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躑躅の表情は沈んではいないが、明るくもない。
理由を聞いていいのか分からなかった夜凪は、口を閉ざしている。
「春は苦しくなるくらい、きれいだから。お母さんも言っていたわ。4月は残酷な季節だって」
本に書いてあった、と言っていた。
躑躅の母、八千代は春になるといつも、その言葉を躑躅や錦秋に言い聞かせていた。
どうして、と問うと、八千代は困ったように笑い、中庭を見つめていたことを思い出す。
「まあ、お花見とか楽しい行事もあるけどね」
「花見か……」
「斑鳩くんもしたことあるでしょ、お花見」
「……まあ。支部の知り合いと、だが」
「そう。私もそうよ。本部の堂元さんたちと、大勢でしていたわ」
今、花見のシーズン真っ盛りだ。けれど、きっと今年は花見はしないだろう。
遊糸も忙しそうだし。
ウイスタリアは知らないが、きっと遊糸の手伝いで忙しいだろう。
「でも、お花見しないと日本人って感じ、私しないのよね」
「大げさだな」
「そう? 私の家の庭にね、桜があるの。祖父がこのあたりの桜守をしてて、そのせいかな。そう思うのは」
大事にしなさいと躑躅の祖父に言われてきた桜だ。
桜は毎年、桜守の手入れ次第で美しく咲く。
「あれ」
躑躅が歩いている数メートル前に、見慣れたスーツの男性が歩いていた。
錦秋だ。
「あれお兄ちゃんだ。おーいお兄ちゃん!」
「お、おい!」
躑躅は夜凪の腕をひっぱって、錦秋へと走る。
そのたびに春のおだやかな風が、彼女の髪の毛をゆらした。
「ああ、躑躅に夜凪くん。久しぶりだね、夜凪くん」
「お久しぶりです」
「今日、うちで夕食を食べていかないかい? 春野菜がたくさんあるし」
「いえ……俺は」
気まずそうに視線をさげたが、夜凪の肩に、錦秋の手がのっている。
とん、と肩を軽くたたいて、笑いかけた。
「今日は新じゃがの煮っころがしにしようと思うんだ。夜凪くんも、食べていってくれると嬉しい」
「……ご迷惑じゃなければ」
「よし、じゃあ急ごうか」
このきょうだいは、夜凪にとてもよくしてくれている。
錦秋は、夜凪の父がした過ちを知っているというのに。
ふたりの家は、相変わらずあたたかい場所だった。
リビングにおいてあるぬいぐるみが前よりも増えている、気がする。
「楽にしてて。すぐ作るから」
「ありがとうございます」
錦秋は手慣れたようすでエプロンをつけ、キッチンへ入って行った。
座布団のうえにすわった躑躅は、机に肘をつけてじっと外を見ている。
「何か、みえるのか」
何気なく聞くと、彼女は外へ指をさす。
指をさした先は、青々とした名も知らない木が風に葉を揺らせていた。
「あれね、えんじゅの木。魔除けの意味もあるのよ。まだ春だから、花は咲かないけど」
「……そうか」
「夏になると花が咲くの。そうしたら、また家に来てね」
そっと、ちいさな花のようにほほえんだ躑躅は、また来てほしい、と言う。
けれど。
もしも夜凪の父親がしたことを知れば、絶望し、失望するだろう。
打ち明けてもいい、と夜凪は思うが、錦秋にそれを禁じられているためにそれを告げることは許されない。
「そうだな」
「そうだ。斑鳩くん。お兄ちゃんと一緒にお花見しない?」
「花見……?」
ちら、とキッチンにいるはずの錦秋の背中を見るが、聞こえていないのだろう、せわしなく腕を動かしていた。
「お花見、っていっても、庭でだけど。名歌町の中じゃ、誰かに見られても面倒だし。家の庭ならいいかなって思ったの」
「……夜天光さんの都合はいいのか」
「いいんじゃない? 土曜日か日曜日なら」
躑躅は適当に言うが、錦秋に聞かなければ実際は分からないはずだが。
桜がちるのは早い。
再来週には散ってしまうだろう。
「花見かい?」
錦秋が新じゃがの煮っころがしをのせた皿を机の上に置くと、躑躅は上機嫌にうなずいた。
「そう。庭に桜あるじゃない。そこでお花見できたらなって」
「いいんじゃないか。でもすぐに散ってしまうから早めのほうがいいな」
「今週の土曜は?」
「いいんじゃないか。夜凪くんの都合がつくなら。躑躅、皿を運ぶの手伝ってくれないか」
うん、とうなずいた躑躅は、颯爽と台所へ向かっていく。
無論、日霊の仕事が入らなければ断る理由はない。
実際家にいても、読書か鍛錬しかすることはないからだ。
躑躅が運んできた煮物や、錦秋が運んできた白米。
どれもがあたたかかった。
作りたてだからあたたかいのは当たり前だけれど、それと関係なく、あたたかい、と思う。
「さて、いただこうか」
「いただきまーす」
「い、ただきます」
まだ、「いただきます」のことばを言いづらそうにしていたけれど、それが嬉しかったのか、ふたりは顔を合わせてそっと笑った。
錦秋がつくった夕食は、どれもがおいしかった。
夜凪では出せない味だとも思う。
「夜凪くん、口に合うかな」
「あ、はい。おいしいです」
「きみも、料理をするんだって? 躑躅から聞いたよ」
「簡単なものだけですが」
錦秋に関しては口が軽いらしい。
思わずため息をつきそうになったが、ごちそうになっている手前、まずいだろう。
「夜凪くんの年代で自炊できるのはすごいことなんじゃない?」
「そうでしょうか」
「俺がきみの年齢の時は料理なんてまったくしなかったしね」
夜凪に母はいなかったし、料理をせざるを得なかった、というだけなのだが。
とはいっても、毎日作っているわけでもない。
「……夜凪くん」
「はい」
すこし席を外す、と言った躑躅を見送り、錦秋は茶碗を机に置くと、顔を引き締めて夜凪に向き直った。
「きみが苦しんでいることを、俺は知ってる。きみのお父さんがしたことを、あがなおうとしているということも。こうして、食事をしてきて分かった。きみは真摯に、そのことを背負っているんだね」
「……それは」
「俺はきみには苦しんでほしくない。躑躅が何も知らないことが、躑躅の幸せだと思っていたんだ。でもね、夜凪くん。躑躅はすこしだけれど、強くなった。それはきっと、きみのおかげだ」
錦秋は晴れやかな笑みをうかべた。




