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迅雷の日霊  作者: イヲ
第二章・エンブリア・ウイング
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「そう。材木はあなたたちが使っている物とおなじ、ホオ。だけどこれは――。そうね、手にとってもらった方がいいかもしれない」


 遊糸はケースの鍵を開け、手に取るように促した。促されるまま手に取った躑躅は、その軽さに目を見開く。

 今までの鞘は、重かった。そして、すぐにヒビが入ってしまっていたのだ。しかしこれは、今までの鞘とどこかちがう――。


「すごい。……軽い」

「あなたたちが今までだめにした鞘の数は、おそらく――両手じゃ数え切れないわね。だから、こさえてもらったのよ。軽くて丈夫で――あなたたちの楯になるようなものをね」

「楯?」


 躑躅が眉をひそめ、その言葉を反芻する。遊糸は両手を腰にあてて、まったく、と苦笑いをした。


「鞘は盾にもなるし、矛にもなる。そう口酸っぱく言ってきたわよね? 躑躅ちゃん」

「う……」

「まあ、まだ研究段階なんだけどね。それに、夜凪くん。支所から聞いたわ。あなたも、ずいぶん無理をするみたいじゃない。まだうら若き子どもたちなんだから、傷なんかつけるものじゃないわよ」

「俺は男――」


 今まで押し黙っていた彼は、ようやく口を開くも、それは遊糸の声で遮られた。


「男か女かなんか関係ないわよ。まだ若いんだからってこと! ほら、持って行ってちょうだい。そして、次の対アラミタマ戦でレポートを提出してちょうだいね」

「れ、レポートですか……」

「あら、いやなの? 躑躅ちゃん」

「そういうわけじゃないんですけど。宿題がひとつ増えたってことですね……」

「そういうこと。まあ、学生なんだから、レポートなんてちょちょいのちょいでしょ?」


 学校は、自由な校風だが宿題が多い。これ以上宿題が出されたら、躑躅の頭はパンクしてしまうだろう。

 俯いた躑躅の、黒くつややかな髪がほおをすべり、ちいさく揺れた。


「あと、用事はもうひとつ。三階のロビーで、待っていてちょうだい。健康診断があるから」



 彼女はそう言うと、颯爽と部屋から出て行ってしまった。

 残された二人は、顔を見合わせてから鞘を持り、エレベーターに向かう。長い廊下は、LED照明でとても明るい。この廊下は窓がないから、月の光も日の光も入らない。

 ここには、時間など存在しないかのようだ。


「……ねえ、斑鳩くん」

「なんだ」


 エレベーターのなかで呟いた言葉を、夜凪はじょうずに拾い上げた。


「あのさ、もし、もしよ。アラミタマがこの世界にいなかったら、どうしてた?」

「どうしてたって、――ふつうだっただろうな」

「……そうね。そしたら――」


 父も母も、死ななかった。

 ふつうに、女子高生として生きてこれただろう。戦うこともない。怪我をすることもない。

 だが、それすら――そのあこがれすら、今は許されない。


 ロビーのソファーに座っていると、目の前にコーヒーを差し出される。おもわず顔をあげると、夜凪が無表情で紙コップを握っていた。

 反射的に手が出て、コーヒーが入った紙コップを受け取る。


「あ」


 やぼったい黒く長い髪。そして、ひどい顔の躑躅が、自分を見返す。


「ありがとう」


 背を丸めて隣に座った夜凪は、ずず、と音を立ててコーヒーをすすった。不器用なのかもしれない。夜凪も、躑躅も。

 ふつうに暮らすことは、もう無理だ。アラミタマは存在するのだから。存在しない世界などを夢見ても、傷つくだけ。こころのうつろを広げてしまうだけだ。

 だれも傷つかない世界なんて、ない。それでもこの世界に、人を傷つけるための理由はないだろう。それでも人は傷つき、だからこそ強くなる。

 そこに取り残されたひとがいるともしらずに――。


「意外と、やさしいのね」

「そうだな」

「なにそれ。ふふ、おかしい」

「ひとは、優しくなれる」

「………」

「だから、生きていられる」

「――そうね。あなたの言う通りよ。ひとは、やさしくなれる。それでも――傷をつけるための、凶器にもなる。おかしいものね。どちらかにすればいいのに」


 あたたかいコーヒーをひとくち飲み込み、花の香りのように吐息をはき出す。

 矛盾がある。世界は、ひとつじゃない。

 真実も嘘も、あるいは。

 遊園地のミラー・ルームのように。根っこはひとつなのに、そこから生み出されるものは、たくさんある。


「矛盾する生き物よね。人間って。コーヒー、ごちそうさま」

「ああ」


 からになった紙コップを持って、備え付けのゴミ箱に捨てる。

 夜凪はいまだ、コーヒーをすすっていた。ちびちびと、酒のように(飲んだことはないけど)。


「言うかどうか迷ったけど、あなた、飲むの遅いわね」

「……猫舌なんだ」


 言いづらそうに呟く夜凪がすこしおかしくて、笑ってしまった。



「夜天光さん、斑鳩さん」


 ふいに女性の声に呼ばれ、顔をあげる。そこに立っていたのは、女医なのだろうか、白衣をきたきれいな人だった。


「健康診断があります。さきに夜天光さん。こちらへどうぞ」

「あ、はい」


 聞いていなかった。いや――聞かなかったのか。

 部屋に入ると看護師に体温を測るように言われる。耳に測定器を入れられ、すぐに計ることができた。女医は「平熱ね」とわらう。

 聴診器であちこち冷たい金属で触れられて、おもわず背中が引きつった。こういうものは、慣れていない。


「よし。正常ね」

「どうも……」


 ちら、と胸の名札を見ると、どうやら彼女の名前は「柊」というらしい。名前は分からない。


「ええと、柊……先生。あの、どうして急に?」

「ごめんなさいね。急で。やっとここに帰ってこれたのよ。今までは支所にいたの。でも、明日、またちがう仕事が入っててね。明日の朝一で行かなきゃ行けないのよ」

「そうなんですか。た、大変ですね」

「ええ。でも、好きでやっていることだから。夜天光さん。あなた、ちょっと生傷が多すぎね。なにか、心配事でもある?」


 いきなりこころの内側をつかれたように、おもわず息をのむ。

 手の内がわに、じわりと汗がにじんだ。無意識に、くちびるを噛む。


「――いえ。特に……」

「そう? なら、いいんだけど。まあ心配事があったら、名刺に携帯電話の番号書いてあるから、気軽に電話して」

「あ、はい」


 ほじくりだして欲しいわけではなかったから、ほっとする。しかし、意外とあっさり切り返したことに、すこし驚いた。

 もういいわよ、と告げられて、すこし呆気にとられたまま夜凪に代わる。ここで帰ってもいいが、コーヒーも奢ってもらった恩もあるし、待っていてみようか。


 ロビーは静かで、後ろは回りこむように窓がはめ込まれている。灰色の空が、町中を垂れ幕のように広がっていた。


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