮かべながら、ベルシャは両手をかざす。
空の上に黒い穴。何か呼ぶ気だっ。
「やめろベルシャ!」
僕は思わず叫び、その右手を掴んだ。
「うわあっ!」
バランスを崩し倒れるベルシャ。
「いったーい……って何すんのよ!」
キッと鋭い視線をこちらにぶつけてくる。
同時に竜の巨体がぶつかり、船を大きく揺らした。
「うわああああっ!」
「きゃああああああっ!」
流石に支えきれず、僕もバランスを崩して倒れてしまう。
……ベルシャの上に。
思いっきり、胸の上に顔が……いや、これお腹、か……?
「アンタぁぁぁぁぁぁっ!」
凄く近くで怒号が聞こえた。
だけど、それをかき消すように次の衝撃が迫ってくる。
ドゴォという大きな音と共にまた船が揺れた。
「なんだ、ありゃああっ!!」
流石にシェズも目覚めたようだ。
「お前の仕業か、ベルシャ!?」
「違うわよっ! ってか、早くどけっ!」
思い切り蹴飛ばされて、僕は弾き飛ばされる。
立ち上がったベルシャは再び両手を掲げた。
海の上に穴が開き、そこからもう一匹、怪物が現れて海に飛び込む。
真っ白く細い体に十本の脚。
そして、槍の様に尖った頭。
「イカ!?」
「行くわよ、スピアクラーケン! 海の主を蹴散らしなさいっ!」
海に現れた巨大なイカは、海の主に向かってその長い足を巻き付けた。
そして尖った頭を突き立てる。
「なんで化け物同士で戦ってるんだ?」
二匹の海獣が暴れる余波が激しく甲板に押し寄せてきて、雨の様に降り注ぐ。
ずぶ濡れになった僕をベルシャは呆れ顔で見下ろす。
「邪魔だから部屋に戻ってなさいよ!」
「……なんで君が戦ってんのさ!?」
「はぁ? こいつを倒すために決まってるでしょ?」
さも当然の様に言うベルシャは再び視線を海へと向ける。
僕が呆然としていると、流石に船内も異変に気が付いたのか、灯りが点り、声が聞こえてきた。
不味いな、パニックになるぞ……!
「エミカ! 中に入って避難誘導を! なるべく中に入るように言って!」
僕はとにかく声を張り上げた。
「りょ、りょーかいしましたっ!」
エミカが船室内に飛び込んでいく。
「あんたも逃げなさいよっ」
「そんな訳にもいかないだろっ」
言いながら、なぜ自分が留まったのかはよく解らなかった。
船が激しく上下する。その横で、竜とイカが戦っている。
「スピアクラーケン! もっとしっかり押さえなさいっ! 船沈めるわけに行かないんだからね!」
ベルシャが怒鳴った。
本当に、この竜を倒すために来たのか……?
船を守るために、わざわざ乗ってきたっていうのか……?
イカの触手が竜の体を締め上げる。
引き離そうと竜は首を激しく降り、バシャバシャと水面を揺らす。
「これも、魔王の命令?」
「そーよ。聖女の乗る船を守るのが、今のアタシの任務」
確かに、今日は戦いに来たんじゃないってのは本当みたいだ。
「シェズ様ーっ! 誠様ーっ!」
「大丈夫!?」
船内からエミカ達が飛び出してきた。後には警護のために乗っていた騎士団達も続く。
「精霊召喚!」
飛び出してくるなりマリーナさんは精霊を呼び出し、海に向かって指をさす。
「クラウドジェリー! 雷の矢をっ!」
空中に現れた、雲の様な体を持つクラゲが、その無数の脚から輝く光を放ち、敵に投げつける。
バリバリと稲妻が輝き、空気が震えた。
「ちょっと、うちのクラーケンちゃんに当てないでよ!」
「はぁっ!? 知らないわよ、そんな事!」
「っていうか、あんたが出てきてどうすんのよ聖女! 大人しく隠れてなさいっ!」
二人がにらみ合う横で、騎士団員達が、海に向かって銛を投げ入れた。
二匹の海獣に刺さり、さらに暴れまわる。
「うひゃああああっ!」
船の上下運動が激しくなり、エミカが壁に向かって転がっていった。
がむしゃらに攻撃しても混乱するだけだ。
「みんな落ち着いて! あの大きなイカは味方! 竜の方を狙ってください!」
僕は叫んだ。
マリーナさんが驚いた顔でこっちを見ている。
「マリーナさん、真島くんの言うとおりにしよう?」
「桜……」
マリーナさんは納得したように頷いた。
「だから、さっき今日は休戦だって言ったでしょ?」
「休戦っていうのかな、これ……」
僕はマリーナさんとベルシャの間に立つ。
そして、体勢を立て直した海の主を見据える。
威嚇するように叫び、空気を激しく震わせた。
真っ直ぐにこっちを睨む青い瞳が怪しく輝く。
……あれ?
僕はそこで違和感に気が付いた。
目の色が左右で違う……?
さっき見た瞳は……左目か。そっちは赤く染まっていて…………。
「そうか……!」
「何か気が付いたのか?」
シェズが言った。
「あいつの目が赤かったの、最初っからだよな?」
「って事は、暴れている原因は……あの瞼のやつか」
シェズがニヤリと笑う。
彼には僕と同じものが見えている。
「休戦じゃない」
僕は隣にいる二人の顔を順番に見た。
「共闘だ!」
マリーナさんとベルシャは、少し遅れて視線を敵へと移した。
「ベルシャ、ウッドマン呼べる? できれば5体は欲しい」
「はぁ? こんな所で?」
「いいから、早くしろ!」
シェズが強く怒鳴ると、ベルシャは驚いて一歩後に引く。
「やりにくいのよね、その二重人格……」
言いながら手をかざして、空に穴をあけた。
ドスドスドスンと五体のデク人形が降りてきて整列する。
僕はその手首のハンマーに手をかけると、えいっと引き抜いた。
「何壊してんのよ!?」
ベルシャの声を無視して、次は人形の足首に手をかける。
思った通り、丸太を接続している接続部は同じ大きさだ。
僕は手首と足首をつなぎ合わせて二体を、合体、させた。
それを理解したのか、残りのデク人形は自分からジョイントを外して、隣の人形と合体していく。
「素直だね、持ち主と違って」
それぞれが大体2メートルくらいのデク人形が5体直列し、10メートルの巨体になった。
ベルシャとマリーナさんが呆然とした顔をしている。
「よし、あいつに飛びつけっ!」
僕が指さすと、合体ウッドマンはヨロヨロとバランスを取りながら、海の主に向かっていった。
一番上のウッドマンが海の主の頭にしがみつく。
「そのまま、頑張れっ!」
僕はウッドマンの背中に飛び乗ると、そのまま駆け上がった。
海の主がウッドマンを引き離そうと動く。足元も動く。
落ちるっ!?
「誠くんっ!」
とっさにマリーナさんが、精霊を呼び出した。
氷の精霊、クリオネまんまのそれが現れて海の主の体を氷で固めた。
流石に完全に抑えたわけではなかったが、動きに鈍り、人形の梯子も少しだけ安定した。
何とか体制を整えなおして僕は足を出す。
「悩むな、一気に駆け上がんぞ!」
ぐぐぐっ……!
僕は足の裏に力を込めながら、全速力でウッドマンの背中を駆け上がるっ。
「わああああああああああああっ!」
「うおおおおおおおおおおおおっ!」
下は見ない、見ている余裕も無いっ。
ただ、真っ直ぐ、早く、海の主の顔を目指して……その瞼に刺さった棘を目指してっ!
骨か、角か、おそらく巨大な生物の死骸かなにかだろうそれは、海の主の瞼にしっかりと食い込んでいた。
それを掴んだ僕は、思い切り力を込めて引き抜いた。
「ぎゃあああああああっ!」
海の主の絶叫が耳の中を木霊する。
竜は溜まらずに首を振り、氷の膜をバリバリと剥がしていく。
そして、僕はあっという間に宙に放り出された。
「うわあああああっ!」
溜まらずに僕も絶叫する。
「誠くんっ!」
「誠様ーっ!」
船の上から声が聞こえた。
そして……。
「誠、手を伸ばしてウッドマンを掴め!」
シェズの声が響いて、僕は我に返る。
落ちていく中、僕は必死に手を伸ばして、梯子を掴む。
だけど、その梯子も海に落ちていて……。
あぁ、これ、ヤバいかも……。
意識が遠くなりかけたその時……。
足首を何かに掴まれた。
イカの脚だ。
逆さに釣られた視線の先で、ベルシャが微笑んだ。
海の主の声が鳴りやむと、辺りは静寂を取り戻した。
段々と穏やかになっていく波の横で、海の主は力なく体を浮かべている。
その横で、梯子からイカダへと組み替えられたウッドマンに乗って漂う聖女の姿。
「もう大丈夫だよ」
鎌フェレットに薬をもらいながら、朝倉さんが囁く。
光る掌が、海の主の瞼を撫でていく。
「うちのご主人様、あれが欲しいのかしらね……」
甲板から眺めるベルシャが言った。
「渡さねぇぞ」
シェズが呟く。僕も苦笑する。
「アタシだって負けてないと思うんだけどなー」
言いながら、ビショビショになった髪の毛をかきあげると、そのまま歩いていく。
「どこ行くの?」
「シャワー浴びてくるのー」
船室に消えたベルシャを見送ると、入れ替わるように朝倉さんが戻ってきた。
「終わった?」
頷く朝倉さんと共に海の主を見ると、波に漂ったまま穏やかな表情で視線を返してきた。
そして何かを言うようにして鰭を持ち上げると、それを大きく降る。
「バイバイ」
朝倉さんはそれに手を振って返した。
海に静けさが戻ってくる。そして東の空が青白くなり始め、朝が戻ってくる。
高く登った太陽のギラつきが僕の目を細めた。
相変わらず海は広大で、水平線ははるか遠くにある。
「またここにいるー」
後ろからベルシャが声をかけてきた。
「また肉食べてる」
まったく、相変わらず美味しそうだ。
まあ、僕もまだ昼食を食べてないからそう思うのだろう。
にしたって、年頃の女の子が干し肉をそのまま齧っているのはどうかと思う。
「もう少し上品に食べた方がいいんじゃないの?」
「うっさいわね。お姉ちゃんみたいなこと言うな」
「美人なのに勿体ないな……」
うっかり、というわけでもないけどつい油断して言ってしまった。
まぁ、どうせまた呆れた目をしていることだろう……そう思って顔を見ると。
「………………」
顔を赤くしたまま固まっていた。
そして、視線を逸らしてまるでリスみたいに両手で干し肉抱えて、モゾモゾ口の中に押し込んでいく。
予想外の可愛らしいリアクションに、僕も思わず恥ずかしくなってしまう。
溜まらず僕も視線を逸らす……と、その先に、また別の眼差しがあった。
船室のドアから覗く二つの顔……。
「………………」
エミカが、さっき足りなかった分も埋め合わせるかのような呆れっぷりでこっちを睨んでいた。
「何してるんですか、誠様っ?」
「何もしてないよっ」
「じゃあ何かされてたんですか?」
夕べもやったぞ、このやり取り。
肩を落とす僕の横で、ベルシャが笑っていた。
そこに朝倉さんが歩いてくると、微笑んで何かを渡してきた。
「私たちもお昼ごはんにしよ」
渡された籠の中にはサンドイッチが詰められていて。
「天気もいいし、こっちで食べた方がいいかなって思ってね」
やっぱり朝倉さんも、堅苦しい食事は苦手らしい。
そして……。朝倉さんはベルシャの方を見ると。
「良かったら、そのお肉も挟んであげる」
そう言っていつもと変わらない微笑みを浮かべた。
「それに……。一人で食べるよりみんなで食べた方がおいしいよ。絶対に」
何を言いたそうな顔をしているエミカの頭にポンと手を乗せて。
僕はその視線をベルシャにも向ける。
「……桜もお前も、変な奴だよな」
「そうね……」
シェズとマリーナさんの呆れたような微笑みが、僕らの顔に浮かぶ。
本当に、何でこんなことになったのやら。
でも……きっと朝倉さんの言う通りで。
干し肉はパンと一緒に食べた方が美味しいんだ。
敵と一緒にいる事だって、そんなに悪いことじゃない。