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迅雷の日霊  作者: イヲ
第五章・リーベ・エアツェールング
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 ウイスタリアは、大人だった。

 躑躅が思うよりもずっと。

 けれどよく考えると彼は9歳も年上だ。

 だからと言って、どうということもないのだけれど。

 ファミリーレストランから家にもどって、ぼんやりと椅子にすわって天井を見上げた。

 ウイスタリアには、はっきり言った。

 後悔は決してしていない。

 あれが、躑躅の本当の気持ちだからだ。


「……私……」


 間違ったことはしてなんていない。

 ぎゅっと手を握りしめ、ふう、と息を吐いた。


「そう。ウイスタリアに恋はしたことはない。本当のこと……」


 うじうじと悩んでいても彼に気をつかわせてしまう。

 ぱちん、と軽く両頬を手でうって、気を引き締める。

 ウイスタリアとは、これからも友だちになれたら、と思うし、残酷でも変わらずにいてほしい。


「よし」

 

 躑躅はひとつうなずいて、すっくといすから立ち上がる。

 今頃、錦秋は夕飯の準備をしているはずだ。

 たまには――というか、初めて手伝おうという気になった。


 キッチンには、シャツにリネンのエプロンをつけて、手を動かす錦秋がいた。


「お兄ちゃん」

「ああ、どうした? 躑躅」

「わ、私も料理……手伝いたいんだけど……い、いい?」

「ぅあちっ!」


 がちゃん、とフライパンがゆれる。

 おそらく、油が飛んだのだろう。そんなに、驚くことだろうか。


「大丈夫?」

「ああ、大丈夫。どうしたんだ急に」

「私もすこしは手伝いたいなって」

「……何かあったのか?」

「っ、べつに! 何か切ればいいの?」

 

 ウイスタリアから告白されて、今日断った、なんてことは口が裂けても言えない。

 ぶんぶんと腕をまわして、流し台にボウルの中に置かれている玉ねぎを見下ろした。


「じゃ、玉ねぎ切ってくれないか? 今日はカレーだ」

「分かったわ」


 玉ねぎの茶色のかわを剥いて、包丁を握る。

 凍華よりもはるかに軽い刃物を、久しぶりに握った。

 最後に包丁を握ったのは、飯盒炊飯のとき以来だろうか。


「いいか、躑躅。包丁を使うときはにゃんこの手だぞ」

「に、にゃんこの手ね……」


 こくり、とうなずいて、右手を軽く握る。

 玉ねぎをぎこちなく切っていくと、目がつんとしてきた。

 思わず目をつむる。


「目がしみる」

「玉ねぎだしな……。口を開けて口で呼吸をするといいらしいぞ」」

「う、うん」


 ずいぶん不格好だけれど、目がしみるよりはだいぶいい。


「躑躅、なにか、あっただろう?」

「な、ないってば!」

「いーや。あったはずだ。兄ちゃんに話してみなさい」

「もー!」


 あとでね、と伝えて、とりあえず目の前にある玉ねぎをどうにかしなければならない。

 玉ねぎひとつ分ようやく刻み終わった。

 かたちはいびつで、均等とはお世辞にもいいがたい。

 けれど、食べたら同じだ。気にしないことにする。


 カレールウを入れて、あとは煮込むだけ。


「玉ねぎ……もう切りたくない……」

「玉ねぎは結構使い勝手いいぞ」


 それでも目にしみるのは進んで切りたいとは思わない。

 おたまで鍋のなかをかき混ぜている錦秋は笑いながらそれを聞いていた。

 もしも躑躅がこれからも料理を手伝うことがあったら、今度は何を教えようかと考えるのも楽しい。

 今まで躑躅はすすんで料理の手伝いをすることはなかった。

 以前にすこしだけ手伝ってもらう機会があったが、結局うまくいくことはなかった。


 カレーが出来上がると、福神漬けと一緒に机の上に置く。


「いただきまーす」

「いただきます」


 玉ねぎしか切っていない躑躅だが、いつものカレーよりおいしく感じられた。

 顔に出ていたのか、錦秋に「どうした、そんな笑顔で」と笑われてしまう。


「で、躑躅。なにかあったんだろう?」

「それ、やっぱり聞く?」

「まあ、言いたくないならいいんだが」

「べつにお兄ちゃんが心配するようなことはないわ」


 これは本当のことだ。錦秋が気にするようなものでは、決してない。

 彼はそれで納得したのか、それ以上、聞いてくることはなかった。


 ウイスタリアとのことを言ったとしても、錦秋がどうにかすることはないだろうし。


「躑躅も、明日から三年生か」

「うん」

「本当に、進学しないんだな?」

「しない。私は日霊のお役目があるし、それを仕事としたいの」

「……そうか。分かった」


 これ以上、錦秋は聞かない。

 錦秋の目にはアラミタマは映らないし、触れることもできない。

 どう頑張っても、日霊にはなれない。

 父を見送る、心配そうな母の姿を思い出した。

 そして、2年前のあのときも。

 姿の見えないなにかが、父を、母を切り裂き、殺したことを、錦秋は覚えている。

 そして、躑躅自身が日霊のお役目を負わなければいけないと、そう固く決めたのも、その時からだった。


「大丈夫よ、お兄ちゃん。私はこれからもっと強くなって、お兄ちゃんを助けるんだから」


 躑躅はほほえんで、強くなる、と言った。

 ふいに、夜凪のことを思い出す。

 まだ高校生だというのに、血を流すかもしれない日霊のお役目を負っていることを、不幸だとは思わないのだろうか。

 夜凪も躑躅も、強くなりたいと言っていた。

 そんな彼らを錦秋は、見送ることしかできない。

 

「躑躅は、頑張り屋だな」

「そう?」


 躑躅が笑うと、錦秋も倣うように笑った。

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