5
宝石のように、きらきらとしたものにあこがれる少女たち。
それを躑躅はずっと見てきた。かわいらしいティディ・ベアのぬいぐるみ。ハニーラベンダーのかおりがする、あまい香水。
どれもが、犠牲にしてきたものだ。
爪を飾ろうとも、剣を握る手では邪魔になるだけだ。化粧をしようとも、汗でそれもぬぐわれてしまうだろう。
二カ所切られたが、そんなに深い傷ではない。ダッフルコートは、もったいないことをしてしまった。気に入っていたのに。
「これで終わりね。――斑鳩くん、お疲れ様」
八握剣を再び布で包み、肩にかつぐ。ぴり、とした痛みが腕を襲うが、気にならない程度だ。
同じく刀を布で包んだ夜凪は躑躅を見つめ、やがて顔をゆがませた。
「……いつも、そういう戦い方なのか? おまえは」
「どういうこと?」
「身を投げ出してまで、何故戦う?」
――身を投げだしてまで。
一瞬、躑躅は何を言っているのか分からなかった。
「傷つくのが、怖くないのか」
「怖くないわ。だって、私は日霊――巫だもの。傷つかなければ、強くなれない」
「……死んでも、か?」
電灯が、ゆらゆらと揺れている。まるで、ヴェネチアン・ガラスのかけらのように。
躑躅は赤いくちびるを緩めて、「そうね」と囁いた。
「死んだのなら、私はそこまでだったってこと。それだけよ」
「……」
夜凪は何も言わなかった。
月のように、名の通り凪いで、ゆるやかに光を落としてゆく――。
「だから、強くならなきゃいけないのよ」
そう、死なないためにも。
彼女のつややかな黒い髪は月の光に凪ぎ、そしてきらきらと宝石のように輝いていた。
ひとりきりの部屋、借りたばかりのマンション――。
刀掛けの前に正座をし、カーテンを開けたまま月の光にあてがう。
藍のてぬぐいを外した夜凪の表情は、月影にさえぎられ、見えない。ただ、くちもとだけが一文字に結ばれている。
「躑躅!」
嬉しそうに教室のなかに駆けてきたのは、言わなくとも分かる。翠だ。
「なに?」
昨日の今日ですこしだけ疲れているが、声を出すことは特別しんどいことはない。
彼女は目をきらきらとさせながら、胸の前で手を組んだ。
「例の転校生、男子なんだって!」
「へぇ」
「へぇって、もう! 躑躅ったら、いっつもそうなんだから!」
肘を机の上について、もう一度、へぇ、とつぶやく。切られた右腕は、兄に手当てをしてもらったが、そうそう深いものでもなく、膿んでもいない。包帯こそしてあるものの、じき治るだろう。跡は残るだろうが。
「だから、朱音さんたちがどうにかしてくれるでしょ。校内を案内したりするのは」
「そうかもしれないけど! 躑躅、かわいい顔だちというか、きれいな顔だちしているのに、彼氏の一人や二人いないのがおかしいのよ!」
「私は作る気もないわ。これからもね」
ふいに、ずきりと腕と足が痛んだ。
(――身を投げ出してまで。)
何故戦う、と問われた。人を守るため?それとも、自己満足のつもり?分からない。何故戦うのかは。まだ。
復讐ではない。復讐は憎しみを生む。だからこそ――憎んではならない。
(憎んでは――。)
「えーと、では紹介。転校生の――斑鳩夜凪くんだ」
肘で頭を支えていたのを忘れ、がくりと頭が落ちる。斑鳩夜凪。あの少年は――、そろそろと頭を持ち上げ、黒板の前にたたずんでいた。
「……」
彼に気づかれる前に、視線をはずす。おそらく、まだ気づいていないはずだ。たぶん。
しかし、違うことに気づいてしまった。窓側の席――それも、いちばん後ろ。その隣に、空席があることに。
そこには誰もおらず、誰かの席だったというわけではない。ただの空席なのだ。
教師は夜凪がどこから来たのか説明している。躑躅は内心冷や汗をかきながら、肘を机の上にあてたまま視線をそらしている。
「斑鳩夜凪です。以後、よろしく」
平坦な声で呟くようにこぼすと、ぱらぱらと拍手の音が聞こえてきた。
「じゃ、席は……おい、夜天光。なによそ見してるんだ。あの窓際の一番後ろの席が、きみの席だ」
「はい」
凹凸のない声が頷く。
ざわざわとざわめいている教室内の生徒たちの視線が突き刺さる。こういうのは、あまり好きではない。
椅子が床をこする音が聞こえて、再び彼女は体を硬直させた。――しかし、夜凪はなにも言わなかった。なにも言わず、ただ引き出しの中に、用意されていた教科書をしまっている。
躑躅はそっと安堵のため息をはき出して、次に始まる授業のために、筆箱と教科書を出した。
予鈴が響く前、どっと夜凪のまわりに人だかりができる。予想はしていたが、やはりあまりいいものではない。必死に顔をそむけて、窓のそとを見つめた。
「ねえねえ、斑鳩くん。どこから来たんだっけ?」
「誕生日っていつ? もう過ぎちゃった?」
(ご愁傷様ね……。というか、転校生くらいでこんなに人だかりができるものなのかしら。)
心中でつぶやくも、決して口には出さない。目立ってはいけない。そうやって生きてきた彼女は、転校生に優しくするのも、この教室の中の生徒たちが彼に慣れてからだ――。そう、思っている。
細々と答えている夜凪は、ふつうに会話しているようだ。――よかった、という思いが何故自分のなかに浮かぶのか分からず、口もとをすこしだけ、ゆがめる。
やがて本鈴が鳴り響き、生徒たちは着席しはじめた。
昼休み、朱音とその取り巻きが率先して夜凪を連れ、学校内を案内しはじめた。
むろん、そこに躑躅はいない。だが、翠は気になるのか一緒に行ったようだ。
躑躅は兄手製の弁当を食べ終え、ベランダへむかった。風が、透きとおったガラスのような空気が、躑躅の黒い髪の毛を遊ばせている。
ベランダの柵に両肘をつけ、冷たく澄んだ風を見つめるように目を細めた。
「憎んではいけない、か」
寒さに薄い色になったくちびるからこぼれ落ちたのは、思わぬ言葉だった。
「分かってるわ。お父さん、お母さん。私、憎んだりしない。あんなおぞましいものになりたくないから」
日霊になったのだから、それくらい――。感情を押さえることだって、容易なはず。
黒いまつげを伏せて、くちびるをそっと無意識に噛みしめる。
「夜天光」
ベランダから転げ落ちそうなほど驚いたのは、久しぶりだった。そろそろと振りかえると、やはりその声の主は――斑鳩夜凪だった。
扉の向こう側には、好奇の目でこちらを見ている女子生徒の視線がある。
「な、なに……?」
「言いづらい名字だな」
「……まあ、よく言われるわよ。あなたこそ、夜凪って言いづらい名前ね」
「よく言われる」
彼はいつものように手ぬぐいで頭を隠し、学ランの第二釦まで外してシャツの下に、また藍紺のティーシャツをきている。
「ところで、用件はなに? 私が避けてたことくらい、分かっていたでしょ」
あんまり、目立ちたくないのよ。と呟く。