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躑躅が言っていたことばを思い出す。
彼女の「好きな異性がいるのに」ということば。
夜凪はべつに好きな異性はいない。
けれど、依然「あるひとの命」が一番大事だ、と言ってしまったことで、余計な心配をかけていることに気づく。
無意識に頭をかき、いたたまれなさに息をついた。
その「あるひと」が躑躅のことだと言う気はないが。
言ったら言ったで、憤慨しそうな躑躅だ。
そんな彼女だから――。
「……」
躑躅の背中が見えなくなると、ようやく夜凪も足を踏み出した。
夜の町はつめたい。
じき、春が来るのにまだ寒さは続いている。
あと2か月もすれば、高校3年生だ。
受験はないとはいえ、勉強も大事だということは分かっている。
躑躅は両手で両腕をさすった。
白い吐息が、夜の名歌町の空へ消えていく。
バッグのなかから、慎重にくるんだかんざしを取り出す。
いつの間にか手のなかにあったかんざし。
そして、空からふりそそぐような女性の声。
「もしかすると、あの声が菊理……?」
ぽつりとつぶやいても、声はない。
けれど、ありえない話ではないだろう。
遊糸が言っていた、躑躅に菊理の魂が宿っている、ということならば。
かんざしをバッグにしまって、空を見上げる。
躑躅の魂、というものはないのだろうか、と。
そう考え始めたらきりがない。だれも分からないのだから、しかたないだろう。
コンビニに寄り、適当にお弁当を買ってから、明かりのついていない家に入る。
まっさきに暖房をつけて、台所にあるレンジにお弁当を入れた。
「……言いすぎたかな」
夜凪に。
けれど、後悔はしていない。
だって。
夜凪には、大切なひとがいるのだし。
それは、躑躅ではないのだから。
「いや、言いすぎじゃない言いすぎじゃない」
顔を軽く振って、温まったお弁当を取り出す。
一人で夕食をとるのは、久しぶりだ。
夜凪は一人暮らしだと聞いたから、彼もひとりで夕飯を食べているだろう。
『あなた。わたしの――。』
「え?」
ふいに、声が聞こえてきた。
やわらかな、女性の声だ。
「……菊理……?」
『そう。わたしは菊理。ようやくわたしの名前を呼んでくれた。』
彼女のほほえんだような声色に、躑躅も思わず顔がゆるむ。
『荒魂を和魂浄化できる、勇気ある日霊。あなたに、祝福を差し上げました。』
「祝福……千里眼のこと?」
上から声が聞こえているから、躑躅も顔をあげて話しているのだが、これを錦秋に見られては心配されてしまう。
今、いなくてよかった。
『そう。わたしの魂を受け継ぐ子たちには、すべからく平等に。』
「菊理。あなたの声は、私以外のひとにも聞こえるの?」
『いいえ。結局はわたしは魂だけの存在。受け継いだ子のみにしか聞こえないの。』
「そう……」
『ふふ。大丈夫。そんな心配しないで。あなたが一人きりの時にしか聞こえないのだし。』
菊理は躑躅の性格をよく分かっているようだった。
実際、安堵したのが正直なところだ。
『あなたが、私の魂を継いだ子でよかった。』
それはどういう意味なのかと聞いたけれど、もう菊理の声を聞くことはなかった。
彼女に聞きたいことはたくさんあったのだけれど。
それでも日霊の始祖である菊理に認められたようで、うれしい。
それにしても、菊理の声を初めて聞いたとき、「あのひとの手をはなさないで」と言っていた。
誰のことか分からないけれど、いずれ分かるときが来るのだろうか。
ぼんやりしていたら、お弁当がさめてしまっていた。
もう一度あたためて、かきこむように食べ終えた。
百代が欠けてしまったことで、ひどく落ち着かない。
ぼんやりとベッドに入って、天井を見上げる。
夕方、アラミタマと戦っていたとき、躑躅のようすが少し、おかしかった。
エントランスで問いただそうとしたが、はぐらかされてしまった。
躑躅は、なにを見ていたのだろうか。
覗き込むような目をしていたから、おそらく、何か見ていたのだろう。
「……なぜ」
なぜ、知ろうと思うのだろうか。自分は。
知らなくとも、守ることができる。
知らなくとも、関係ない。
だというのに。
なぜだろう。
夜凪はひとり、目を閉じて自身に問いかけた。
それでも答えは出なかったが。
それから数週間ほどたっただろうか。
3月になり、寒さもあまり感じなくなるまで、夜凪と躑躅はアラミタマとの戦闘はなかった。
全くなかったわけではない。
伏やウイスタリアたちは無論、アラミタマと対峙していた。
今日は夜凪の新しい刀が打ち終えた、と本部から連絡があったので、見に来たのだった。
「よく来てくれたわね。躑躅ちゃん、夜凪くん」
「堂元さん、斑鳩くんの刀は?」
「はいはい。すぐ案内するわ」
夜凪よりも楽しみにしていそうな躑躅に遊糸は笑いかけて、技術部がある地下へむかった。
技術部へとたどる道は、石でできた小道の両脇に玉砂利が敷かれ、時折植物が植えられている。
そして、天井が高い。
なぜなら、数メートルおきに赤い鳥居があるからだ。
鳥居には幣もあり、神社のようにも見える。
日霊にとって、神聖な場所だからだろう。
技術部に通じる扉は、鶴と松、鳳凰と竹を扉全体に木で彫られている。
菊理のかんざしと同じ意匠だ。
遊糸が扉の取っ手に手をかける。
がたん、と音をたてて、技術部への扉が開いた。




