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迅雷の日霊  作者: イヲ
第二章・エンブリア・ウイング
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 夜凪が出てきたときは、すでに空は夜の海のように暗くなっていた。


「……待ってたのか」


 驚いたように目を見開き、ソファーに起きっぱなしだった鞘を包んだ布を持ちあげる。


「ええ。コーヒーを奢ってもらって、そのまま帰るってわけにはいかないでしょ」


 躑躅もおなじように布を肩にかけて、ソファーから立ち上がった。それにしても、彼は表情がまったく変わらない。躑躅自身も、それほど表情豊かというわけではないが、彼女以上に彼は表情が変わらないように思う。


「気をつかわれるのは、苦手なんだがな」

「気にしないで。気をつかってるわけじゃないから」


 本部のビルは、どこにでもあるようなビルだ。ただし、「木の鶏」とはどこにも書いていない。ただ、架空の名義として「古林商会」という、ありふれて逆にあやしい名前となっている。

 そのビルをあとにしても、躑躅の後ろには夜凪がついてきていた。

 放課後に家があるのはこっちだ、と言っていたから特別なにも思わなかったのだが、おかしい。ぴったりとくっついてきているのだ。


「ねえ。あなたの家って、まだなの?」


 星々が加工されたダイアモンドのように輝いている。降り終わった雨のしずくのような空の下、夜の名前をもつ、夜凪は表情を変えずにこう言った。


「とっくに過ぎている」


 と。

 何でもないように呟いた夜凪の目は、黒い真珠のようだった。ただ、純粋にこちらを見つめている。


「……暗いだろ」

「――気をつかわれるのはいやなのに、気をつかうのはいいの?」


 (かわいい女子として、だったら――わあ、うれしい。――とでも言うのだろうけど。)

 (私は、別にかわいい性格でもないし、男子に好かれようなんて、おもわない。)


 それでも彼は、なにも言わない。言ってはくれなかった。


「残念なことにな」


 肩をすくめて、先をうながす。ここで、振り切れば良かったのかもしれない。それでも、こころのほんの片隅で、うれしいと思ってしまうのは、一生の不覚だ。そう思わなければ、今までの「生き方」をすべて否定することになるのだから。


「へんなひとね。あなた」

「おまえこそ。へんな女だな」

「ふふ……っ、お互いさまね」


 まだ、互いのことを何も知らないのに、ほんのすこしだけ――心をゆるせるようなひとになれたらいい、と思う。

 そう。

 まだ、なにも――なにも、知らなかったのだ。




「私の家、ここだから。どうもありがとう。わざわざ送ってくれて」

「ああ」

「それじゃ、また明日ね。おやすみなさい。斑鳩くん」


 彼は、ふいとそっぽを向いてうなずいた。

 電灯がずっと続く住宅街を、夜凪が見えなくなるまで見送る。なぜ、そうしたかは分からない。

 兄の声で我に返り、あわてて家の中に入ると、ストーブがきいていてひどくあたたかかった。


 (彼の家にも、迎えてくれるひとはいるのだろうか――。)




 アカシアのかおりがした。

 いつかの罪を思い起こさせるような、ささやかなかおりがする。

 めくられたカレンダーが、あったはずの日々を返してはくれないように、犯した罪は決してなくならない。

 いくら罪をあがなおうとも。彼女が忘れない限り、それは決してなくなりはしない。


 百代を刀掛けにおいたまま、それをただ見つめる。


 彼女は、希有だ――と、誰かがつぶやいた。

 (ああ――たしかに。たしかに彼女は。)

 たしかに、そうだ。なにも――なかった。


 誰もいない。なにもない。

 空音の色をした目。ないものを見えているかのような目。

 膝にあてていた手のひらを握りしめる。


 守らねばならない存在など、はじめからなかった。

 彼女はひとり凜と生き、傷つくことをおそれず、それどころか――ほかの人間たちさえ必要としていない。

 夜凪の目にうつったのは、背筋を凜とのばし、空音を見上げる――弱い少女だった。


 (危なっかしい。)


 おのれとて、強くなどない。アラミタマを封じる日霊たちは、みな。

 みな、こころにうしなった半身をさがすように、うしなってしまった思い出を探すように、弱く、儚い。


 鴉の濡れ羽のような色の目。

 膝にのせていた手のひらが、ゆるむ。なにも恐れているわけではない。まだ、――そうだ。まだ、だ。


「まだ――危うい」


 彼女はおそらく、こころの底では憎んでいる。

 アラミタマのことを。おなじく夜凪も、あの魂たちを憎んでいる。

 ひととは、そういうものだ。憎しみ、怒り。そういうものを含めて人間と言えるのだから。それらがない人間など、存在しないだろう。

 ――こころをうしなってしまった人間以外は。

 そういうひとたちを、夜凪は知っている。かわいそうで、とても愚かな人間たち。

 こころを失い、そしてそれを強さとするものたちを、夜凪は幼い頃に見た。


「………」


 ふいに、スマホの画面が点滅しだした。おそらく、電話だろう。

 画面には、見知らぬ数字がほのかに光を放っている。夜凪は画面をスライドさせて、スピーカーに耳をあてた。


「夜凪くんだね」


 名も言わない、男の声が聞こえてくる。

 しかし、夜凪には分かった。その声が誰なのか。だからただ「はい」と答え、そのすがたを目に浮かべる。――夜天光錦秋。躑躅の兄。目を伏せ、彼の次に言う言葉を待つ。


「――そうか。躑躅が言っていた。斑鳩夜凪という男と知り合いになった、と」

「……俺には、彼女を守ることしかできません。約束を違えるつもりもないし、父が犯した罪を生涯かけてつぐなうつもりです」


 錦秋はただ夜凪の言葉を聞き遂げ、そうか、と呟いた。

 重たい沈黙の合間に、思い出す。

 おのれの父親が犯した罪は、日霊として赦されるものではない。


「きみの父親――高範さんはどうした」

「――死にました。1年前に」

「……そうか。しかし、罪を犯した彼はもう亡くなった。罪を背負うべき人間は、もうこの世にはいない。いや――あれは罪ではないな。人間としてあるべき姿だ。だから、背負う必要もなにもない」


 人間としてあるべき姿。そんなはずはない。日霊として、アラミタマを戦う宿命を背負ったのは、たしかに不本意だったかもしれない。それでも、ちがう。厳しかった父が、あんな姿になることが、絶えられなかった。


「いいえ。あれは、日霊としてあるまじき姿――恥ずべき事です。あの男のせいで、錦秋さん、あなたたちの家族は……」

「きみもまだ若い。生を投げ捨てるようなことを言うのはやめてくれ。こちらとしても、心苦しい。それに――躑躅が庇護されるべき対象と言われて、喜ぶと思うかい?」

「………」


 おそらく、否――だろう。

 彼女に出会ったのは、2年前。あの日――雪が降る、とても寒い日だった。だが、彼女はこちらのことを覚えていないだろう。父、高範がおかした罪でさえ。


「――これだけは言わせてくれ。どうか、このことは秘密にしておいて欲しい。躑躅はもろく、いまだ弱い。これ以上、苦しめることのないように」

「ですが……」

「お願いだ」


 ひどく険しい声色を聞き、夜凪はそっと息を吐く。

 自分の父親が、彼らの両親に対して犯した罪は、けっしてぬぐえるものではない。

 しかし、錦秋は内密にしてほしいと言う。夜凪は、それを承諾することはできなかった。だが、彼のことも分かる。

 日霊は憎んではならないという、大原則を犯してしまえば――どうなるかどうかは、痛むほどに分かるのだから。


「――分かりました。言いません。日霊の名に誓って」


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