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午後9時、名歌駅前。ちかちかと電気が切れてしまいそうな電灯の下で、ただひたすらに待つ。
9時10分。まだ来ない。
まだ雪が残る冬だ。ダッフルコートを着ていても、寒い。ブーツを履いているが、足先もすこしずつ冷たくなってきている。
「さ、寒い……」
バディーの斑鳩夜凪という人という証は躑躅とおなじ、長物を持っている、ということだけだ。
駅なのに人通りも少なく電灯も切れそうで、とても心細くなるが、どうすることもできない。
とにかく待っていなければ。
「悪い」
「うわっ!」
人影がなかったのに、いきなり声をかけられる。おもわずびくりと肩をゆらしてしまった。
「悪い、遅くなった」
その声は、どこかで聞いたことがある。人影を見上げると、やはり――彼だった。
藍色の手ぬぐいを巻いて、目が鋭く、黒のロングコート。
「やっぱり、あなただったのね。ええっと、斑鳩――夜凪くん」
「ああ」
「もう一度、自己紹介しましょうか。私は夜天光躑躅。よろしく。バディーさん」
手を差し出すと、夜凪もわずかにためらった仕草をしたあと、握手をする。彼の手は思ったよりも暖かくて、しっかりとしていた。おそらく、タコもあるだろう。所々、かたい場所もある。
「結構、経験積んでるのね」
「ああ。もう8年になる」
「8年。じゃあ、9歳からやってるのね。日霊の仕事。あ、歩きながら話しましょう」
肩にのしかかる八握剣は、やはり重たい。躑躅はまだ日霊の仕事をして2年しかたっていない。無論、それ以前に訓練はしていたが、本格的にはじめたのは両親が死んだ、冬からだ。
目的地まではまだある。歩いて5分ほどだろう。そこにアラミタマがいるという。
アラミタマはヒトに憑く場合もあるが、大体はアラミタマそのもので、動物、あるいはヒトの形をとっている。
そうして、アラミタマを見ることができるのも日霊だけだ。忘れられない。父と母を殺害した、禍々しくうねっている蛇のような形が。
「同い年だって堂元さんが言っていたから、日霊の仕事はあなたのほうが先輩ね」
「……そうだな」
夜凪が背負っている長物をふいに見上げると、彼と目が合う。居心地が悪そうに視線をさまよわせ、夜凪は長物を背負い直した。
がちゃり、と重たげに音が鳴る。
「このあたりよ」
見渡すと、たしかに「淀み」があるようだ。淀みはアラミタマがいる証でもあり、常人が淀みのある場所に長くいすぎると、体調不良を起こすらしい。
「ひどい淀みだ」
ぼそりと呟いた夜凪の表情は、やはり険しい。それはそうだろう。躑躅でさえも、この淀みはひどいと思う。一体、どれだけの悪意を持ったアラミタマなのだろうか。
「……あそこ」
公園のなか、ブランコの上。きい、きい、と、ブランコがひとりでに動いている。青い青いブランコが、さみしそうに。
目をこらすと、やはりいる。淀みの原因、アラミタマが。
背負っていた八握剣を布から解放し、柄と鞘を握る。
「さみしい……さみしいよ……」
アラミタマは、よく女や子どもの姿を取ることが多い。そうすることで、ヒトのこころの隙をつこうと虎視眈々と狙っているのだ。
見かけに騙されてはいけない。
父に、口酸っぱく言われてきた言葉だ。 たとえ、小さな子どもであろうとも、女であろうとも――アラミタマは敵なのだと。
「そんな言葉ばかりね。いつも、いつも。おまえたちは、いつもそればっかり」
しゃらり、と、鳥の鳴き声のような――ガラスを研ぐような音を立てて、躑躅の八握剣が目覚める。
刀身はやわらかい甚三紅、柄糸と鍔は銀箔のような、まばゆい白練、そしてハバキは柳鼠。
一見ちぐはぐのような色でも神剣として名高い八握剣は、名だけではない。その名に恥じぬアラミタマに対して「祓う」ことができる。
ブランコから立ち上がった子どもの影は、ゆらゆらと揺れて今にも空気に溶け込んでしまいそうだ。
「……」
夜凪は口をつぐんだまま布をほどき、躑躅と似た日本刀の柄を持った。刀身は黒く、柄糸と鍔は躑躅と同じような白練。
冬の透明で澄んだ空気のなかでは、月の光はまぶしく思える。
躑躅は目を細め、ゆらゆらと揺れる子どもの影から目を離さぬように、くちびるをそっと開けた。
「こいつ、ひとつみたいね。私がやる。あなたはこいつがたぐり寄せた淀みを祓って」
「待て、おまえは――」
「大丈夫よ。私、結構強いもの」
藍色のスカートのすそをたゆらせて、アラミタマへと突っ込んでゆく。
彼女の「敵意」を感じ取ったのか、子どもは二つの目を青白く光らせ、ぐるりと首をまわした。
口を大きく開き、そこから巨大な手が飛び出し、彼女の細く白い首を手折ろうと手を開くが、それを横へステップして容易にかわす。
「……」
それをじっと見つめている夜凪は、アラミタマが放つ淀みを祓うために、木の鶏で造られた模造刀――百代の刀身を鞘から抜き放った。
(憎い、という気持ちを持ってはだめだ。躑躅。アラミタマはそれが餌なのだから。ヒトの怨嗟、憎しみを食らって、アラミタマは大きくなり、そして強くなる。気を清浄に保つんだ。)
「分かってる。お父さん。清浄に、気を保つ」
ぐるりと手が大きくひねられ、小さな子どもの体ではその手の動きについてこれないのか、体が宙に浮いてしまっている。
「閑っ!」
しっ、と呼気をあげて、大きくひねられたその手のひらの中に飛び込む。大きく足を開き、黒いエナメルのローファーの底が痛むことを気にせず、肘を思い切りひねって、その手のひらに八握剣をたたき込んだ。
巨大な咆哮が躑躅の耳を裂くが、構ってはいられない。アラミタマに急所はない。だからこそ、――徹底的に、切り刻まなければならないのだ。
たたき込んだ剣を引き抜き、後ろへと飛ぶ。それを悲鳴を上げながら、躑躅の体を容易に覆うことができる巨大な手が追いかけてきた。
後ろへ後ろへと飛びながら、アラミタマの隙を見つける。
逃げてゆく獲物に苛立ったのか、それは鋭い爪で躑躅を傷つけようと手を開いた――直後、躑躅は足を踏み込み、――自身に傷をつけるのもいとわず――ぶら下がっている子どもの体をひと突きにした。
ダッフルコートを切り裂き、彼女の腕と足から血が吹き出る。地面に血がきらきらと月光に反射して輝き、落ちてゆく。
「おまえ――!」
焦ったような声を聞いても、躑躅は冷静だった。
八握剣に刺された子どもの姿は、もうどこにも――なかった。