プロローグ・勇気を願えば勇者がきたる
敵は見た目で判断してはいけない。
何かの教本に書いてあった気がするが、もう忘れてしまった。
魔王の城に乗り込んでみれば、待っていたのは背の低い男だった。
黒いマントを羽織っているが、その下は見たこともない服を身に着けている。
顔は半分以上を包帯で覆い、片目だけがこちらを睨みつけていた。
怪我でもしたのかと尋ねようかと思ったが、そんな見た目とは裏腹に最初に繰り出してきた一撃はなかなかに強烈なものだった。
「おい、まだ生きてるな?」
衝撃波で壁にたたきつけられた仲間に声を飛ばす
「なんとか……ね」
掠れた声が返ってくれば、それで十分だ。
できれば魔法で援護をしてもらいたいところだが、そんな余裕も無いだろう。
こいつは、早く終わらせた方がよさそうだ。
そして、相手も同じことを考えているのだろう、次の手が、来る!
暗黒のオーラが奴の背中から広がると、それはまるでカラスの翼のように大きく羽ばたいた。
迫りくる無数の黒い羽根。
剣を振り、落とす。落とす。落とす!
捌ききれなかった羽が体を掠めるたびに纏った鎧が甲高い音を上げる
「やるねぇ……さすがは魔王様って所だぜ」
鎧を見ればひびだらけだ。生身だったらどうなっていたか。
用心深い仲間に無理矢理かぶせられたフルフェイスが心底ありがたい。まぁ二度と使えないだろうが。
攻撃を防がれて相手は動揺している様子だ。
動きが鈍った隙を見逃さず、反撃に出る。
振り上げた剣先の動きを察知したように相手は動いた。
炎の玉が剣を弾いて軌道が逸らされる。
すかさず腕を引き、今度は真っ直ぐに突き出してやるが、それも面前に打ち出された火の玉で打ち砕かれた。
爆風に煽られ、無様に膝をつく。
「面白れぇ……やっぱ最後の戦いってのはこうでなくっちゃあな……」
立ち上がり、相手を睨む。悔しいが相手が強いと認めなければならないようだ。
だが、それが気分を昂らせてくれる。
ここまでの道のりは決して短くはなかった。
迫りくる敵は蹴散らし、道を塞ぐものは打ち砕いてきた。
「正直な……退屈してたんだよ。てめえの手下は手ごたえがまるで無くてな」
思い出してみれば単調な日々だった気さえする。
だがそれも目の前の男を倒せば終わりだ。
三度放たれた炎の球を真正面から切りつける。
力押しだ。
鎧に張り付いた炎が体温を上げ、肌を焼いていく。
それでも、この痛みと引き換えに、剣は敵の体を捉える!
「……!?」
振り下ろした剣が、消えた。
いや、消えたのではない。剣は奴の面前に広がる暗闇の穴を突き刺していた。
「なんだ、これ……」
剣と体が吸い込まれていく。
吸い込んでいるのは剣だけではない。部屋中の大気が穴の中心に向かって風を巻き起こす。
「きゃあ! ああっ」
「マリーナ!!」
叫びをかき消すと共に、突風が仲間の姿をかき消した。
そして、自分の体も徐々に飲み込まれていくのが解る。
「シェズ様! マリーナ様ぁ!!」
もう一人仲間の声が耳に飛び込んでくると、一瞬だけ冷静になる。
「バカ野郎、待ってろって言っただろうが! 下がれ!」
敵の姿を見る。
魔王の手のひらから赤い光が迸った。
弾けるような衝撃と共にマスクが砕け散る。
視界が広くなったと同時に暗闇が全身を覆いつくすのが解る。
体が軋む。抗うことのできない力に掴まれ、激流の中に放り込まれたような。
「くっ………うおぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
頭の血が足元に向かって流れていくような、高いところから落ちるような、感覚。
「くそっ……ちくしょおおおおおおおおおっ!!」
微かに残った意識の中で、できたことは叫びをあげるそれだけ。
そこからの時間もまた一瞬だった。
目の前に青が広がり、次に太陽の光。雲の白。
そして、今度は本当に自分が 落ちている ことの実感。
真四角の白い塔? 城?
石造りの地面? 木がない森?
馬のいない屋根付きの馬車?
眼下に移る異様な光景がみるみる近づいていく。
そして、落ちる先に、人が、いる…………!
勇気が欲しい。
今ほどそれを実感したことはない。
クラスの奴らから清掃委員の仕事を押し付けられた時だって断る勇気はなかったけど、それを欲しいとは思わなかった。
ついでに別のクラスの委員から今日の仕事を押し付けられた時だって、ここまで強くは願わなかった。
拾った空き缶が手の中で軋んでいる。
「そっちはどう? 真島くん?」
アルミ缶が潰れると同時に、僕の心臓も潰れそうな錯覚に陥った。
背中越しに聞こえる、澄んだ声。
潰れたはずの心臓は今度は破裂しそうなくらいに膨らんでいる。
この繰り返しをして早くも30分。
僕は潰れた缶をゴミ袋に放り込みながら、次の缶を拾いに行く。
「熱心だね、真島くんは」
言葉の最後に微かな笑い声を残して、彼女も作業に戻る。
そして、僕はまた願う。
勇気が欲しい。
クラス一……いや、校内でも一番じゃないかっていう美少女がこんなに近くにいるというのに、僕は返事の一つもできないでいる。
声を出そうとすれば息が乱れ、それを隠そうと口を閉じる。
コミュ障とか女の子が苦手とか、そういうんじゃない。……そういう要素が無いとも言い切れないけど……いやいや。
そう、単純な話で、僕はこの子が……朝倉桜が好きだった。
そう自覚するとさらに胸が痛くなる。
輝く様な黒い髪。それが春風に靡く姿はとても綺麗で。
入学式の一目惚れからずっと、遠くから見つめていた人。
そんな人が近くにいるのに、何もできないなんて……。
とにかく気持ちを悟られまいと作業に集中する事で場を取り繕うしかないのだ。
「凄い綺麗になったねぇ」
朝倉さんの声がまた聞こえる。
すかさずまたゴミに向かって手を伸ばす……のだけど……無い。
もうゴミがどこにも、無い。
ヤバい、逃げ場が……ない。
僕はゴミを探してあたりを見渡す。
だが、それがあった場所はとても意外な所で。
「お疲れさま。少し休もう」
微笑む朝倉さんの手から、真っ赤なラベルの缶が差し出された。
「あ、ありがとう……」
受け取った缶はキンキンに冷えていた。
「フフ、飲んだらまたゴミ増えちゃうね」
笑いながらベンチに腰を下ろすと朝倉さんもプルタブを開けた。
なんだ、この状況……。
「座らないの?」
いや、待って。それは隣に座っても良いって事……?
なんだこの状況……なんだこの状況?
「偉いよね、真島くんは」
ジュースを飲みながら、朝倉さんは隣に座る僕の事を見ていた。
「いつもみんなが嫌がる仕事でも一人でやって……」
また心臓が破裂……いや爆発した。
痛い……鼓動がどうとかじゃなくて、別の意味で、痛い。
「いや、そんな大した事は……ね?」
ただ単に断る勇気がないだけなんだって……。
嫌われるのがいやなだけなんだって……。
気が付けばクラスの中での立ち位置は「便利な」「いい人」
断るよりも引き受けてしまえば、そこで終わるから。結局は面倒くさいのが一番の理由なんだ。
「大したことあるよ。今だって、こんな広い公園の掃除を一人で引き受けるなんて……」
朝倉さんはキラキラした瞳で真っ直ぐ僕の顔を見る。
それがあまりに眩しく見えて、思わず目を逸らす。
「前から気になっていたから、今日は良かったよ。ちゃんと手伝えて」
心臓どころか全身の動きが止まりそうになった。
気になっていた?
前から?
顔から火が出るはまさに今の状態なんだろうか。頬の体温が上がるのを感じる。
朝倉さんが、僕の事を……?
ゆっくりと顔を向ける。
あどけない顔で、こちらを見つめている。
これ、もしかして、いい感じに、いけるんじゃ……。
一瞬の間に色々な想像が頭の中を駆け巡り、嬉しいという実感よりも、恥ずかしいという感情がすべてを支配する。
あああああ、穴があったら入りたい……!
そう思った瞬間だった。
突然、頭上が暗くなった。
それまで晴れていたはずなのに、まるで日傘でもさしたように影が僕らの周りに落ちている。
空を見上げると、そこには……。
「あ、穴……?」
頭上に大きな黒い塊が広がっていた。
表現するなら、空に穴が開いたような。
呆然とする僕の視界に、またありえないものが映る。
何かが、落ちてくる。
落下するスピードの速さを必死で追いかけるが、それが人の形である事以上は解らなかった。
そして、それが真っ直ぐ僕たちのいるベンチに落ちてきている事。
「あ、危ない!!」
気が付いて叫んだ時には何か衝撃めいた音と光が一瞬弾けて。
次に目を開いた時には地面に朝倉さんが倒れていた。
「朝倉さん!!」
咄嗟に駆け寄ったその時。また何かの気配がして、僕は空を見る。
「アブねぇっ! どけ! どけぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
大声と共に、男が僕の頭上に落ちてきて。
血の気が引く感覚と共に思わず目を閉じた。
瞼の裏側に光が差し込む。
何が起きた?
痛みはない。
何かがぶつかった感じもしない。
考えがまとまるよりも先に、視界が広くなった。
視界は右、左と動き。
次にもう一度、左右を激しく旋回する
「ど、どこだここは!?」
公園だ。
さっきまで座っていた公園のベンチだ。
そんなことは解っている。だけど、なぜ僕は叫んでるんだ。
それより、朝倉さんだ!
倒れた朝倉さんの方を見る……見……見えない。
下を向きたいのに視界は相変わらず左右をさまよったままだ。
首が回らない、いや体が全部動かない。
「魔法で、どこかに飛ばされたのか?」
立ち上がった僕はそう呟いていた。
いや、ちょっと待て。なんで勝手に立ち上がったんだ?
そして何を言ってるんだ?
「マリーナ! エミカ! いねーのか?」
辺りを無造作にうろつきながら僕は叫ぶ。
体が勝手に動いてる。
そして僕の意思とは関係のない言葉をしゃべってる。
何が起きてるんだ……?
「お……」
ようやく視界に朝倉さんの姿が映った。
まだ倒れて、気を失っているみたいだ。
見た限り外傷は無さそうだけど……っ!
す、スカートが……めくれ上がって、太ももが……。
し、白いな肌……。
いやいやいや!
「おい! お前!」
僕は言いながらしゃがみ込むと、がしっと朝倉さんの肩を掴んだ。
ちょっ、何をやってんだ!?
「起きろ、おい!」
そのまま上体を起き上がらせては、ガクガクと前後に揺する。
やめろ、そんな乱暴な!
そうしているうちに、朝倉さんもようやく意識を取り戻したようで、ゆっくりと目を覚ました。
良かった……そう思ったのも束の間。
「うわあああっ! 何よあんた!」
甲高い声を上げて、朝倉さんが両眼を見開いた。
そして、その右手が面前に迫ってくる。
「んだよ、乱暴な女だな」
拳をかわしながら、僕が言う。
お前が言うな、最初に乱暴なことしたのは僕だろう。
ってなんか余計に解らなくなってきた。
「それより、ここはどこだ?」
「こっちが聞きたいわよ、そんな事!」
だからここは学校近くの公園で……いや、待ってくれ。そんなこと朝倉さんだって知ってるだろう。
「ああ、いつまでもくっついてんじゃないわよ!」
朝倉さんは言いながら僕を突き飛ばした。
なんか……さっきまでの朝倉さんと違う……。
そして……。うすうす気が付いていたけれど、僕自身も、僕じゃないみたいなんだが……。
「ったく……勘弁してくれ、こういうのはマリーナ一人で十分だっての……」
「は? あんたなんであたしの名前知ってるのよ?」
「え? マリーナ? 何言ってんだお前?」
何言ってんだ僕。
「あいつはもっと胸デカいだろ」
言いながら、僕の右手は……。
「お……お前もなかなか……」
やわらか…………
「あ、あんた……何を……」
朝倉さんがひきつった顔で固まっている。
固まっていても、右手に伝わる感覚はとてもふわふわ柔らかくて…………って、何してんだ僕ぅぅぅぅぅっ!
「や、やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
ようやく声が出た。
瞬間、体から光があふれ出し、同時に頭上の暗闇が近づいてくるのが見えた。
いや、違う!飛んでるのか?
朝倉さんと僕は、光の奔流に飲まれるように空に舞い上がり、そして空に開いた大きな穴の中へと飛び込んでいた……。